ストーンハウスロッジの記憶 1

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昔、カトマンズのニューロードにあるネパール航空事務所の反対側の路地を少し進んだところに、ストーンハウスロッジという格安の宿があった。
宿泊客はほとんど日本人ばかりで、インド亜大陸各地をめぐるとか、アジア横断してアフリカに向かうなどといった長期旅行者が多かった。インターネットもなかった頃なので、こういうところでいわゆる『情報ノート』が貴重なインフォメーションのリソースでもあった。かつて、私もこの宿に幾度か宿泊したことがある。
古いネワール式の木造の建物で、最下階の狭い入口のところに受付があり、細くて急な階段を上ってすぐの階には家主の家族が暮らしており、そこより上の複数の階に宿泊客を泊めていた。 各階ともに、もともと狭いフロアーを無理やりベニヤで仕切って、やけに幅の狭いベッドが置かれているが、これで部屋の中は一杯。確かひとつだけ四つのベッドが入った『ドミトリー』があったと記憶している。
当時からタメル地区はかなり繁栄しており、すでに旧王宮近くのジョッチェン地区に宿を取る旅行者は少なくなっていた。どちらからも離れたストーンハウスロッジになぜ日本人旅行者が集まるようになったのかは不明である。シーズンは常に満杯、雨季のオフシーズンでも部屋が空いていないということは珍しくなかったようだ。
いつ購入されたのかわからないボロボロの古いベッドの上に敷かれているシーツは、これまたいつ洗ったのか知れず、身体を横たえていると、南京虫の執拗な攻撃に悩まされるようなところなのだが、何故かとても繁盛していた。
ひどく狭くて汚いかわり、宿泊費がそれ相応以上に低料金であった。『お金はあまりないけど、とにかくあちこち訪れてみたい』という安旅行者には重宝される宿であった。ただ安いだけならば他にいくつもあっただろうと思うが、安宿が集中するゾーンからは離れているものの、ニューロード裏という便利なロケーションも良かったのかもしれない。
いつだったか、すぐ隣にレンガ積みの真新しい建物が出来上がった。ストーンハウスロッジよりも料金は高くとも、ずっと設備が良くて、新築であるがゆえにピカピカで快適な部屋が用意されていた。ストーンハウスロッジの利用客が『こっちのほうがいいや』と移動してもいいような気がしたが、そうはならなかったようだ。
こちらはまったく流行らず、数年で廃業してしまった。流行る宿というものには、理論的に説明がつかない『旅行者とうまく合う波長』のようなものがあるような気がする。人と人との相性のようなものかもしれない。別に宿の人の愛想がいいとかいうわけでもない。その場所が持つ『気』のようなもの(?)とも言えるだろうか。
古い長屋のような建物であるがゆえに、隣接する棟とぴったりくっついた建て込んだ地域であるがゆえに、家屋での人々の暮らしぶりが、特にそれを覗こうとしなくとも、ごく間近に感じられる楽しさはあった。人々の会話や赤ん坊の泣き声など、様々な生活音がジャンジャン聞こえてくるし、どこかの世帯で作っている料理の匂いも漂ってきて、下町に暮らしている気分になったりもした。
もともと人口密度の高い空間なので、人通りは多かった。何せニューロードの真裏である。それでも野菜売りが沢山出て賑やかな朝の時間帯、様々な用事で人々が行き交う昼間の時間帯を過ぎて夕方の帰宅時間を過ぎれば、ガランとしていたものである。
用事等でタメルに徒歩で出かけて、帰りが午後7時過ぎると人通りがとても少なくなり、午後8時を回るとほとんど誰もいない路地をトボトボ歩くことになった。出会うのは野犬ばかり、灯もまばらでほとんど暗闇のようなもので、懐中電灯を照らして宿まで歩いたものである。
ダサインやディワーリーの時期にも滞在したことがあるが、路地という路地では、無数の小さな素焼きの器の中に火が灯されて、幻想的な眺めが出現していた。辻ごとにある小さな寺や祠に詣でる人々が行列していて、窓から見下ろしているだけでもワクワクしたものだ。
先に書いたとおり、もともと狭いフロアーが、薄いベニヤで極小の部屋として細分化されていたものの、プライバシーはまったくないようなものであった。視覚的には遮られていても、壁の向こうから屁の音、着替える音などがそのまま聞こえるのである。相手が起きているのか寝ているのかもはっきりわかる。厚さ数ミリの非常に薄い壁を背にして寝ていると、そこを境に数センチからせいぜい30センチくらいのところに隣人が存在しているのだから。
不思議と閉塞感はあまり感じなかった。隣の人がかなり親しくなった人だったりすると、壁越しに会話が弾み、まるで同室に滞在しているかのようであった。

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