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  • Googleで眺める景色 4  ガンジス上流と水源地

     やがて流れはハリドワールからリシケーシュへとたどると山間部にと入ってくる。

     デーワ・プラヤーグコーテーシュワル・ダムと遡上していくと、すでに山間の深い谷間を流れている。地形からしてかなり急流であろう。大規模な崖崩れの痕らしきものも見える。川沿いにいくつか集落も見える。特に橋もないようなので、両岸はすぐそこに見えても、互いに『ヨソの世界』みたいな感じではないだろうか。 このあたりで景色が開けているところといえば、テヘリー・ダムとその先でちょっとした扇状地が広がる集落。 

    さらに進むとウッタルカーシーの町がある。少しでもまとまった平坦な土地があれば、居住地あるいは農地として有効に活用されている印象を受ける。だがそこから先に行くと町らしきものは見当たらなくなってくるし、規模の小さな集落も少なくなってくる。 しばらく進むと、ローハリーナグパラー・ハイドロ・プロジェクトと表示されているものが目に入ってくるが、このあたりにダムを造る計画でもあるのだろう。 

    さらに上流へとたどると急峻な山岳の合間を縫うように進むことになるのだが、突然広い川床が見えてきた。周囲の景色に雪らしきものが見えるため、川床が白くなっているのは砂ではなく、降雪のためなのかもしれない。気候も厳しく、何かにつけて不便な土地に違いないと思うが、それでも川沿いの斜面には集落があり、人々が暮らしている。 やがてガンゴートリーの集落が見えてくるあたりになると、周囲を4000~5000メートル級の峰々が囲んでいる。 

    ガンゴートリー氷河の端であり、ガンジス河の始まりでもあるゴームクはこのあたりだ。そこからさらに上の氷河の張り付いた山の姿はこんな風になっている。 

    ガンジス河の本流に限らず、下っていくに従い合流してくる支流も同様に、こうした氷河なり、山間の積雪や湧水なりを水源としている。沢山の細い流れが次第に合わさり、やがて大きなひとつの河となる。最後には海へと注ぎ込まれるわけだが、今度は大海から蒸発した水分が雲となり、雨となって大地に降り注ぐことにより、それがまた河の水となって流れていく。 

    私たちの身体には常に血液が流れているが如く、絶え間なく水が循環している大地もまたひとつの大きな生命体であることが感じられ、人間もその大きな命の中の一部(限りなくちっぽけな存在だが)であることを思い起こさずにはいられない。大地は生きている。 

    <完>

  • Googleで眺める景色 3 ガンジス下流

    特定のスポットをズームアップしてみたり、外国の友人の住む街を表示して『ああ、こういうところなのか』などと眺めていたりしても、やがて飽きてしまうのだが、広域を俯瞰したり特定エリアをズームアップしたりと繰り返していると、地表がシームレスに繋がっていることをつくづく実感できる。従来の紙に印刷された地図等ではあり得なかったことだ。 

    緑の分布からその地域の気候等も把握できるし、海面の色合いからそれぞれの海域の深度もある程度想像できるだろう。私たちの命の源である水を運ぶ河川をたどっていくのもなかなか興味深い。 

    エジプトのように、湧水のあるオアシスが点在しているのを除けば、ナイル河沿いの細い帯状に耕作地や街などが集中している状況からは、まさに『エジプトはナイルの賜物』であることが納得できるし、水なしでは人々が生活できないことがよくわかる。 

    エジプトほど極端ではないが、インドもやはり大河沿いに人口の多い地域が広がっている。先日、スンダルバンのあるバーングラーデーシュのガンジス河口地域に目を移してみよう。 

    拡大してみるとよくわかるが、低地帯なので河は幾筋にも分かれて蛇行している。さらにズームアッブしてみると、さらに細い流れも確認できたりして、実に水量豊かな大地であることが一見してわかる。 

    少し上流に向かうと、首都ダーカー南東でアッサム州南西部から流れてくるカールニー河と合流する。少し遡るとラージバーリーあたりで同じくアッサム州の東部から流れてくるブラフマプトラ河と合流する。このあたりから水量・河幅ともに一気に拡大する。 

    ナワーブガンジ(ノワーブゴンジ)の少し先からバーングラーデーシュを出て、インドの西ベンガル州に入る。そこから隣のビハール州へと越えたあたり、ちょうどバガルプルの北側はガンジス河がコースィー河と合流しているが、このあたりでは一番の低地となっているため、その他中小の河川も流れ込んでいることもあり、非常に複雑な地形となっている。雨季に河川の氾濫や洪水に悩まされがちな地域であるのは頷けるところだ。 

    ビハール州都パトナー東側でガンダク河、西側でカルナーリー河、ソーン河との合流点から遡ると、かなり川幅は狭まる。そしてU.P.州のバナーラスを経て、イラーハーバードのヤムナー・ガンジス両河の合流点に至る手前には中洲がある。

     河床にある島であるため、市街地らしきものは見当たらないが、全体が耕作地になっているようだ。雨季の増水で洗い流されることさえなければ、河による沖積で出来た土地であることから水と地味に恵まれた良質な農地であるはずだ。 

    カーンプルを経て、ウッタラーンチャルに入るあたりまでは単調な風景が続く。さきほど眺めたバーングラーデーシュあたりの景色も含めて、ここまで遡上するまでの間に通過する大きな街や工業地は多い。生活排水や工場等から流出する排水等々、相当大量の汚水が日々流されているのだろう。 

    <続く>

  • Googleで眺める景色2 壊されていく船舶、造られる船

     スンダルバンから東に視点を移すと、バーングラーデーシュで『船の墓場』として知られるチッタゴン近郊の浜辺の様子が目に入る。浅瀬に座礁させた大型船舶が解体を待つ様子が見て取れる。 

    同様の景色は同じく船の解体場として有名なインドのグジャラート州のアランのほうでもあり、少なくともこの画像の撮影時点では、こちらのほうが処理される船舶の数は多いように見える。 

    さらに西のパーキスターンのバローチスターンにあるガッダーニーも同様の作業が行われていることが知られており、無数の船舶が海岸線に打ち捨てられた状態になっていることがわかる。 

    こうした現場の作業員たちが非常に劣悪な条件下で働いていること、また環境保全の面からも有害物質等の流出への対策が何ら取られていないことから、様々な問題提起がなされているところだ。 

    それとは反対に、今まさに建造作業真只中のダウ船が並ぶ景色も見ることができる。グジャラート州のマンドヴィーは、かつてアラビア海を越えての交易に活躍していたダウと呼ばれる帆船の建造が盛んであったが、現在も同様にこうした船が造られている。もちろん現代のダウはエンジン付きだ。作業は露天で進んでいくため、こうした風景を上空から撮影することができるわけである。 

    外部の人間の立ち入りに制限のある船の解体場は訪れたことがないが、こちらは幾度から訪ねてみたことがある。誰でも作業の様子を船の外から見学できるし、関係者らしき人も気さくに質問等に答えてくれる。 

    18世紀から19世紀にかけて、現在はパーキスターンとなっているスィンド地方はもちろんのこと、ペルシャやアラビア、さらに遠くは東アフリカとの交易の拠点であり、この地からそれらの地域へと足を延ばした商人たちも多かったようだ。 

    その後、印パ分離前、そして船から飛行機の時代に移るまでは、それなりの賑わいを見せており、カッチ地方随一の商都として栄えたマンドヴィーも、今ではすっかりひなびた田舎町になっている。 

    そんな歴史に思いをはせながら、今なお建造されているダウ船を眺めているのもなかなか楽しいものだ。 

    <続く>

  • Googleで眺める景色1 マングローブの大森林

     Google EarthでもGoogleマップでもいいのだが、ベンガル地方のスンダルバンの様子を見てみよう。 

    茶色がかった薄緑になっているエリアと濃い緑色になっている地域とが鮮明に分かれている。これは植生の違いによるもので、前者は地元の人々の開墾地、後者は国立公園として保護されている土地だ。 

    ガンジス河下流のデルタ地帯の南端に位置し、土地の高さがほとんどないことから、入り組んで流れる大河の河口に点在する無数の島のようになっている。 

    とりわけモンスーン期には、地形がかなり変わるはずだし、水の流れに削り取られる土地があるいっぽう、新たに土砂が堆積して出来上がる土地もあるはず。拡大して仔細に眺めてみると、開墾地の中にも無数の水の流れがあり、多くは人の手によって水路として調整されているようだ。地味豊かで水量豊富で温暖なこのデルタ地帯は、世界有数の米どころでもある。 

    だが大自然は人の手で管理しきれるものではない。とりわけこのような大河の最下流地域では。地表の画像はときどき更新されているが、少なくとも今日現在公開されているものでは、明らかに水没していると見られる広大な開墾地もある。 

    深い緑に包まれた保護地域の側は、世界最大のマングローブの密林。その中を流れが幅や方向を複雑に変えながら進む無数の流れが見て取れる。 

    スンダルバンのマングローブのジャングルは、国境をまたいでインド側はSundarban National Parkとして、バーングラーデーシュ側はSundarbansとして、ともにユネスコの世界遺産に登録されている。 

    以前、『スンダルバンへ』と題して、インド側の国立公園を訪れたときのことを書いたが、いつか機会があれば東側のバーングラーデーシュの側にも行ってみたいと考えている。

    しかしながら、同じひと続きの広大なマングローブの大森林を分け合っている両国が、その保全を共同で担うとともに、貴重な自然遺産であるとともに大きな観光資源でもあるこの地域を相互に行き来できるような時代が将来訪れないものだろうか、とも思う。 

    開発が厳しく制限されている地域であり、大河の河口地域の湿地帯という地理条件もさることながら、トラやワニなどといった危険な肉食動物が徘徊するエリアでもあることから、観光客が自前の足で自由に見物できるよう具合ではない。少なくともインド側では基本的にツアーボートでのみ訪れることができるようになっており、上陸できる地点も限られている。 

    そうした意味で観光客の出入りを管理しやすいということもあり、インド・バーングラーデーシュ双方が合意のうえで、共同で観光業の振興を図ることはあながち不可能ではないように思われる。文化遺産においても両国にまたがって関連する遺跡が散在している。またガウルのように、遺跡群そのものが国境を境に分かれているものもある。 

    東南アジアに目を移せば、タイ・カンボジア国境のカンボジア側にあるカオ・プラ・ヴィハーン遺跡(タイ側が領有を主張しているがカンボジアが実効支配している)のように、訪れる人々のほとんどがタイからやってくるような場所もある。自国領であると主張するタイ側のチェックポストの類はないが、カンボジアの側ではイミグレーションらしき簡素な施設があり、パスポートのチェックがなされるものの、ヴィザは不要で入国印が押されることもない。ちなみにGoogleで表示されたロケーションはこちらである。 

    両国の係争地となっているにもかかわらず、どちらも観光に力を入れている国であるがゆえに、地域振興や外貨収入等を目的に観光客に広く公開されているようだ。『カンボジア側』にある同遺跡を訪れるために、バンコクから直接乗り入れるツアーバスもあれば、比較的近いところにある大きな街のウボン・ラチャタニーからタクシーをチャーターする人も多い。タイ東北部には他にも大きなクメール遺跡は多いが、その中でもハイライト的な存在である。 

    遺跡の入場料の収入は、カンボジア側に落ちることになるが、タイ側でも遺跡の手前にある事実上の国境にたどり着く前にチェックポストがあり、観光客は『国立公園入場料』名目にて一定の料金を支払わされる。この国立公園内にいくつかクメール遺跡が散在しているものの、カンボジア側にあるカオ・プラ・ヴィハーン見物以外の目的でここを訪れる人はほとんどいないため、タイ側で徴収する同遺跡の入場料ということになる。 

    カンボジア側にしてみても、このあたりは反政府勢力の軍閥クメール・ルージュが拠点としていたエリア界隈で政府側が確保していた飛び地のような存在であった。内戦終結後もしばらく1990年代末あたりまでに多くの有力幹部が投降するまでの間、不安定な状況が続いていた。今でもカンボジアで最も多くの地雷が残されている地域のひとつとして知られている。 

    そんなわけで、カンボジアとしても『自国領内』にありながらも、アンコール遺跡を訪問する観光客をそのままこちらに誘導するには困難なものがあったため、『国境の向こうのタイ』側からお客を誘致する必要があった。 

    そうした具合に、要は観光業による収益の確保という極めて実利的な目的のもとに両国の思惑が一致しているがゆえに、実際に幾度か銃火を交えての紛争の舞台ともなった係争地でありながらも、カジュアルないでたちの観光客たちが日々押し寄せるという平和な光景が実現されている。 

    タイから見れば観光客たちは自国内の遺跡を観光するのだから出入国管理のようなものはない。カンボジアにしてみると、タイ側から人々が入ってくるので、一応イミグレーションのようなものはある。だが手続きは省略されているため、この遺跡を見物するのにヴィザは要求されず、出入国印が押されることもない。 

    話は大きく逸れてしまったが冒頭のスンダルバンの関係に戻る。 

    もちろんインド・バーングラーデーシュ間には、タイ・カンボジア間とは異なる事情がいろいろあり、スンダルバンは単一のスポットではなく極めて広大なマングローブの大森林であるなど、地理的な条件もまったく違う。もちろん両国の係争地などでもなく、デルタ地帯の末端にあるため地形が変化しやすいとはいえ、インドとバーングラーデーシュの間の境は決まっている。 

    だが仮に将来、両国間にまたがっての壮大な『スンダルバン観光』が可能となったならば、東西ベンガルの観光の魅力が今よりもよりインパクトの大きなものとなることであろう。スンダルバン以外にも、潜在的な観光資源は豊富に国であるものの、知名度においてインドに対して甚だしく劣るバーングラーデーシュにとっては利するものがとても多いように思われる。

     もちろんスンダルバンに限らず、狭い国土のバーングラーデーシュは、それを取り囲むインド東部の各地からのアクセスは入国可能な地点は限られているものの、かなり良いといえる。また西ベンガル州都コールカーターからインド北東州のアッサム、メガーラヤ、トリプラー等を陸路で訪れようという場合、バーングラーデーシュを通過すると近道であるうえに、同国の見物もできるという一石二鳥の観があった。 

    『あった』と過去形で書く理由は、ご存知のとおり今から一年近く前に導入されたインドのヴィザの『2カ月ルール』がそのゆえんである。隣国と合わせて訪問する場合、ヴィザ申請時点で、余所への一時出国で出入りする地点や時期などの詳細が決まっていれば融通は利くようだが、たまたま近くまで来たからこちらも訪れてみよう!というのは難しくなった。 

    インドと合わせてこの国を訪問する人は相当あるはずだ。この2カ月ルールの導入により、インドを経由して訪れる人が減っているのかどうか調べたことはないが、もしそうであるとすれば非常に残念なことである。

     <続く>

  • Lonely Planet 2

    もっともこうした傾向はここ数年のものではなく、90年代半ばから特定のエリアに限ったガイドブックが出てきていたものだが、ごく最近の動きとしては昨年あたりからKindle eBookと題して、アマゾンを通じたキンドル版の電子書籍の販売がなされていることが挙げられる。 

    こちらは通常の書籍版のIndiaに相当するものとともに、各州ごとのチャプターとして切り売りされている。前者が20ドル弱であるのに対して、州ごとに個別に購入すると各チャプターが7ドル弱と非常に割高であるため、格別の理由でもない限りは全体をまとめ買いする人のほうが多いことだろう。 

    同様に書籍版をPDF化したものもLonely Planet社自身のウェブ上で販売されている。価格についてはこちらも同様である。全体を購入すると24ドル弱だが、チャプターごとに個別に買うと一部あたり5ドル弱とかなり割高になっている。 

    PDF版にはセキュリティがかかっており、購入者がAdobe のAcrobatのようなPDF作成・編集ソフトを持っていても、これに書き込みをすることはできなくなっているが、複製を保存することは可能であるため、同社にとってはコピーが簡単に世間に出回ってしまうリスクを抱えているともいえる。今後その部分について何らかの対策が打たれるのではないかと思う。 

    ともあれこのPDFについては、旅行する人自身にとって必要なチャプターのみをプリントアウトして持参している例をしばしば見かける。予定外のところを訪れる場合、データをUSBメモリかウェブ上のストレージにでも保存しておいて、どこかPCとプリンタを利用できる場所で、印刷して使うということもあるだろう。 

    豊富な情報が満載されているのはいいのだが、いかんせん紙媒体ということもあり、ロンリー・プラネット社の最新のインドのガイドブック(2009年版)については、総ページ数1244という分厚いものとなっており、重量は約1キロ。 

    旅行荷物中のアイテムの中で、一番重いのはこのガイドブックというケースは多々あるのではないかと思うし、訪れた先で日中出歩くのにどうも邪魔であるとか、そもそも全州いっぺんに訪れるわけではないため、こんなに厚くなくていいのだ、という人もあるだろう。 

    まさにそれがゆえに、既述のとおり特定地域に特化したガイドが出ているわけでもあるが、それよりも明確な形でこうしたニーズに応えているのがこうしたKindle用のeBookないしは汎用的なPDFといった電子書籍販売ではないかと思う。

    ただしこの『電子書籍』という媒体についても一考の余地ありで、旅行先でパソコンを立ち上げて読むというのは防犯上好ましくないだけでなく、いちいち立ち上げる手間もあるため現実的ではなく、バスや列車等交通機関の中や雑踏でキンドルや高価なスマートフォンの画面中の地図を見るというのは犯罪を誘発するようなものだ。 

    前者はそれなりにカサがあるので書籍に比べて手軽とは言い難いし、後者の場合は頻繁に電子書籍を開いているとバッテリーが1日として持たないため、外付バッテリーその他やはり高価な周辺機器をさらに持参しなくてはならないことになる。するとやはり手軽で安心なのは紙媒体ということになる。 

    ともあれいろいろな選択肢が出てくるのはいいことだ。またそうしたニーズに応える柔軟な姿勢とアイデアを惜しまないのはさすがロンリー・プラネット社といったところではないだろうか。 

    また似たようなのサービスは他にいくつもあるとはいえ、同社のウェブサイトで提供されているTravel Serviceのフライト検索もなかなか便利だ。複数の提携先とタイアップした予約サイトだが、ここでブッキングしないまでも『ココからアソコまでどの会社のフライトがあるのか?』といったことを調べることができるし、おおよその料金も把握できる。 

    そうした意味では同サイト内のホテル検索についても同様で、インドでなくともどこか初めて訪れる国の街に夜遅く到着する予定の場合、事前に予約しておくと安心ということもあるだろう。同一の街の中でエリアや価格帯を絞り込んで検索することもできるし、かなり詳細なロケーションまで表示させることも出来る。なかなか秀逸である。 

    ずいぶん便利な時代になったものだと感心するとともに、まさにそういう世相を業態に如実に反映させて、今やロンリー・プラネット社はガイドブック専門出版社という範疇には収まらない、総合的な旅行サービスを提供する企業になっていることがわかる。 

    <完>

  • アジア大会決勝トーナメント一回戦 日本対インド

    中国の広州で開催中のアジア大会にて、本日行われた日本とインドの試合を観戦した・・・といっても、現在私は中国を訪れているわけではなくテレビ観戦である。

     インドのサッカーといえば、西ベンガル、ゴア、カルナータカ等、そこそこ人気の高い州はあるものの、総体的にはかなりマイナーなスポーツとなっている。だが2007年にI-Leaugeがスタートしてからは、本格的なクラブ運営とともに外国人選手を積極的に獲得したり、若年層からの組織的な育成システムが導入されるなど、プレー環境は次第に整いつつあるようだ。 

    アジア大会のサッカーは年齢制限(23歳以下でオーバーエイジは3名まで)があるため、あくまでも参考までの話だが、国際Aマッチの試合において、インド代表はこれまで40年ほど日本代表に勝っていないらしい。 

    この大会に出場している日本代表は、2012年に開催されるロンドンオリンピック(サッカーは23歳以下)に向けた準備段階という位置づけであるため、広州にやってきたメンバーは2年後に満23歳以下となる選手たち、つまり現在はU21つまり21歳以下というひとつ枠が下の年齢層から構成されている。Jリーグ選手が多くを占めるが、登録枠20名のうち7名は日本の大学でプレーしている。 

    これに対して参加国の多くは、インドも含めてU23つまり23歳以下という制限をフルに使って代表が選出されている。チームとしての相対的な実力はともかく選手としてよりピークに近づいた選手たちを起用できるという点からは、それよりも下の年齢層から成る今回の日本チームにとって決して容易に勝ち進めるものでないといえる。 

    それに加えて代表招集から大会開幕までの期間が短く、日本での合宿が7日間しかないという点からも調整不足といわれており、グループAの初戦、中国戦での苦戦が予想されといたのだが、幸いにして3-0と大勝し、続くマレーシア、キルギスをそれぞれ3-0、 2-0と下して3試合で8得点無失点にて無難に決勝トーナメントに駒を進めた。 

    招集された全員をI-League選手が占めるインド代表だが、グループDでクウェートに0-2、カタールに1-2で敗れたものの、シンガポールに4-0で勝ち、なんとかこのステージまで進むことができた。 

    以下、参考までにグループリーグの結果である。 

    Asian Games 2010: Latest Results And Group Ranking (football-asia.net) 

    会場に君が代とジャナガナマナが流れた後、選手たちがそれぞれの自陣に散って試合開始のホイッスルが鳴った。予想どおり日本が一方的に試合を進めていく。 

    まずは永井の先制ゴール。まさにgoal.comのインド版サイトに出ていたとおりの幕開けである。 

    Asian Games Special: Know Your Rivals – India U-23 Must Watch Out For Kensuke Nagai (goal.com)

    続いて山崎の追加点。その次は左サイドから山口が上げたクロスをゴール右前にいた東が直接狙うと思いきや、これを中央に折り返して山村が得点。日本らしい緻密な連携による芸術的なゴールだった。前半3-0でハーフタイムに入る。

     後半は、中盤の位置から縦に抜けだした永井が再びゴールを決める。中国戦の最初のゴールを決めたこの選手は、大学生ながら今回の代表のエースの座に躍り出た日本の新星だ。決してシュートを狙うシーンは多いというわけではないのだが、ここぞというところでゴールを記録する決定力は見事。おそらく大学卒業後にはJリーグ入りして、オリンピック代表そしてフル代表へとスター街道を邁進するのではないかと期待させてくれる。 

    最後のゴールは、右サイドからの展開から中央に折り返したボールを水沼がダイレクトにゴール。背番号10を付けるこの選手は、Jリーグ発足前の日本サッカー界を代表するテクニシャンであった水沼貴史の子息。 

    インドには、4季目を迎えたI-League効果は?と期待するものがあったのだが、残念ながら見るべきところは何もなかった。力量の差が甚だしいため仕方ないのだが、強い相手を前に連携が非常に悪く、縦へ縦へと急ぎ過ぎては、いとも簡単に相手にインターセプトされてしまい、文字通り成す術もないままにタイムアップとなってしまった。 

    後半30分を過ぎようかというところで右からのクロスをゴール前の走りこんだ選手がシュートし損ねたもの、また終了5分前に左からの折り返しをヘディングでゴールを狙ったものだけがインドのチャンスであった。

    とりあえずベスト8に勝ち進んでいる日本が次に対戦するのは、本日行われるタイvsトルクメニスタンの試合の勝者だ。 

    アジア大会サッカー決勝トーナメント (日本サッカー協会) 

    次の試合も日本が勝てば、おそらく準決勝で当たるのはイランだろう。反対側のブロックには、韓国、カタール、ウズベキスタンといった強豪の名前が見えるが、現在までのところあちら側では先のW杯メンバーが6人も入っている北朝鮮が最有力視されている。 

    インドのチームについて、個々には高い技量を持つ選手がいることは見ていてわかった。I-Leagueがスタートしたといってもまだ日が浅い。加えてかつての日本のJリーグにように国の挙げての盛り上がりを見せたり、サッカーが少年たちの必修科目のようになっているわけではないので、過大な期待をするわけにはいかない。むしろクリケット一辺倒の国にあって、息の長い活動を続けてくれることを願うべきだろう。 

    今日の試合もさることながら、来年1月のアジアカップを2か月後に控えて、インドのフル代表は、今月14日に行われたクウェートとの親善試合にて、1-9という記録的な大敗を喫している。これはインドサッカー史上ワースト2位のタイ記録となる。 

    Indian National Team Special: The Worst Defeats India Have Suffered (goal.com) 

    監督は釈明に追われているようだが、プロの世界は結果がすべてだ。インドのサッカー界を統括するインドサッカー連盟も頭を抱えていることだろう。これではせっかく力瘤込めてスタートさせたI-Leagueの名が泣く。 

    現在のアジア地域のサッカー勢力図といえば、韓国と日本が頂点にあり、これを北朝鮮とアラビアの産油国が追う形になっている。そこからやや下がった位置に中国があり、さらにタイをはじめとするアセアン域内のサッカー強国といった具合だ。 

    こうした力関係の中に、今後インドがどのように割り込んでくることができるのか、たとえ時間はかかろうとも、ウォッチングしていきたいと思っている。そもそもスタート地点が極めて低いことから、これからの伸びシロは大きいだろう・・・といった消極的なことしか今は口にすることはできないのだが。 

    インドU23チームの軌跡 (goal.com)

    ※先日の続き『Lonely Planet 2』は後日掲載します。

  • Lonely Planet 1

     ロンリー・プラネット社といえば、言わずと知れた世界中で売れているガイドブックの版元。 

    元々は主に欧米から世界各地を旅するバックパッカー向けの旅行案内書としてスタートしたが、今ではあらゆる層の旅行者たちがこれを手にあちこちを訪れている。 

    シリーズがカバーする国の多さ、それぞれのガイドブックで紹介されている地域やスポットが広範囲に渡っていること、旅行するに当たってのプラクティカルな情報量の豊富さと正確さが支持される理由の主たるものだろう。

    また広告収入に頼らないことからジャーナリスティックで客観的な記述がなされていることも重要だ。そのためシリーズ内のどのガイドブックもほぼ同様のフォーマットと視点による記述がなされている。 同社による一連のガイドブックはどれも一定のインターバル、概ね2~3年程度で版を更新というのもちょうど適当なところだろう。 

    各地の見どころそのものの紹介にはかなりあっさりしたものがあるが、これについては個々が興味のあるものについて他の書籍を買い求めるなりすればいい。旅行案内書としては、安旅行者から富裕層のバカンスまで、いずれにも対応する内容である。特定の国や地域については、同様に便利なガイドブックは出ているようだが、総体的には他社の追随を許さないものがある。 

    ベストセラーのガイドブックだけあり、世相を如実に反映する部分もあるようだ。travel survival kitと題されていた各国ガイドブックは、いつごろからかシンプルにtravel guideとなっている。大陸規模の広域ガイドブックのShoestringシリーズは、東南アジア、ヨーロッパ、中央アメリカ、南アメリカといったものは出ているが、アフリカシリーズ、南西アジアシリーズは絶版となっているようだ。 

    世界的な不況のためか、あるいは日本同様に若者たちの海外旅行離れがあるのかどうかよくわからないが、仕事を辞めてフラリと気ままに長い旅に出るという人が少なくなってきているのかもしれない。 

    その分、各国の都市ガイド、山や海あるいは特定の地域などに特化した案内書が増えている。インドに関するものだけ取り上げてみても相当な数になっている。

    India

    Northeast India

    South India

    Mumbai & Goa

    Goa Beaches

    Rajasthan, Delhi & Agra

    Trekking in the Indian Himalaya

    Asia & India: Healthy travel guide

    Hindi, Urdu & Bengali phrasebook

    India phrasebook 

    上記に加えて、North India, Delhi, Mumbai, Kerala, Goaといった、個々の独立したガイドブックが出ていたこともある。 

    <続く>

  • Iリーグで戦う日本人選手たち 2

    現在、Iリーグには、日本国籍である和泉選手以外に、オーストラリア、ガーナ、ギニア、セルビア、ナイジェリア、ブラジル等のプレーヤーたちが在籍している。ちなみにIリーグにはゴアをホームとするサルゴサールSCというチームにもう一人の日本人プレーヤーがいる。末岡龍二選手で、彼も自身のブログを公開している。 

    ブログに書かれたプロフィールにあるとおり、この選手もアルビレックス新潟シンガポールでのプレー経験があり、Jリーグのアルビレックス新潟に在籍していたこともある。その後、Sリーグ、タイ・プレミアリーグそして現在のIリーグとアジアのリーグを複数経験してきた猛者だ。 

    今年前半まで、同じくゴアを本拠地とするスポーティング・クラブ・デ・ゴアに所属していた新井健二という選手もいたが、現在シンガポールのSリーグに移籍している。この選手が運営するウェブサイト『海外で活躍する日本人サッカー選手』の中にアジア・オセアニア各国でプレーする選手たちに関する情報を集めた項目がある。オーストラリアはさておき、アセアン域内のサッカー王国タイでプレーする選手たちの中に、読売クラブのユース時代からJリーグのヴェルディ川崎で出場していた時代まで、当時の中盤の名手として知られていた財前宣之選手の名前を見つけて驚いた。 

    タイ・プレミアリーグのムアントン・ユナイテッドのウェブサイト中の選手紹介ページにアクセスしてみると、財前選手は背番号28とある。日本サッカーの将来を担うことを期待された選手であったが、度重なるケガに泣かされていたと記憶している。今はタイでどんなサッカー人生を送っているのだろうか。 

    欧米のリーグに渡った選手の場合と違い、日本のメディアで取り上げられることはあまりないが、とにかく職業としてサッカー選手をやるのだ、という強烈なプロ根性と情熱が感じられるとともに、個人の生き方としてより多くの魅力を感じる。Iリーグでインド各地を転戦する日本人選手たちはもちろんのこと、世界の様々な国々でプレーする彼らの今後ますますの活躍を期待したい。

    <完>

  • Iリーグで戦う日本人選手たち 1

    以前、2009年から今年までインドのIリーグに所属していた伊藤壇選手について取り上げてみた。その後、Iリーグに所属する他の日本人選手も取り上げてみようと思っていたが、しばらくそのままになっていた。 

    リーグにおける日本人第一号選手といえは、2006年から現在まで同リーグでプレーしている和泉新選手である。父親がインド出身の在日2世選手(日本国籍)として知られているが、Iリーグで初めてプレーする日本人選手がインド系であるということはちょっと因縁めいたものを感じる。和泉選手自身が近況を綴っているブログを読んでみると、本人がインド系であるということはほとんど感じられず、インドで暮らす普通の日本の青年といった印象を受けるのだが。 

    海外のクラブチームを渡り歩いている和泉選手だが、プロとしての最初のキャリアがシンガポールのSリーグというのが興味深い。当時の所属チームはアルビレックス新潟シンガポールである。 

    その名の示すとおり、Jリーグのアルビレックス新潟の関連団体である。クラブとしては独立しており、シンガポールを本拠地とし、現地のプロサッカーリーグのSリーグの構成メンバーであると同時に、アルビレックス新潟のサテライトチーム、つまり二軍にも当たる。 Sリーグでは、外国人選手の人数制限枠がないため、同クラブのウェブサイト登録選手紹介ページを参照してみると、全員が日本人ないしは在日外国人であることがわかる。 

    インド代表のエースストライカー、ブティヤー選手も所属するコールカターのキングフィッシャー・イースト・ベンガル・フットボールクラブを振り出しに、ムンバイーのマヒンドラー・ユナイテッド、そして現在はプネー・フットボールクラブでプレーしており、背番号8を付けているのが和泉選手だ。 

    Jリーグ出身のサッカー選手で欧州等のチームに移籍し、その活躍ぶりが日本に伝えられている選手は少なくないが、彼ら以外にも日本国外で活躍する日本人プロサッカー選手はかなりあり、その一例が和泉選手ということになる。 

    かつてJリーグの草創期で、欧州やラテンアメリカの国々の盛りを過ぎた有名選手たちとともに、自国ではあまり名前の知られなかった選手たちも、当時の日本で始まったばかりのプロサッカーリーグを大いに盛り上げてくれた。そうした中で日本人選手たちは良い刺激を受け、大舞台に憧れるサッカー少年たちの良き手本となった。今やワールドカップ出場常連国となった日本のサッカーのレベル向上に対する外国人選手たちの功績は大きかった。 

    前身のNFL (National Football League)からIリーグへと移行したのが2007年。ちょうど日本で1992年に、それまでの日本リーグを元にJリーグが発足したのに相当する。Iリーグは、インド初のプロリーグとして、この国でのサッカーの普及を目指しているわけだが、まだまだ歴史も浅ければ、人気もレベルも決して高くない。まさに今、その歴史の基礎が形作られつつあるフロンティアだ。 

    チームごとの外国人枠は4名。このうち同じ試合で3人まで出場できるようになっている。当然のことながら外国人選手は、一部の傑出した選手を除いた他のインド人プレーヤーたちより格段に高い技術と能力を持つ『助っ人』としての役割が期待されているわけだ。 

    <続く>

  • エアアジア(タイ) インド便就航間近

     これまでマレーシアからは、エアアジア(マレーシア)で、クアラルンプルからコールカーター、ハイデラーバード、バンガロール、コーチン、トリバンドラム、ティルチラッパリといったインドの都市へ、加えてエアアジア Xにてデリー及びムンバイーに向かうことができる。 さらに、今年12月1日からはエアアジア(タイ)によるタイのバンコク発のデリー便とコールカーター便が就航することになっている。 

    Thai Air Asia to launch Bangkok flights from Delhi, Kolkata (Deccan Herald) 

    旧来は西の方角にある国々(湾岸諸国等)との間のフライトが密であったインドだが、近年は東方向への便も数を増していることは、インドのASEAN諸国との接近ぶりを示すとともに、このあたりをも含めた地域大国として頭角を現しつつあることを反映している。 

    そうした中で、空のゲートウェイとしてバンガロール、ハイデラーバードその他の街がこれまで以上の存在感を示すとともに、他の大都市の発展と自らの停滞のため、相対的に経済的な魅力を失ってきていたインド有数の大都会コールカーターも、地理的にこれらの国々と近いことも幸いして、ここ発着の国際線に内外の航空会社次々に乗り入れするようになってきている。インドとその近隣国の距離は確実に狭まりつつある。 

    だが、ちょっと目を東に移して、もうひとつの大国である現在の中国の『横暴』について思いを巡らせておきたい。近年、日本のメディアのみならず欧米その他からも中国の脅威に関する様々な論調を目にする。以前のように是が非でも外国からの投資や技術等を呼び込もうと汲々とする国ではない。依然、貧富の格差が大きく、地域差も甚だしい社会でありながらも、総体としてはもはや日本を抜いて世界第二位の国内総生産(GDP)を誇る経済大国となった。 

    自国で蓄えた鉄道技術(元々は日本から与えられた技術がベースになっているにしても)を海外に積極的に売り込む、他の途上国へ援助攻勢をかける、地下資源等を確保するために世界各地へ進出していき、これまで彼らに様々な支援を与えてきた先進国と各地で利害が衝突し、火花を散らせるライバルにのし上がってきている。政治的にもそれらの国々を向こうに回して『大いにモノを言う』存在となった。 

    同様に、インドとその周辺地域との間の相互依存関係がより密で抜き差しならぬものとなったとき、かつ膨大な貧困層を抱えつつも、国家としては経済的に圧倒的な存在感を持つようになった暁には、どのような態度でそれらの国々に接するようになるのか少々気にかかったりもする。 

    国と国のエゴが衝突する外交の世界で、国と国との間の力関係によって、交渉の行方が決まる。立場の弱い側から見て『傲慢な大国』はあっても、『謙虚な強国』というのはあまり例がないだろう。 

    今の中国の姿は、将来のインドのそれときっと重なるのだろうと想像するに難くない。従前より南アジアで圧倒的な存在感を持つこの国が、周辺国に及ぼしてきた影響力の届く範囲が、さらに遠くへと広がっていくことは間違いない。 

    目下、ブームのこの国をもてはやすだけではなく、私たちはこの大国との将来に渡っての付き合い方についても、よく考えておくべきではないだろうか。

  • ナマステ・ボリウッド ムック・スートラvol.3

    ナマステ・ボリウッド ムック・スートラvol.3

     

    ナマステ・ボリウッド ムック・スートラvol.3のThat’s Bollywood 2000’sが発売された。 

    タイトルに『2000’s』とあるとおり、2000~2009年までのボリウッド映画の総まとめである。今年は2010年、ゼロ年代といえばつい昨年までのことだが、次第に遠い過去の話になっていま7。ボリウッド関係の書籍、とりわけ最近のものがほとんど存在しない日本で、こうした形で大きな変化と飛躍を遂げた映画界に関する出版物が出ることの意義は大きい。 

    2009年から2000年までの年ごとの主要作品と傾向を検証し、スターの世代交代や新たなカリスマの出現なども併せて、この10年間のボリウッドを俯瞰できる図鑑のような仕上がりだ。ページをめくっていると、大ヒットしたフィルミー・ソングや心に残るシーンなどが走馬灯のように脳裏を巡る。 

    1990年代以降、衛星放送の普及により、エンターティンメントの『グローバル化』の波がインドに押し寄せたこと、また各地で大型のシネコンが増えたこともあり、ボリウッドにおける映画作りが相当変化した。かなり乱暴な言い方をすれば、ボリウッドがハリウッド化してきたことにより、旧来の『インド映画圏』以外でも、充分観客のテイストに応えられる内容になってきたといえる。とりわけ2000年以降のゼロ年代においてはその傾向が急速に進んだ。 

    さらには近年、ボリウッドを巨大な市場として期待するハリウッド関係の資金が盛んに流入するようになってきており、インドでの興行収入はもちろんのこと、インドで製作された作品の国外でのロードショー公開なども併せて、急速に国際化が進展することになった。上映時間もずいぶんコンパクトなものが多くなっている。 

    そうした意味で、90年代前半の日本における『インド映画ブーム』は時期尚早であったともいえるだろう。当時、日本で公開された作品のタイプが重なっていたこともあるが、『踊る』『ハッピーエンド』『貧者が憧れるゴージャスな夢』などといったフレーズでインドの映画作品を語る論評が多く、それらの多くがそれまでインドの映画に縁のなかった映画関係者たちから頻繁になされていた。 

    そうしたスタンスで映画の興行がなされていたこと、それらを取り上げるメディアもその物言いを増幅して日本社会に喧伝したため、インドの映画に対するステレオタイプなイメージが定着することになった。ブームが一服すると従来の映画好きの人たちの間では『メッセージ性がなく中身もない映画』『長すぎて疲れる』となり、それ以外の人たちからは存在さえも無視されるような・・・としては言い過ぎかもしれないが、総じてB級、C級以下の作品群であると一括りにされてしまっているようであることが残念だ。 

    ひとたび固定観念化してしまうと、それを拭い去るのは難しい。少なくとも当時の『ブーム』の記憶がある世代の間でインド発の映画に対するネガティヴなイメージがある限り、どんなに良い作品が日本で公開されても、特にインド映画に関心のある人でなければ映画館に足を運ぼうとはあまり思わないようだ。 

    そうしたイメージを抱いている観客を相手に、興行会社も二の足を踏んでしまうのも無理はない。そもそも興行側にしてみてもインドの映画といえば『踊る×××』『やたらと長い』という認識しかないのかもしれない。 

    近年大きく変貌しているボリウッド映画作品。それがゆえに前述のとおり、都会のシネコン向けの映画が増えているが、これにより取り残される形になったそれ以外のファン層を狙ったボージプリーその他の方言による映画も隆盛するという多層化の時代を迎えている。

     こういう時代なので、本来ならば今こそ日本でのヒットを狙うことのできる作品が多く出てきているはずなのだが、それらの多くは日本国内での映画祭での公開に留まってしまうのは、やはり90年代前半に突如訪れた『インド映画ブーム』の影響を引き摺っているという部分が大きいのだろう。 

    ボリウッド作品を含めたインド映画とはいかなる形においても無縁で真っさらな状態であれば、より多くの人々が『IT大国の映画って何だろう?』と純粋な好奇心で映画館に足を運び、スクリーン上で展開しているストーリーとまっすぐに向かい合いことができたのではないかとも思う。メディアという限りなく大きな影響力を持つ存在によって創り上げられた『イメージ』が日本市場におけるインドの映画作品参入の障壁となっているとすれば、あんまりな話だ。 

    もちろん今となってはそんなことを言っても仕方ない。まさにそういう状況を打開するために渾身の力を込めて頑張ってくれているのがNamaste Bollywoodであり、今後益々の発展を期待したい。 

    幸いなことに、今の20代前半までの年齢層の人たちは、昔のインド映画ブームによる刷り込みがなかったり、そもそも記憶自体が存在しなかったりする。同時に余暇や趣味の時間が充分に確保できる年代でもあることから、前述のような状況は今後大きく変わっていくものと思われる。もちろんインドという国に対するイメージについても、それより上の年齢層とはかなり異なるものがあるとともに、ボリウッド作品内容の普遍化、グローバル化という流れもあり、今後興味、関心を持つ層が急増しないまでも、年々拡大していく下地はあるはず。 

    今回のThat’s Bollywood 2000’sにて、様々なジャンルの作品の紹介のみならず、巻頭ではゼロ年代の主要作品の海外ロケ地(非常に多くの国・地域が世界地図上に書き込まれている)とともに、これらの映画に出演している俳優、製作者、音楽関係者等のプロフィールにもページを割いてあり、ボリウッド映画の多様性を実感できるつくりになっている。『ゼロ年代のBollywoodを語る』という対談記事と合わせて、今のボリウッドを知るため大いに役立つことだろう。 

    また欄外にもボリウッド映画の予備知識、ゴシップ、スターの来日に関するもの等々の記述がふんだんに散りばめられているなど、寸分の隙もなく充実した内容になっている。グラフィックの美しさはもちろんのこと、豊かなコンテンツとともにボリウッドに対する限りない愛情と情熱に満ちたお薦めの一冊である。

    購入先についてはこちらをご参照願いたい。

  • 日本でムスリム観光客増加の気配

    クレセント・レーティングをご存知だろうか。『Halal Friendly Travel』をモットーに、イスラーム教徒が利用しやすいホテル、レストラン、空港、パッケージツアー、医療等に関する情報を提供しているサイトだ。ホテルについてはハラールな食事を提供しているか、ムスリムの礼拝に対する配慮があるか等々の観点による格付けもなされている。 

    同サイト内ではイスラーム教徒向けの旅行書籍(?)の販売も行なっている。 スリランカ出身のムスリムのビジネスマンが立ち上げたサービスだが、その目新しさからちょっと注目されつつあるらしい。 

    ところで、もともと土地っ子の間でムスリム人口がほぼ皆無に近く、これまでムスリムの人々による訪問も少なかった日本では、当然のことながら食事その他さまざまな面において『ハラールな』環境を得がたいのは無理もない。 

    その日本では、2008年10月に設置された観光庁が、ビジット・ジャパンというキャンペーンを通じて、訪日外国人3,000万人という目標を掲げているところだが、訪日外国人旅行者数の多い15の国・地域(アメリカ、イギリス、インド、オーストラリア、カナダ、韓国、シンガポール、タイ、台湾、中国・香港、ドイツ、フランス、マレーシア、ロシア)を重点国と定めてプロモーションを展開している。 

    それらの中でもっとも効果が顕著なのは、中国大陸からの日本渡航者に対する査証取得条件の緩和による中国人観光客の急増だろう。このところ尖閣諸島を巡る政治問題によって訪日予定者の中から多数のキャンセルが出ることによりブレーキがかかった感はあるが。 

    しかし中国が安定した経済成長を続けている限り、地理的に至近で有利であること、元々中国人たちの中で日本に対する関心が高いことから、今後とも急カーヴを描いて訪日者数が増加していくことは間違いないだろう。 

    さらには来年度からサウジアラビアとアラブ首長国連邦もこの『重点国』に追加されることが予定されているという。両国とも豊かな産油国で可処分所得が高く、滞在中の客単価が高いであろうことが期待されているようだ。 

    ちなみにムスリム観光客による旅行市場は、全世界で再来年あたりには8.5兆円という巨大なものとなることが予測されており、日本もその流れに乗り遅れないようにと、手始めにこの2か国(サウジアラビアとアラブ首長国連邦)を重点国に指定したという経緯がある。 

    同時に日本での観光客としてはあまり馴染みのなかった人々で、受け入れ側としてもムスリム客誘致のノウハウがほとんどないこともあり、訪問者を送り出す側の国では訪日関連、また受け入れ側となる日本のほうでもムスリム客誘致関係といった、新たな商機が生まれることが期待されている。 

    同時に、これまで日本国内では、ハラール食材、映画等の娯楽関連、安い国際電話カード等といった、主に在日の南アジアや東南アジアのムスリムたちの日常生活に必要なものをまかなう程度で、ごくごくニッチなマーケットであった『ムスリム関係市場』が、豊かな産油国からやってくる観光客という新たな顧客を得て、価格帯や品揃え等もこれまでとは異なる次元のものへと発展していく可能性も秘めている。