お手回り品にご注意

 カフェでのこと。斜向かいに一人で座っていた女性が立ち上がり、奥の化粧室のほうへと向かった。「ここにいます」という意思表示のためだろうか、財布と携帯電話をテーブルの上に置いたまま。幸運にもいままで盗られた経験がないのだろう。
 傍目には「ちょっと危ないな」と思えても、当人が被害をこうむることがなければよいのかもしれない。「安全」に対する意識は、なんといっても経験に基づき作られるからだ。
 用心しなくて済むのなら、それに越したことはない。家の窓に鉄格子がはめられていることはないし、閉店後も店のショーウィンドウには高価な品々が飾られている。カギをかけてみたところで、ガラスという一枚の脆い薄板に過ぎないということは誰もがよくわかっている。それでも周到な防備を必要としないのは、日本社会の良いところでもある。
 以前、カルカッタの繁華街で、お金を盗られてしまったという女性に会った。
「ちゃんとポーチに入れておいたのに」
と彼女は言う。首からかけた貴重品袋をショルダーバッグのように服の外に出していたらしい。人ごみの中をかきわけて歩き、ふと気がつくとそれが消えていた。彼女はあまり海外を訪れたことがなくインドに来たのも初めてだという。日本国内ではこんな風にポーチを盗られた経験がなかったのだろう。
 「日本にある我々の取引先にもって行けば、高値で買い取ってくれる」と価値のないクズ宝石を大量に購入させる手口は有名。様ざまな詐欺があるが、そうした怪しい話に簡単にひっかかってしまうのも、これまでの経験と照らし合わせ「大丈夫」と判断したからだ。

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ベトワ河の苦行者

 朝から自転車を借りてオールチャーの遺跡群を巡り、昼ごろベトワ河の岸辺に下りて一服。
 ふと水面に目をやると、誰かが河の中から顔だけを出している。溺れているのではないかと心配になったが、後頭部をこちらに向けて身動きひとつせずに静止している。「こんな修行をするヨーギーもいるのか」と感心して眺めていると、近くを通りかかった西洋人たちもやはり立ち止まって注目。
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 午後遅くなってからも男はまだ同じ姿勢で河の中にいた。すでに陽は彼方に沈もうとしている。アメリカから来たカップルが「あの人、大丈夫だろうか」と深刻な顔をして私に声をかけてきた。もしや水面下で流木に引っかかったまま失神しているのではないか、あるいはすでに息をひきとってしまったのではないか、私も心配になってきた。
 ……ところが身を乗り出して、よくよく目を凝らして瀕死の苦行者を見た私たちは、「真実」を発見し、顔を見合わせて大笑いした。遠目には人にしか見えないのだが、……そこには石を積んであるだけだったのだ。昨日は見かけなかったので、今日の午前中あたりに誰かが河に入ってしつらえたのだろう。
 まんまとだまされてしまった。誰だか知らないが「作者」のユーモアのセンスに大きな拍手を送りたい。

再訪 3 変わるもの、変わらぬもの

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 観光業の発展は、地元に確実に富をもたらしているようだ。観光客が闊歩するエリアのダーバー(安食堂)主人は30代後半。いまの店を開く前は掃除人をしていたのだという。インド人客が耳にしたら仰天しそうな発言だが、なにはともあれ下積みの暮らしから抜け出して食堂経営者になっているのだから、歓迎すべきことに違いない。
 「観光業」は、さほど大がかりなインフラを必要とせず、しかも労働集約的な性格から、特に途上国にとっては、地域振興と雇用創出のために有効な手段となる。実際、現在のオールチャーには、近隣の村落のみならず、ほかの地域や近隣州からも、職を求めてやってきた者が少なくない。
 しかし観光産業は、特に技術の蓄積がなされるわけではなく、極めて消費的なものだ。景気や政治動向にも大きく左右されるし、こればかりに依存してしまうのもどうかと思う。
オールチャー・リゾート
 訪問客が増えて、寂れていた遺蹟もメンテナンスされるようになった。現在、補修は急ピッチで進行中で、どの遺跡でも最近補修した部分が一目でわかる。宮殿外の城壁だって「新築」そのものだ。
 オールチャーは大きく変わったが、私自身も同様に変わった。当時「Seesh Mahal」に泊まるお金もなかった私が、今回はそのホテルよりもずっと格上のオールチャー・リゾートに滞在しているのだから。
 宮殿からの窓の格子を通して、ベトワ河対岸にそびえるチャトルブジ寺院の姿を見て、「これだ!」と思い出した。1989年にここに来たとき、全く同じ場所から、同じ風景をカメラで撮影したのだ。14年以上の時間を経て、まさに同じところに私は両足を置いている。当時の私と今の私が重なり合い、昔と今の風景がオーバーラップする。壮大な宮殿というロケーションがまた良い。甘美な思い出なんか何一つないのに、埃にまみれて汗くさかった青春時代の旅がロマンチックに脳裏に甦ってきた。
飾り窓の向こうにチャトルブジ寺院
▼オールチャーを訪れた人にお薦めの本
「ORCHA AN ODE TO THE BUNELS」
Alok Srivastava / Archaeology, Archives & Museums,Government of Madhya Pradesh

再訪 2 消費社会と旅行ブーム

賑わうバーザール
 なぜオールチャーは観光資源に恵まれながらも、90年代に入るまでは寂しい農村だったのか。
 それは、この国にある無数の観光地の中から、バイタリティと好奇心に溢れる裕福なミドルクラスにこの地が「開拓」されるまで待たなくてはならなかった、という一言につきると思う。
 90年代からの急速な経済成長により、ニューリッチが出現。自由化は市場に多様化と品質の向上をもたらし、本格的な「消費文化」を定着させた。当然ライフスタイルが変化し、人びとの関心は「余暇をいかに楽しむか」ということに向かった。旅行ブームの到来である。彼らはありきたりの場所だけでは飽き足らず、常に目新しいスポットを探し求めるようになった。
 オールチャーにも、その機をとらえ観光化を推し進めるべく、本腰を入れてプロモートした仕掛け人がいたはずだ。それは旅行業界か、あるいは州政府だろう。
 安旅行者には最低限の情報さえ与えれば充分だ。『ロンリープラネット』『地球の歩き方』のようなガイドブックに掲載されれば向こうから勝手にやってくる。旅人が訪れるようにれば、質素なゲストハウスもポツポツできる。清潔な食事さえもままならない寒村の不便な面も「インドにいるだけでシアワセ」な若いバックパッカーたちにとっては苦にならない。だが彼らはあまりお金を使わないので、地元にとっても行政側にしてみても、あまりオイシイ話ではない。
 地元に富をもたらしてくれるリッチなお客を呼ぶとなるとやり方は違ってくる。民間企業、政府関係機関が、きちんとしたレベルのホテルやレストランを整備してはじめて、彼らが家族連れで安心して泊ることができる場所になる。近郊の街から日帰りで訪れるにしても、ちゃんとした清潔なレストランがなければ敬遠されてしまうことだろう。

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再訪 1 寒村からリゾートへ

 マディヤ・プラデーシュ州北部、オールチャーを再訪した。
1989年のオールチャー。この角度から眺めると今も昔も変わらないが
 前回ここに来たのは1989年。この一帯には、ベトワ河の流れに挟まれた中洲を中心に、壮大な宮殿や巨大な寺院など様ざまな遺蹟群が点在している。しかし、立派な観光資源が豊富にありながら、ほとんど活用されてない。どこまでも広がる乾いた大地の風景の中、お寺やチャトリ(あずま屋)は無残に朽ち果て、遺跡に比べちっぽけで頼りない家いえがバラバラ散在しているのみ。お店といえば、土地の人びとの日用品を扱うごく小さな雑貨屋くらいだった。バスで30分ほどのジャーンスィーの街につづく幹線道路から外れると、村の中には舗装された道はない。風が吹くと砂埃がもうもうと舞い上がる乾季。寂しげな農村風景がただ広がっていた。
1989年のオールチャー 宮殿内は荒れ果てていた
 89年当時の「ロンリー・プラネット」はこの村を”undiscovered gem”と表現していた。それほど訪れる人が少なかったということだ。ラームラージャー寺院のダラムシャーラー(巡礼宿)を除けば、宮殿内に入っている州政府経営ホテル「Seesh Mahal」が当時唯一の宿泊施設。私も探し歩いてみたが、安ホテルやゲストハウスの類は見つけることはできなかった。そういえば、このホテル内のレストランでよく冷えたコーラを飲んだ記憶がある。私がなぜ割高な飲み物を注文したかと言うと、他に飲み物を売っている場所が見当たらなかったからだ。一泊の予算が1〜3ドル程度の金欠旅行者だった私は、結局日帰りでジャーンスィーへ戻った。

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