モールビーへ

先日、ブジからラージコートに向かう途中で見かけたマニ・マンディルが気になって、モールビーの町に来た。ラージプート建築と西洋建築の混交だが、キリッと端正な佇まいが印象的だ。

宿近くのバススタンドからモールビー行きのバスに乗り、1時間半程度の道のり。モールビーにはバススタンドがふたつある。新バススタンドはラージコートに近い側にあり、古いほうはもっと奥にある。古いほうのバススタンドで降りて、町中を回る。

Darbar Baghの入口

まず向かったのはダルバール・バグ。この中には入ることはできなかった。このモールビー自体が小さな藩王国の王都であったのだが、旧王家の人たちはムンバイーに住んでいて、ときどきモールビーを訪れることがあるという。また旧王族の人たちの中には現在ロンドンに住んでいる人もあるのだとか。

すぐ左手には現在ホテルに改修されている宮殿がある。料金は7000Rsが5室、9000Rsが2室である。それぞれの部屋にVijayaba Mahal, Kesarba Mahalといった名前がついている。

7000Rsの部屋でもさらに税金が追加されるため、 今のレートで一泊15,000円くらいになるので高いのだが、部屋の内部はいかにもパレスという、なかなかいい感じだ。こうした見事なヘリテージホテルがあるのもインドのこの地域の観光の魅力だろう。ただし、このホテルに宿泊する客がそれほど多いとは思えない。町の見どころは限られているし、宿泊するならばもっと便利な場所が選択されることだろう。

ホテルはオープンしてから7年目とのこと。宮殿自体は築150年とのことである。今も旧王家所有だが、ホテルのマネジメントはState Hospitality Servicesという企業に委託している。館内にはHaveli Reataurantというレストランもある。

Darbargarh Palace
State Hospitality Services

この宮殿ホテルの脇には、背後を流れるマッチュー河に架かる吊り橋への入口がある。元々は木でできたものであったそうだが、現在は鋼鉄のロープで吊られており、鉄製の床板が敷いてある。付近には、これまたモールビーの王家所有の宮殿のひとつであったというカレッジがある。

それからマニ・マンディルに向かう。2001年の地震でひどく損傷したとのことで、2年前から修復中とか。外装は完了したものの、内部はあと2ヶ月かかるとのことで入場することは出来なかった。よって外からの見学のみ。2001年のカッチの大地震の際にはこのあたりでもかなり被害が出たということは聞いている。

さて、このマニ・マンディルが落成したのは1930年年代とか。隣のラージャスターン州とともに、グジャラートでも様々な藩王国が割拠して、イギリスはそれらを通じて間接統治していたのだが、各地の藩王が競って西洋文化を吸収していた時期には、新しい建築技術やスタイルを導入して、ユニークな建物があちこちで造られている。それぞれ趣のある旧王都を訪れるのは楽しい。

建物だけではなく、イギリス当局との協力で鉄道を敷設したところもある。もっとも自らの積極的な意思というよりも、イギリス当局による強力な要請によりということもあったのかもしれないが。イギリスが去り、インド共和国成立後には、藩王国は共和国に吸収され、藩王国が敷設した鉄道もインド国鉄に統合された。

マニ・マンディルの敷地内に食い込む形で立地するダルガー(聖者廟)がある。これを多様性の中の調和と見るか、ムスリムによる侵食と見るかは人それぞれだろうが、少なくとも近年までは無かったはずところに新たにダルガーが出現する過程を調べてみると大変興味深い事象があるはずだ。また、こうしてマニ・マンディルの修復に多大な資金を投入して作業が進行中である中、ダルガーの存続についても様々な議論、ローカルな政治的な駆け引きなども行われていることだろう。

マニ・マンディルの手前に立地するダルガー

その後、ネールー・ゲートに行く。インド独立前にはLloyd’s Gateと呼ばれていた門である。本日、こうしてマニ・マンディル以外のところも見たのには、昨日ラージコートで、モールビーに住んでいるというエンジニアの人と話す機会があったからである。いくつかの見どころを彼に聞いておくことができた。モールビーは小さな町なので、かつてラージコートで多く目にすることが出来たような古い建物や町並みがけっこう残っている。

非常に大きな鍋でチャーイを淹れている露店があった。立ち上るチャーイの芳香が鼻をくすぐり、それだけでいい気分にしてもらえる。

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