ストーンハウスロッジの記憶 2

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歩くと床全体がユラユラと振動して、階段を通して上下によく音が抜ける老朽家屋、ベニヤで細分化された部屋ということもあり、足音や話し声がどの方向から来ているのかよくわからなかったりした。
ずいぶん昔の話になるが、この宿に滞在していたとき、他の宿泊客から『帰って来る幽霊』の話を耳にした。何でも、私が宿泊したときから数年前に、この宿で亡くなった日本人客があったのだという噂だった。その人が生前に滞在していた部屋にときどき帰って来るという伝説みたいなものが流布しつつあった。
『夜1時過ぎくらいに帰って来るんだ、奴が。この宿って11時が門限で、玄関のカギを閉めてしまうから、その後に入ってくるはずないんだよ。昨日も奴は帰って来てた。宿の人は、チェックアウトした人の部屋の掃除に使用人を寄越すくらいで、よりによって遅い時間に上がることはないって言ってた。思い出すだけで気味悪いよ。重たい足取りで、トン、トン、トン、トン・・・と上がってきて、この階の端っこの部屋のドアを開けて入るんだ』
彼が言うには、隣室には他の旅行者が泊まっているため『霊が帰って来る』のはその脇の部屋に違いないのだという。
『昨日も、奴が帰ってきてから、ちょっと怖かったけど、確かめるためにドアの外に出てみたんだ。するとあのドアは、外から南京錠がかかっていた・・・』
こちらもちょっと背筋が寒くなる思いがした。私が滞在する部屋ちょうど真下に、幽霊が帰って来るなんて、気分のいい話ではない。
ひとつ下のドミトリーに宿泊していた男性も彼の言葉を裏付けた。
『昨日、ちょうどそのあたりの時間だろうな。寝ていたけれども階段を上る音がしていたこと、その後ドアがバタンと閉まる音も耳にしたよ』
『昔いた場所に帰って来るってのは、アンタ、そりゃ地縛霊だよ。タチの悪いのもあるって言うから気をつけてね』などと、したり顔で無責任なことを言う者もあった。
そんな怪談じみた話がしばし続いてから『そろそろ夕食に行こう』ということになり、数人で近所の食堂に出かける。部屋に戻ってからも、ドミトリーに顔を出して、そこに滞在している人たちと、ひとしきり話していると、いつの間にか夜は更けて午後11時。
『おやすみなさい』と、彼らのスペースを辞して自室に戻ってから、ステンレスのマグに電熱コイルを放り込んで湯を沸かして茶を淹れる。いつものとおり日記を書き、今朝方買った新聞を広げてみたり、ガイドブックを眺めたりしながら過ごす。そんなことをしているうちに、いつものことながら1時を回ってしまうのだ。
『さて、歯磨きをするか』と、お茶沸かすときに汲んで来た残りの水で口をゆすいで、無作法ながら、窓の外にペッと吐き出す。歯ブラシでシャカシャカ磨いてから、洗面台があるひとつ下の階にそうっと下りる。階段脇の水道の蛇口を静かに開いて口の中をゆすいで歯磨き完了。
癖で、階段を上るときに足の裏を叩きつけるようにして上ってしまうが、途中で『あ、この時間はみんな寝てるんだ』と、なるべく音を立てずに上がることを心がけたりするのもいつものことだ。
建て付けの悪い部屋のドアをバタンと閉めて、中から金属のカンヌキをかけると、下の階でドアが開く音。誰かが数歩進んでから、『やべぇ!』など声を上げている。彼は即座に自室に駆け戻ったようで、バタンとドアが閉まる音が聞こえてきた。どうやら『帰って来る幽霊』とは、私自身のことであったらしい。
翌日、下の階の男性は『昨日も幽霊が帰ってきた』などと吹聴していた。ドミトリーの宿泊客たちは『マジかよ!』と眉を顰めて話に聞き入っている。
私は『幽霊自身が種明かし』をして、せっかく定着しつつある『怪談話』がオジャンになってしまってはつまらないので、とりあえずあまり興味のないふりをして聞き流すことにした。

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