チャーイは世の中を変えた・・・かもしれない


旅先で、食後にチャーイを啜りながら、この日はあと何をしようか?どこに行こうか?と考える。

お茶やコーヒーがなかった時代、私たち人類は、何を手にして思考していたのだろうか。19世紀以降に急激に加速した社会の進展、技術の進化には、茶、コーヒーの普及と深い繋がりがあるにちがいない。 欧州の有産階級が、茶、コーヒー出現以前にランチで嗜むのはアルコール類だったそうではないか。それはそれでいい時代だったのかもしれないが。

茶、コーヒーで思い出したのだが、茶葉の大産地インドで、喫茶の習慣が地元の人たちに普及し始めたのは1920年代末から1930年代にかけてのことらしい。かつて貴重で大変カネになる作物であった茶も、このあたりになるとインド・スリランカでの算出量増大、この地域外においてもマレーシア、ケニア等々の英領各国での生産が広がったことから、価格が下落していくとともに、在庫がだぶつくようになってくる。

そこで当時のインド紅茶局が全国で喫茶習慣普及推進の旗振りを始めて、各地でデモンストレーションを始めたとのこと。それまではマーケットになっていなかった茶葉生産のお膝元での需要拡大を図ることになった。当初は英国式の飲み方を導入しようとしたらしいが、地元の人々の嗜好から現在のチャーイの形で広まることになって現在に至る。

その背景には、欧州ではすでに値崩れして買い手が少ない低級品の大量処分という狙いがあったとともに、当時の庶民の購買力の関係もあったはず。お茶はお茶でも、本当に下のクラスのものは、カフェイン入りの色付きのお湯でしかないがゆえに、マサーラーで香りを付けるとともに、ミルクと砂糖で味付けする必要があったということにもなるのかもしれない。

西欧では、カフェ文化の浸透により、様々な市民が集まり議論を交わすようになったことが、民主主義運動を拡大させるとともに、労働組合活動を盛んにしていったと言われているように、インドでもチャーイの文化が広がる中で、反英独立運動が勢いを増していったということもあるかもしれない。

チャーイを啜りながら、そんなことをぼんやり想ったりする。

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