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投稿者: ogata

  • 部族の人々の木曜市 1

    部族の人々の木曜市 1

    オンカデリーという集落で定期市が開かれる日である。

    簡単な朝食を済ませて、昨日約束しておいたクルマに乗り込んで出発したのは午前8時。緑と水に恵まれた美しい丘陵地の中を通る州道をひた走る。途中の町で右折すると、そこから先はクルマ1台が通れるくらいの幅で路面もガタガタの田舎道となる。

    このあたりからは丘陵地というよりも、山道といった感じになってくる。傾斜はさほどでもないが樹木が多い。そうした中にところどころ耕作された土地が見られる。この地域を含むオリッサ州の内陸部は、インド有数のトライバル・エリアとして知られている。

    地形としては「ゆるい山間部」とでも形容しておこうか。他の地域とそれほど隔絶した世界というわけでもなさそうなのに、どうして様々な部族が多く残されているのだろうか。このエリアが発展から取り残された地域であることと、州自体の人口密度が高くないため、人口圧力もあまりないということがあるかもしれない。

    ただしオリッサ州は地下資源が有望な地域でもあり、そうした資源開発と先住民の権利との間に生じる摩擦も絶えない。近年話題になっているものとしては、インド系英国資本(ムンバイーで創立され現在本社をロンドンに置いている)の ヴェーダンタ社によるオリッサ州のニヤームギリーでの操業は、元々ここに暮らしてきたドングリヤー・コンド族に対する『迫害』ということになり、深刻な人権侵害として複数の市民団体等から告発されている。

    The Story of a Sacred Mountain (Tribal International)

    Niyamgiri and Vedanta (Environmental Protection Group, Orissa)

    運転手はオンカデリーに行くのは初めてのようで、このあたりからは途中で人に尋ねながら走っている。そうした相手の中には普通のオリッサ人もあれば、見るからに部族らしき人もある。オンカデリーに着いたのは午前11時くらいであった。コーラープトから3時間ほどかかった。

    普段は静かなごく小さなマーケットであるが、毎週木曜日だけは近隣地域から部族の人たちが大勢集まって交易する場所として知られている。オリッサ西部の部族地域ではこうした場所がいくつもあり、場所により曜日は様々なのだが、こうした形で市場が開かれているらしい。

    オンカデリーの集落の入口あたりでクルマから降りるが、通りにはずいぶん沢山の人々が集まっているのに驚かされる。その中には街中では見かけない格好をした部族の人々の姿がとても多い。ボーンダー、ガダバー、ディダイその他の部族たちである。

    弓矢を持って歩くボーンダー族男性の姿が目立つ。この部族の女性たちはカラフルなビーズをあしらった頭飾りと特徴的な衣装を着ている。皆かなり小柄である。女性たちはマーケットで自家醸造の酒を売っている。大根から造ったものと米から造ったものがある。世の中に大根から出来た酒があるとは今日初めて知った。密造酒ということになるが、少数民族の生活習慣なので、定期市ではお目こぼしなのだろう。

    ボーンダー族の男性たちにしてみれば、弓矢を身につけているということは、ちょうどスィク教徒にとってのキルパーンのように、男性としての象徴的な意味があるのだろうが、武器を手にしている男たちが酒を飲んで酔うという図には穏やかでないものがある。

    ここに来てちょっと驚いたのは、外国人のツアー客らしき人たちの姿がかなりあることだ。最初に見かけたのは5名の西洋人グループ、そして7、8名の日本人グループがいた。オリッサの部族地域についてインターネットで検索してみると、地元オリッサや外国のツアー・オペレーターによる企画ものを紹介するサイトが引っかかったりするが、このようにして訪れる人々は決して少なくないようだ。

    そのためだろう、普通に市場の眺めを撮影している分には問題ないが、特定の人物を近くで撮る(もちろん相手の同意が必要)場合、10ルピーを撮影対象の人物に渡すことが習慣になってしまっている。

    都市部において、社会の周縁部から出てきた部族の人たちは、バーザールで売られているごくありきたりの衣類を着ているものだ。作るのに手間ヒマのかかる民族衣装よりも、バーザールで購入する大量生産された安価な衣類のほうが経済的に楽だろう。

    また民族独自の衣装は、自らのアイデンティティを象徴するものではあるが、そうした『記号』的なものを見に付けることにより、インド人の大海の中では差別ないしは軽視される対象としての目印ともなり得る。

    オンカデリーのような集落の外の山々はまるごと部族社会であり、彼らの普段の生活圏内であるためだろう。まだまだ伝統的ないでたちをしている人たちが多い男性たちの間では洋服を着ている人々がかなりあるが、女性は民族衣装を着ている割合がとても高い。部族の人たちにとっては、山あいの村から『町に出る』週に一度のハレの日であるため、こうして着飾りたいということもあるのだろう。

    もちろんそういう格好で各部族の人々が集まってくるがゆえに、そうした定期市を見学するツアーが企画されていたりもするわけである。そうしたツアーでは部族の村などにも訪問するようだ。

    さらに観光化が進めば、こうした場で民族衣装を纏う動機が『観光客に撮影させて報酬を得る』という具合になっていくことも考えられる。ちょうどタイ北部の山岳少数民族でそういうケースが多いように。少なくとも前述の『撮影=10ルピー』という慣習から、これを臨時収入の手段として認識していることは間違いないだろう。

    あるいは各民族の日用品等が『伝統工芸品』として販売されるようになったり、特徴的な衣装(往々にしてオリジナルをかなりアレンジしたもの)が観光客目当てに製造・販売されるようになったりすることもあるかもしれない。

    定期市が開かれるのは、オリッサ人が主体の集落の中にあるマーケットである。そのため建物の中や常設のマーケットのスペースで商うのは、主にオリッサ人たちである。それに対して路上や空きスペースなどで、部族ごとに集まって品物を広げているのは集落の周辺地域(・・・といっても山道を数時間もかけて徒歩でやってくる人々もある)からやってきたマイノリティの人々である。

    部族の人々は、酒以外には主に村で収穫した野菜や果実といった農作物を販売している。定期市は、彼らが現金収入を上げる手段であり、同時に村では手に入れることのできない工業製品を購入する機会でもある。

    ロンリープラネットのガイドブックには『Onkadelli should only be visited with a professional guide』などと書かれていたため、一体どんなところかと思っていたが、案外普通の田舎のマーケットである。

    ただ普遍的なマーケットと視覚的に異なるのは、様々な格好をした部族の人々が大勢来ていることだ。加えて密造酒が堂々と販売され、主に部族の人々がこれをおおっぴらに酌み交わしていることだろうか。

    ただしここに集まっている部族の人々の姿をいろいろ目にしても、彼らの具体的な文化背景等が皆目わからないのはもったいない。そういう意味でやはりこの地域に精通するガイドを雇って訪れたほうがいいだろう。

    少数民族目当てで定期市を訪れる外国人客がチラホラいるため、オンカデリーのマーケットでもガイドを自称する者たちが存在する。だが彼らの知識は非常に限られたものであり、ひどくブロークンな英語(並びにその程度のヒンディー)しか使えない人たちなので、敢えて雇ってみるメリットはあまりないように思う。

    ただしこの地域の住民である彼らは、少数民族の村に囲まれたこの小さな町で生まれ育っているため、幼い頃から公立学校でそうしたマイノリティの子供たちと学校で机を並べ、また現在も日常的にそうした人々と接しているという生活環境下にあるため、近隣の民族の専門的な知識はほとんどなくても、彼らの中に知己が多く生活習慣等日常的なトピックにはけっこう詳しかったりするのだが。

    <続く>

  • 東インド会社がインドに再上陸する日

    大航海時代に当時の欧米の強国が設立し、独占的に貿易を行なう特許会社であり、自前の軍事力を行使し、征服した先では往々にして行政機能も担う機能も持つという、現在の『商社』の概念を大きく超える強大な組織であった。 

    東インド会社という名前の組織は、イギリスの他、オランダ、フランス、デンマーク等で設立された。言うまでもなく、各国の東インド会社の活動は亜大陸以外の広範囲に及ぶが、当時の東インドという言葉は、オリエント地域を広く含んでいた。 

    イギリスで1600年の創立以来、410年を超えて人々に知られてきた知名度のある名前だ。世界史の教科書にも出てくるこの会社の名前を知らない人はないだろう。 

    1857年、日本で『セポイの反乱』として知られる大反乱が発生。翌1858年には会社がインドで有していた権利が同国国王に移管され、事実上同社がこれまで担ってきた役割を終えた。 

    会社は1874年に解散したが、その後も『East India Company』というブランド名は存続していたことはよく知らなかった。1970年代中盤に創立し、この商標で紅茶やコーヒーを扱う会社が操業していたそうだが、これをイギリス在住のインド人企業家サジーヴ・メヘター氏がこれを買収することにより権利を取得し、ロンドンにて紅茶、コーヒー、チョコレートその他の嗜好品その他を販売する店East India Company (7-8 Conduit Street, London, W1S 2XF )を開業したのは昨年8月。 

    East India Company reborn (CNN) 

    そして今年はインド、シンガポール、香港といった、往年の東インド会社の活動拠点であった国・地域に進出するのだという。 

    East India Company returns after 135-year absence (BBC NEWS South Asia)

    商標と紋章を利用しているだけのことで、歴史上の東インド会社と縁もゆかりもないのだが、かつてインドならびにその周辺地域等の広大な地域に君臨した、伝統ある『East India Company』ブランドの会社が、インド人企業家の指揮下にあるという事実はなかなか興味深いものがある。

  • コーラープト 3 社会活動に熱心なジャガンナート寺院

    コーラープト 3 社会活動に熱心なジャガンナート寺院

     町中にあるトライバル博物館を訪れた。この地域の様々な少数民族に関わる展示がなされている。各民族が民族衣装を着けている姿の写真、生活用具や家屋の一部の再現、生業についての紹介その他があり、なかなか参考になる。 

    コーラープット地域における稲作の歴史は長く、太古の野生種で原種の稲やその近隣種などが、今でもこの地域で栽培されているとのことだ。そうした原種なのかどうか、それらと関わりのある種類の稲なのかどうかは知らないが、現在部族の人々が村で栽培している稲の種類の展示もある。米の種類があまりに沢山あることに驚かされる。 

    この博物館は政府の施設ではなく、コーラープットのジャガンナート寺院が設立した団体による運営である。入場無料(代わりに若干の寄付を求められる)で写真撮影も自由。部族に関するワークショップやメーラーも時折開催されるようだ。 この寺院は近くに部族の子弟が学校に通うためのホステルも運営するなど、まるでキリスト教団体のように社会活動に力を入れている。

    学校に通う部族出身の子弟のためのホステル

    博物館のすぐ東側にそのジャガンナート寺院がある。建築自体はプリーにある同名の寺院を模して建てられたものである。プリーのそれよりもかなり規模は小さいが、ここは外国人でも入場することができる。

    寺院への階段の参道の両脇には、寺院が運営する宿泊施設もある。これらはいわゆるホテルである。収益事業としてやっているのだろうか。参道に向かって右側はアティテイ・バワン、左側はアティティ・ニワスという名の宿だ。前者のほうが規模が大きく、食堂もあるが、後者は宿泊のみである。前者の食堂には菜食ターリーしかないが、これはジャガンナート寺院の本殿境内の脇でプラサードとして参拝客たちに出しているターリーと同じ内容だ。 

    これらの宿はなかなか人気のようで、団体だか家族連れだかの客たちが次々に到着している。他にこのクラスの宿がないこと、私が利用した宿は昨年オープンであまり知られていないことなどから、現在競合しているのは近くで州観光公社が運営するヤートリー・ニワースくらいしかないということもあるだろう。 

    コーラープトへは、オリッサ州都のブバネーシュワルはもとより、西ベンガル州都のコールカーターからも直通列車が運行している。この町自体にも部族の人々は多く出入りしており、周囲は基本的に部族エリアであることから、今後部族の人々のマーケット等を見学するといった形の観光が盛んになってくると、ここをその拠点として訪れる人々が増えると思われる。 

    <完>

  • 富士フィルムのFinePix X100

    富士フィルムのFinePix X100

    父親の世代が使っていたような、昔のカメラを見て『こんなカメラを持ち歩いてみたい』と思ったことはないだろうか。中古カメラ屋覗いてみて、素敵なカタチをしたクラシックカメラに惹かれたことはないだろうか。

    一種の憧憬を抱くことはあっても、それを購入して日常的に使うかどうかといえばまた別の話である。写真といえばデジタルが当たり前になって久しい。 今の時代、フィルムなどという面倒くさいもの、ランニングコストが高くて、現像や焼付けなど手間ヒマのかかるアナログカメラなど、そうそう手を出す気はしない。

    だがそうした昔のカメラのフォルム、操作感や質感をそのままにデジタル化したものがあったら、どんなに楽しいことだろうか、と夢想したことのある人は多いはず。

    外見がちょっと昔風、ややクラシック的であることをイメージしたカメラあるいはそのケースなどはこれまでけっこうあった。あるいはトイカメラの類でレトロ調のものもいくつか出ていた。しかし見た目が本当にクラシックカメラみたいで、それでいて性能も抜群といった、趣味と実用性を両立させたモデルは見たことがなかった。

    このたび発売される夢のようなカメラ、富士フィルムから発売されるFinePix X100は、特定の機種のボディの復刻というわけではないし、デジタルカメラとして意味を成さないフィルムの巻上げレバーのダミーが付いていることはない。アルミ削り出しのダイヤル類、マグネシウム合金ボディと高い質感で、昭和のカメラ、昔の写真機といった感じの外観がよく再現されている。もちろんレンズは非沈胴式の単焦点である。

    ダイヤルによるマニュアルな操作は、昔風でありながらも実は直感的で分かりやすいものだ。クラシックをコンセプトにしたモデル以外にもアナログ的なダイヤルを備えるような流れが出てくることもあるかもしれない。

    センサーはAPS-Cサイズ。他のコンパクトデジカメとは大きく違うアップマーケットなモデルだ。画角は35mm換算で35mmという『伝統的』なアングルである。しかし開放値はかなり明るめの2.0だ。

    クラシカルなフォルムの再現に不可欠であるとともに、ボディサイズにややゆとりがあるためだろう。光学ファインダーと電子ファインダーを切り替えて使うことができるようになっている。

    古風な外観ながらも、もちろん骨董品ではなくガンガン使い倒すためにある量産カメラだ。詳細な特徴や機能・性能については専門のサイトがいくつもあるため、ここでは敢えて取り上げてみることはないが、カメラの本質部分以外にもなかなか気の利いた味付けがなされている。たとえば、フィルムメーカーらしく、フィルムシミュレーションモードという機能が付いており、Provia, Astia, Velvia等のフィルムの特徴を再現した表現を選択することができるのは面白い。

    実質35mmという使い易い画角とはいえ、レンズ交換式ではないので、これ一台で何でも・・・というわけにはいかない。ボディのカサのみで言えば、ソニーの一眼カメラのEマウントタイプのもの、パナソニックあるいはオリンパスのマイクロフォーサーズといった小ぶりなカメラと同等といったところだ。価格と実用面に限れば、他に多くの選択肢が考えられるのだが、他に替えられない趣味性という点で、唯一無二の稀有なカメラだ。

    このカメラのマーケットは決して小さくはないだろう。APS-Cサイズの大型センサーを使用しているにもかかわらず、特殊なコンセプトのために汎用性と拡張性を大きく犠牲にしているため、他のシステムと組み合わせるという需要はないはずだ。

    同様に現在使っているカメラの代替としての可能性もほぼないだろう。クラシックなフォルムはもちろんのこと、23mm単焦点というモデルは現在販売されているコンパクトデジカメの中にないし、固定式レンズであるため一眼タイプのレンズ交換式カメラと競合するものでもない。

    そのため、このカメラを購入する人たちは、他のカメラに替えることのできない、このカメラであってこその需要を感じたうえでのことに違いない。 それでも予想される販売価格が11万円強と、極端に趣味性の高いモデルとしては価格を低めに抑えてあるように見えても、今どきのデジカメの値段の相場に照らすとかなり高価で拡張性もない。X100の需要とはそれ独自のものであり、とりあえず手元に持っているカメラやレンズ類一式で満足しているのとは別の方面の物欲をかきたてるものである。

    つまり先述のクラシックカメラに対する、世代によって違うが『愛着』であったり『憧憬』であったりするのだが、そうした潜在的な需要を喚起する稀有なモデルということができるだろう。

    機能・機能自体はデジタルなので陳腐化するのが早いことは間違いない。それでも愛着を抱いて末長く使える世界初?のデジタルカメラなのではないか?と思わせるものがある。

    FinePix X100の発売日は3月5日だ。

    ※コーラープト 3は後日掲載します。

  • コーラープト 2 北インドと南インドの境目?

    コーラープト 2 北インドと南インドの境目?

     町中では、マーケットその他の路上で野菜や生薬を売っている人々の中に部族の人々の姿がとても多い。周辺の村からバスや徒歩で町まで出てきてこうやって商売しているらしい。

     そうした人々の多くは自家製とおぼしき、通常よりも小ぶりな野菜類を扱っていることが多い。並べている量も総じて少ないことが多く、こんなので商売になるのだろうか?と気になってしまうような人も少なくなかった。自家消費から剰余が出た分を現金と交換するために行商しているというケースもあるのかもしれない。 

    むしろの上で石の細かい破片のような鉱物を 広げている年配女性もいた。このあたりの部族の人々はたいていそうだが、自身の言葉以外にオリヤー語しか理解しないので仕方ない。

    そうした中に男性も女性もいるのだが、特に女性のほうが目立つのは、特徴的な民族衣装を着ているからだろう。サーリーよりも丈の短い布を身体に纏っている。ペチコート類は下に着けておらず、太古の壁画に出てくる女性の姿のようでもある。

     この国では指定部族に対する留保制度があるため、おそらく政府関係の仕事に就く人は少なくないことと想像できる。また商業的に成功して、町で店を構えたり、家を建てている人もけっこうあるのかもしれない。もともとのスタート地点が低いことから、そうした形での社会進出は決して易しくはなかろう。それでも都市化して暮らしている人たちも少なからずあることだろう。 

     宿泊先のHotel Raj Residencyは、まだ新しいから快適というだけのことで、時間とともに『標準化』していくようなので特にコメントすべきものはないのだが、ここのグラウンド・フロアーのレストランはなかなか面白かった。

     何が楽しいかといえば、通常ドーサ類といえばヴェジタリアンだが、ここでは『ノンヴェジ・ドーサ』がいろいろあるのだ。

    エッグ・ドーサ、チキンキーマ・ドーサ、マトン・ドーサetc.といった具合で、要はマサラー・ドーサーを注文すると中にマサラーで味付けしたポテトが入ってくるが、ノンヴェジではこれが卵であったり肉類であったりするわけだ。いろいろ試してみたが、どれもビールによく合う感じだ。 

    他にも変り種で甘いドーサ類があり、コーヒー・ドーサにはネスカフェが入っているらしい。こちらは残念ながら試していないが、こうした『邪道』なB級グルメ的なアイテムがいくつもあり、食に対するこだわりも関心も特になく、日々クルマやバイクにガソリンを補給するような感覚で食事=作業をしている私でさえも、思わずニヤリとしてしまうような料理がいろいろあるのが良かった。 

    それはさておき、オリッサ州南部で、アーンドラ・プラデーシュに近いためだろう、町中の食堂で用意している食事にはかなり南インド的なアイテムが多く見られるうえに、北インド料理にも南のテイストが加わっている。たとえばチキン・モグライを注文すると、ココナツで仕上げてあったりするなどといった具合だ。 

    町中に貼られたポスター等の中で、アーンドラ・プラデーシュをはじめとする南インドを本拠地とする聖者たちの姿も数多く見受けられる。プッタパールティのサッティャ・サイババの関係施設もあった。

     

    このあたりは、ちょうど北インドと南インドの境あたりという気がする。 

    <続く>

  • ワルリ絵画展 2011

    本日3月1日(火)から3月6日(日)まで、東京渋谷にて、インドのマハーラーシュトラ州北西部のターネー周辺に住む先住民ワールリー族の絵画展が開催される。

    毎年この時期に開かれてきた催しである。ご興味ご関心のある方は、以下のウェブサイトをご参照願いたい。

    ワルリ絵画展2011【誕生】(warli.jp)

    ※コーラープト2は後日掲載します。

  • 美しすぎる大臣?

    美しすぎる大臣?

    この人が来日することがあれば『美しすぎる大臣』と日本のメディアに書かれるのだろうか。2月11日にパーキスターンの外務副大臣(に相当する役職)に就任したヒナー・ラッバーニー・カル氏である。

    パーキスターンのパンジャーブ州ムルターン生まれ、有力な政治家ファミリー出身の34歳。ラーホール経営大学卒業後、渡米してマサチューセッツ大学にて修士号取得。

    パーキスターン・ムスリム連盟のカーイデー・アーザム派(PML–Q)にて政治家としてのキャリアのスタートを切った。経済・統計副大臣(に相当する役職の経験もある彼女は、現在パーキスターン人民党(PPP)に所属。

    不安定なパーキスターン政局の中で、この人物をこうしたポストに起用するということは、ちょっとサプライズな人事であったため、彼女自身の美貌と合わせていろいろと取り上げられる機会が多いようだ。

    パーキスターン人民党所属の女性政治家で、早くから要職に就いていることから、暗殺されたベーナズィール・ブットー氏の再来を期待する声もごくごく一部にはあるようだが、パーキスターン国内ではともかく、隣国インドのメディアでの扱いはパッとしない。まだ若くて政治家としての経験も浅いことから、現在の同党執行部にとって扱いやすい人物であるという評価に尽きるようだ。

    だが彼女は外交のカギを握る要職にあるがゆえに、インドのメディアにもしばしば取り上げられる機会があるだろう。またパーキスターンの国政レベルの若手政治家の注目株のひとりであることも確かである。

    Youtubeに昨年11月頃のニュースのインタビューの映像がある。

    Talk about taxing agriculturists is nonsense and politically motivated: Hina Rabbani Khar (Youtube)

    キャリアはまだまだこれからなので、未知数の部分が多い人物だが、今後とりわけ西欧諸国に対するパーキスターンの顔として起用される機会も多くあるのではないかと思われる。

    ヒナー・ラッバーニー・カル氏関係ニュース一覧 (dailylife.com)

    ※コーラープト2は後日掲載します。

  • コーラープト 1 近郊のコートパドへ

    コーラープト 1 近郊のコートパドへ

     列車内で目が覚めた。窓の外は起伏のある緑豊かな大地。ところどころに川が流れる田園風景が美しい。 

    ダマンジョーリーという駅では沢山のタンク車両が線路上に停車している。どれもNALCOと書かれている。National Aluminium Company Ltd.という政府系企業の略称である。 

    地域で採れるボーキサイトを原料とするアルミの生産を行なう拠点となっており、ここは丸ごと『NALOの町』であるらしい。 

    朝9時半にコーラープット着。町は駅から少し離れており、乗り合いオートを利用する。このあたりは海抜870 m前後。高原というほどでもないが、お茶の栽培ができそうな丘陵地帯である。 

    ここでの宿泊はRaj Residencyという2009年開業のホテル。まだ新しいので部屋等はきれいだが、ちゃんと手入れされているわけではない。そのため順調に『標準化』が進んでいるため、今後ずっと快適であるという保証はない。 

    客室内の照明が明るいのは助かる。日記を書く習慣があるため、机があるとないとでは効率も疲労度もずいぶん違う。だがエコノミーな宿で、室内に机があるところは案外少ないものだ。何かしら書く習慣のある人以外にはほとんど無用のものであるからだろう。 

    昼からクルマでコーターパドという町に行く。ここの町外れにある職人たちが暮らしている一角では、多くの家庭で手作りの布地を作っている。糸をつむぐところから仕事が始まり、染色から機織まですべての工程が手作業である。 

    多くは綿地だが、タサルつまり野蚕を紡いだ糸で織ったショールもあった。タサルといえば、ビハールやジャールカンドで採れるものがよく知られているが、ここオリッサでも産出しており、アーディワースィーの人たちが収穫してくるとのことだ。 

    コーラープトからジャイプルを経由して行ったが、ところどころ道がかなり悪い部分がある。ジャイプルはローマ字では新聞等でしばしばJaipurと書かれることがあるものの、概ねJeyporeと植民地時代風の綴りで書かれる、 

    <続く>

  • ヒマラヤのドン・キホーテ

    ヒマラヤのドン・キホーテ

     ネパールに帰化し、自らNNDP (Nepal National Development Party)という政党を率いてネパール政界への挑戦を続けている宮原巍氏について書かれた本である。 

    氏がヒマラヤ観光開発株式会社の創業者であること、ネパールのシャンボチェにホテル・エベレスト・ビューを建設した人物であることは以前から知っていたが、どういう経緯でネパールに根付くことになったのかについては、ほとんど知識がなかったこともあり、この本を見かけた途端とても興味が引かれた。 

    もともと登山を通じて、このヒマラヤの国との縁が出来たそうだが、その後再びネパールに渡り、当初は工業の振興を志したが、この国の現状を踏まえたうえで観光業振興に力を注ぐことになったということらしい。 

    2008年の選挙の結果は残念なものであったが、70歳を越えても決して立ち止まることなく、長らく暮らして来たネパールの国政に打って出るというダイナミック行動力には脱帽である。 この本によると、ネパールで政党がマニフェストを作成するのは、彼のNNDPが初めてのことであるとのこと。同党のウェブサイト上で、2006年の結党時に示したマニフェストが公開されている。 

    マニフェスト Part 1

    マニフェスト Part 2 

    ところで、ヒマラヤ観光開発株式会社のウェブサイトからは氏のブログにリンクされている。同じくこのサイト上にある≪世界最高峰・エベレストの見えるホテルへ!≫というタイトルの下の山岳の画像をクリックすると、ホテル・エベレスト・ビューの紹介ページに飛ぶ。 

    海抜3,880mに位置する日系ホテル。掲載されている写真も魅力的だが、サンプルビデオを再生してみても、そこが絶景の地であることがうかがえる。高いところは苦手なのだが、いつか宿泊してみたいと思っている。 

    書名:ヒマラヤのドン・キホーテ

    著書:根深 誠

    出版社:中央公論新社

    ISBN-10: 4120041719

    ISBN-13: 978-4120041716

  • リビア インド人たちの脱出準備

     カダフィ大佐による長期政権が最大の危機を迎えているリビアでは、18,000人のインド人たちが住んでいることから、インド政府は自国民の脱出のための準備を進めているとのことだ。 

    India sends ship to Libya to evacuate 1,200 Indians (Sulekha.com)

    上記リンク先記事にあるとおり、エジプトでチャーターした1,200人乗りのフェリーを日曜日までに東部の街ベンガーズィーに到着させ、エジプト北部の港町アレクサンドリアへ脱出させる予定。同時に首都トリポリやその他の内陸部の地域への救援機の乗り入れも予定しているとのことだ。 

    チュニジアで発生した民衆蜂起デモによる政変は、エジプトのムバラク大統領退陣、そしてリビアでも同様の危機を迎えており、バーレーンでも大規模なデモに発展するとともに、その他の湾岸諸国でも不穏な動きが見られるようになっている。

    少し前まで政治的に盤石であると思われていた地域でこうしたドミノ現象が起きていることについて驚くばかりであるが、同時に大産油国が名を連ねる地域でもあることから、早くも原油価格の高騰が伝えられているのはご存知のとおり。 

    各地で今後も民衆蜂起の連鎖が続くかどうかという懸念とともに、長きに渡り独裁を続けてきた支配者が去った後の真空状態を埋めるにはいったいどういう体制なのか、安定は望めるのか等といったことも心配されている。この地域の人々にとって民主化を求める代償は決して安くはない。 

    同時に、その地域外に住んでいる私たちにとっても、世界のエネルギー供給の大半を占めるこの地域を誰が治めるか、どういう体制が敷かれるのかということは大変気になるところだ。 

    産油国であるリビア、バーレーンでの動きを考え合わせれば、サウジアラビア、アラブ首長国連邦、カタールといった更に豊かな国々でさえも、この流れと無縁とは必ずしも言い切れない。 

    日本からの視点よりも、インドから眺めたほうが事はもっと深刻かもしれない。地理的な近さもさることながら、自国の膨大な労働力の吸収先である湾岸諸国に騒ぎの火の手が迫りつつあるからだ。原油価格高騰と合わせて、今後が非常に懸念されるところである。今後の推移を見守りたい。

  • プリー 4   ラグラージプルへ

    プリー 4   ラグラージプルへ

     プリーからブバネーシュワル方面に向かって15キロくらいのところにあるラグラージプルという村へ。元々手工芸が盛んであったところだが、Dedicated to PeopleというNGOが活動を始めてからはその度合いがさらに高くなっているらしい。 

    アジトという30代の男性の運営による村の女性たちの地位と経済力向上を目指す団体である。彼自身はこの村の出身でプリーで大学を出た後、しばらくデリーで会計士の仕事をしていたのだという。 彼にとって都会での生活も悪くなかったが、思うところあって里帰りして2004年から開始したのがこのNGOである。

    この団体が運営するワークショップで地元の女性たちに手工芸製作技術を教えるとともに、彼女たちが生産したものを買い取っているという。運営資金の大半は、女性たちから購入した手工芸品を大口の契約先へ納入することによって得ているという。 

    同時にエコツーリズム振興のための構想も練っており、文化遺産等とはまた違った村の人々の生活を理解するためのスタディーツアーのようなもの、また環境と両立するツーリズムの創出を構想しているところだと語っていた。 

    しかしながらそうしてみると、結局普通のビジネスとしての手工芸生産と観光業といったものと何が違うのかよくわからないのだが。このラグラージプルでは似たような形で手工芸品を生産して各地に卸している業者はいくつもあるようで、実際のところ同じようなことをしているようだ。 

    ともあれ村にとっても、そこで生きる女性たちにしてみても、就労機会と現金収入の手段が増えるのは喜ばしいことであることは間違いないだろう。 

    ただしこうした「手工芸生産」基地はこの地域にとても多い。もともとそんなに良い収入になるものではなかろうし、それらの生産が増えたところで需要がそれに比例して増えていくとも思えないため、これでもって村おこしというのならば、今後かなり軌道修正が求められるのではないかと思う。

    <完>

  • キングコブラの生態

    キングコブラの生態

    先日、インドで放送されているナショナル・ジオグラフィック・チャンネルにて、キングコブラを取り上げた番組を見た。

    体長最大5.5mにもなる大型種であるとともに、象をも倒すといわれる最強の毒蛇であり、30年も生きる長寿のヘビでもある。南アジア、東南アジアそして中国南部あたりにまで広く棲息しているが、最も棲息数が集中していると言われるのがインド南西部の西ガーツ山脈。風光明媚で降雨や多様な植生に恵まれた土地だが、同時にヘビの仲間たちにとっても好ましい環境であるらしい。

    番組の前半部で、そうした地域のある民家にキングコブラが侵入し、一家が大慌てで逃げ出すところからストーリーが展開していく。家の人はキングコブラの保護と生態の研究をしているARRS (アグンベー・レインフォレスト・リサーチ・ステーション)に電話で連絡して、これを捕獲しに来てもらう。

    この組織については、この団体のウェブサイトがあるのでご参照願いたい。

    ARRS (Agumbe Rainforest Reserch Station)
    上記のウェブサイト上で、ARRS NEWSKing Cobra ArticlesKing Cobra diariesといった項目にて、彼らの活動やその日常等を世間に広く発信している。またQuestion & Answersでは、キングコブラ飼育者(主に動物園か?)その他からの質問に対して回答している。

    この番組では、ARRSが世界で初めてキングコブラに電波発信器を取り付けて追跡することに成功したことを取り上げている。捕獲したオスとメスにそれぞれ麻酔をかけて電波を発信する装置を埋め込む手術を施した後にこれを再び野山に放す。これらの動きを追うことにより、これまであまりよくわかっていなかったキングコブラの生態を調査しようという試みである。

    加えて人里近いところに棲み着いていたコブラを人間の生活圏から離れた場所に放した場合、果たして新しい環境に居つくのか、それとも元々居た場所に戻ってしまうかについて知るという目的もあるとのことだ。つまり捕獲してから、住民に害を及ぼさない場所に移すというリロケーション行為自体が意味のないこととなる可能性もあるらしい。

    そう懸念されるにはもっともな理由があるようだ。人口の増加に伴って人々の生活圏が広がるに従い、水田等の耕作地も増える。するとその地域では人々が生産する穀物を求めて集まり繁殖するネズミが増える。ネズミを主な獲物とするラットスネークという無毒のヘビもそのエリアで数を増やすことにつながる。だが体長が最大2.5mにもなるラットスネークの天敵はキングコブラであるとのこと。前者は後者の好物であるのだ。

    キングコブラの体内に埋め込んだ発信器は2年間に渡って、その個体がいる場所を発信するとともに体温の情報も伝える機能を持っているが、電波は自体微小なものであるようだ。そのためアンテナを持ったボランティアたちがジャングル内を徒歩で分け入り、ヘビから発信されるシグナルを拾い続ける様子も取り上げられている。ひとたびシグナルが途切れて追跡を継続できなくなってしまうと、その時点でプロジェクトが失敗となってしまうのだ。

    映像で眺めても、キングコブラの存在感には圧倒的なものがある。サイズはもとより、鎌首を持ち上げたときのおどろおどろしい姿、他のヘビも捕獲して食べてしまう獰猛さ、加えて水場での泳ぎの巧みさにも驚かされる。水上をしなやかに滑るようにして高速で進んでいく。

    この猛毒ヘビの移動範囲は非常に広く、それはまさに懸念されたとおりであったそうだ。とりわけオスのほうは7か月で75キロも移動していたというから驚きだ。つまり捕獲したキングコブラのリロケーションにはあまり意味がなかったということになる。

    繁殖期のキングコブラの求愛行為、交尾等も取り上げられている。そしてオスが他のオスに縄張りを奪われて追放されるという出来事が続くのだが、すでに体内に卵を宿しており、新たにやってきたオスにとって思い通りにならないメスがこれに噛まれて死ぬという凄惨な映像もあった。

    一般的にコブラは他のヘビや同種のコブラの毒に対する耐性があると考えられているようだが、オスは相手を執拗に噛んで大量の毒を注入(キングコブラは相手に与える毒の量を自身で調節できる)させていた。死んだメスはARRSで解剖され、17個の卵を持っていたことが確認されたという。

    他のキングコブラのメスによる巣作りの様子も取り上げられていた。表面がクシャッとした感じの卵が孵化して出てくる小さなヘビたちの姿が映し出される。赤ちゃんということもあってか、生まれたての顔はなかなか可愛かったりする。だがすでにこの時点で非常に強い毒を持っているのだという。

    それでも身体が小さいうちは、肉食の鳥類や他のヘビ類の餌食となってしまうか餌をうまく捕食できずに死んでしまうため、無事に成長して大人になることができる個体はごく一部だそうだ。

    とても興味深い番組であったのでindo.toで取り上げてみたいと思ったが、その番組をフルに見られる動画がネット上に存在しないと話にならない。そこでYoutubeで探してみると、まさにその動画がアップロードされていた。

    Secrets of the king cobra National geographic Channel India Part 1

    Secrets of the king cobra National geographic Channel India Part 2

    Secrets of the king cobra National geographic Channel India Part 3

    Secrets of the king cobra National geographic Channel India Part 4

    この番組はすでにインドの他のチャンネルでも放送されているようで、News 9 TVによる同じ映像もあった。こちらは英語版である。

    THE KING OF KARNATAKA 1

    THE KING OF KARNATAKA 2

    THE KING OF KARNATAKA 3

    上記のリンク先に限ったことではないが、ウェブ上に出回るこうしたテレビ番組からの動画は往々にして著作権上の問題をはらんでいるものだが、同時にそれを目にする機会を逃してしまった人たちや放送される地域外の人々に貴重な『知る機会』を与えるものである。エンターテインメントを除いたこうした『堅い』内容のプログラムについては、二次利用できるようにより社会に還元される部分も大きいのではないかと思う。

    蛇足ながらコブラ関係でこんな動画もあった。

    Leopard Cub Vs King Cobra

    やんちゃな幼い豹がキングコブラをからかう様子だが、このヘビの怖さを知らないので無邪気なものだが、画面で見ているこちらはハラハラさせられてしまう。

    ※プリー 4は後日掲載します。