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カテゴリー: column

  • ラージャージー国立公園

    AAJ TAKのニュースをつけてみると、火事のニュースが映し出されていた。テレビで放映されたクリップの多くはウェブサイトでも公開されているので、下記リンクをご参照願いたい。
    हरिद्वार के जंगलों में लगी आग
    (AAJ TAK)
    ※ハリドワールのジャングルで森林火災
    ウッタラーカンド州のハリドワールでは、1月14日に始まり、4月28日まで続くクンブ・メーラーが開かれているが、数日前から近隣地域で発生した森林火災が続いており、昨日4月9日には、山の中にあるマーター・チャンディー・デーヴィー寺付近まで接近したとのこと。まだ延焼は続いており、今後の進展が心配されているということだ。
    だが、このニュースには付随するオマケもついていた。ハリドワールの近くにあるラージャージー国立公園で、西洋人たちがギターを弾いて歌っている様子だ。数日前から100人以上の外国人旅行者たちが園内に居ついて自炊しながら、飲めや歌えやの騒ぎを繰り広げているという。
    のどかな情景とは裏腹に『ヒッピー風の外国人たちが違法な『ジャングルに侵入した西洋人たち』『チラムを回しながら大騒ぎ』といった字幕とともに、国立公園での彼らの振る舞いについてのナレーションも流れてくる。
    ウェブ上にアップされている映像にもいくつかモザイク処理がなされている部分があるが、テレビで見たニュースでは、おそらく全裸らしき人物の局部にボカシがかけられたと思われる映像もあった。
    हरिद्वार: राजाजी नेशनल पार्क में घुसे विदेशी (AAJ TAK)
    ※ハリドワール:ラージャージー国立公園に侵入した外国人たち
    当人たちは、屈託のない表情で和やかに過ごしていたり、にこやかにインタビューに応じたりなどしているので、まさかこうした否定的な報道がなされるものとは思わなかったようだ。
    国立公園でこのような形で滞在したり、煮炊きをしたりすることは違法である。警察は彼らを退去させようと試みたものの、うまくいかなかったようだ。この『ヒッピーたち』については、たまたま近くの地域で森林火災が起きたことがきっかけで取り上げられることになったようだ。もちろん彼らが失火でも起こさないかということも懸念もあってのことである。
    昔からゴアをはじめとするインドのいくつかの地域では、こうしたヒッピーまがいの人たちが我がもの顔で振舞うスポットは知られていたが、内陸の国立公園でそんな場所があるとは知らなかった。1月から進行中のクンブ・メーラーがきっかけとなったのであろうことは想像に難くない。
    今の時代、メールアドレスを持たない人はいないし、旅行者の間でも現地のSIMカードを入れた携帯電話は普及している。最初は数人程度の集まりが、『何かオモシロそうなことやってるゾ!』と口コミからネットを通じて情報が広まったり、あるいはどこかのビーチなどで知り合った人と携帯電話で連絡したりといった具合に、ゾロゾロ集まってきたものと思われる。
    集まっている当人たちの脳天気さとは裏腹のメディアの取り上げかたの辛辣さに、ヒマラヤの奥に隠された西洋人ヒッピーたちの解放区という舞台設定の映画Charasを思い出してしまった。彼らは『(地元の人々が)ナイスな人たち』だの『美しい土地だ』などとしゃべっているが、自分たちの感覚がユニバースなものでないことを自覚しなくてはならないだろう。
    ニュース映像では、森林の中にいくばくか景色の開けた部分があるように見受けられたが、具体的にどんな土地なのかはよくわからなかった。100人もの外国人旅行者が集まるということは、それなりに交通のアクセスや食料品・日用品なども手に入るなどといった、そこそこ便が良く、かつ過ごしやすいところなのではないかと想像される。公園当局や地元警察等は、彼らの排除もさることながら、その場所が今後も同様の人たちが集まることを懸念しているのではないのだろうかとも思う。
    だがヒッピーであれ、その対極にある金満ツーリストであれ、外国から訪れる観光客を受け入れるということは、それなりの摩擦が生じるものであることも事実だ。感覚や常識にズレがある人々が次から次へと新たにやってくるのだから、いかに各方面から啓蒙に努めてみたところで、観光業から上がる収益を見込む以上は、俗に『観光公害』と呼ばれる現象が起きることは、ある程度仕方ないともいえるし、今後も似たような事例は続くはずだ。
    程度にもよるが、より深刻な害悪については厳罰で臨むべきであろうし、外国人の側も訪問先の法律についての理解と尊重を求められる。
    たとえば4月に入ってから、中国で覚醒剤の密輸にかかわった日本人に対する極刑の執行について、考えさせられることは多い。
    中国、さらに日本人3人の死刑執行 いずれも麻薬密輸罪 (asahi.com)
    死刑制度の是非、現地での取調べの方法や裁判の進行等に関する不備についての指摘もなされてはいるものの、国ごとに社会の事情は異なり、言うまでもなく独立したひとつの国家である。旅行であれ商用その等であれ、その国を訪れる人は現地の法制度を尊重しなくてはならず、『知らなかった』では済まされない。
    この関係の報道で、外から眺めると麻薬に対して厳格なイメージが定着した中国だが、人々の間でかなり広くいろいろなドラッグが普及しているという背景があり、常用者たちに対する罰則は比較的ゆるく、本人たちの更正を目指す方向に力点が置かれているようだ。
    蛇足ながら、覚醒剤ではないが大麻については、中国にもインドのマナーリー周辺のような地域がある。もちろん中国でも大麻を吸うことは違法であるが、雲南省の大理やその周辺では大麻が沢山自生している。
    昔、大理を訪れたとき、ドミトリーに宿泊している長期滞在の外国人客たちが、摘み取ってきた大麻を部屋の壁に乾燥させては吸引しているのをしばしば見かけた。彼らは『質はともかく、タダなんですよ』などと言う男は、中国で大麻が合法なのか違法なのかも知らなかった。
    今でもそんなおおっぴらなのかどうかは知らないが、聞くところによると大理には大麻が沢山あるという事情はあまり変わらないようだが、近年はそれなりに取り締まりがなされたり、逮捕される外国人なども出てきたりもしているらしい。
    良くも悪くも、ひとたび旅行者たちの間で、彼らを惹きつける魅力(?)が喧伝されてしまうと、それを目的にやってくる人たちが長きに渡って続く。口コミはもちろんのことながら、ガイドブックであれ週刊誌等であれ、ひとたびメディアに取り上げられて話題になると、それを孫引きしたような記事がいろんなものに掲載されて衆人の知るところとなる。
    景気、治安状況に左右されやすいことに加えて、ここが観光業の難しい点のひとつかもしれない。ラージャージー国立公園界隈はヒッピーの解放区ではないし、大理を訪れる人々の多くは大麻が目的というわけではないのだが、そうした風評がさらにこうした人々を引き寄せる誘因となり、こうした人々がそれなりの規模になってくると、彼らを目当てにした商売人たちも集まるようになってくる。
    もっともラージャージー国立公園のほうは、国の管理下にあるエリアであり、先の報道がなされたことから、適切な処置がなされて、こうした滞在の仕方が定着することはないだろう。だが土地の人々にとって思わぬ方向にいってしまっている『観光地』の例は、色々な国で決して少なくない。

  • Namaste Bollywood #23

    Namaste Bollyowwd #23
    Namaste Bollywood #23が発行された。
    同誌をめくって初めて知ったのだが、昨年マカオが開催されたIIFA(International Indian Film Academy)が、今年6月に韓国のソウルで開催されるとのことだ。
    1990年代以降、クルマ、携帯電話機、家電製品等々、インド市場に怒涛のように進出し、大きな存在感を示すに至った韓国だが、自国ではボリウッド映画をどのように評価しているのだろうか。
    さて、今号の特集記事は『はじめてのボリウッド』である。十数年前、いっとき日本で盛り上がったインド映画ブーム。だがそれがゆえに、以降の作品に対する関心の薄さの原因となっていることを踏まえてのものであるようだ。
    『ブーム』の終焉以降、インド発の映画を見ずに過ごしてきた人たちの間で定着している先入観が、実は大きく様変わりしている今どきの作品へのアクセスを阻んでいるのであろうということは、私も常々感じている。
    いっときの流行が終わってから、すでに十数年経過している。当時、小学校低学年であった子供たちが成人となるくらいの時間である。1990年あたりに生まれ、現在20歳くらいの人たちは、日本でインド映画が次々に上映された時期があったことを耳にしてはいても、実はよく知らないはずだ。
    そうした先入観のない世代、知識欲や好奇心旺盛な年代こそが、日本におけるインド映画の有望な市場なのではないかと思う。
    同時に、10代後半から20代前半あたりの年代は、自由に使うことができる時間に恵まれ、趣味であれ、スポーツであれ、好きなことに打ち込むことができる年齢層だ。またインドに対するイメージも、それよりも上の世代とはかなり違うようでもある。
    加えて、洋の東西を問わず、娯楽映画の多くはそのあたりの年齢の人々を主なターゲットとしているものが多いことは言うまでもない。この市場をいかに取り込むことができるかということが、大きなカギとなる。
    今号の特集『はじめてのボリウッド』は、まさにそうした人々を意識したものであろう。ムンバイー発の映画に関心を抱く人、ひいてはインドという国に対する興味を感じる若い世代の人々が、今後さらに増えてくれれば幸いである。

  • 犬は苦手

    昔から犬はあまり好きでない。飼い主にじゃれ付いている姿を見かけると『あぁ、可愛いな』とは思うし、また盲導犬のように一生懸命尽くしている姿を目にすると『えらいもんだなぁ』と感心したりするのだが。
    猫と犬の遠い祖先は共通なのだとか。それにしても素っ気無い猫に較べて、良くも悪くも犬は他者に干渉する。街を歩いていて、牛やヤギがわざわざ構ってくることはないが、犬の場合は、しばしば『うるさいっ、放っておいてくれ!』と怒鳴りたくなることもある。
    こちらは向こうに対して何の興味もないにもかかわらず、彼らは自分たちのエリアに入ってくるよそ者に対してけっこう敏感。昼間ならともかく、夜道をトボトボ歩いているとき、こちらの進行方向から複数の犬たちがワンワン吠えて近づいてくると、ちょっとした緊迫感。特に細い路地などでは、ちょっと勘弁してもらいたい。
    インドの話ではないので恐縮ながら、こんな猛犬の映像があった。
    犬がパトカーを「襲撃」バンパーを噛み切る (A.P.)
    場所はアメリカ。パトカーのバンパーに噛み付いてバリバリと大きく壊してしまう野犬の姿。石つぶてを投げたくらいでは怯まないことだろう。
    こんな『蛮犬』に遭遇したくはない。

  • ラシュカレ・タイバが『グローバル化』したらどうなるのか?

    ときどき、アメリカのニュース雑誌NEWS WEEKを手にしてみると、しばしば違和感を覚えずにはいられない。ちょうど中国共産党中央委員会の機関紙人民日報の人民日報の紙面面と共通するものがあるような気がする。
    自由と民主主義を標榜する国から発せられる世界中に流通する民間の週刊誌と、政府による厳しい情報管理がまかり通る国の独裁政党の機関紙が似ていると言うのは奇妙ではあるが、自らが是とするイデオロギーに対する異論を許さないという姿勢ゆえのことかもしれない。
    そのニューズウィークの報道ではあるが、こんな記事を見かけた。すでにひと月以上前のものではあるが。
    The Next Al Qaeda? (NEWS WEEK)
    90年代あたりまではカシミールを主な活動の場として暗躍してきたラシュカレ・タイバ(LeT)だが、今世紀に入ってからは2001年のデリーの国会議事堂襲撃、2005年のデリーでの連続爆破事件、2006年のムンバイーでの列車爆破事件に関わるなど、破壊活動の場を拡大してきていた。
    その中で特筆されるのは言うまでもなく、2008年11月に起きたムンバイーでの大規模なテロ事件であるが、2月にマハーラーシュトラ州のプネーで起きた爆破テロについてもラシュカレ・タイバを名乗った犯行声明が出ている。
    ラシュカレ・タイバとの繋がりでクローズアップされた外国人たち、ともにパーキスターン系で米国籍のディヴィッド・ヘドレー、カナダ籍のタハッウル・フサイン・ラーナーの存在、これまで明らかになっている彼らの足取りや行動の関係等から、このグループについて、それまで認識されていた以上の国際性が取り沙汰されるようになってきている。
    またインドでのラシュカレ・タイバのテロ活動について、2008年11月26日にムンバイーで起きた大規模な攻撃以降、インド以外の第三国の人々をも標的にするようになっている点、彼らにとって米国大使館も標的として浮上してきているということ、他のテログループとの提携なども含めて、他メディアでもしばしば取り上げられていることでもある。つまり彼らの活動が近年とみに広域化・グローバル化しつつあることが懸念されている。
    さらに悪いことに、彼らはパーキスターンでは決して闇の組織というわけではない。長年同国政府、とりわけISIと持ちつ持たれつの繋がりがあったし、地域医療活動などの福祉関係で、それなりに民衆の支持を集めていることもあり、社会的に孤立した組織ではないことには留意が必要だ。
    ラシュカレ・タイバの活動やネットワークの広域化、国際化は憂慮されるところではある。隣国からのテロに苦りきっているインドにとっては、アメリカの大メディアがこうしたテロ組織の脅威を、彼ら自身のセキュリティに関わる問題として扱うことは、好意的に評価できるものだろう。
    しかしながら『民主主義』といっても、その国ごとのカラーや社会的な事情から、それぞれずいぶん異なった様相を呈しているこの世の中。そうしたひとつひとつの国々に主権があり、様々な民意あるいは強権により運営されている。
    武力以外の外交手段を駆使して、ある国を変えようとしても、なかなかうまくいくものではないことはミャンマーの例を見ても明らかだ。あるいは戦争という強硬な手段により政権を崩壊させた後に、新しい国の枠組みを再建へと誘導すれば、民主的かつ公明正大な国が出来上がるというわけではないことは、イラクの有り様を見てもよくわかる。
    現在、パーキスターンで、ラシュカレ・タイバが活動できる土壌を変えることができるのか、といえば、当のパーキスターン自身にも、他のどの国にもできないだろう。
    上記リンクの記事を読んで非常に気になったのは、近い将来、本当にラシュカレ・タイバがテロリストの『グローバル・プレーヤー』として台頭したら、あるいは在外アメリカ公館、ひょっとしたらアメリカ本土でテロ事件を起こしたら、パーキスターンはどのような代償を払わなくてはならないのか、アメリカはどういうアクションを起こすことになるのか、ということである。
    あまりに恐ろしいシナリオが待ち構えているに違いない。

  • さくらチャリティーバザー2010

    東京の九段の桜は3月末から4月に入ったあたりが盛りとなるだろうか。お堀端に面し、靖国通りを挟んで靖国神社の向かいのインド大使館は建て替えも完了し、開催をしばし中断していた「さくらチャリティーバザー」の開催を再開。
    以前と違い、会期を花見の時期一杯に取り、3月26日(金)から4月4日(日)までの10日間に及ぶ長丁場の催しとなっている。
    さくらチャリティーバザー@在京インド大使館
    しかしながら新築工事中よる2年に渡るブランクの影響(?)か、あるいは桜がまだ咲き始めということで、花見客でごったがえすという状況ではないためか、3月27日(土)の昼すぎに訪れてみると、大使館敷地内は閑散とした状態であった。もちろん広報不足という理由もあるだろう。
    出来立てホヤホヤの大使館は総ガラス張りのモダンな建物。快適そうな。仕事が捗りそうなオフィスになっているようだ。同じような外観で併設されている棟は、職員住宅だろうか。
    インドへのビザ申請はインドビザセンターが代行するようになっているため、一般の申請者が大使館に出向く用事はあまりなくなっているため、今回訪れてみて敷地内の変貌ぶりにはびっくりした。
    だがちょっと気になることもある。お堀側のゲートも靖国神社側のゲートも大きく開け放たれて、ガードマン等出入りを見張る要員も不在。
    『誰でもウェルカム!』という友好的な姿勢はありがたいし、日本は治安がとりわけ良好であることに対する信頼も嬉しいが、大使館という場所柄、多少の警戒は必要なのではないかと思う。
    1995年の地下鉄サリン事件以後、日本国内でテロ事件と呼べるようなものは発生していない。だが、それは日本の治安機構がしっかりしているというよりも、私たち日本人を相手に特にそうした事件を起こす動機を持つ組織が存在しないからである。ゆえに、何か騒ぎを起こそうとすれば、決して難しくはないはずだ。
    インドは、自国の周辺地域において、決して敵の少なくない国ではない。日本のように思いもよらない国で、インド大使館に攻撃を仕掛けられるようなことがあれば、たとえそれが失敗に終わったとしても、事件のインパクトは相当なものとなるだろう。もちろん日本でインドに対する国民感情がネガティヴなものになり得るし、対印投資へも大きく響く。
    日本は安全・・・とはいえ、私たちの誰もが東京の街にうごめく全ての人々の行いに責任を持てるものではなく、どんな人がいるか誰にもわからない。どのような思想・信条を持つ人たちでも、国際的によく知られたお尋ね者でもない限りは、入国の要件さえ揃えれば、成田なり関空なりから日本に入国することができるではないか。
    私の思いが今後長きに渡って、ただの杞憂であることを願いたい。

  • 今年の東京での『ダヂャン』は4月11日(日)

    在日ビルマ人の方々のイベント『ダヂャン』は、今年で19回目の開催となるのだそうだ。長らく北区の飛鳥山公園で行なわれていたが、昨年から吉祥寺の井の頭公園に場所を移しての実施となっており、今年は4月11日(日)に開催されるとのことだ。
    日程については、ビルマならびに在日ビルマ人関係のウェブサイト『バダウ』の落合氏に教えていただいた。詳細は同サイトのイベント情報&報告をご参照願いたい。
    今年もまた好天に恵まれて、在日ビルマ人の方々と知り合ったり、食べ物やステージでの催し等を見物したりと、楽しい集まりとなることを願いたい。

  • 大都会の中の静寂 聖地バーンガンガー

    植民地時代の訪れ、つまり1534年にポルトガルがグジャラート地方の統治者であったクトゥブッディン・バハードゥル・シャーから譲り受けた土地に、城砦、港湾、都市を築き始めたことが、その歴史の始まりであると認識されているムンバイーに、ラーマーヤナの神話に連なる聖地がある。
    マーラーバール・ヒルの高層建築に囲まれた只中にある、物静かな佇まいのバーンガンガー池のほとりにはいくつもの寺院やダラムシャラーなどが並ぶ。どこか田舎町を訪れているような気がする。ガートでは坊さんが信者のためにプージャーを執り行っている。ここが日々忙しい大都会ムンバイーの高級住宅地であることを忘れてしまいそうだ。
    バーンガンガー池のガート
    ラーマーヤナの神話の中で、ランカー島に連れ去られたスィーターの救出に向かう途中のラーマが立ち寄ったところであるとされている。渇きに苦しむ中、ラーマ自身ないしはラクシュマナ(両方の説があるようだ)が放った矢(baan बाण)が地に落ちた地点から、清水がこんこんと湧き出てきた。この水源が、遠く離れたガンガー(ganga गंगा)の支流とされたことが、バーンガンガー(baanganga बाणगंगा) の名の由来だという。この池のほとりにいくつもの寺が並んでいるが、ワールケーシュワル寺院である。
    聖河ガンジスの水・・・なのか?
    この池が出来たのは12世紀初めとされるが、ポルトガル時代においては、カトリック信仰の布教と並行して、ゴアで多くの寺院が破壊されてしまったのと同じく、ワールケーシュワル寺院もそれを逃れることはできなかった。
    1661年に、ポルトガルのカタリーナ王女が、イギリス王室のチャールズ2世に輿入れするに当たってのダウリーとして、当時のムンバイーはイギリスに委譲される。地元の人々の信仰についてあまり干渉しない彼らの支配下になってから、1715年前後(1724年前後という説もある)にワールケーシュワル寺院は再建された。
    しかし18世紀に入ったころのマーラーバール・ヒルは、無数の巨石と密林に覆われた丘陵地に過ぎず、地理的に当時の都市部に近い森林地帯ということもあり、盗賊や他の犯罪者たちが跋扈するエリアでもあったそうだ。
    そのため、この寺院を中心とする集落に住んでいたガウル・サラスワト・ブラーフマンのコミュニティの人々は、自分たちの身を守るという目的から、他のセクトのヒンドゥー教徒たちがここに寺院やダラムサラを建設することを認めたことから、次第に門前町の体を成していくきっかけとなったようだ。
    また交易と信仰の自由を標榜して、新興都市であったムンバイーへの移住者の増加を画策していたイギリス当局としても、商業と政治の中心地であったフォート地区から少し距離のあるマーラーバール・ヒルに宗教施設を誘致することを奨励していたという事情も追い風となったようである。
    インド随一の大都会で、都市化以前の村の面影を残す、静かなバーンガンガー池とこれを取り囲む寺院群。チョウパーティー・ビーチ、マニ・バワン、コーターチー・ワーディー地区にも近く、ムンバイーを見物する際についでに訪れてみるといいだろう。早朝や夕暮れ時などが特に良さそうだ。
    毎年1月にバーンガンガー・フェスティバルが開催され、古典音楽の演奏などが行なわれるので、訪問時期さえ合えばこちらもチェックしておくといいだろう。
    バーンガンガー池

  • 時代の目撃者 ベアトー

    インドで最初に写真で記録された戦争といえば1857年に発生した大反乱である。イギリス国王を少なくとも現存する写真の大部分は、世界初の戦争写真家と言われるたった一人の人物によって撮影されたといって過言ではない。
    ベアトー
    その彼、ヴェネチア生まれのフェリーチェ・ベアトー(フェリックス・ベアトーとも呼ばれていた)は、1855年のクリミア戦争の取材に続き、1857年に発生したインドの大反乱を撮るために翌1858年にカルカッタに上陸。1859年まで続いた戦いの様々なシーンをカメラに収めている。
    戦争写真といっても、20世紀のベトナム戦争以降のように、従軍して最前線でレンズを構えるようなものではなかった。当時は湿板写真の時代で、コロジオンと硝酸銀溶液を塗ったガラス板が乾かないうちに撮影・現像しなくてはならないという手のかかるものであった。そのため彼が残した作品群は、主に戦闘後の破壊された状況や休息ないしは待機する将兵等の写真ということになる。
    19世紀初めに写真技術が発明されて以来、撮影の主な需要といえば高貴な、あるいは富裕な人々のための肖像写真としての用途、あるいは風景といったものが大半であった。ベアトーが画像で伝えた破壊や殺戮というテーマは、当時の常識を打ち破るセンセーショナルなものであった。また、言葉を尽くしても伝えられないものが写真にあることが認識され、報道の重要なツールとして認識されることになったのも彼の功績であるといえよう。
    そのひとつ、彼が残した大反乱の写真の中でも、あまりにも有名なラクナウのスィカンダラー・バーグの写真。反乱軍の2,000名の兵士たちが、英軍の反撃によって殺害された現場である。遺体はそのまま放置され腐敗するに任せた。写真手前に無数に転がっているのは白骨化した遺体である。
    Sikandara Bagh
    カーンプルの破壊された風景
    Cawnpore
    当時のイギリス側のインド人兵士たちの姿
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    イギリスへの反逆者たちの処刑
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    イギリス側に捕らえられたムガル最後の皇帝、バハードゥル・シャー・ザファル。詩人としても非常に評価の高い人物だが、大反乱の首領として担ぎ上げられた彼は多くの身内が処刑された。王妃ズィーナト・メヘルと嫡子のミルザー・ジャワーン・バクトおよび側室の子であるミルザー・シャー・アッバースとともにデリーからラングーンに島流しになる直前に撮影されたものとも、ラングーンに到着後に撮影されたものとも言われる。
    ムガル朝の皇帝の中で唯一写真に収められた姿が拘禁下のものというのは何とも皮肉なことだ。残念なことに撮影者が誰かはっきりしていないが、デリーでの写真であるとすれば、ベアトーの手によるものである可能性がある。
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    ベアトーは当時のデリーの街の様子も多数撮影しており、それらと対比させて140年後の同じ場所の写真と合わせて解説した秀逸な書籍があるので、本屋で見かけたらぜひご覧いただきたい。
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    書名 Beato’s Delhi 1857, 1997
    著者 Jim Masselos & Narayani Gupta
    出版社 Ravi Dayal Publisher
    ISBN 81 7530 028 0
    ベアトーとほぼ同時代にインドで活動した写真家としては、山岳、建築物、人物等の撮影で数々の傑作を生んだサミュエル・バーン、風景写真のドナルド・ホーン・マクファーレンといった人物があるが、1880年代以降ではインド人のラーラー・ディーン・ダヤルも後世に残る多くの作品群を生んでいる。
    ベアトーは、後に中国で第二次アヘン戦争の撮影を行なった。
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    そして活動の場を日本に移す。鎖国から開国へ、下関戦争、幕藩体制終焉と大政奉還、明治の維新政府による中央集権的な近代国家建設へと一気に邁進していく有様は、転換する時代の目撃者、行動する写真家ベアトーの心を惹きつけるものであったのだろう。江戸時代末から明治初期にかけて彼が撮影した写真の数々を誰もが目にしたことがあるだろう。当時の人々の風俗に関する貴重な資料となっている。
    下関戦争のひとコマ
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    慶応2年(1865年)あるいはその翌年に撮影されたとされる江戸の街並み
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    若い薩摩藩士たち
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    駕籠に乗る女性
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    着物姿の女性たち
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    画師
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    晩年は、英領インドに併合されたビルマのコンバウン朝の旧王都マンダレイで写真館を営んだ。
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    人並外れた行動力で激動の時代を目撃してきた偉大なる写真家ベアトーは、1909年にイタリアで亡くなる。彼の作品中に登場する人々はすでにこの世にないが、彼が残したモノクロームの画像を通じて、実に多くのことを私たちに雄弁に語りかけてくる。今の時代に生きる私たちにベアトーが残した遺産の価値は計り知れない。

  • 4/18(日) 池袋がミニ・バーングラーデーシュとなる日曜日

    まだひと月ほど先のことだが、今年で第11回目となる『カレーフェスティバル&バングラデシュ ボイシャキ メラ』だが、今年は4月18日(日)に東京の池袋西口公園で開催される
    『おぉ、バーングラーデーシュの人たちは、こんなに沢山住んでいたのか!?』とびっくりするくらい大勢集まるにぎやかな催しだ。
    まだ肌寒い東京だが、屋外イベントのシーズンももうすぐそこまで来ている。当日好天に恵まれることを祈りたい。

  • 女性留保枠 = 政治エリート一門とセレブの指定席?

    青森県八戸市議会の藤川ゆり議員は『美人過ぎる議員』として評判だが、インドで目を引く美人議員は誰?と問われれば、連邦下院議会のBJPのスムリティ・イラーニーや社会党のジャヤー・プラダーといった芸能界から進出した人たちを除けば、2009年にバティンダー選挙区から出馬して同じく連邦下院議員として当選したハルスィムラト・カウル・バーダル氏だろう。
    Harsimrat Kaur Badal
    以下、2009年の選挙に立候補した際、ハルスィムラト氏がスター・ニュースのインタビューに応じたときの様子だ。雑談程度で中身のあるものではないのだが。
    Prakash Singh Badal’s daughter in law, Akali Dal’s candidate from Bhatinda, talks to Star News (Youtube)
    彼女はシロマニー・アカリ・ダルの党首で、パンジャーブ州副首相のスクビール・スィン・バーダルの妻。義父は同党の前党首で現在パンジャーブ州首相を務めるプラカーシュ・スィン・バーダルだ。現在43歳の彼女自身は、名門の名でとりあえず議席を確保するために担ぎ出されたまったくの素人である。
    ところでインドでの議会といえば、連邦議会ならびに州議会において議員数の三分の一を女性に対して留保しようという憲法改定案が話題になっている。かなり紛糾しつつも、3月9日に連邦議会上院を通過し、今後同下院、続いて各州議会へと送られて審議されていくことになる。
    この法案について喧々諤々の議論がなされていることについては、女性の社会参画拡大と地位向上という美しい建前とは裏腹に、現在までのところ議員数の9割前後を男性が占めている現状(ちなみに連邦下院では、目下女性議員数は11%)自体が障害である。
    また、定数の決まった枠組みの中で有能な人物であっても男性であるがゆえに女性への留保がネックとなり政界での機会を失いかねないこと、果たして留保という形で女性の割合を大幅に増やすことがもたらす効用というものがあるのか、という疑問もある。
    特に後者については、女性議員数が従前の3倍ほどに膨れ上がることから、果たしてどういう人物がその部分を占めることになるのだろうか。少なくとも、この制度が導入された直後の選挙では、経験と実績のある女性人材が乏しい中で、各政党は有力政治家の身内や芸能関係のセレブといった社会的に知名度の高い女性候補を乱立させての議席の奪い合いが展開されるはずだ。
    その結果、ハルスィムラト・カウル・バーダル氏と似たような立場の人たちが、まさに『時代の申し子』として、続々と政界入りすることとなり、当面は既存の政治エリートたちの一門の足元を固めることにしかならなかったり、あるいは盛りを過ぎたセレブ女性たちの政界進出への垣根を低くすることにしかならないような気がする。
    見方を変えれば、特に地位向上を必要としない、従前から『財と力のある』女性たちがこぞって政界に出てくることでもあろう。それはそれで政界に変化を生むはずだが。ひとくちに女性といっても、本来ならば社会のどの部分を構成する層に焦点を当てるかという具体性が必要になってくるはずだ。
    この法案について、Nadwat-ul-Ulemaの指導者が、反イスラーム的であると批判するいっぽう、All India Association of Imamsのように、これを女性の地位向上の好機と捉えるイスラーム団体もある。
    また、Jamaat-e-Islami Hindが、女性留保枠そのものには好意的ながらも、相対的に不利な状況に置かれているムスリムに対する措置がないことについて批判しているのも無理からぬところだ。
    指定カースト(SCs)、指定部族(STs)に対する留保と同様に、同じく社会底辺の広範な部分を構成する自分たちのコミュニティへ同様の措置を長らく求めてきたムスリムの視点からすると、その要求を飛び越えて女性枠が導入される雲行きであることについては、不満が残ることは心情的に理解できる。
    ところで、この『女性枠』というアイデアについては、唐突に出てきたものでは決してなく、かなり前からそういう議論はあった。もっとローカルな自治制度パンチャーヤトでは1993年以降、三分の一の女性留保枠が導入されており、こちらはその留保枠を50%に引き上げようという方向にある。
    今回の女性枠に関する一連の動きには非常に興味深いものがあり、今後ともその成り行きを見守っていきたい。

  • 月の水

    月の北極付近に相当量の水が存在することが明らかになったのだそうだ。
    Ice deposits found at Moon’s pole (BBC NEWS)
    昨年8月下旬に通信が途絶したことによりミッションが終了しているインド初の月探査機チャンドラヤーン1号により得られたデータにより判明したものだという。
    人工衛星の打ち上げ数では、ライバルの中国に対してはまだ遅れをとっているものの、ドイツやイギリスと肩を並べ、宇宙開発の分野でメジャープレーヤーとして定着して久しいインドだ。今後も人類の宇宙探索の様々な方面で貢献していくことになるのだろう。
    将来利用可能な資源の探索はもちろんのこと、軍事目的での転用など、様々な実利的な目的あっての壮大な事業だが、かつて西洋人たちが東西に船舶を走らせ、欧州域外への進出を図った大航海時代が始まった時期と似たようなものかもしれない。
    いつか人類が月や火星からミネラル類を輸入したり、開発プロジェクト等のために他の星に長期滞在したりする時代がやってくるのだろうか。各国の思惑が交錯する中で、地球外の空間や土地における主権や統治の概念等は、どのようになっていくのか見当もつかない。それがゆえに有力な国々が競って宇宙への進出を画策しているのだろう。
    軍事、ロケットといえば、インドのミサイル、アグニ3は、射程距離1,500〜3500 kmの同国で文字通り第三世代の中距離弾道ミサイルで、アッサム州内から発射した場合、北京や上海も射程距離に入るようになっている。
    前世代のアグニ2は飛行距離800から2000 kmで、スィッキム北部の軍事施設からなんとか四川省の成都あたりには届くといった程度であったのに比べて飛躍的な進歩である。
    次世代アグニ5は,(なぜ『4』をスキップして『5』になる。おそらくそれまでの中距離弾道ミサイルから本格的な大陸弾道ミサイルへと進化し、別格のものとなるからであろう)では、航続距離を5000 kmまで大幅に伸ばし、インドのどこからでも中国のほぼ全土が射程圏内に収まるようになる。
    宇宙開発は、国の将来への投資であるといえるし、そうした先端技術を持つことが、国力自体を増進させるという効果もあるのだろう。またミサイルについても、現にパーキスターン、中国という核を保有する国々と長年緊張関係にあり、国防上のバランスを取っていく必要性を否定できないだろう。
    しかし宇宙開発も軍拡も、これらの事業を行なうことにより、どれほどの予算が費やされているのかということを思えば、ちょっと複雑な気持ちになる。
    昨今、経済発展が好調なインドとはいえ、そこはスタート地点があまりに低かったがゆえに、動き出せば伸びしろが大きいということに他ならず、今でも決して裕福で社会的に余裕のある国ではない。
    巨大な予算をつぎ込んで、先端技術を駆使した開発が華々しくなされているいっぽう、世界最大の貧困人口を抱えているこの国では、生活環境等改善のため、こうしている今にも適切な投資を必要としている人々が大勢いる。
    その配分をどうするのか決めるのは、言うまでもなく政治の役割だ。一足飛びに生活大国へ・・・というのは無理にしても、先端技術で華やかな成果を謳いあげるのと同じくらい、社会のボトム部分の底上げを実現できる日が来ることを願いたい。

  • アライヴァル・ヴィザと2ヵ月ルール

    年末年始あたりから話題になっており、『これでインディア』のアルカカットさんの記事『インドも遂にアライバル・ヴィザ導入か』でも詳しく取り上げられていたとおり、1月から観光客に対するアライヴァル・ビザの運用が始まっている。公式には1年という期限付きの試行運用で、対象となるのは日本、シンガポール、ニュージーランド、フィンランド、ルクセンブルグの5ヵ国の国籍を持つ人々。
    一部のメディアによると、現在5つの国籍保持者のみが対象となっているこの試みを18か国にまで広げようという動きもあるようだ。実現すれば、欧州諸国を中心とするインドを観光で訪れる人々のマジョリティを占める国々はこの範疇に含まれることだろう。
    主要国のインド在外公館でのヴィザ申請・受渡等を民間会社が請け負う形になったことに続く大きな変化といえる。おそらく大使館・領事館での事務負担の軽減と行政サーヴィスの民間委託という昨今の流れに沿ったものであろう。今のところ『試行』とはいえ、格段の問題が生じなければ、アライヴァル・ヴィザの制度は、対象国を拡大して定着するものと思われる。
    アライヴァル・ヴィザで許可される滞在期間は1ヵ月。従来の観光ヴィザの滞在有効期間が6ヵ月であったものに比べて短いとはいえ、事前にヴィザ取得する必要がないことから、短い滞在の人たちにとっては、わざわざ大使館/領事館に出向く手間が省けるメリットはある。
    相互免除の協定を結んでいない国家間であっても、たとえばASEANを例に取れば、タイやマレーシアのように、観光業振興の目的で、特定の国籍の人々に対しては、一定期間内の観光目的の訪問については、査証の取得を免除している。あるいはラオスやカンボジアのように、査証免除がなされていなくても、到着時に取得が可能という国は多い。アライバル・ヴィザの導入自体については、インドもようやくそうした時流に乗りつつあるという点で評価できるだろう。
    だが、手放しで歓迎できない部分もある。まずは入国地点が限られることだ。料金は60米ドルと、通常の観光ヴィザよりかなり割高になっていることはさておき、デリー、ムンバイー、コールカーター、チェンナイの国際空港からの入国の場合のみ適用され、他の国際空港は今のところ含まれていない。また陸路の出入国については対象外のようだ。
    また、この手段を利用する機会が制限されている点も問題だ。年に最大2回まで、前回の出国から2ヵ月以上の期間を空けるという条件がある。参考までに、下記ウェブサイトをご参照願いたい。
    Tourist Visa -on –Arrival(在日インド大使館)
    Instructions For Foreigners Coming To India (インド内務省出入国管理局)
    アライヴァル・ヴィザはともかく、従来の観光ヴィザについても従前にはなかった措置が取られるようになった。マルチプル・エントリーを取得していても、一旦出国すると基本的に2ヵ月経過しないと、次の入国が認められなくなってしまっている。つまり6ヵ月のマルチプルで取得しても、実質最大3回までの入国しかできないことになる。
    それでは取得したヴィザをVOIDして再取得すれば、直近の出国から2ヵ月経たないうちに入国できるかといえば、基本的にヴィザ再申請は出国後2ヶ月経てから、ということになっている。
    ただし査証取得前に周辺国等も合わせて訪れることがはっきり予定されていれば、インドの取得時に旅程表や航空券の予約記録等も提出することにより、インドから隣国へ出て半月後にインドに戻る、といったことも可能なようではある。
    またすでにインドに滞在中であれば、必要書類等を提出したうえで、外国人登録局の判断により、再入国の許可を得ることができるようことにはなっているようだ。またインドの在外公館にもそうした権限が与えられている。
    例えばインドを出てバーングラーデーシュのダーカーに行き、1週間滞在してからインドの西ベンガル州に戻りたいといった場合、在ダッカのインドの高等弁務官事務所(大使館に相当)にて、相応の手続きにより申請者の再入国を認める措置を取ることができるようにはなっている。
    しかし、あくまでも該当事務所なり公館なりが判断を任されているとのことで、タイミング、担当者の判断、上役の考え方、申請者自身の運などによって左右されることが往々にしてあることと思われる。
    アライヴィル・ヴィザの導入、つまり問題が生じていない国々の人たちに対する査証審査手続きの簡略化の背後には、行政のスリム化への志向と観光業振興というふたつの目的によるものであろう。
    しかし時を同じくして導入された2ヵ月ルールについては、しばらくメディアを騒がせてきたヘッドレーとラーナーという、ともにパーキスターン系でそれぞれアメリカ、カナダ国籍の男たちが、インドで起きた数々のテロ事件を裏で操っていたとされることが明るみに出た事例等により、外国人たちの出入国・在留管理をより厳しくしようという狙いがある。
    もともとパースターン、バーングラーデーシュ国籍の人々について、とりわけ前者に対しては、たとえ親族訪問や観光目的であったとしても、他国籍の人々に較べてずいぶん厳しい審査がなされていたし、入国してからも滞在先を移るたびに警察署への出頭と報告が義務付けられていた。もちろん当人たちがそれを几帳面に行なうかどうかは別の話で、一旦インドに入国後に行方がわからなくなっているケースは相当数に上る。
    従前より、インドヴィザ申請書類には、『以前、他の国籍を持っていたか?それはどこの国籍か?』を問う項目があったが、現在では別紙により申請者の両親の出自(国籍)等を記入させるところもあるようだ。たとえば日本生まれの日本人であっても、たとえば父親がパーキスターンの出身である場合、何がしかの不利益を蒙る可能性があるかもしれない。
    ともあれ『緩和』と『厳格化』という、ふたつの相反する要求を踏まえて、取り急ぎ見つけた着地点が、『アライヴァル・ヴィザ』と『2ヵ月ルール』をセットで打ち出すことであったようだ。
    だがこれらは現行の規則に付け焼刃で無理のある細則が付加されたかのようで、実際の人々の行き来や社会的な要請に対していくつもの矛盾をはらんでいる。今後、インドの査証システムについては、包括的な見直しがなされる前の過渡期的な状態にあるのではないかと私は考えている。
    そもそも外国人の出入国・在留管理を根本から見直す必要が出てきているため、多くの人々にとって納得できるものが早期に打ち出されることはないだろう。
    やや古いもの(12月下旬と1月下旬)ではあるが、2ヵ月ルールによる混乱・困惑を伝えるBBCの記事を挙げておく。
    India visa move brings complaints
    India visa changes strangle business
    アライヴァル・ヴィザ、2ヵ月ルールともに、今後どうなっていくのか注目していきたいが、そもそも後者の導入の原因となっている隣国ないしはそれと深い縁を持つテロリストあるいは黒幕たちの動向についても気がかりなものがある。
    すでに様々なメディアで伝えられている『テロの国産化』の動きだ。パーキスターンを拠点とするテロ組織がメンバーをインドに浸透させての活動について、外交上の支障に加えて、インド以外の第三国からの圧力や干渉を招きかねないこともあり、SIMI (Students Islamic Movement of India)やこれと深い関わりを持つIM (Indian Mujahideen)といったインドの『地場組織』を活用する試み、彼らを自国に招いての工作・テロ活動の訓練の事例についても、よく伝えられているところだ。
    もちろんメディアの報じる過激な内容には、かなりマユツバなものも含まれているため、そのまま全てを盲信するのはどうかとも思う。しかしパーキスターンの三軍統合情報局ISIによるテロ組織とのその活動への関与はともかく、同国政府自体が不安定な状態が続いており、同国内でも地域的に当事者能力を欠いていることも、また違った次元での懸念材料だ。