ICパスポート(2)

 ところでインドでは、外圧よりもむしろ国内的な理由からパスポートの電子化急いでいるようだ。テロリストや犯罪者たちによる変造・偽造パスポートによる入国を防ぐことが、インドで『E-PASSPORT』と呼ばれる新型パスポートの導入の準備が急ピッチで進める主要な理由のひとつだ。 電子チップに記録されたデータにより、出入国地点でそれをチェックする設備が備え付けられている限りは、インドはもちろん他国でも不正な旅券を行使しようとした者を摘発することが容易になることが期待されている。もちろん入国審査の迅速化にも有効であることから、近年とみに増加しているインド発着の空の旅客の出入国管理の効率化にも役立つ。
 インドでは2007年から電子パスポート導入の試行期間として、政治家や外交官といった公用で外国を訪問する人たちのパスポートを電子化する予定。この中で技術的な改良や検討を加えるとともに、新しいタイプ旅券発行に対応できる体制を整えたうえで、ある時期を境にその後更新や新規発行がなされるものはすべて『E-PASSPORT』化されるのだろう。今年6月中旬の報道では『2013年までに』電子化を完了させる予定らしい。もちろんそれまでにE-PASSPORTを市民に発行する・・・といった悠長なものではなく、現存のものも新規発行のものからも旧タイプの旅券を排除し、すべて新しいタイプのものと入れ替えるということである。
 ただし技術的な問題もさることながら、ことインドのような国にとっては費用の問題も頭痛の種である。現行の旅券の場合は作成におよそ1500ルピーかかるというが、電子化するにあたり埋め込まれるチップひとつの価格が500ルピー近い。これらは旅券取得者に転嫁できるにしても、電子パスポートを作るための設備、出入国チェックその他必要な場所で電子情報の読み取り確認ができる装置等々の導入にあたっての初期費用だけでも相当なものだろう。もちろん一連の動きを新たなビジネスチャンスとして、これらに関する利権をめぐって水面下ではかなり前からいろいろな動きがあるはずだ。
 進んでいる部分は確かに目を見張るものがある反面、遅れているところについては目を覆いたくなるような状態であることが珍しくないインド。せっかく電子化されてもパスポート申請を取り扱う部署の腐敗や怠慢から不正な旅券の取得が発生したりすることもあるかもしれない。それにクレジットカード同様、新型パスポートの偽造だって不可能ではないそうだ。技術の進歩の権力側の専売特許ではなく、それに対抗する側もさらに腕を上げている。こうしている今もどこかで悪意を抱く人々が偽造・変造IC旅券の作製技術の確立に日夜取り組んでいることだろう。
 こうしている今も世界中で数え切れないほど多くの人々が国境を越えて移動を続けている。その中で旅券や査証などの偽造や変造およびその行使を行なう人はごくごくひとにぎりの例外的存在である。こうしたごくわずかな数の人たちによる不正を防止という非効率にしてあまり生産的とは思えない目的のために、世界規模で多額の資金や労力が費やされることになる。
 またICパスポートの導入について法的、政治的、人権上の問題が懸念されている部分もあるし、自国政府の権限の及ばない外国政府の手に自国民の個人データを蓄積させるのはいかがなものかという疑問も提示されている。これらすべてを含めて、善意の市民たちが払わなくてはならない代償はいかに大きなものであろうか・・・と思うのは私だけではないだろう。

Indians to have e-passports by 2013 (Times of India)
便利だけですまないIC旅券:入管法改正案の問題点 (JANJAN)

ICパスポート(1)

 タイの知人のパスポートを見せてもらった。従来どおり茶色い表紙にガルーダのイメージがプリントされたものだが、手にとってみるとなんだか別物みたいだ。
 それもそのはず、日本でいうところのICパスポートである。写真、旅券番号、有効期限その他の個人データの入ったページは紙ではなくフレキシブルなプラスチックになっており、カバーには様々な情報が記録された電子チップが埋め込まれている。電子化の際にパスポートの素材も全面的に刷新したのだろう。追記や査証欄といった他ページの紙質も大幅に向上したようだ。携帯メモ帳並みの品質の紙に氏名その他のデータが手書きで記された隣国ミャンマーの旅券とは天地の差だ。
 90年代以降、偽造や変造を防ぐために多くの国々の査証は、それ以前の大きなゴム印等でペタリと押すスタンプ式のものからカラフルなステッカー状のものに変わってきている。昔は種別、発行地、発行日、有効期限くらいしか書かれていなかったものだが、今では所持者の氏名、パスポート番号等に加えて、日本のものように顔写真まで刷り込まれるものも少なくない。やがてこうした査証にも電子記録が施されたり、旧態依然の出入国印についても不正を防止するために何らかの手立てが打たれたりするのではないだろうか。
 ご存知のとおり、日本では2006年3月下旬からICパスポートの申請を受け付けている。これ以降に旅券の取得や更新をした人は、この新しいタイプのものを持っているはずだ。パスポートの電子化は時代の流れであるにしても、もともと日本にとっては取り立ててこれを急ぐ理由もなかったので、これを早期に採用することについて政府は積極的ではなかったようだが、主にアメリカからの外圧に屈した形で導入が決まった部分が大きい。具体的にはアメリカが入国査証の相互免除継続の要件として2005年10月(その後期限を延長して2006年10月となった)までのIC旅券の導入を提示したことである。(旧来のパスポート保持者は、有効期限内はビザなしでアメリカを訪問可能)
 ちなみに現在、同国の査証免除対象国とは、アンドラ、オーストラリア、オーストリア、ベルギー、ブルネイ、デンマーク、フィンランド、フランス、ドイツ、アイスランド、アイルランド、イタリア、日本、リヒテンシュタイン、ルクセンブルグ、モナコ、オランダ、ニュージーランド、ノルウェー、ポルトガル、サンマリノ、シンガポール、スロベニア、スペイン、スウェーデン、スイス、英国の27ヶ国である。当然のことながら、これらの国々もそれぞれ複数の国々を対象に査証の相互免除の取り決めがあるわけなので、将来的にはこの27ヶ国もまた各々の相手国に同様の条件を提示することもありえよう。こうして『アメリカの意思』が世界の隅々へ浸透していくことになる。自国発の『グローバル・スタンダード』を世界に推し進めるアメリカの強い影響力を示す好例だろう。
 もちろんどの国にとっても出入国の不正行為防止には有効である。電子的に記録されている瞳の虹彩や指紋その他の旅券所持者固有の生態認証情報が、旅券の持参人当人と同一であることを容易に確認できる手段が確立すれば、他人のパスポートによる不正入国を防止する効果は期待できるかもしれない。現実に日本在住の一部の外国人たちにより、自分のパスポートを外見や年齢等が似通った人物に貸して出入国させるような大胆な事例は決して珍しくないようだ。たとえば中国のように、自国民が外国で出入国等にかかわる不正問題を多数発生させている国で、可能な限り早い時期に電子旅券を採用させるよう各国から圧力をかける必要があるだろう。
 欧米や中東産油国ではインド国籍保持者による同様の問題がありそうだが、こちらはすでに旅券の電子化のスタートラインに着いている。
IC旅券の発行を開始しました(外務省)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/toko/passport/ic.html

達人たちのバンド 2

ラージダーニー・バンド

予約していたホテル玄関は蛇腹式のシャッターを閉めてあり休業中みたいに見えるが、門番がカギを開けてくれて中に入れてくれる。グラウンドフロアーにあるレセプションとレストランでは通常通り人々が働いていた。

この日のバンドはムンバイーでの連続爆破テロへの抗議と与党への圧力なのだとホテルの従業員は言う。うまくそれにタイミングを合わせた感じではあるが、固く閉ざされた焦点のシャッターに無造作に貼られたシヴ・セーナーのバンド呼びかけのポスターには、留保制度反対!牛殺し反対!物価上昇に対する対策を講ぜよ!などといった内容のものもあった。

テレビをつけてみると確かに国会のモンスーン・セッションのはじまりに合わせて、シヴ・セーナーの友党であるBJPの人々が鐘を鳴らすなどして政府、つまりコングレスとその連立政権に対するアピールとしてなにやら騒いでいる様子が映し出されているため、こうした動きと歩調を合わせて行なわれているものであるらしいことはわかる。

バンドの達人たるシヴ・セーナーだが、実はこの半月ほど前の7月9日に地元ムンバイーでバンドを試みて失敗している。バンドの理由が党幹部関係者の個人的な問題に起因するものであり『公共性』を欠いたものであったということもあるが、このところナラーヤン・ラーネー、ラージ・タークレーといった大物幹部が離反して党を離れていったため、求心力が大幅に低下してしまったのがその原因と言われている。

そこで『セーナーは本拠地を遠く離れたこんなところでも威力を振るうことができるのだ』と、彼らにしてみればまさに面子回復を賭けているのが今回のバンドかもしれない。

2000年11月にU.P.州から分かれて成立したウッタラーンチャル州の州都となったデヘラードゥーン。それまで学園都市として知られてきたことを除けば分割以前の旧U.P.州に数多く存在する中規模の街のひとつにしかすぎなかった。この街で前例のないトータルなバンドであったらしいが、やはり『州都』ともなれば政界への影響やパブリシティーといった面でこの類の行動を起こすメリットが出てくるのだろう。

家族をホテルの部屋に置いて出歩いてみた。暴徒に出くわしては困るのであまり遠くまで行くつもりはないのだが、そうでなくてもバスやオートは一台も走っていないので徒歩圏内しか訪れることはできない。雨が降っては晴れての蒸し暑い気候の中、喉が渇いても店がどこも開いていないので水さえ買うことができない。だから結局ホテルの近所をウロウロするほかないのである。十字路では交通警官がヒマそうに椅子に座っていた。『バンドは日中一杯。午後5時で一応終わりらしいよ』とのことだ。

静かな往来をボーッと歩いていて道路の突起でつまづいてしまった。すると靴底が三分の一ほど剥がれてしまった。こういう日なので路肩にデンと座り込んだ修理屋も見当たらない。突然壊れてしまった靴がうらめしくなる。

通りには誰もいないがガーンディー公園ではヒマつぶしにトランプに興じている中年男性たち、デート中の若い男女などの姿をチラホラ見かけた。街地中心のクロックタワーのあるあたりは大きな商業地になっている。ここでは消防車や『ダンガー・ニヤントラン』と書かれた暴徒対策の機動隊車両が駐車してある。このクルマの天井には催涙弾とその発射装置が搭載されているのが見える。治安部隊の人々がこのあたりに集結して警戒していた。

どこも歩いてみても閑散としていたが、午後4時過ぎあたりになると一部の商店が扉を開き始めていた。3年前、ムンバイー・バンドが終わるあたりで次第に街が息を吹き返していった様子を思い出す。だがインド随一の商都とは違い、デヘラードゥーンでは本日一杯休みにしたところのほうが多いらしい。のんびりした地方都市らしいところだろう。少しずつ人通りが出てくると新聞屋の姿もチラホラ見かけるようになってきた。

ウェーリー・メール(वैली मेल)というというタブロイド版ローカル紙を手にとってみると『未明から90台ほどのバイクに分乗したシヴ・セーニク(シヴ・セーナーの活動家)たちが出動。午前4時半にISBTに到着して2台のバスの窓ガラスを割るなどの破壊行為を働いた』『デヘラードゥーン市内複数の地域で公共バスを破壊』等々、今日のバンドについていろいろ書かれていた。こんな具合でシヴ・セーナーのバンドをまだ良く知らない市民たちにお得意の強烈な先制パンチで明け方前から存在感を示したわけだ。

記事には『朝から学校、郵便局その他の公私さまざま機関、会社、商店などが閉まっていた。路上の物売りたちも一部を除きことごとく姿を消していた。オートリクシャーやタクシーもいなかった。シヴ・セーナーにしてみれば彼らのバンドは大成功』ともある。

破壊行為で逮捕された活動家がポリスのクルマの中に座っている写真も掲載されていた。まだ20代に見えるが、シヴ・セーナーの創設者であり現在同党を率いる息子のウッダヴ・タークレーの後ろ盾でもあるバール・タークレーばりの細身で裾の長いクルターを着て粋がっている様子。シヴ・セーナーの連中にとってはあのBALASAHEBことタークレー親分のいでたちがたまらなく魅力的に映るのだろう。

パルタン・バーザールを抜けたところの ラーム・ラーイ・ダルバールという墓廟兼グルドワラーをしばらく見物して外に出てみると薄暗くなってきた。さきほどまでは人の行き来がまばらだった通りには、昼間まったく見かけなかったオートが何台か客待ちしている。

蒸し暑い中を歩きずくめで疲れた。ガタガタと揺られつつも腰掛けたシートに疲労が吸い込まれていくようだ。

<完>

達人たちのバンド 1

rajdhani band
ひと月半くらい前の7月24日のことである。ウッタラーンチャル州の避暑地マスーリーのタクシースタンドからデヘラードゥーンの市街地まで行くところだった。

本来ならば400ルピーらしいのだが運転手は『今日ちょっとねぇ。遠回りすることになるから』などといって500要求してきた。少し離れたところで客待ちしていた別のドライバーにたずねてもまったく同じことを言う。どこかで工事でもしているのだろうか。面倒なのでそのままクルマに乗り込んだ。

数日前にデヘラードゥーンからここに来るとき、山の斜面に入ってからの九十九折れのカーブの連続で子供がクルマ酔いして困った。それを教訓に今日は『ほら、クルマ酔いの薬だよ』とテキトーに騙してトフィーを与えた。息子は翌月に5歳になる。このくらいの年ごろだと『薬』がどういうものだかわかっているし、まだ素直なので暗示にかかりやすい。そういう意味では小学校に入学する前後の子供が一番扱いやすいのではないだろうか。おかげで下りは車窓の景色を眺めてはしゃいでおり、気分が悪くなる兆候もない。これは助かる。

南方に平地を見ながら下っていく山道の風景は本当に素晴らしい。緑が多く雲もところどころに溜まっているのが見える。ときに町中が雲の中に入ってしまったり、晴れ渡ったりと5分たてば違う風景になってしまうのがこの時期のマスーリーである。

妻と子供と三人で過ごした避暑地の週末はなかなかよかった。英国時代からの古い教会、古いショッピングモールには設立年が書かれている。道路わきで見かける水道の古い蛇口も植民地時代のもの。これを住民たちが世代を継いで利用しているのは興味深い。とかく植民地時代の面影が濃い町である。

涼しい気候はもちろんのこと、避暑地のウィークエンドは都市の中産階級の人々でごったがえしていた。身なりがよく華やかで購買力のある人たちばかりがモールを歩いているので、ごくひとにぎりの豊かな人たちと大多数のつつましい庶民からなる普通の町中とはずいぶん違う雰囲気であった。

タクシースタンドを出てからずっと下り坂だ。タクシーはデヘラードゥーン郊外に出るまでエンジンをかけずにブレーキを踏むのみである。インドではバスもタクシーも坂道でこういう運転をする人は多い。昔、自動車教習所で教わった恐ろしいヴェイパー・ロック現象というのは、そうそう簡単に発生するものではないらしい。

街の入口にさしかかろうというあたりから上り坂になる。運転手はようやくここでイグニッションを回してブォブォブォンッとエンジンをスタートさせた。彼はポケットからおもむろに携帯電話を取り出して誰かと話を始めた。相手はデヘラードゥーンの街にいる知り合いにかけているらしいのだがちょっと様子が変だ。まさかここを初めて訪れるわけでもあるまいが市内の様子を詳しく質問している。

住宅がまばらに広がる郊外を抜けて市街地に入るあたりまでやってきた。すると道路の様子がちょっとおかしいことに気がついた。平日の昼近いのに他に走っているクルマがやけに少ないのだ。ドライバーはクルマを停めた。何かと思えばそこから先の状況を、ときおり向こうからやって来るバイクなどを呼び止めてたずねている。

『えっ?ひょっとして暴動か?バンド(スト)か?』と彼に聞くと答えは後者であった。どこ(誰)がやっているものかと問えば答えは『シヴ・セーナー』であった。もともとはマハーラーシュトラの地域政党である彼らがここウッタラーンチャル州都でゼネストを行なうのはやや意外であった。北インド各地でもしばしばトラの顔をデザインしたトレードマークを描いたセーナーの支部があるのをチラホラ目にするものの、この地でそれを強行できるほどの地盤があるのかどうかはよく知らない。

だが彼らセーナーのバンドは徹底していて怖いことは広く知られているため人々はそれに従う。そんな彼らはいわば『バンドの達人たち』である。それならさっき乗るときにそう言ってくれればマスーリーでもう一泊したものを。

繁華街の方角からやってきたある運転手は『破壊活動していた連中は捕まったよ』と言い残して郊外へと走り去っていったが、おおいに気になるところである。さきほど携帯で市内の人に電話していたのも様子をうかがうためだったのだ。

こういうときなら通常よりもタクシーの料金が高いのもわからない話ではない。ちゃんと目的地のホテルまで連れて行ってくれるならもっと払ってあげたい気分。彼が気にしているのはもちろん黄色いナンバー・プレートで営業車だとわかってしまい、『アクティヴィスト』たちによる攻撃の対象になってしまうためだ。もちろんクルマ自体や運転手だけではなく利用している乗客にとっても危険であることは言うまでもない。

ドライバーはその後市街地方向からごくたまにやってくる何台かのバイクやクルマなどをつかまえては状況をたずねていたが、まあ大丈夫そうだと判断したようだ。

タクシーは発進した。白昼だというのに往来がすっかり途絶えている大通り、ありとあらゆる店がシャッターを下ろし、路上の物売りさえも姿を消している街中を滑るように進んでいく。
デヘラードゥーンの中心地の繁華街らしきエリアに入った。大きな時計台の少し手前のガーンディー公園が見えてくると運転手はクルマを路肩に寄せた。『繁華街らしきエリア』と書いたのは、建物等の具合からしてそうと思われるのだが、あたりに誰もいないし店もすべて閉まっているためよくわからないのだ。白昼なのにまるで深夜過ぎの雰囲気である。

『早く降りて。早く早く』と私たちを急かして放り出すように降ろしたドライバーは、アクセルを踏み込んでUターンして今来た道を一目散に飛ばして退散した。乗ってきたクルマのエンジン音が遠ざかるとインドの街中にいるのが信じられないほどシーンと静まり返った空気。木々のこずえでさえずる鳥たちの声しか聞こえない。クルマや店先のスピーカーなどによる騒音さえなければインドの街はこんなにも静かなのだ。ということは自動車や電気のなかった中世のインドはさぞ静粛であったのだろう。

数年前の7月にちょうど居合わせたムンバイー・バンドを思い出した。あのときも主役はシヴ・セーナーだった。今回のバンドは『ラージダーニー・バンド』と銘打ってある。ウッタラーンチャルの州都(ラージダーニー)で打って出たゼネストだ。

<続く>

熱暑にご注意

 今日も暑い一日だった。モンスーンのためしばしば激しい雨が降り、酷暑の時期よりはるかにマシとはいえ、外を歩けばやはり暑い。
 まだ日は高いけど、部屋に戻ってクーラーを効かせてしばしうたた寝でもしようか・・・と滞在先のホテルに戻ろうとすると、入口すぐ脇でバックパックを放り出して地べたに座り込んでいる大柄な白人男性がいる。彼は炎天下で頭を両手で抱え込んだままピクリともしない。 
 ちょっと様子が変だと思い声をかけてみると、トロンとした目で意識は朦朧としているらしい。こちらの質問にはかすかにうなづいたり首を横に振ったりするが、声を発することができない。ひどい日射病らしい。状況から察するに、この町に到着してホテル探しをしているときに気分が悪くなってしまったようだ。
 この人はかなり高齢のようで、見たところ60代後半から70代前半といったところ。姿格好や荷物の様子からしてけっこう旅慣れていそうな雰囲気なので、普段は元気な「高齢バックパッカー」として世界各地に出没しているのかもしれない。南アジアでも中東でも、およそ旅行者の出入りするところでは欧州からやってくる年配の安旅行者は珍しくなく、西ヨーロッパ先進国における『旅行文化』の厚みと歴史の長さを感じさせるものがある。
 身に着けているTシャツにオランダ語のプリントがなされているからといって彼がオランダ人だと断定するのは早計だが、こういう年齢での一人旅といえば、フランス、ドイツ、スイス・・・といった今でも『旅行大国』として知られる国々、つまり所得が高くてしかも夏のヴァカンスなどの休暇が長い国の人たちの占める割合が圧倒的に高い。
 本人が口を利ける状態にないので、いったいどこの国からやってきたのかわからないのだが、ともかく危険な容態にあることは見て取れた。とりあえず宿のチョーキダールと彼を日陰に運ぶ。近くの店でミネラルウォーターを買ってきてあげたが、自分で飲むことができる状態でさえなかった。
 そうこうしているうちにホテルからフロント係の従業員が出てきて、携帯電話で彼を病院に運ぶクルマの手配をしている。ふと気が付くと私たちを大勢の野次馬が取り囲み、あたりはまさに黒山の人だかりになっている。
 年配の方々が家に閉じこもるのではなく、興味のある土地へと、世界各地で元気に一人旅を楽しむのは素晴らしいことだと思う。しかし日射病のような突発的な異変ならずとも、そのくらいの歳になれば身体の中にひとつやふたつの慢性的な不安がある人、定期的な加療が必要な不具合を抱えている人も多いだろう。 
 ぜひ体調に充分な注意を払い良い旅を続けて欲しいと思う。
 同時に日射病で倒れている人を見て日陰に連れて行く、水を与える以外にどうしたらよいのかわからなかった自分自身の知識不足(病院に搬送する前に周囲の人が確認すべきポイントがいくつかあるらしい)について反省させられたし、彼の容態を見てこの症状の恐ろしさが少し理解できた気がする。
 高齢者でなくとも、暑い時期に無理をすれば誰でも日射病・熱中症にかかる。今後私自身充分注意していきたい。