Googleで眺める景色1 マングローブの大森林

 Google EarthでもGoogleマップでもいいのだが、ベンガル地方のスンダルバンの様子を見てみよう。 

茶色がかった薄緑になっているエリアと濃い緑色になっている地域とが鮮明に分かれている。これは植生の違いによるもので、前者は地元の人々の開墾地、後者は国立公園として保護されている土地だ。 

ガンジス河下流のデルタ地帯の南端に位置し、土地の高さがほとんどないことから、入り組んで流れる大河の河口に点在する無数の島のようになっている。 

とりわけモンスーン期には、地形がかなり変わるはずだし、水の流れに削り取られる土地があるいっぽう、新たに土砂が堆積して出来上がる土地もあるはず。拡大して仔細に眺めてみると、開墾地の中にも無数の水の流れがあり、多くは人の手によって水路として調整されているようだ。地味豊かで水量豊富で温暖なこのデルタ地帯は、世界有数の米どころでもある。 

だが大自然は人の手で管理しきれるものではない。とりわけこのような大河の最下流地域では。地表の画像はときどき更新されているが、少なくとも今日現在公開されているものでは、明らかに水没していると見られる広大な開墾地もある。 

深い緑に包まれた保護地域の側は、世界最大のマングローブの密林。その中を流れが幅や方向を複雑に変えながら進む無数の流れが見て取れる。 

スンダルバンのマングローブのジャングルは、国境をまたいでインド側はSundarban National Parkとして、バーングラーデーシュ側はSundarbansとして、ともにユネスコの世界遺産に登録されている。 

以前、『スンダルバンへ』と題して、インド側の国立公園を訪れたときのことを書いたが、いつか機会があれば東側のバーングラーデーシュの側にも行ってみたいと考えている。

しかしながら、同じひと続きの広大なマングローブの大森林を分け合っている両国が、その保全を共同で担うとともに、貴重な自然遺産であるとともに大きな観光資源でもあるこの地域を相互に行き来できるような時代が将来訪れないものだろうか、とも思う。 

開発が厳しく制限されている地域であり、大河の河口地域の湿地帯という地理条件もさることながら、トラやワニなどといった危険な肉食動物が徘徊するエリアでもあることから、観光客が自前の足で自由に見物できるよう具合ではない。少なくともインド側では基本的にツアーボートでのみ訪れることができるようになっており、上陸できる地点も限られている。 

そうした意味で観光客の出入りを管理しやすいということもあり、インド・バーングラーデーシュ双方が合意のうえで、共同で観光業の振興を図ることはあながち不可能ではないように思われる。文化遺産においても両国にまたがって関連する遺跡が散在している。またガウルのように、遺跡群そのものが国境を境に分かれているものもある。 

東南アジアに目を移せば、タイ・カンボジア国境のカンボジア側にあるカオ・プラ・ヴィハーン遺跡(タイ側が領有を主張しているがカンボジアが実効支配している)のように、訪れる人々のほとんどがタイからやってくるような場所もある。自国領であると主張するタイ側のチェックポストの類はないが、カンボジアの側ではイミグレーションらしき簡素な施設があり、パスポートのチェックがなされるものの、ヴィザは不要で入国印が押されることもない。ちなみにGoogleで表示されたロケーションはこちらである。 

両国の係争地となっているにもかかわらず、どちらも観光に力を入れている国であるがゆえに、地域振興や外貨収入等を目的に観光客に広く公開されているようだ。『カンボジア側』にある同遺跡を訪れるために、バンコクから直接乗り入れるツアーバスもあれば、比較的近いところにある大きな街のウボン・ラチャタニーからタクシーをチャーターする人も多い。タイ東北部には他にも大きなクメール遺跡は多いが、その中でもハイライト的な存在である。 

遺跡の入場料の収入は、カンボジア側に落ちることになるが、タイ側でも遺跡の手前にある事実上の国境にたどり着く前にチェックポストがあり、観光客は『国立公園入場料』名目にて一定の料金を支払わされる。この国立公園内にいくつかクメール遺跡が散在しているものの、カンボジア側にあるカオ・プラ・ヴィハーン見物以外の目的でここを訪れる人はほとんどいないため、タイ側で徴収する同遺跡の入場料ということになる。 

カンボジア側にしてみても、このあたりは反政府勢力の軍閥クメール・ルージュが拠点としていたエリア界隈で政府側が確保していた飛び地のような存在であった。内戦終結後もしばらく1990年代末あたりまでに多くの有力幹部が投降するまでの間、不安定な状況が続いていた。今でもカンボジアで最も多くの地雷が残されている地域のひとつとして知られている。 

そんなわけで、カンボジアとしても『自国領内』にありながらも、アンコール遺跡を訪問する観光客をそのままこちらに誘導するには困難なものがあったため、『国境の向こうのタイ』側からお客を誘致する必要があった。 

そうした具合に、要は観光業による収益の確保という極めて実利的な目的のもとに両国の思惑が一致しているがゆえに、実際に幾度か銃火を交えての紛争の舞台ともなった係争地でありながらも、カジュアルないでたちの観光客たちが日々押し寄せるという平和な光景が実現されている。 

タイから見れば観光客たちは自国内の遺跡を観光するのだから出入国管理のようなものはない。カンボジアにしてみると、タイ側から人々が入ってくるので、一応イミグレーションのようなものはある。だが手続きは省略されているため、この遺跡を見物するのにヴィザは要求されず、出入国印が押されることもない。 

話は大きく逸れてしまったが冒頭のスンダルバンの関係に戻る。 

もちろんインド・バーングラーデーシュ間には、タイ・カンボジア間とは異なる事情がいろいろあり、スンダルバンは単一のスポットではなく極めて広大なマングローブの大森林であるなど、地理的な条件もまったく違う。もちろん両国の係争地などでもなく、デルタ地帯の末端にあるため地形が変化しやすいとはいえ、インドとバーングラーデーシュの間の境は決まっている。 

だが仮に将来、両国間にまたがっての壮大な『スンダルバン観光』が可能となったならば、東西ベンガルの観光の魅力が今よりもよりインパクトの大きなものとなることであろう。スンダルバン以外にも、潜在的な観光資源は豊富に国であるものの、知名度においてインドに対して甚だしく劣るバーングラーデーシュにとっては利するものがとても多いように思われる。

 もちろんスンダルバンに限らず、狭い国土のバーングラーデーシュは、それを取り囲むインド東部の各地からのアクセスは入国可能な地点は限られているものの、かなり良いといえる。また西ベンガル州都コールカーターからインド北東州のアッサム、メガーラヤ、トリプラー等を陸路で訪れようという場合、バーングラーデーシュを通過すると近道であるうえに、同国の見物もできるという一石二鳥の観があった。 

『あった』と過去形で書く理由は、ご存知のとおり今から一年近く前に導入されたインドのヴィザの『2カ月ルール』がそのゆえんである。隣国と合わせて訪問する場合、ヴィザ申請時点で、余所への一時出国で出入りする地点や時期などの詳細が決まっていれば融通は利くようだが、たまたま近くまで来たからこちらも訪れてみよう!というのは難しくなった。 

インドと合わせてこの国を訪問する人は相当あるはずだ。この2カ月ルールの導入により、インドを経由して訪れる人が減っているのかどうか調べたことはないが、もしそうであるとすれば非常に残念なことである。

 <続く>

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