在印アメリカ大使館は、今月21日からデリーでのテロ発生の可能性を根拠とする注意喚起を出している。
US warning over India ‘attacks’ (BBC NEWS South Asia)
インド滞在中ないしはこれからインドに向かおうとしている米国市民に対し、こうしたメッセージが発せられることは時々あり、特に珍しいことではないが、おそらく何がしかの根拠があってのことだろう。
これを受けて、日本の外務省は海外安全ホームページ内で4月23日付け『最新スポット情報』にて『在インド米国大使館は、首都ニューデリーでテロリストが攻撃を計画している兆候』なる記事をアップロードしており、同国とは情報収集能力において比較にならない開きがあることが見て取れる。
ところでアメリカ大使館ウェブサイトのArchived Warden Messagesには、セキュリティ等に関して同大使館が発した過去のメッセージを一覧できるようになっているが、インドのヴィザに関して導入された2ヵ月ルールに関して、12月9日、15日、21日、23日と4回に渡って情報を提供している部分が目を引いた。
テロ事件等は、局地的かつ一過性のものである (運悪く遭遇してしまった場合の危険はともかく)のに対して、広く周知されることなく変更されたヴィザのルールについては、まだそれが広く知れ渡っていない時期に出入国を予定している人たちに、等しく影響を及ぼすものとなる。
ゆえにこうした情報を大使館が自国市民のために提供するということは歓迎すべきことであるが、私たちを含めてその他の国籍を持つ人々もすぐに参照できるウェブ上に掲載されているのはありがたい。言うまでもなく英語で書かれているがゆえに、国や地域を問わず世界中の人々が参照することができる。
ともあれ、今後特に何も起きないことを願うが、今年10月3日から14日にかけてデリーで開催されるコモンウェルス・ゲームの時期はどうなのだろうか?とも思う。
スポーツの試合が開催される施設、選手村、一定水準以上の宿泊施設等をはじめとして高度なセキュリティ対策が敷かれることとは思う。しかし人口1400万人にも及ぶ大都会であり、都市はいつでも誰でも出入り自由な空間であり、治安当局が躍起になってもなかなか目の行き届かないスポット等は少なくない。
何か起きれば、最終的に責任があるのは行政や治安を司る政府ということになるが、そこで業務に従事する人々だけで安全を守ることができるのか、といえばそうではないだろう。
日本ではコモンウェルス大会なるものに馴染みがほとんどないが、英連邦という枠内に限られた国々のみ・・・といっても71もの国々が参加する大掛かりなものだ。これまでインドが開催した中で最大のスポーツの大会でもある。
各種競技に参加する選手たち自身にとっても、これを観戦する市民たちにとっても、『デリーにやってきて良かった!』『デリーで開催して良かった!』と、誰もが感動と喜びを分かち合うことのできる平和なスポーツの祭典となるよう祈りたい。
カテゴリー: column
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在印アメリカ大使館ウェブサイトにて
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背中に記したメッセージ
先日、池袋で開催された『カレー フェスティバル & バングラデシュ ボイシャキ メラ』にて、揃いの黒ヴェストを着用している男性たちを見かけた。

東京都大田区蒲田にある礼拝所への寄付を募っている人々で、背中にURLがプリントされている。
東京都内にあるモスクとしては、トルコ大使館が音頭を取って建設した東京ジャーミィ、パーキスターン人が中心になって運営している大塚モスク、サウジアラビア大使館関係施設であるアラブ・イスラーム学院内の広尾モスクなどがよく知られている。
また、東武伊勢崎線沿線にデーオバンド系で、厳格な教義を持つタブリーギー・ジャマアト関係の小さなモスクや礼拝所がいくつか存在している。
ひとくちにイスラーム教の信仰といっても、現実にはいろいろあるし、居住地や勤務先と遠く離れていては用をなさない。礼拝施設は同時に同胞たちとのコミュニケーションの場でもあるため、どれでもいいというわけにはいかないだろう。
そのため、都心各地の繁華街で働く信徒たちが、雑居ビルの中の一室を礼拝用に借り上げていたり、雑貨屋の店舗内を近所で働く同胞たちの金曜礼拝のために提供していたりすることはよくある。
蒲田の礼拝所は、そうした場所のひとつで主にベンガル人ムスリムたちが出資して借りている場所らしい。母国から遠く離れた彼らの信仰の場であるとともに、同胞たちとのつながりを保つためにも必要な集会施設としての機能も持ち合わせていることだろう。
ウェブサイトにはいくつかの写真が掲載されているが、もともとは住居として作られた建物のようで、ごく限られた空間に沢山の人たちが集まっている様子がうかがえる。
在住する年月が長くなり、集まる人数も増えてくると、それなりにしっかりとした施設を持ちたいと考えるのは当然の成り行きである。
もちろん礼拝施設のみならず、結婚して所帯を持てばやがて子供たちも生まれてくるだろう。教育の問題もあれば、人生の通過儀礼の実施についての事柄もある。
イスラーム的な環境の存在しない日本で信仰と日常生活の折り合いをどうつけていくかということについても考えるところいろいろあるだろう。そして誰もがいつかは死を迎えることになるが、日本で土葬が認められている場所はごく限られてもいる。
現時点では、日本で暮らす一般的な日本人の間に彼らの声が届くことはまずないし、そうした認識を持つ人もほとんどないと思われる。日本に定住するムスリム人口が拡大していくということは、こうした問題を抱える人の数が増えていくということであり、やがて社会的に大きな発言力を持つ人も出てくることだろう。
彼らの声がすぐそこで聞こえるくらいに大きくなってきたとき、初めて日本の人口の中で無視し得ない一角を占めるようになった彼らに対する処遇を慌てて検討することになるのではないかと思う。
多くは日本人やその社会に対する好感と敬意を表してくれている友好的な隣人たちであり、こちらも同様に敬意と誠意を持って対応すべきであることは言うまでもない。だが果たして私たちにそうした度量や用意があるのかどうかについては、正直なところ今はまだ自信を持てない。
これまで、少なくとも私が知る限りでは、2001年に富山県で起きた事件を除き、在日ムスリムの人々が日本の大衆の目に付くところで、私たちに訴えの声を上げた例はまずなかった。
件の黒ヴェストの人たちが背中にウェブサイトのURLとともに記したメッセージは、今彼らが暮らしている社会に対して、理解と協力を求めるよう動きつつある兆候であるかもしれない。 -
池袋に集うベンガルの人々

4月18日(日)に東京の池袋駅すぐ近くの袋西口公園にて、今年で11回目となる『カレー フェスティバル & バングラデシュ ボイシャキ メラ』が開催された。
池袋駅にごく近いこともあり、人の出入りは大変激しかったが、会場にいる人々の姿を見渡してみると、半数近くがベンガルの人々であったようだ。
会場のあちこちで、友人や知人たちの姿を見つけては、大げさに喜んだり、挨拶を交わしたりしてている。もともと異郷で暮らす彼ら自身が新年を祝うイベントとして始めたもののようだが、駅前広場というあけっぴろげなところで、どこの人間であれ来る者拒まずというオープンな姿勢は、彼らの多くが日本に定住し、今後もこの国を構成する一員として暮らしているというスタンスを象徴しているようだ。
一般的に、日本に暮らすようになったバーングラーデーシュの人々といえば、ごく一部の例外を除き、バブル期以降に来日した人々がその大半を占める。日本とバーングラーデーシュの間では、観光目的の短期滞在について、ヴィザの相互免除の取り決めがあったため、ひとたび航空券の代金を負担することができれば、比較的簡単に来日できた時期があった。
言うまでもなく、そうした人々の大半の滞日目的は物見遊山などではなく、『好景気』『円高』で注目されるようになっていた当時の日本で、とにかく仕事を得て稼ぐことであった。当時は『人手不足』と言われる時代であった。
とりわけ特に3Kと称される職場では、仕事の担い手が足りず、バーングラーデーシュ以外にもパーキスターン、イランといった、やはり日本との間で観光査証の相互免除の措置がなされていた国々からやってきた人々が、日本人のやりたがらない仕事を肩代わりしてくれていた。
彼らを必要とする現場は多くとも、外国人が単純労働目的で来日することを認めていないこと、在留資格の内容とは異なる目的で入国・在留している人々が多いことを重く見た行政は、そうした人々の摘発に積極的に乗り出すこととなり、また外交上でもそれらの国との間の査証相互免除を停止することとなった。
入国の戸口が大幅に狭められることによって新規来日者が大幅に減り、既存の在留者たちの中からは、それなりに出稼ぎの目的を果たして帰国する者や摘発を受けて退去させられる者などあり、その数を漸減させていくこととなった。
日本のバブル期に、彼らとほぼ同時にその数を急増させていたのは、ブラジルやペルーなどからやってきた日系人たちだ。バーングラーデーシュやパーキスターンなどの人々が短期滞在ヴィザで来日して就労することは非合法であったのに対して、こちらは日系人であるがゆえに在留資格『定住』が与えられるため、日本国内で仕事に従事することについて何ら問題もない。
従前は、日系二世にまで与えられてきた『定住』の資格だが、1990年の入管法改正により、これが三世にまで認められるようになると、入国者数増に拍車がかかった。そうしたこともあり、バーングラーデーシュその他の人々が減った分、彼らがその後を占めるようになった。
その後の景気後退により、就業機会が減ったこと、条件も悪くなったことと合わせて、在留資格上問題のある人を使用すると雇用者側にも罰則が与えられるようになった。短期滞在の資格でしかもオーバーステイという立場の人々は、日本での雇用機会から締め出されるようになっていった。
バブルの頃にやってきた人々の大半は帰国するなり、第三国に向かうなりして、この国からいなくなってしまっているが、それでも今なお少なからず日本に定着した人たちもあった。『投資・経営』『技能』といった滞在資格を得て、日本で中古車取引や食品関係等の事業を行なうようになったり、日本人との結婚により『日本人の配偶者等』(『定住』と同じく活動に制限がない)の資格を得た人たちなどである。
後者については、時代は違えども19世紀初頭から20世紀はじめにかけて中国から東南アジアに移住した華僑たち、また中南米に移住したラテン系の人々と共通した背景がある。
外国へ出稼ぎに向かう人々の相当部分が20代の未婚男性であることが多い。在留国と自国を定期的に行き来できるような気楽な身分ではないこともあり、交際することになる異性、やがて人生の伴侶となる相手とは、滞在先での存在がほとんど無に近い自国の女性ではなく、現地の女性となるのはごく自然な成り行きである。
そうしたカップルの間から生まれた、バーングラーデーシュと日本というふたつの国の血を受け継いだ二世たちは、すでに高校生くらいの年齢に達している者もあり、そろそろ社会人として、日本で世の中にデビューする人たちも出てくるだろう。
またこれらとは異なる形でやってきた人たちの姿もある。国費(日本政府の奨学金)ないしは私費にて留学生として来日した人々である。とりわけ前者については、圧倒的に理系学生が多く、しかも修士あるいは博士といった学位まで取得することを目指す高学歴志向であることも特徴だ。
大手通信企業、広く名前の知られた外資系IT関連企業等に職を得て活躍する人たちは多く、もちろん中には自らそうした分野で起業している例もある。
こうした人たちの場合、自国との行き来に障害があるとすれば、経済的な要因ではなく、往々にして仕事が繁忙であることくらいであるためもあってか、少なくとも私の見知っている範囲では、自国で身内が決めた相手と結婚している例が多いようだ。
経済的に安定しているため、自身や妻の兄弟といった身内の日本留学の便宜を図ったり、あるいは学費・生活費等丸抱えで支弁するという例も目立つ。
バブル期に出稼ぎに来た人たちと留学生としてやってきた恵まれた立場の人たちの間で共通する点として、日本への定住志向があるようだ。すでに日本を終の棲家と定めて国籍を取得した『ベンガル系日本人』として生活している人も少なくない。
こちらの流れからも毎年次々に日本での留学や卒業後日本国内での就業を目指して来日する人々があるとともに、新たに生まれてくる子供たちも加わり、大半は外国人学校ではなく、普通の日本の公立小学校へ入学している。
今、日本国内でアクティヴな南アジア系の定住コミュニティといえば、こうしたバーングラーデーシュを祖国とするベンガル系の人々である。大半が日本語も堪能で、この国に対する知識も深い。日本人社会の中にどっぷり浸かって仕事や生活をしている人が多く、文字通り『日本に骨を埋める』覚悟の人々が占める割合がとても高いという点からも、将来に渡り、日本で彼らのコミュニティは発展には注目していきたい。
コミュニティの成長とともに、母国からの人の流れは今後も活発に続いていくことだろうことから、ある時期を境に新規の流入がほぼ途絶えた中南米の日系社会とは対照的に、長きに渡ってベンガルらしさは保たれるであろうし、祖国の『伝統』や『今のトレンド』も確実に吸収したうえで、日本における生活文化が築かれるのではないかとも思われ、とても興味深いものがある。 -
奪われてきた婿
しばらく前の話である。インディア・トゥデイ誌4月7日号のある記事に目が止まった。ビハール州で、身代金目的ではない誘拐が頻発しているのだという。目的は略奪婚・・・といっても、さらわれて来るのは女性ではなく男性。まだ幼い娘の結婚相手を獲得するために、少年がさらわれて来るのだという。
同誌ウェブサイトには、英語版にて同じ内容のものが掲載されている。
Bihar’s shotgun weddings (India Today)
同記事によると、ビハール州では伝統的に上層カーストの間で略奪婚は珍しくなかったそうだ。しかしその他の層でも、近年は娘を結婚させる際のダウリーの負担が大きくなってきていることが、外出中の男の子を銃器などで脅しての略奪婚が発生する背景にあるとのこと。
記事中にあるラームプルという土地では、90%の結婚はこうした手段によるものであり、地域の人々の多くはこうしたやりかたについて肯定的であり、婚礼を取り仕切る司祭も協力的であり、関係者たちも様子をビデオに収めるなどの証拠作りが行なわれるというから、地域社会ぐるみで行なわれているようだ。
2009年、ビハール州では届出のあっただけでも3,124件の誘拐事件が発生し、そのうち1,336件は略奪婚目的であったという。
今年に入ってからは、1月に限ってみれば、224件の誘拐事件中、87件はこうした理由によるものであり、それに較べて身代金目的のものはわずか8件であったというから、いかに結婚というテーマが誘拐を引き起こす動機として大きなものであるかということが窺われる。
ビハール州でこうしたケースが多発しているとはいえ、2007年にインド全国で発生した27,561件の誘拐事件のうち、47%は結婚目的であったとのことで、略奪婚自体は州外にも広く分布しているようだ。
ただしその中で男子の誘拐は5,174件であったということである。つまり嫁よりも婿獲得のために誘拐するケースのほうが多いということが、ビハール州における略奪婚の特徴となるとのことで、ダウリーに起因する殺人事件が発生する割合が全国平均の倍という事情を反映しているらしい。
もちろん圧倒的多数の家庭では、ごく平和裏に結婚という人生の通過儀礼が行なわれており、ショッキングなニュースとして報道されている略奪婚は総体として見れば、ごくごく例外的なものである。両家が合意のうえで取り行なわれた婚礼であっても、結婚した当人たちにとっては非常に不本意なもので、心情的には略奪婚同様に強制されたものであるというようなケースも決して珍しくはないとしても。
略奪婚というきっかけはさておき、多くはその後子供をもうけて新たな家庭を築くことになるわけだが、強制的に婿入りさせられた男子の立場は、その家庭内でどういうものになるのだろうか。
農村部であることから、都会の核家族暮らしのように、親類縁者との関係が希薄な生活ではない。嫁側の父母その他目上の『親類縁者』たちに対して日常的に従属する立場になるのは、婿入りした場合どこも共通であるとしても、同年代の『身内』との関係でも、少なくとも『婿入り』当初は一段下に置かれると考えるのが自然で、相当器用に立ち回ることが求められることだろう。
スペースの都合もあろうが、記事は略奪婚という手段のみに焦点が当てられており、その後の家庭生活や周囲の人々との関係についての記述はなかった。
決して略奪婚を肯定するわけではないが、通常の結婚できっかけが恋愛であれ、見合いや親が決めたもの(国や社会によっては非常に大掛かりで経済的な負担が非常に大きなものであったとしても)であったとしても、婚礼という通過儀礼を行なうことよりも、縁あって結ばれた相手との結婚生活を長年続けていくことのほうが、より多くの努力や忍耐を必要とするものだ。
夫婦間の仲がどうこうというものではなく、生まれながらの親兄弟姉妹と違い、もともと他人であった相手である。ゆえに、ひとつ屋根の下で暮らしていくには、相応の歩み寄りと寛容さが求められる。
極めて野次馬的な関心かもしれないが、略奪婚によって始まった新しい家庭が年月を経ての『その後』が気になる。 -
最高峰への挑戦
世界最高峰エヴェレストの標高といえば、8,848mであると思っていたが、長きに渡りネパールと中国の間で論争が続いていたようだ。『頂上』についての定義の違いによるものであり、前者は文字通り一番高くなっている部分、雪や氷に包まれた頂がそれであり、後者によれば氷雪の下にある岩石部分こそがエヴェレストの頂であるというもの。
8848mとは、前者の主張に沿うものであり、中国側の言い分ではそれよりも4mほど低くなるらしい。だがこのほど中国はネパールによる『8848m説』を受け入れたことにより、この論争に終止符を打ったのだという。
Official height for Everest set (BBC NEWS South Asia)
だが上記BBCの記事の最後にあるように、US National Geographic Societyの計測によれば、8,850mであるとのことで、まだ『標高8,848m』異論を唱える人たちはいるようだ。
ところで、エヴェレストといえば、言うまでもなく世界最高峰であるがゆえに、ベースキャンプからの最短時間登頂、最多登頂回数、最高齢登頂等々、数々の記録が話題になる山である。
偉大な記録の樹立は、人々の大きな喝采と祝福とともにメディアを飾ることになるが、まさに記録とは破られるためにあるという言葉のとおり、更に上を行く人物が出てきて世間を驚かせてくれるものだ。
こうしている今、新たな記録樹立を狙いネパール入りしているアメリカ人の少年がいる。彼、ジョーダン・ロメロが目指しているのは最年少登頂記録だ。1996年7月12日生まれの13歳である。
American boy, 13, to attempt Mount Everest climb (ABC News)
もちろん彼は素人などではなく、近年タンザニアのキリマンジャロ、アルゼンチンのアコンカグア、アラスカのマッキンレーその他の高峰を制してきたキャリアを持つ、極めて早熟なクライマーである。これまで最年少記録といえば、2001年5月に16歳17日で頂上を極めたネパールのシェルパ族のテンバ・ツェリ。それを大幅に下回る年齢での登頂が成功したとしても、後にその記録を塗り替える例はなかなか出てきそうにない。
登山家としてはあまりに低年齢すぎる子供にこうしたチャレンジをさせることについて、医学面ではもちろんのこと、倫理的に問題であると捉える意見も多い。
私自身、ジョーダンよりもいくばくか年下の息子を持つ親としては、登頂の成否云々よりも、彼が無事に帰還することを切に願いたい。
同時期に、インドからは16歳の少年アルン・ヴァジペィーが同じくエヴェレスト山頂を目指しており、こちらもメディアで話題になっているところだ。
Not eyeing records, says youngest Everest challenger (The Hindu)
ちなみに女性でエヴェレスト登頂最年少記録を保持しているのはインド人。ヒマーチャル・プラデーシュのマナーリー近郊の村に暮らすディッキー・ドルマが1993年5月に19歳35日で登頂に成功している。 -
ラージャージー国立公園
AAJ TAKのニュースをつけてみると、火事のニュースが映し出されていた。テレビで放映されたクリップの多くはウェブサイトでも公開されているので、下記リンクをご参照願いたい。
हरिद्वार के जंगलों में लगी आग
(AAJ TAK)
※ハリドワールのジャングルで森林火災
ウッタラーカンド州のハリドワールでは、1月14日に始まり、4月28日まで続くクンブ・メーラーが開かれているが、数日前から近隣地域で発生した森林火災が続いており、昨日4月9日には、山の中にあるマーター・チャンディー・デーヴィー寺付近まで接近したとのこと。まだ延焼は続いており、今後の進展が心配されているということだ。
だが、このニュースには付随するオマケもついていた。ハリドワールの近くにあるラージャージー国立公園で、西洋人たちがギターを弾いて歌っている様子だ。数日前から100人以上の外国人旅行者たちが園内に居ついて自炊しながら、飲めや歌えやの騒ぎを繰り広げているという。
のどかな情景とは裏腹に『ヒッピー風の外国人たちが違法な『ジャングルに侵入した西洋人たち』『チラムを回しながら大騒ぎ』といった字幕とともに、国立公園での彼らの振る舞いについてのナレーションも流れてくる。
ウェブ上にアップされている映像にもいくつかモザイク処理がなされている部分があるが、テレビで見たニュースでは、おそらく全裸らしき人物の局部にボカシがかけられたと思われる映像もあった。
हरिद्वार: राजाजी नेशनल पार्क में घुसे विदेशी (AAJ TAK)
※ハリドワール:ラージャージー国立公園に侵入した外国人たち
当人たちは、屈託のない表情で和やかに過ごしていたり、にこやかにインタビューに応じたりなどしているので、まさかこうした否定的な報道がなされるものとは思わなかったようだ。
国立公園でこのような形で滞在したり、煮炊きをしたりすることは違法である。警察は彼らを退去させようと試みたものの、うまくいかなかったようだ。この『ヒッピーたち』については、たまたま近くの地域で森林火災が起きたことがきっかけで取り上げられることになったようだ。もちろん彼らが失火でも起こさないかということも懸念もあってのことである。
昔からゴアをはじめとするインドのいくつかの地域では、こうしたヒッピーまがいの人たちが我がもの顔で振舞うスポットは知られていたが、内陸の国立公園でそんな場所があるとは知らなかった。1月から進行中のクンブ・メーラーがきっかけとなったのであろうことは想像に難くない。
今の時代、メールアドレスを持たない人はいないし、旅行者の間でも現地のSIMカードを入れた携帯電話は普及している。最初は数人程度の集まりが、『何かオモシロそうなことやってるゾ!』と口コミからネットを通じて情報が広まったり、あるいはどこかのビーチなどで知り合った人と携帯電話で連絡したりといった具合に、ゾロゾロ集まってきたものと思われる。
集まっている当人たちの脳天気さとは裏腹のメディアの取り上げかたの辛辣さに、ヒマラヤの奥に隠された西洋人ヒッピーたちの解放区という舞台設定の映画Charasを思い出してしまった。彼らは『(地元の人々が)ナイスな人たち』だの『美しい土地だ』などとしゃべっているが、自分たちの感覚がユニバースなものでないことを自覚しなくてはならないだろう。
ニュース映像では、森林の中にいくばくか景色の開けた部分があるように見受けられたが、具体的にどんな土地なのかはよくわからなかった。100人もの外国人旅行者が集まるということは、それなりに交通のアクセスや食料品・日用品なども手に入るなどといった、そこそこ便が良く、かつ過ごしやすいところなのではないかと想像される。公園当局や地元警察等は、彼らの排除もさることながら、その場所が今後も同様の人たちが集まることを懸念しているのではないのだろうかとも思う。
だがヒッピーであれ、その対極にある金満ツーリストであれ、外国から訪れる観光客を受け入れるということは、それなりの摩擦が生じるものであることも事実だ。感覚や常識にズレがある人々が次から次へと新たにやってくるのだから、いかに各方面から啓蒙に努めてみたところで、観光業から上がる収益を見込む以上は、俗に『観光公害』と呼ばれる現象が起きることは、ある程度仕方ないともいえるし、今後も似たような事例は続くはずだ。
程度にもよるが、より深刻な害悪については厳罰で臨むべきであろうし、外国人の側も訪問先の法律についての理解と尊重を求められる。
たとえば4月に入ってから、中国で覚醒剤の密輸にかかわった日本人に対する極刑の執行について、考えさせられることは多い。
中国、さらに日本人3人の死刑執行 いずれも麻薬密輸罪 (asahi.com)
死刑制度の是非、現地での取調べの方法や裁判の進行等に関する不備についての指摘もなされてはいるものの、国ごとに社会の事情は異なり、言うまでもなく独立したひとつの国家である。旅行であれ商用その等であれ、その国を訪れる人は現地の法制度を尊重しなくてはならず、『知らなかった』では済まされない。
この関係の報道で、外から眺めると麻薬に対して厳格なイメージが定着した中国だが、人々の間でかなり広くいろいろなドラッグが普及しているという背景があり、常用者たちに対する罰則は比較的ゆるく、本人たちの更正を目指す方向に力点が置かれているようだ。
蛇足ながら、覚醒剤ではないが大麻については、中国にもインドのマナーリー周辺のような地域がある。もちろん中国でも大麻を吸うことは違法であるが、雲南省の大理やその周辺では大麻が沢山自生している。
昔、大理を訪れたとき、ドミトリーに宿泊している長期滞在の外国人客たちが、摘み取ってきた大麻を部屋の壁に乾燥させては吸引しているのをしばしば見かけた。彼らは『質はともかく、タダなんですよ』などと言う男は、中国で大麻が合法なのか違法なのかも知らなかった。
今でもそんなおおっぴらなのかどうかは知らないが、聞くところによると大理には大麻が沢山あるという事情はあまり変わらないようだが、近年はそれなりに取り締まりがなされたり、逮捕される外国人なども出てきたりもしているらしい。
良くも悪くも、ひとたび旅行者たちの間で、彼らを惹きつける魅力(?)が喧伝されてしまうと、それを目的にやってくる人たちが長きに渡って続く。口コミはもちろんのことながら、ガイドブックであれ週刊誌等であれ、ひとたびメディアに取り上げられて話題になると、それを孫引きしたような記事がいろんなものに掲載されて衆人の知るところとなる。
景気、治安状況に左右されやすいことに加えて、ここが観光業の難しい点のひとつかもしれない。ラージャージー国立公園界隈はヒッピーの解放区ではないし、大理を訪れる人々の多くは大麻が目的というわけではないのだが、そうした風評がさらにこうした人々を引き寄せる誘因となり、こうした人々がそれなりの規模になってくると、彼らを目当てにした商売人たちも集まるようになってくる。
もっともラージャージー国立公園のほうは、国の管理下にあるエリアであり、先の報道がなされたことから、適切な処置がなされて、こうした滞在の仕方が定着することはないだろう。だが土地の人々にとって思わぬ方向にいってしまっている『観光地』の例は、色々な国で決して少なくない。 -
Namaste Bollywood #23

Namaste Bollywood #23が発行された。
同誌をめくって初めて知ったのだが、昨年マカオが開催されたIIFA(International Indian Film Academy)が、今年6月に韓国のソウルで開催されるとのことだ。
1990年代以降、クルマ、携帯電話機、家電製品等々、インド市場に怒涛のように進出し、大きな存在感を示すに至った韓国だが、自国ではボリウッド映画をどのように評価しているのだろうか。
さて、今号の特集記事は『はじめてのボリウッド』である。十数年前、いっとき日本で盛り上がったインド映画ブーム。だがそれがゆえに、以降の作品に対する関心の薄さの原因となっていることを踏まえてのものであるようだ。
『ブーム』の終焉以降、インド発の映画を見ずに過ごしてきた人たちの間で定着している先入観が、実は大きく様変わりしている今どきの作品へのアクセスを阻んでいるのであろうということは、私も常々感じている。
いっときの流行が終わってから、すでに十数年経過している。当時、小学校低学年であった子供たちが成人となるくらいの時間である。1990年あたりに生まれ、現在20歳くらいの人たちは、日本でインド映画が次々に上映された時期があったことを耳にしてはいても、実はよく知らないはずだ。
そうした先入観のない世代、知識欲や好奇心旺盛な年代こそが、日本におけるインド映画の有望な市場なのではないかと思う。
同時に、10代後半から20代前半あたりの年代は、自由に使うことができる時間に恵まれ、趣味であれ、スポーツであれ、好きなことに打ち込むことができる年齢層だ。またインドに対するイメージも、それよりも上の世代とはかなり違うようでもある。
加えて、洋の東西を問わず、娯楽映画の多くはそのあたりの年齢の人々を主なターゲットとしているものが多いことは言うまでもない。この市場をいかに取り込むことができるかということが、大きなカギとなる。
今号の特集『はじめてのボリウッド』は、まさにそうした人々を意識したものであろう。ムンバイー発の映画に関心を抱く人、ひいてはインドという国に対する興味を感じる若い世代の人々が、今後さらに増えてくれれば幸いである。 -
犬は苦手
昔から犬はあまり好きでない。飼い主にじゃれ付いている姿を見かけると『あぁ、可愛いな』とは思うし、また盲導犬のように一生懸命尽くしている姿を目にすると『えらいもんだなぁ』と感心したりするのだが。
猫と犬の遠い祖先は共通なのだとか。それにしても素っ気無い猫に較べて、良くも悪くも犬は他者に干渉する。街を歩いていて、牛やヤギがわざわざ構ってくることはないが、犬の場合は、しばしば『うるさいっ、放っておいてくれ!』と怒鳴りたくなることもある。
こちらは向こうに対して何の興味もないにもかかわらず、彼らは自分たちのエリアに入ってくるよそ者に対してけっこう敏感。昼間ならともかく、夜道をトボトボ歩いているとき、こちらの進行方向から複数の犬たちがワンワン吠えて近づいてくると、ちょっとした緊迫感。特に細い路地などでは、ちょっと勘弁してもらいたい。
インドの話ではないので恐縮ながら、こんな猛犬の映像があった。
犬がパトカーを「襲撃」バンパーを噛み切る (A.P.)
場所はアメリカ。パトカーのバンパーに噛み付いてバリバリと大きく壊してしまう野犬の姿。石つぶてを投げたくらいでは怯まないことだろう。
こんな『蛮犬』に遭遇したくはない。 -
ラシュカレ・タイバが『グローバル化』したらどうなるのか?
ときどき、アメリカのニュース雑誌NEWS WEEKを手にしてみると、しばしば違和感を覚えずにはいられない。ちょうど中国共産党中央委員会の機関紙人民日報の人民日報の紙面面と共通するものがあるような気がする。
自由と民主主義を標榜する国から発せられる世界中に流通する民間の週刊誌と、政府による厳しい情報管理がまかり通る国の独裁政党の機関紙が似ていると言うのは奇妙ではあるが、自らが是とするイデオロギーに対する異論を許さないという姿勢ゆえのことかもしれない。
そのニューズウィークの報道ではあるが、こんな記事を見かけた。すでにひと月以上前のものではあるが。
The Next Al Qaeda? (NEWS WEEK)
90年代あたりまではカシミールを主な活動の場として暗躍してきたラシュカレ・タイバ(LeT)だが、今世紀に入ってからは2001年のデリーの国会議事堂襲撃、2005年のデリーでの連続爆破事件、2006年のムンバイーでの列車爆破事件に関わるなど、破壊活動の場を拡大してきていた。
その中で特筆されるのは言うまでもなく、2008年11月に起きたムンバイーでの大規模なテロ事件であるが、2月にマハーラーシュトラ州のプネーで起きた爆破テロについてもラシュカレ・タイバを名乗った犯行声明が出ている。
ラシュカレ・タイバとの繋がりでクローズアップされた外国人たち、ともにパーキスターン系で米国籍のディヴィッド・ヘドレー、カナダ籍のタハッウル・フサイン・ラーナーの存在、これまで明らかになっている彼らの足取りや行動の関係等から、このグループについて、それまで認識されていた以上の国際性が取り沙汰されるようになってきている。
またインドでのラシュカレ・タイバのテロ活動について、2008年11月26日にムンバイーで起きた大規模な攻撃以降、インド以外の第三国の人々をも標的にするようになっている点、彼らにとって米国大使館も標的として浮上してきているということ、他のテログループとの提携なども含めて、他メディアでもしばしば取り上げられていることでもある。つまり彼らの活動が近年とみに広域化・グローバル化しつつあることが懸念されている。
さらに悪いことに、彼らはパーキスターンでは決して闇の組織というわけではない。長年同国政府、とりわけISIと持ちつ持たれつの繋がりがあったし、地域医療活動などの福祉関係で、それなりに民衆の支持を集めていることもあり、社会的に孤立した組織ではないことには留意が必要だ。
ラシュカレ・タイバの活動やネットワークの広域化、国際化は憂慮されるところではある。隣国からのテロに苦りきっているインドにとっては、アメリカの大メディアがこうしたテロ組織の脅威を、彼ら自身のセキュリティに関わる問題として扱うことは、好意的に評価できるものだろう。
しかしながら『民主主義』といっても、その国ごとのカラーや社会的な事情から、それぞれずいぶん異なった様相を呈しているこの世の中。そうしたひとつひとつの国々に主権があり、様々な民意あるいは強権により運営されている。
武力以外の外交手段を駆使して、ある国を変えようとしても、なかなかうまくいくものではないことはミャンマーの例を見ても明らかだ。あるいは戦争という強硬な手段により政権を崩壊させた後に、新しい国の枠組みを再建へと誘導すれば、民主的かつ公明正大な国が出来上がるというわけではないことは、イラクの有り様を見てもよくわかる。
現在、パーキスターンで、ラシュカレ・タイバが活動できる土壌を変えることができるのか、といえば、当のパーキスターン自身にも、他のどの国にもできないだろう。
上記リンクの記事を読んで非常に気になったのは、近い将来、本当にラシュカレ・タイバがテロリストの『グローバル・プレーヤー』として台頭したら、あるいは在外アメリカ公館、ひょっとしたらアメリカ本土でテロ事件を起こしたら、パーキスターンはどのような代償を払わなくてはならないのか、アメリカはどういうアクションを起こすことになるのか、ということである。
あまりに恐ろしいシナリオが待ち構えているに違いない。 -
さくらチャリティーバザー2010
東京の九段の桜は3月末から4月に入ったあたりが盛りとなるだろうか。お堀端に面し、靖国通りを挟んで靖国神社の向かいのインド大使館は建て替えも完了し、開催をしばし中断していた「さくらチャリティーバザー」の開催を再開。
以前と違い、会期を花見の時期一杯に取り、3月26日(金)から4月4日(日)までの10日間に及ぶ長丁場の催しとなっている。

しかしながら新築工事中よる2年に渡るブランクの影響(?)か、あるいは桜がまだ咲き始めということで、花見客でごったがえすという状況ではないためか、3月27日(土)の昼すぎに訪れてみると、大使館敷地内は閑散とした状態であった。もちろん広報不足という理由もあるだろう。
出来立てホヤホヤの大使館は総ガラス張りのモダンな建物。快適そうな。仕事が捗りそうなオフィスになっているようだ。同じような外観で併設されている棟は、職員住宅だろうか。
インドへのビザ申請はインドビザセンターが代行するようになっているため、一般の申請者が大使館に出向く用事はあまりなくなっているため、今回訪れてみて敷地内の変貌ぶりにはびっくりした。
だがちょっと気になることもある。お堀側のゲートも靖国神社側のゲートも大きく開け放たれて、ガードマン等出入りを見張る要員も不在。
『誰でもウェルカム!』という友好的な姿勢はありがたいし、日本は治安がとりわけ良好であることに対する信頼も嬉しいが、大使館という場所柄、多少の警戒は必要なのではないかと思う。
1995年の地下鉄サリン事件以後、日本国内でテロ事件と呼べるようなものは発生していない。だが、それは日本の治安機構がしっかりしているというよりも、私たち日本人を相手に特にそうした事件を起こす動機を持つ組織が存在しないからである。ゆえに、何か騒ぎを起こそうとすれば、決して難しくはないはずだ。
インドは、自国の周辺地域において、決して敵の少なくない国ではない。日本のように思いもよらない国で、インド大使館に攻撃を仕掛けられるようなことがあれば、たとえそれが失敗に終わったとしても、事件のインパクトは相当なものとなるだろう。もちろん日本でインドに対する国民感情がネガティヴなものになり得るし、対印投資へも大きく響く。
日本は安全・・・とはいえ、私たちの誰もが東京の街にうごめく全ての人々の行いに責任を持てるものではなく、どんな人がいるか誰にもわからない。どのような思想・信条を持つ人たちでも、国際的によく知られたお尋ね者でもない限りは、入国の要件さえ揃えれば、成田なり関空なりから日本に入国することができるではないか。
私の思いが今後長きに渡って、ただの杞憂であることを願いたい。 -
今年の東京での『ダヂャン』は4月11日(日)
在日ビルマ人の方々のイベント『ダヂャン』は、今年で19回目の開催となるのだそうだ。長らく北区の飛鳥山公園で行なわれていたが、昨年から吉祥寺の井の頭公園に場所を移しての実施となっており、今年は4月11日(日)に開催されるとのことだ。
日程については、ビルマならびに在日ビルマ人関係のウェブサイト『バダウ』の落合氏に教えていただいた。詳細は同サイトのイベント情報&報告をご参照願いたい。
今年もまた好天に恵まれて、在日ビルマ人の方々と知り合ったり、食べ物やステージでの催し等を見物したりと、楽しい集まりとなることを願いたい。 -
大都会の中の静寂 聖地バーンガンガー
植民地時代の訪れ、つまり1534年にポルトガルがグジャラート地方の統治者であったクトゥブッディン・バハードゥル・シャーから譲り受けた土地に、城砦、港湾、都市を築き始めたことが、その歴史の始まりであると認識されているムンバイーに、ラーマーヤナの神話に連なる聖地がある。
マーラーバール・ヒルの高層建築に囲まれた只中にある、物静かな佇まいのバーンガンガー池のほとりにはいくつもの寺院やダラムシャラーなどが並ぶ。どこか田舎町を訪れているような気がする。ガートでは坊さんが信者のためにプージャーを執り行っている。ここが日々忙しい大都会ムンバイーの高級住宅地であることを忘れてしまいそうだ。

ラーマーヤナの神話の中で、ランカー島に連れ去られたスィーターの救出に向かう途中のラーマが立ち寄ったところであるとされている。渇きに苦しむ中、ラーマ自身ないしはラクシュマナ(両方の説があるようだ)が放った矢(baan बाण)が地に落ちた地点から、清水がこんこんと湧き出てきた。この水源が、遠く離れたガンガー(ganga गंगा)の支流とされたことが、バーンガンガー(baanganga बाणगंगा) の名の由来だという。この池のほとりにいくつもの寺が並んでいるが、ワールケーシュワル寺院である。

この池が出来たのは12世紀初めとされるが、ポルトガル時代においては、カトリック信仰の布教と並行して、ゴアで多くの寺院が破壊されてしまったのと同じく、ワールケーシュワル寺院もそれを逃れることはできなかった。
1661年に、ポルトガルのカタリーナ王女が、イギリス王室のチャールズ2世に輿入れするに当たってのダウリーとして、当時のムンバイーはイギリスに委譲される。地元の人々の信仰についてあまり干渉しない彼らの支配下になってから、1715年前後(1724年前後という説もある)にワールケーシュワル寺院は再建された。
しかし18世紀に入ったころのマーラーバール・ヒルは、無数の巨石と密林に覆われた丘陵地に過ぎず、地理的に当時の都市部に近い森林地帯ということもあり、盗賊や他の犯罪者たちが跋扈するエリアでもあったそうだ。
そのため、この寺院を中心とする集落に住んでいたガウル・サラスワト・ブラーフマンのコミュニティの人々は、自分たちの身を守るという目的から、他のセクトのヒンドゥー教徒たちがここに寺院やダラムサラを建設することを認めたことから、次第に門前町の体を成していくきっかけとなったようだ。
また交易と信仰の自由を標榜して、新興都市であったムンバイーへの移住者の増加を画策していたイギリス当局としても、商業と政治の中心地であったフォート地区から少し距離のあるマーラーバール・ヒルに宗教施設を誘致することを奨励していたという事情も追い風となったようである。
インド随一の大都会で、都市化以前の村の面影を残す、静かなバーンガンガー池とこれを取り囲む寺院群。チョウパーティー・ビーチ、マニ・バワン、コーターチー・ワーディー地区にも近く、ムンバイーを見物する際についでに訪れてみるといいだろう。早朝や夕暮れ時などが特に良さそうだ。
毎年1月にバーンガンガー・フェスティバルが開催され、古典音楽の演奏などが行なわれるので、訪問時期さえ合えばこちらもチェックしておくといいだろう。

