BHUJ 1

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久しぶりにカッチ地方のブジの町を訪れてみた。街のたたずまいはもちろん、周囲には伝統的な暮らしが残っており、様々な部族の人たちが独自のライフスタイルや生業を維持しているカラフルな地域だ。
2001年のリパブリック・デイ(1月26日)の日の午前8時46分に大地震が襲ったことにより、当時人口13万超のこの街で2万人もの死者。9割の家屋が破壊されたという。 この地震の前に幾度か訪れたことがあるが、その後どうなっているのかちょっと気になってきた。 昨年11月に『過去のイメージ』 で取り上げてみたとおり、衛星写真においても大地震の爪跡の凄まじさと復興の進展が感じられる。
しかしながら私自身はそこを観光で幾度か訪れた程度であり、ブジに居住したこともなければ、現地の方で親密な付き合いをしている人物があるわけでもないため、この街が復興したとか、9年後の今もその痕跡が、などということを言うつもりもない。それでも当時伝えられた被害があまりに大きかっただけに、ついついその部分に関心を持たずにはいられない。
ただ、カッチ地方の中心地としてそれなりに栄えていた町が、どうなっているのか関心があり、近くに行く機会があればぜひ立ち寄っておきたかった。
そんなわけで、この町にやってきて、とりあえず宿に荷物を置いて歩いてみる。10年ひと昔というが、すでにそれに近い年月が経過しているため、現在もガレキや廃墟と化した建物が、そこここに残っているわけではないことにはホッとした。
たとえ大きな震災で甚大な被害を受けたとはいえ、カッチ地方の経済の要衝であるという重要度には変わりがないため、それなりに元通りになっていくのは当然のことだろう。
一見、何も変わらないように感じられるのは、災害があってからそれなりの時間が経過しているため復興していること、建て替えられた建築物がある程度の時間の経過により相応に風化していることなどが理由だろう。住宅、店舗、道路等々、どれも地権者が決まっているため、基本的には元とまったく違った町並みが出現するはずはないのである。
もちろん例外もある。旧市街からバススタンドに向かう道すがら、以前はかなり密度の高い地域であったところが、すべて高層住宅、日本でいうところの『マンション』のような建物に変わっていた。震災と関係があるのかどうかわからないが、多分に廃墟と化した際に、これをビジネスのチャンスと見た開発業者が乗り込んできて用地をまとめて取得したと考えるのが妥当だろう。
アーイーナー・メヘル こちら側は修復してあるが背後はひどく崩壊したままであった。
プラーグ・メヘル
当時から存在しており、幾度か食事のために立ち寄ったことがあるホテルに今回滞在したが、これはすっかり建て替えられていること、震災一年前に利用したホテルがあったところは空き地となっていることに気がついた。
アーイーナー・メヘル裏手はひどく崩壊したままで、その手前にあるプラーグ・メヘルの一部も破損のため一部にしか入ることができなくなっている。またその両方を含む敷地の外壁がかなり大きく壊れたまま放置されている。
町の南側には、90年代に次々に建てられた高層のコンドミニアムが何棟もあったのだが、それらの姿は無くなり、より背の低いビルが建ち並んでいる。 旧市街にある屋根の付いた立派なマーケットもかなり損壊の痕が認められる。
その近くに、以前幾度か訪れたときによく立ち寄ったり買い物をしてみたりした衣類の店がある。女性店主は都会的なセンスのある人で、なかなか気の利いたモノを売っているのは今も変わらず。アーイーナー・メヘル付近というロケーションもあり、出入りするお客はヨソから訪れたインド人や外国人が大半といった具合。今も同じように営業しているのがうれしい。みやげにしようと、子供用の衣類を購入してから『ずいぶん前にも幾度かお邪魔しましたよ。そのときもお会いしているはずです』と声をかけた。
店主が微笑みながらの『いつ来ました?』と問う。『だいぶ前のことで、2000年でした』と答える。一瞬の間を置いて彼女は『私じゃ・・・ないわね』と顔を曇らせた。そのころは身内の方が店に出ていたそうだが、震災で亡くなったためその人よりも年嵩の彼女が引き継ぐことになったようだ。うっかり余計なことを言ってしまって申し訳ない。
歴史的な建物以外はそうそう記憶しているものではないものの、場所にもよるかと思うが、大半の建物が倒壊ないしは大きく破損していたであろうことを思えば、さすがに10年近くの歳月があれば復興していて当然とはいえ、その背後には人々の沢山の苦労があるのだろう。災害以前と見た目は同じように見えるのは上っ面だけで、その中身はずいぶん違っているのではないだろうか。地震大国日本の人間としても震災は他人事ではない。
屋根付きのマーケットもかなりダメージが見られる
2001年の大地震において、地元のライフラインに与えたダメージに関連して、以下の資料が公開されている。
GUJARAT (KUTCH) INDIA EARTHQUAKE OF JANUARY 26,2001 (Edited by John M. Eidinger)
本日の夕食は、グジャラーティー・ターリー。州内各地で専門店は数多い。どこもおかずのバラエティに富み、店ごとに様々な個性がある。極めて満足感(満腹感?)の高い食事ではあるが、様々な甘い菓子も次々に出てくるのはまだいいとして、チャパーティーやプーリー等の小麦から成る主食ではなく、ご飯を頼んでしまうと『これでシメです』の合図になってしまうようであるのは、米食民族にはちょっと悲しい。
グジャラーティー・ターリー

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