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  • コールカーターの「魯迅路」と「中山路」3

    コールカーターの「魯迅路」と「中山路」3

     

    情勢としては大量流出が続くコールカーターの華人社会。最盛期には1万5千人とも2万人とも言われた人口は今や5千人を割り込んでいるということだが、ごくわずかながら現在もごく少数の大陸からの「流入者」があるのだという。 

    もちろんその中には今の中国の強大な資本力を引っ提げてインドにやってくる大陸のビジネスマンは含まず、この土地に根を下ろして長らく暮らしてきた「加城華人」コミュニティに加わる人々のことだ。 

    それらの人々は具体的には客家系、広東系を中心とする、コールカーター華人たちの父祖の故郷との縁が関係しているのだという。もちろんあまり一般的ではなく、ごく少数の例に限られるが、そんな遠い繋がりを頼りに中国の田舎からインドのコールカーターまで嫁入りしにくる女性たちがいるだという。すでに長きに渡って華人社会が確立されてきた街ではあるものの、出身地の環境とのあまりの違いに馴染めず実家に逃げ帰ってそれっきり、という例も少なくないと聞くのだが。 

    いっぽう、北米、オセアニア、欧州、東南アジア等へと流出した人々の中で、圧倒的に多い移民先がカナダである。なぜカナダか?という点についてはまだよく知らないのだが、資産や生産手段を持つ人の移住に対して寛容で、すでに出来上がった華人社会があり、かつ生活水準や期待できる収入レベルなど、好条件が揃っているのだろう。加えて、先行して移民していった人々の中に、移民ネットワークを取りまとめる成功者や有力者などが複数あることなどが推測できるが、後に機会があればこれについても調べてみたい。 

    そんなわけで、多くのコールカーター華僑にとってカナダといえば「身内や知人」がいるという身近な国ということになるらしいが、いっぽうコールカーター等からカナダに移民した人々にとってコールカーターひいてはインドへの「故郷」としての意識も強いようで、「インド華人」のコミュニティ内での様々な活動がなされているようだ。 

    ネット上にもこうしたコールカーター華人の移民たちによる印華文化發展協會 (The Indian Chinese Association)というものがある。過去の記事に遡って読んでいくと、ところどころにインドやコールカーターにまつわる記事が散見される。「インド出身客家人」「コールカーター生まれの広東人」などといった、グローバルな華人社会の中ではちょっと異色なアイデンティティを維持していることがうかがわれるようだ。 

    <続く>

  • コールカーターの「魯迅路」と「中山路」2

    コールカーターの「魯迅路」と「中山路」2

     

    話は「魯迅路」と「中山路」に戻る。このふたつの通りを結ぶ、いくつかある路地の中のひとつで毎日朝市が開かれている。「魯迅路」ことNew CIT Rd.とLower Chitpur Rd.の交差点のから東側ひとつ目の路地である。コールカーター警察の本部もちょうどそのあたりにある。 

    かつて、ここは文字通りの「チャイナタウン」であったエリアだ。1959年に発生した中印紛争が1962年の大規模な武力衝突に至るにあたり、それまで近隣の人々と共存してきた華人たちだが、突如として「敵国人」としての扱いを受けるようになる。

     深夜、自宅に警官たちが突然押しかけてきて、有無を言わせずに連行してしまう。彼らは往々にしてラージャスターンのデーウリーにあった強制収容所に送り込まれてしまった。第二次大戦時に英領であった各地、主にマレーシアやシンガポールといった地域に暮らしていた日本人たちが収容されていたあの場所である。 

    カルカッタ以外にも現在のインド北東州の都市(アッサム、アルナーチャル・プラデーシュ、メガーラヤ)にも相当数の華人たちが暮らしていたようだが、このあたりは中国との国境近い地域ということもあり、同様に厳しい取り締まりがなされたようだ。 

    もちろん現金等を巻き上げる目的で華人たちを相手に荒らしまわった警官たちもあっただろうし、華人の商売敵を陥れる目的で警察に接触した個人もあったことだろう。戦争を機に官民挙げての「反中国」感情の嵐が吹き荒れた時代だ。たとえインド国籍をすでに取得していようが中国系という血筋自体によって、北京の回し者と疑われるのが当然であったという。 

    幸いにして具体的なトラブルに巻き込まれずに済んだ人たちも、いつ自分たちの身にも降りかかってくるかもしれない「深夜のノック」を恐れつつ生きていかなくてはならなかった。 

    屈辱と収容所の劣悪な環境の中で耐えて、ようやく釈放されて元々の居住地に戻ると、家、店舗、工場といった資産は知らぬ間に政府に取り上げられて競売にかけられていた、といったケースも多かったという。こうした華人に対する猜疑と弾圧の時代以降、華人たちが一気に国外へ出て行ったのは自然な流れである。 

    中国大陸での国共内戦以降、他国の中国人居住地で往々にしてそうであったように、コールカーターの中国人コミュニティの中で「どちらの祖国」を支持するかで、いろいろあったようではある。だが政府をアテにすることなく、自らの才覚、勇気と勤勉さをもって外国で道を切り拓いてきた多くの華人たちにとって、祖国の戦争にしろ政治にしろ、彼らが直接関わりを持つ類のものではない。 

    居住国であるインドに対して仕掛けた戦争に対する祖国の責任を負わされ、華人であるがゆえに商売がうまくいかなくなるどころか、警察に連行されて強制収容所送りで生命の危険もあれば、財産まで取り上げられてしまう・・・ともなれば、より安全で公正な土地を目指していくしかない。 

    これらの極端に行き過ぎた「華人排斥」時代はそう長くは継続しなかったものの、戦争をきっかけとする「中国の衝撃」のインパクトが強かったこと、中国がパーキスターンと親密な関係になっていったことなどから、華人たちに対する猜疑心、不信感や行政等による嫌がらせは続いた。

    中印紛争をきっかけとする弾圧以降は華人人口が大きく減っており、とりわけ財力や能力があり、社会・経済的な影響力の大きい層によるインドからの脱出が多かったこともあり、中華街の活力やコミュニティの経済力を大幅に削ぐことになったようだ。当時から現在に至るまで、特に若い世代ほど海外移住志向が強いとされる。 

    コールカーターのもうひとつの中華街、市の東南部のテーングラー地区には培梅中学という中文系の学校があるが、この「魯迅路」「中山路」を中心とする旧中華街にも、かつては華語で教える学校があったという。華人人口の大幅な減少とともに、英語を身に付けないと仕事ができないということから入学を希望する生徒が少なくなったことから消滅したという。 

    <続く>

  • コールカーターの「魯迅路」と「中山路」1

    コールカーターの「魯迅路」と「中山路」1

     

    ふと目が覚めると外はまだ暗い。早朝のコールカーターは、昼間の喧騒とクルマの多さがまるでウソのようにガラガラだ。人々は一体どこからやってきて、どこに帰っていくのだろうか?とさえ思う。 

    ともあれ早起きは三文の得なのかどうか知らないが、ともあれコールカーターの朝といえば、まずは中華朝市に向かうのが私の習慣になっている。 

    本当は日曜日が最も露店が多いし、休日のため華人たちの人出もやや多くて良いのだが、平日であってもなかなか楽しい。肉まん、シュウマイ、蒸し餃子、中華風スープなど本格的な中華軽食が待っていてくれるのはこの地域を置いて他にない。この朝市を簡単に紹介する以下のようなビデオがある。

    Kolkata Chinatown Breakfast (Youtube) 

    とりあえずタクシーをつかまえて朝市に向かう。地下鉄ならばセントラル駅北口に出て、目の前のNew C.I.T. Rd.(少し西に進むと通りの名がIndia Exchange Plaxe Extn.に変わる) を少し西に向かったところにある。この通りは別名Lu Shun Saraniと言う。 

    Lu Shunとは、中国のピンイン式の表記ならばLu Xun即ち20世紀初頭の中国の作家、鲁迅のことである。この「鲁迅路」のすぐ南にはSun Yat Sen St.がある。これまた中国に因んだ名前だ。Sun Yat Senとは孫逸仙こと孫中山、言うまでもなく孫文のことである。そのためSun Yat Sen St.とは、中国や台湾の街で言うところの「中山路」となる。いかにも「中華街」らしい。ここからしばらく西に進むと、Old China Bazar Rd.という通りも見受けられる。かつてこのあたりに華人たちが多数居住した名残だろう。 

    今でも華人たちによる食堂、靴屋、美容室、ドライクリーニング屋などといった、いかも華人的な商売の店が少なくない。加えて建築資材や塗料その他の店や小規模な会社のオフィス、中国寺院、同郷会館といったものが点在している。このエリアはムスリム地区に隣接しており、元々中国人たちの下で働くムスリムの人たちが多かったこともあり、旧来から出入りは多かったはずだが、「ここが旧中華街である」と言われなければ、ワーキングクラスのイスラーム教徒たちが多い地域だとしか思わないはず。 

    路地を歩きながらよくよく眺めてみると、苔むした中華風の雰囲気を漂わせるボロ屋を出入りする彼らは多いが、華人の姿はごくごく少ない。ゆえに「旧中華街」と表現するのが適当だ。それでも最近はコールカーターの外から来たインド人観光客がグループや家族連れなどが、わざわざ早起きしてこの朝市を訪れ、シュウマイその他のスナックをつまむというケースが増えてきているのだとか。 

    <続く>

  • プリペイドのモバイルインターネット接続

    プリペイドのモバイルインターネット接続

    撮影した画像データのバックアップ、WiFi環境のあるところでのインターネット接続等々の目的で小型のラップトップパソコンを旅行先に持参する人は多い。  

    私も同様で、いつも自宅からパソコンを持ち出している。自前の機器がありながらも、メール等のチェックはネットカフェで、というのも変な話なので、vodafone直営店でプリペイドのネット接続プランを購入してみた。   

    現在までのところ、2Gによるサービスのみであるとのことで、通信速度は最大で256kbpsであるとのこと。まもなく3Gのサービスが導入されると、3mbpsの速度となるとのことだ。   

    費用としては、インターネット接続に要するUSBスティックの購入代金(今後必要に応じて幾度でも再利用できる)として1558 Rs、SIMカード購入代金は62 Rs、プリペイドの通信費が98 Rsである。プリペイド代金は通信データ量2GBに達するか、利用開始日から30日間経過するまで有効だ。

    USBスティックの中にSIMカードを挿入し、パソコンに接続して使用する。これは、3Gによるサービスが導入されてからも変わらず使用できる。しばらくモバイル通信が必要な時期のみ利用するといった具合でも、経済的な負担が少ないため、気楽にプリペイドプランを手に入れることができる。   

    費用以外に、一時滞在の外国人の場合はパスポートの個人情報ページ、ヴィザと入国印のページのコピーの提出が求められる。

    まずはUSBスティックをパソコンに差し込むと、自動的に通信用のソフトウェアのインストールが始まる。しばらくしてこれが完了してから、通信ソフト上に表示されている「connect」ボタンをクリックすると、インターネットに接続できる。 

    ブロードバンド環境に慣れていると、やたらとスローに感じられる速度かもしれないが、従来のモバイルPCネット接続としてはこんなものだろう。 

    都市部の同じ場所でも、時間帯によってはあまりに遅すぎてメールの送受信さえもできないことがあるいっぽう、深夜や早朝はほぼ最大限の速度が出ていると思われることもある。時間帯によるトラフィックの過多が如実に影響するところを見ると、通信インフラ自体の規模自体にまだまだ問題があるのだろう。 

    最初に契約した州の外で使用するとローミング扱いになる。かといって契約したデータ通信容量上限や有効期間が変わったりするわけではないようだ。 

    通信が非常に込み合う?夕方の一部の時間帯を除き、ほぼ普通に操作できた。スカイプも試してみて日本までかけてみたのだが、やはり通信速度が足りないため、通話不能というわけではないが、音質は実用レベルとはいえなかった。でも3Gサービスが開始されればスカイプをはじめとする通話ソフトも充分使えるだろう。 

    旅行中くらいはネット環境から解放されてもいいのではないかとも思うのだが、普段当たり前にあるものが滞在先の部屋にないと非常に不便に感じてしまうのである。何か大事な連絡も来ているかもしれない。 

    必要があればネットカフェに出向けばいいのだが、そのためだけに30分なり1時間なりを費やすのはもったいない気がするのだ。自室でテレビ見ながら、あるいは部屋に運ばせた料理を食べながら、片手間でチェックできるのがいい。 

    あるいは深夜や早朝といった外の店が開いているはずもない時間帯に、ふと思い付いてチラッと調べものをしたりできるのもいい。そもそもいつも使っている自分のPCなので安心だし、人とやりとりするデータだってそこに入っている。 

    だが今回手に入れたプリペイドのプランのおかげで、携帯電話の電波圏内ならば、どこからでもネットにアクセスすることができるようになった。いい時代になったものだ。 

    私がこのプリペイド契約を購入した数日後から、vodafoneが提供するプランはもっと料金が高くて利用可能データ量も多いものに置き換わっている。これは近日導入される通信形式の3G化により、ユーザーたちがより通信量の大きな使い方をするであろうことを踏まえてのことだろう。 

    他にも通信各社いろいろなプリペイドの通信プランを出してきているので、いろいろ比較してみて、自分の用途や使い方にあったものを見つけてみるといいだろう。

  • 求人 ST限定

     Tribal Jobs Indiaというウェブサイトがある。留保対象となっているSTつまり指定部族対象の求人情報を集めたもので、金融、エンジニア、保険、IT、法曹、医療等、様々な分野での募集が掲載されている。 

    年齢制限についての部分で、しばしば『5 years relaxation for SC/ST』などと書かれているものがほとんどだ。こうした人々に対して留保枠そのものだけではなく、年齢上限についても緩和されるのだろう。 

    留保制度のありかたや意義についてはいろいろ議論のあるところだが、こうした留保による求人・就職について、今後機会をもうけて考えてみたい。

  • AFC Asian Cup Qatar 2011

    2011年1月にカタールでAFC Asian Cup が開催される。 大会スケジュールについてはこちらをご参照願いたい。 

    この大会にエントリーするのはインドを含めた16か国。A組からD組まで、それぞれ4チームずつが総当たりで戦い、それぞれの組の上位2か国が決勝トーナメントに進出する。 

    組分けについては以下のとおりとなっている。

    A組 ウズベキスタン・カタール・クウェート・中国

    B組 サウジアラビア・シリア・日本・ヨルダン

    C組 インド・オーストラリア・韓国・バハレーン

    D組 アラブ首長国連邦・イラク・イラン・北朝鮮 

    A組とD組はどこも実力伯仲した激戦区だ。A組については、アラビア半島の2か国に対して欧州スタイルのサッカーを展開するウズベキスタンと高い技術と体力に恵まれた中国が絡むという面白い展開が予想される。D組についても、手堅い守備と鋭いカウンター攻撃を見せる典型的なアラビア式のサッカーを仕掛けるアラビアの雄のひとつ、アラブ首長国連邦が楽しみだ。アラビア半島の多くが伝統的にこのスタイルのサッカーを得意とする。 

    中盤での華やかな展開をあまり見せることなく、自陣に引いて堅く守り、相手が人数をかけて攻め入ってくると、一気にボールを奪って少ない手数で敵ゴール前に迫り、高い個人能力を持つ前線の選手が得点して守りきるというサッカーは、この地方の気候が大きく影響しているのではないかと思われる。『砂漠の暗殺者』と形容したくなる試合運びは、アラビア半島の多くの国々に共通して見られるものだ。 

    アラブ首長国連邦と組を同じくするイラクは、湾岸戦争前まではこの地域としては珍しく日本のような組織的なサッカーを見せる国であったが、やはりその後の地盤沈下が著しい・・・と思われていたが、前回2007年にASEAN4か国(インドネシア・タイ・マレーシア・ベトナム)がホスト国となって開催した大会で優勝を飾り、強豪復活を印象付けた。 

    アラビア地域とは隣接していながらも、これらとは対照的に強力な中盤を軸にスペクタクルな『ペルシャ式』の試合運びをするイランだ。『アジアのスペイン』と表現しては大げさ過ぎるだろうか。加えて先の南アフリカで開催されたワールドカップにて、アジア・オセアニアのプレーオフでなんとか最後に引っかかって出場できた北朝鮮。本大会では無残な成績しか残せなかったが、アジア地域では押しも押されもせぬ強豪国のひとつだ。 

    B組については、サウジアラビアと日本が突出しており、とりあえずはいい組に入ったと言えるだろう。私たち日本人としてはグループリーグについては落ち着いて観戦できることと予想される。 

    C組は、インドのサッカーファンにとっては悲劇的な組み合わせだ。アジア・オセアニア地域のトップレベルのオーストラリアと韓国、近年伸長著しく現在のアラビア半島の強豪国のひとつに数えられるバハレーンと戦うことになるからだ。なんとか一矢報いて欲しいものだが、実力差から考えると3試合でインドが白星を挙げる可能性は限りなくゼロに近く、開幕前から悲観的になってしまう。 

    AFC Asian Cupは、アジアの東端と西端、つまり東アジアと中東が覇を競う大会となっており、1976年大会以降はそれ以外の地域がベスト・フォーに顔を出した例はない。インドが1964年大会で準優勝に輝いたという事実は、歴史のはるか彼方の『故事』となってしまっている。

  • ダルバンガーのV君

    昨年のことだが、デリーの国際線ターミナルビルで、そろそろ東京行きのチェックインカウンターに並ぼうとしていたときのこと、あるインド人青年が声をかけてきた。   

    『チェックインはどうすればいいんですか?』との質問。ちょうど私と同じフライトなので、一緒に並ぶことにする。日本に来て何をするのかと問えば、『レストランでコックとして働く』とのこと。東京都内のあるインド料理屋での就業が決まっているのだそうだ。   

    現在26歳のV君は、ビハール州北部ダルバンガーの出身。これまで州都パトナーの大手ホテルのレストランの調理の仕事をしていたのだそうだ。   

    彼はこの日の朝早くにデリー到着の鉄道にて、生まれて初めてインドの首都に降り立ったとのこと。そしてもちろん、飛行機に乗るのも初めての体験で、いかにも緊張した表情である。   

    セキュリティチェックの際にスタンプを押されるため、チェックインカウンターに置かれている紙の手荷物タグを付ける必要があること、また出国カードを一枚取って記入しなくてはならないことなどを教えてあげるが、V君は英語について会話はもちろん読み書きもできない。仕方なく全て書いてあげてサインだけさせる。   

    V君には兄が3人、姉が2人で皆結婚している。まだ独身の彼は末っ子で両親から特に可愛がられて育ったらしい。『インドを出る前にオヤジに電話しなくちゃ』という彼は、あたりを見渡すがSTDブースらしきものは見当たらない。   

    私の携帯電話(インドのvodafone)を使わせる。『同じフライトで行く日本の友人が出来た。その人から電話借りてかけているんだ。東京の空港ではレストランの主人が迎えに来ている。東京までは今隣にいる日本の友人と一緒だから安心だ。心配しないでいいよ、オヤジ・・・』   

    しばらく携帯で会話していた彼が『父が話をしたいそうです』と私に携帯電話を差し出す。家族の中から初めて海外出稼ぎを送り出すのだという父親の心配そうな様子が伝わってきた。とりあえず『ええ、息子さんと同じフライトで東京まで行きます。直行便ですから乗り換えなしで東京に到着します。私が一緒ですから、どうかご心配なく』と言っておく。 

    彼自身も電話の向こうの父親も、まだ見ぬ異国日本に行くという不安な中、コトバが通じる日本人が一緒ということが心強いようだ。待合ロビーの売店で雑誌類を物色していると、彼は菓子やジュースなどを買ってきてくれた。   

    そんなわけで飛行機に搭乗するなり、V君は客室乗務員に頼んで私の横に座りたいと頼んでいる。初めての飛行機で離れているのが不安らしい。 

    出発の準備が整い、飛行機は滑走路へと進む。客室乗務員すべてが着席してエンジンが唸りを上げてフル回転し始める。機体はどんどんスピードを上げていき、やがてフワリと宙に浮かんで一気に高度を上げていく。窓際に座ったV君はその間とても無口で強張った表情をしており、まばたきもせず眼も据わっている。相当緊張しているようだ。 

    しばらくしてから出てきた機内食を食べてビールを飲むと眠くなってきた。故郷のこと、家族のこと、パトナーでの仕事のことなどいろいろ話をしてくれるV君には申し訳ないのだが、そのまま寝入ってしまう。目が覚めると成田到着まであと2時間くらい。ちょうど簡単な朝食が出てくるところであった。   

    機内で出入国カード(外国人のみ)と税関申告書が配られる。V君はまたこれがわからないのでこちらが書いて、さきほどと同じようにサインだけさせる。 

    税関申告書には所持金についての部分もあった。人のお金について尋ねるのは気が進まないが仕方ないので質問すると320だという。『320ドルか、外国に行くのには少ないね』と言うと『いや320ルピーです』と言うのでビックリ。昨夜、デリーの待合ロビーで買ってきてくれたジュースや菓子類だけでも所持金の三分の一くらい使ってしまったのではないだろうか。

    成田空港に到着。到着が少し遅れているし、誰も空港に迎えに来ていないと心配なので、今度は日本の携帯を取り出して彼の雇用主の番号にかけてみた。呼び出し音が鳴るとすぐにインド人が出た。すでに出口で待っているとのことなので、電話をV君に代わる。 

    『それじゃ、仕事がんばって』

    「デリーから一緒に来るこができて良かったです。いつかぜひ私のレストランに来てください」

    荷物が出てくるターンテーブルの前でV君と別れた。 

    あれからしばらく経つが、彼は元気で働いているだろうか。

  • 番外 Googleで眺める景色 チリカー湖

    番外 Googleで眺める景色 チリカー湖

     オリッサ州のチリカー湖といえば、世界で2番目に大きな汽水湖として知られている。太古には湾であったものが、潮流の関係でサンドバーが形成された結果、奥行きのあまりない低地に遮られた湖が出来上がることになったとされる。 

    例によってGoogleで眺めてみても、非常に面白い地形であることがよくわかる。長く続く浜のすぐ背後に湖がある。

     ここが海とつながっている部分で、潮の状態により湖と海の水が行き来するのだろう。

     広大な低湿地帯とおぼしき地域も多く、湖内もエリアによって水深が大きく異なるはずだ。

    貴重な自然環境であるとともに、イラワディ・ドルフィンが棲息していること、渡り鳥その他の多様な野鳥の宝庫であり、それらが餌とする魚類や甲殻類も種類が豊富であることがよく知られている。 

    モンスーン期には非常に沢山の雨が降る地域であることから、雨季と乾季とではずいぶん異なる景観が広がることだろう。 パソコンの画面で眺めていても、大地の姿というものはとても興味深い。 

    さて次の休みにはどこに出かけてみようか・・・?

  • IRCTC (アップデート)

    昨年の今ごろ、インド国鉄の傘下組織であるIRCTC (Indian Railway Catering and Tourism Corporation)のウェブサイトを通じたインド国鉄のチケット予約について、そのコツ(・・・というほどでもないが)を取り上げてみたが、現在はかなり状況が変化しているため、新たに記しておくことにした。 

    インド国外で発行されたクレジットカードを使用する場合、以前はVisa、Masterともにちゃんと手続きできたのだが、残念なことに現在はアメックスのカードを除き、IRCTCの予約サイトで決済できなくなっている。 (近い将来これもまた変わるかもしれない)

    従前より、ウェブ上でインド国鉄チケットを購入できるところはといえば、前述のIRCTC以外にはインドのトーマスクックなど有名だが、やはりIRCTCと決済条件は同じで不可。目下、アメックスを除きインド国外で発行されたクレジットカードでインド国鉄の予約ができるサイトとしてオススメは、www.cleartrip.comである。 

    上記サイトにアクセスして、画面右上のregisterをクリックして会員登録を済ませた後、画面左上にいくつか並んでいるメニューからtrainsを選択して予約作業を始めることができる。 

    利用したい区間、列車の選択、クラスの選択に続き、空席照会してから予約、そして支払という具合だ。データはもちろんIRCTCのサイトと連動しているので、作業内容と手順は同じだ。 料金については、列車チケット料金に加えてIRCTCのサービスフィーがかかるところまでは同じ。加えてCleartripの手数料が20ルピーかかる。 

    日本その他の国々から、年末年始に旅行でインドを訪れる方々は多いことと思うが、渡印前に鉄道を予約される際にこの記事が役立つことがあれば幸いである。

  • Namaste Bollywood #26

    Namaste Bollywood #26

    早いもので今号にて創刊4周年である。毎回楽しみにしている巻末のBollywood Filmy Pedigreeで取り上げられているのは、シャトルガン・スィナー家族。今年後半のヒット作『ダバング』でデビューした娘のソーナークシー・スィナー。今号の表紙になっている女性だ。 

    ソーナークシーといえば、少し前にニュース雑誌インディアトゥデイ関連の報道チャンネルのアージ・タクの中の『スィーディー・バート』で父親と一緒に出演していた。毎週、各界の有名人や政治家等をスタジオに招いて、同誌エディターのプラブ・チャーウラーがインタビューするプログラムである。放送された映像がネットにアップロードされている。 

    Seedhi Baat – Shatrughan Sinha, Sonakshi Sinha (rajshri.com) 

    プラブ・チャーウラーの話の引き出しかたが巧みで、いつも賑やかな会話がなされているのだが、ゲストが親子で出演というのは珍しい。映画に関するトピック、家族に関する話題など、内容は他愛のないものであったが、ソーナークシー自身はボリウッドの新星というよりも、どこにでもいそうな普通の娘さんといった風で好感が持てた。 

    プログラムを見ていてもよくわかるが、父親との仲もとても良いようで、見ていてほのぼのとさせられた。一番身近な人と一緒にいるためか、本人の素顔がうまく引き出されていたのではないかとも思う。 

    ひとつびっくりしたのは、ビデオの中の会話に出ていたが、ソーナークシーは以前かなり太っていたらしい。1年間で30キロも減量したとのことなので、ちょっと前とはまるで別人のように変身したのだろう。個人的にはとても輝きを感じている女優なので、リバウンドしないことを願うばかりである。体型は食習慣や嗜好と深いつながりがあるため、『タガが外れて』元の木阿弥というリスクを秘めている。 

    話はNamaste Bollywood #26に戻る。今号もまた話題の新作や発売されたDVD、ボリウッド関連書籍など、映画の都の銀幕の話題満載だ。だが普段とちょっと志向の違う巻頭特集に注目する人は多いだろう。 

    言うまでもなく、日本語で書かれている同誌は、日本国内在住のボリウッドのファンを対象に書かれている。『ボリウッドのある暮らし』と題してDVDプレーヤーの再生環境を取り上げている。インドで買ってきたDVD、あるいは通販で購入したDVD(もちろん正規版の話)がうまく動作しないといったトラブルを経験したり、耳にしたりしたことがある人は少なくないだろう。 

    本来はリージョン・フリーで販売されていても、アナログテレビ機器側の仕様の問題であったり、あるいはインド国外で入手すると米国市場向けでリージョン1の設定になっているものがあったりというケースなどがあるらしい。 

    そうした不具合に対処して、快適にDVD鑑賞できる環境を整えようというのが今回の特集の趣旨。編集部オススメの機器(これが意外に格安!)の紹介もなされている。詳しくはNamaste Bollywood #26を読んでいただきたい。 

    さて、次号はどんな話題が取り上げられているのだろう?と今から楽しみにしている。

  • サッカーと軍政

     インドの東隣のミャンマーでは2009年からMNL (Myanmar National League)というプロサッカーリーグが発足した。同年5月から2か月間ほどに渡るカップ戦が展開され、今年3月からは10のクラブチームによる正式なリーグ戦が開始され、記念すべきMNLリーグ初代優勝チームはYadanarbon F.C.である。 

    言うまでもなく旧英領であったこの国では、サッカーという競技の歴史は古い。かつてはアジアを代表する勢力であったこともあり、観るスポーツとしての人気も高かった。社会主義計画党時代のビルマでは、実業団チーム(といっても省庁や自治体が構成するチーム)のリーグがあり、私自身も『税関vsヤンゴン市役所』(であったと記憶しているが・・・)の試合をアウンサン・スタジアムで観戦したことがある。 

    その後90年代に入ると、いわゆるクラブチームがいくつも結成されるようになり、ヤンゴン市にはプロチームさえ存在していたものの、全国的なプロリーグというものはなかった。 

    いまや地域の他の国々の多くにプロサッカーリーグがある昨今、経済的に非常に厳しい状況にあるミャンマーにもそうしたものができるのは時代の流れなのだろうと思っていたが、その裏には軍政による大きな後押しがあったことを示唆するニュースがあった。

    昨日、ジュリアン・アサンジュ氏がイギリスで逮捕されたことが各メディアで伝えられていたが、彼が創設したウィキリークスから流された在ヤンゴンのアメリカ大使館発の公電に関するBBCの報道がそれである。

    मैन यू ख़रीदने पर हुआ था बर्मा में विचार (BBC Hindi) 

    上記記事によれば、2009年1月以前に当時の軍政の議長タン・シュエ氏が10億ドルを投じて、イングランドのプレミア・リーグのマンチェスター・ユナイテッドを買収としようと画策していたということだ。 

    サッカーによって政治・経済に対する国民の不満のガス抜きをしようという目的、タン・シュエ氏自身が同チームのファンであり、彼の孫もチームの買収を強く希望していたという個人的な動機があったとのことだが、近年有望視されている領海内のガス田からの収入等を背景に、それほどの金額を出資することが可能であったという点はちょっと驚きである。 

    しかしその前年2008年5月にミャンマーを襲ったサイクロン『ナルギス』の被害からの復興の遅れ、加えて外国からの援助を断り、被災地の人々に対する痛手をさらに大きなものにしていると国際的に非難を浴びていた時期でもあったことから、これを断念したということ。そのため自国内にプロリーグをスタートさせることを決心したということが書かれていたそうだ。 

    だからといって2009年初頭にマンチェスター・ユナイテッドの買収を諦める代わりに4か月ほどでプロリーグを始動させるというのは無理があるため、もともとそういう方向で動いていたものを前倒しさせることになった、という具合なのではないかと思う。

    確かにMNLがリーグとして正式に開幕したのは2010年だが、それに先立って2009年に2カ月間のカップ戦を行なうというのは中途半端で解せないものがあった。このあたりについて、やはり当時の軍政の意向が働いたのかもしれない。 

    そもそもミャンマーにおいては、90年代以降は経済の様々な分野における民営化の進展著しいが、その中で軍関係者による関与はとても大きいようだ。 

    当然MNLを構成するクラブチームについても、純粋に民間人による運営がなされているとは想像しにくいものがある。後に機会を設けてそれらの背景について調べてみようと思う。 

    11月に実施された総選挙により『民主化された』という建前となっている同国の政治同様に、一皮剥けば経営陣に軍関係者たちがゾロゾロ・・・という具合であるかどうかはさておき、なかなか興味深いものがあるのではないかと想像している。

  • 違いを越えて

     以下の動画は、デリーの地下鉄の女性専用車両に乗車している男性たちに対する取り締まりの様子だそうだ。 

    Men beaten off women’s train in India (YouTube)

    車両の中の男性たちが手荒に叩き出されている。なんとも哀れというか、みっともない有様ではある。後半の映像では、おそらく他の車両がひどく込み合っていて、ここにしか乗り込むことが出来なかったりしたのではないかと思うが、ずいぶん沢山の男性たちの姿がある。 

    しかしラッシュ時にこそ女性専用車両の価値があるため、このくらい思い切った手立てが必要なのだろう。ジェンダーの違いによって生じる著しい不都合や不利益がある場合、これを是正する手段は不可欠だと思う。 

    今やどこの国でも男女平等ということが言われているが、たとえばこの女性専用車両のように、ジェンダーによるこうした逆差別もときには必要であることは誰も否定しないだろう。 

    そんなことからふと思ったのが、何をもって平等とするかということだ。雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律(通称:男女雇用均等法)が1999年に大幅改正された。これによって従前は努力規定であったものが禁止規定となった。 

    あれから10年以上経つが、求人の際に性別は当然書かれていなくても、業務内容の関係上から実際に採用されるのはほとんど男性ばかり、あるいは女性ばかりというケースはよく耳にするし、待遇や昇進について事実上差があるというケースは少なくないようだ。もちろんそれも職場によりけりではあるが。 

    しかし総体的には、これにより女性の社会参画が促進されたとされるし、反対にそれまで女性の職場とされていた分野への男性の参加も増えたことも間違いないようだ。法の下に働く人々の間のジェンダーの違いによる格差が、少なくとも建前上は否定されたことの意味は大きい。 

    だが人は社会人であるとともに家庭人でもあり、その中での役割の違いというものもある。何も女性が家事の大半を担うべきであるなどと言うわけではない。子供に対して父親だからこそできること、母親でこそ可能なことなどいろいろある。また子供たちから見て父親にしてもらいたいこと、母親に期待することなどもいろいろ違うこともある。私たちの幼い頃を思い起こせば胸に浮かぶことはいろいろあるだろう。 

    そのあたりも考え合わせると、1日24時間という限られた枠の中で、世の中の男女が同じ働き方をすると、しわ寄せが行くのは結局のところ家庭ということになってしまわないだろうか。そもそも結婚することさえ難しくなってしまうことはないのだろうか。 

    不況が続き、雇用や収入に不安があるとはいえ、今のところ日本は平和で衣食住事足りた社会である。それにもかかわらず少子化に歯止めがかからないということは、生物学的には非常に矛盾した状況だろう。 

    そんな中で、私たちから見て二世代くらい前の『人々の暮らし』から学ぶことも少なくないのではないかと思う。社会のありかたや仕事のやりかた等は時代とともに移ろうが、昔の人たちのやりかたが間違っていたわけではなく、今とは違った豊かさや温かみがあったはずだ。文化や伝統と同じく、世代を超えて受け継いでいくべき先人たちの『ワークライフバランス』の豊かな知恵があるのではないだろうか。 

    ジェンダーの違いを越えた本当の『平等』や『均等』とは、必ずしも今の私たちがそうであると受け止めているものとは少し違うものがあるような気がしてならない。