昔ながらの食堂

渋い食堂があったが、満員で外でも待っているので諦めた。昔ながらのボロっとした食堂で、かつてコーチンの食堂といえば、たいていこんな感じだった。「ああ、80年代みたい!」と足を踏み入れたくなったが、なぜか明らかによその州から来たインド人ツーリストで満杯。よほど旨いのか、何かで取り上げられて有名になったのだろうか。不思議なこともあるものだ。

宿の共用スペース

あまりの大音響にコップの水の表面が揺れる。

宿近くのカトリック聖堂敷地内の特設会場でミサが開かれているのだか、賛美歌のボリュームが凄まじいのだ。終わるまでは仕方ない。

それはそうと、本日の宿の最上階は共用スペースになっている。こういう共用スペースがあると滞在が楽しくなる。

西洋人はいないけど、宿の人をまじえて一人旅のインド人の女の子と話ができて楽しかった。ビハールのパトナー出身だがチェンナイでIT企業に勤め、クリスマスから年始にかけて休みを取ってしばらくコーチンに滞在とのこと。

昔は・・・といってもどのくらい遡るかによるが、80年代から90年代前半くらいだと、宿で一人旅の若いインド人と会うことはほとんどなかったし、しかも女性というのは皆無だった。

ものすごくお喋りでずんずん前に出てくる人だ。たぶん頭の回転も早くてすごく仕事もデキそうな感じ。こういう若い人たちが今のインドを引っ張っているのだろう、きっと。

民家をそのまま宿に転用してある。

精神文化

こちらは宿の部屋のテーブル。テーブルの脚が壊れたところで、いちいちお金と手間暇かけて直す必要はない。部屋の隅、角の部分に当てて使えばよいのだ。

あるものをあるがままの状態で工夫して使う、必要な範囲でなんとかしてやり過ごすという「ジュガール」な精神性はよく言われるところだが、完璧を求めない70点主義という部分も、私たち日本人は大いに手本とすべきだろう。

インドの精神文化とはかならずしも深遠かつ高尚なものとは限らず、「テキトーにやり過ごす」という面でも如何なく発揮されるものだ。

そこには「こんなことは生きていく中において大したことではない」という悟りもあるわけで、些細なことにこだわる理由など、本来はどこにもないのである。