1988年 アマゾネス女性たちと蒸し暑い部屋の悩ましい記憶

英領期の建物もどんどん姿を消しつつあるヤンゴンだが、上の写真の建築物の左隣とそのまた隣はずいぶん前に取り壊されて、モダンな高層ビルが建つようになっている。この建物もすっかり空き家になっているようで、窓が壊れていたり、荒れ放題なので、もうじきこの世から姿を消すのだろう。

かつて、この建物には外国人が宿泊できるゲストハウスが入っていた。そして建物右手の地上階には国営の旅行会社のオフィスが入居していた。初めてミャンマー(当時はビルマと呼ばれていた)を訪問した際、そこに宿泊したことがある。当時は強制両替というのがあり、ひどく割の悪いレートで一定金額の外貨をビルマのチャットに交換させられたものだ。その対策(?)として、バンコクの空港免税店で、ジョニ赤と555の1カートンを購入して、ヤンゴンの繁華街で売ると、それらの品物の購入金額相当の米ドルを闇で両替するよりも割のいいレートでチャットが手に入る、という手段もあった。

まずこのゲストハウスに宿泊し、その近隣でウィスキーとタバコを売り、それから閉店前までに国営旅行会社(外国人を相手にするのはここだけだった)で列車チケットを予約してマンダレーとバガンを駆け足で回るのが、当時のお決まりのコースだった。なにしろヴィザの滞在期間がわずか一週間しかなかったし、当時はまだ内戦も各地で行われていたため、確実に訪れることができるところはごく限られていたのだ。そんなことを思い出しながら、この建物の前でたたずんでいると、ヤンゴン、はるか昔、当時のラングーン到着の最初の日のことをふと思い出した。

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そう、あれは1988年のことだった。 午後のフライトでバンコクから到着。ウイスキーとタバコを免税で買って入国。聞いたとおり強制両替があって、市内のこの宿に着いてから、階下にウロウロしていた商売人に売却。国営旅行社に行って、マンダレー行きのチケットを購入しようとしていると、順番待っているうちに営業時間終わりとなって閉店。困った。翌日は週末で旅行社は休みだ。駅で当日券あるかな?と仕方なく、隣の食堂で麺をかきこんで、旅行社が面しているパゴダを見物。地元の同年代の当時の若者たちとしばらく世間話していると時間が遅くなった。

宿に戻り、私が宿泊するドミトリー(沢山のベッドが置かれた大部屋)に足を踏み入れて、このときはじめて気が付いたのだが、20近くもぎっしり詰め込んだベッドのうち、他の宿泊客はみんな西洋人の若い女性ばかり。しかも暑い国で室温は40℃近いはず。クーラーもないので、当然のごとく小さなパンティー以外何も身に着けていない。ヌードグラビアから出てきたかのような女性たちの美しい姿にドギマギした。

 

目のやり場に困り、とりあえずシャワーでも浴びようと共同の浴室に向かうと、ドアがバァンと開いて、私の胸元にぶつかりそうになったのは、浴びた水がまだ髪の毛からしたたる全裸の女性。思わず鼻血がほとばしるかと思った。思わず目を下に逸らすと、彼女のつつみ隠さぬ股間が目に入り、頭に血が上って、こめかみあたりでドクドクと鼓動を感じてしまう。

どうしてこういうことになっているのか頭の中が整理できない私は、とりあえずシャワーをザーザーと浴びて頭を冷やすことにした。「大部屋・私以外みんな女性でグラマー・しかもほぼ裸」という空間に入っていくのかと思うと、非常に得をしたような気分ではあったものの、その反面大変に気が重いことでもあった。

バンコクからの飛行機は同じながらも、隣室のドミトリーをあてがわれていた日本人男性は、私のドミトリーの入り口で「すげぇ、アマゾネスの部屋やんか!?」なんて小声で呟いて私の顔を見てニタニタ笑っている。

彼と外にタバコを吸いに出てから部屋に戻り、隣のベッドの女性と少し話をするものの、豊かな胸元から視線を外すと、今度は素敵な腰の曲線部が気になって仕方なくなるし、そこから目を逸らすと、今度はその背後ではこれまたグラマーな女性が衣服を脱いで、見事なまでに豊かなバストがどさっとこぼれ落ちるところであった。もはやどうしようもないので、早々に寝ることにした。幸いなことに、翌日早く出発する人たちが多いようで、まもなくドミトリーは消灯。

だが困るのは、ほとんど間隔もなくぎっしりと並べられたベッドに横たわるほぼ裸体の女性たちの魅力的な肢体が月明かりに煌々と照らし出されていて、実によく見えてしまうのだ。脱水症状になりそうな蒸し暑さの中、手を伸ばせばすぐに届く距離に、たわわなバストが、尻が、脚が・・・。右にも、左にも、頭上にも、足元にも・・・。まるでこれは拷問のようだ。

夜になっても生温かく澱んだ暑い空気の中で、天井で回るファンだけがカタカタと音を立てている。頭の中を様々な煩悩が行き来して、それらをなんとか振り払おうと試みるものの、新たな煩悩がその行く手を遮る。少しウトウトするも、その淫靡な妄想がそのまま形になった夢になって現れては、目が覚めてしまう。

そんなこんなで、大変困った状態でまんじりともせずにいると、いつしか東の空が少し明るくなってくる。心なしか風も少し涼しくなってきたかのような気がする。

ところどころで、誰かのバックパックの中から「プププ」「ジリジリジリ」という目覚まし時計のアラーム音が聞こえてくる。早朝の列車だかバスだかで出発するのだろう。

そのあたりで、煩悩やら妄想やらに振り回されてクタクタに疲れている自分に気が付き、どど~んと眠りの深みに落ちていった。

ハッと気が付くと、すでに朝10時過ぎ。宿の使用人が「おーい、チェックアウトの時間で過ぎてますぞ!」と私を起こす。もはや早朝に駅で当日券買ってマンダレー行きなんていうタイミングではなくなっていた。 周りのベッドには女性たちの姿も彼女らの荷物もなく、すべてもぬけの殻となっていた。滞在可能な日数がとても短かった当時、時間を無駄にする者はいない。

昨夜ずっと悩まされた光景は、夢か幻かと反芻しつつ、すでに気温が急上昇している街中へと繰り出した。

※画像はイメージであり、文中の女性たちとは何ら関係ありません。

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