健康なナショナリズム

独立記念日、共和国記念日などが近くなると、街なかでティランガー(三色旗=インド国旗)がたくさん売られるようになる。これを装着して走り回るオートやクルマもある。

同じ国旗でも日の丸については閉塞感のような息苦しさをおぼえる一方、ティランガーについてはとても好ましい印象を受ける。

強制されずとも、特有の同調圧力で同じ方向に走る国民性のもとでの国旗掲揚、国歌斉唱は、滅私奉公的な悲壮感というか、異論を許さない「大和民族のナショナリズム」という無言の圧迫感がある。

インドのように号令をかけても、みんな勝手な方向ばかり向いて各々テキトーなおしゃべりに興じているような国におけるこれは、ごく緩~い統一感というか、なんとなくの一体感というか、健康な範囲でのナショナリズムを醸成するものであるからだ。

多様性の中の統一。もともとインドの歴史の中で、「インドという国」の概念のもとに統一を果たしたのはイギリスによる植民地支配であった。印パ分離という不幸を経ることにはなったものの、そのイギリスが創り上げた「インド」を引き継いだのが独立以降のインド共和国であった。

これほどの文化的、民族的な広がりがありながらも決して分裂することなく、着実に歴史を刻んでいるのは、広い世界でもこのインドくらいのものだろう。

やや大げさかもしれないが、東京からジャカルタ、バンコクからヤンゴンを経由してラサ、そしてテヘランからイスタンブルあたりまでをひとつの国にまとめてしまったような広がりと重層感があるのが亜大陸だ。

それをひとつの国としてほんわりとまとめ上げるのがティランガー。それぞれの民族性に偏向することのない文字通りの「共和国」のナショナリズムの象徴だと私は思う。そう、「共和国」と称する国は多いが、インドのように名実ともに「共和国」の名にふさわしい国は決して多くない。

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