スンダルバンへ 3

20090111-sunset.jpg
このツアー最初の船による見物を終えて宿に戻る。宿泊先であるスンダルバン・タイガー・キャンプで、私が予約しているのは一番下のクラスの部屋だ。申し込んだのが直前であったためそこしか空きがなかったということもあるが、上のクラスはけっこうな値段になっているものもある。
一番安いクラスは『テント』と聞いていたので、軍の野営用のテントみたいなのがあるかと思ったら、それとはかなり違うものであった。必要に応じて移動したりできるようなものではなく、ちゃんとした「部屋」である。テントよりも上のクラスである『小屋』と違うところといえば、部屋の壁の素材が木ではなくて布であることと、部屋に収容できる人数くらいではなかろうか。テントも小屋もどちらも4人部屋となっている。そのためそれ以下の人数で申し込んだ場合、他の人とシェアすることになる。さらに上のクラスには、『コテージ』『ACコテージ』『エグゼキュティヴ・コテージ』とある。どれも2人宿泊を基本としている。
『テント』
スンダルバンの観光シーズンは暑い時期ではないし、どのタイプの部屋に宿泊してもその他のサービス、つまり食事や夕方敷地内で催されるプログラムは共通だし、ボートによる観光も宿泊する部屋のタイプにかかわらず共通だ。
午後6時からは、スナックとショーの時間となる。私たちのテントの横にある広場で、チャーイ、コーヒーとともにパコーラーが提供される。薪をくべての焚き火の周りにツアー参加者たちが集まってくる。夕方になるとさすがにちょっと肌寒くなってくるので、こうした温もりがうれしい。
 
やがて本日のショーが開始される。この地域に伝わる村の踊りの披露とのこと。洗練されたものではない素朴なもので、特にどうということはなかったが、これを眺めながら隣合わせた人々と話をするのはけっこう楽しい。
プログラム終わったのは8時過ぎ。テントに戻ってしばらくすると、さきほど踊りがなされていたところから打楽器と歌が聞こえてくる。何か続きでもなされているのかと思い、アメリカ人新婚カップルと出向いてみると、ツアーに15人で参加しているベンガル人家族が踊っていた。この中にいる男性の一人が、プロ顔負けのノドで歌い、プラスチックの椅子を打楽器代わりにして指で打ち鳴らしている。一族の年嵩の男性たちは酒を飲みながら手を打ち鳴らし、女性や子供たちは楽しそうに踊っている。かなりくだけた家族みたいだ。
その様子を外から眺めていると、『こっちにいらっしゃい』と酒を勧められ、彼らと一緒に踊ることとなった。昔のアミターブバッチャンの映画『ドン』(近年シャールク・カーン主演でリメイクされた)の挿入歌が次から次へと出てくる。
先述のノド自慢男性がパーン・バナーラスワーラーを歌いだすと、盛り上がりは頂点に達する。若い男性が集まって騒いでいるなら迷惑なだけなのだが、15人の家族のうち男性は中年層がおよそ三分の一、嬉しそうに踊っているのは主に彼らの妻や子供たちなので、とてもほほえましかった。家族でいつもこうして愉しんでいるのかどうかは知らないが。笑いと歌声に満ちた楽しいひとときであった。
『パーン・バナーラス・ワーラー』で最高潮に

スンダルバンへ 2


バスは午前11時にショーナーカーリーという町の波止場に着いた。ここから船に乗り換え、3時間半ほどかけてダヤープルという場所にあるこのツアーの宿泊施設へと向かう。船が出てからしばらくは、人々が居住している地域を通るので、水上の交通量は多く、河岸には土を大量に積んで築いた高い堤防が続いている。モンスーン期の高潮がどれほどのものか、また上流からの増水がどんなものか想像がつくようだ。その背後には家屋の屋根を垣間見ることができる。

しばらくこうした風景を眺めながら船は南下する。しばらくすると船の右岸側がトラ保護区である。ここでは人々が生活することは原則的に許可されておらず、開墾や開発といった行為もご法度である。ゆえに河岸の堤防などはなく、ただマングローブの森林が濃密に広がる岸辺が延々と続くようになる。反対側の岸辺には人々が暮らしているようで、ところどころ集落が見られ、堤防も築かれている。
スンダルバンの地図については、こちらをご参照いただきたい。観光客がツアーなどで見物するのはこの中で濃いグリーンで塗られている地域に限られるようだ。さらに南部のほうには、スンダルバンの大自然のコア・ゾーンとしての広大なエリアがあるのだが、そちらは観光目的での入域も禁止されており、動植物のパラダイスとなっている。

水面からの照り返しをうけて目をシパシパさせているうちに、いつしか眠りに落ちてしまう。周囲がザワザワしているので目が覚めると、船はこの行程中の宿泊先であり、ツアー主催者でもあるスンダルバン・タイガー・キャンプがあるダヤープルの波止場に舳先を付けようとしているところだった。
スンダルバン・タイガー・キャンプにチェックインしたのは午後2時半。ここですぐに昼食である。ビュッフェ式ですべてインド料理。敷地内のレストランで、皆それぞれ思い思いの場所に腰かけて食事。

そして午後三時半からは同じ船でサジネカーリーというところの博物館とクロコダイルポンドを見物。ウォッチタワーもあり、ここから鹿を見たという人もいたが、私は何も見ることができなかった。ウォッチタワーから放射状に長く森林が取り払ってある部分がある。動物がちょうどそこを通過する際には、それを観光客が見ることができるという具合だ。ワニは水に潜っていて、見ることはできなかった。

帰りは波止場が物凄い混雑になっていた。スンダルバンのこのエリア、つまりツアー客だけが許可を得て入域できる地域には、州政府観光公社(WTDC)のものをはじめとして、今回私が利用しているスンダルバン・タイガー・キャンプのような民間宿泊施設がいくつかある。それらのすべてがこうしたツアーを組んでおり、どこも似たようなスケジュールを組んでいるためこういうことになるらしい。しかしながら自前の足で移動して見物できるところではないので、こればかりはいたしかたない。客層があまり良くない感じの船も見かけたので、ツアー料金がかなり安いところもあるのだと思う。
ツアーガイドは、スンダルバン・タイガー・キャンプの職員ではなく、森林局に所属しているとのこと。彼らはガイドで生計を立てているというから、そういう専門職なのかもしれないし、臨時職員という立場あるいはフリーランスで、森林局に登録しているという形態なのかもしれないが、そこのところはよくわからない。

スンダルバンへ 1


スンダルバン国立公園を見物するツアーに参加してみた。コールカーター市内のプリヤー・シネマ前から朝8時集合である。スンダルバンは世界最大のマングローブのジャングルだが、インド側に三分の一、バングラーデーシュ側に全体の三分の二という形に分け合っており、どちらも世界遺産に登録されている。また野生のトラがもっとも多数残されているエリアであるとも言われる。2004年のセンサスによれば、スンダルバンのトラ保護区に棲息しているトラは245匹であったのだとか。
極端な低地に広がる地味豊かな土地である。スンダルバンという地名の由来であるとされるスンダリーという木以外にも、各種さまざまなマングローブの木で覆われているこの湿地では、シカ、ワイルドボアー、サルなどといった哺乳類に加えて、ワニ、大型のトカゲ類、各種ヘビ、海ガメ等の爬虫類、大型の鳥類から小さくて可愛いキングフィッシャーまで色々な鳥類、そして魚や甲殻類の宝庫でもあるとされる。
この地域の農業や漁業による産物以外に盛んな産業として、野生の蜂の巣から採取したハチミツが挙げられる。ときにメディア等により写真入りで伝えられるとおり、リスクを覚悟で後頭部に人の顔の形のお面を被った(通常、トラは背後から襲うとされる)人々が森の奥に分け入って採集するのだ。
他の景勝地や遺跡などと違い、地元での足がないとどうにもならないので、ツアーに参加することにした。参加費用には、コールカーターから宿泊先までのバスとボート、滞在中の観光行程中のボートによる移動手段、食事と部屋代、宿泊先で夕方に催される舞踊や演劇といったショーの類の料金等が含まれている。
私が利用したツアーは、国立公園内に立地する宿泊施設の主催によるもので、一泊二日のものと二泊三日のものとがある。前者ではあまりに短すぎるので、後者に参加することにした。料金は、ツアーの期間がどちらかによって違うのはもちろんのこと、利用する部屋のタイプによってもかなり大きな開きがある。
スンダルバンツアーに参加しても、ベンガル・タイガーを実際に目にする機会はあまりないという。また平地に暮らす人たちが普段目にしない雪山や清流を目にするような旅行ではない。観光地としてはどちらかといえばかなり地味なものだと思う。
出発場所には、主催者であるスンダルバン・タイガー・キャンプという宿泊施設の専用バスに加えて、おそらくチャーターした大型バスも停まっていた。果たして今日のツアーに何人参加するのかと尋ねてみると、しかも総勢54人という大人数であることがわかった。スンダルバンを訪れる観光客の大半は11月から2月にかけてやってくるという。今はちょうどピークの時期である。
参加者の大半が西洋人をはじめとする外国人ではないかと予想していたのだが、意外にもツアーバスの中で出会った人々のほとんどがインド人であった。しかも地元西ベンガル在住ないしは他地域に暮らしていても出身がベンガルである人々が大半。加えてデリーやUPから来た人たちが少々といった具合だ。また海外在住のインド人たちの姿もけっこうあった。アメリカで夫婦ともに大学で教鞭を取っているという中年カップル、アメリカ人と結婚して同国に暮らすインド人女性等々。
インドに暮らしている人たちにしても、海外から一時帰国している人たちにしても、たいていが家族連れで参加しており、単身での参加者はいない。いずれにしても、知性も経済力も高そうな人たちが多い。バスの中での会話のほとんどは英語であったが、カルカッタ在住だが、ちょっと庶民的な雰囲気でやたらと人なつっこい大家族(総勢15名!)だけは、あまり英語ができないようで、主にベンガル語で周囲とにぎやかに会話していた。
いずれにしても、バスの座席に座る人たちは、周囲の座席の人々とよく会話しているし、トイレその他のためにバスがしばらく停車すると、車外に出て他の乗客たちといろいろ声を交わしている。今日から三日間ともに過ごす相手が何者なのか、アンテナを大きく張り出させて互いに探り合っている感じだ。
他の外国人の参加者は、カルカッタでの友人の結婚式に参列するついでに来てみたというアメリカ人の三人連れ、そして同じくアメリカから来た新婚カップルの計5人であった。どちらもニューヨーク在住だそうだ。

ハウラーの鉄道博物館

コールカーターのハウラー駅の隣にある鉄道博物館のゲートに着いたのは1時15分前。午前中は開いておらず、開館時間は奇妙なことに午後1時から。ゲート外でしばらく待つことになる。インド国鉄の東部のネットワークを管轄するイースタン・レイルウェイの手による博物館である
2006年4月にオープンしたばかりだけあって鉄道博物館は美しく整備されていた。よって展示物もキレイで気持ちが良い。じっくり見物しても1時間とかからないこじんまりした規模だが、鉄道の運行や駅での作業等にかかわる展示、ハウラー駅のミニチュアの中にはインド東部の鉄道網の起点である同駅ならびにスィヤールダー駅の歴史、英領時代の貴重な機関車や車両などの展示がある。
ハウラー駅のミニチュアの中では、駅の歴史等の写真展示等がなされている
20090109-station.jpg
こうした鉄道関係の展示施設は各地にいくつかあるようだが、やはりデリーのブータン大使館横にあるNational Rail Museumは格段に規模が大きく、展示物の質・量ともにこことは比較にならない。今回取り上げてみたハウラー駅隣のものは前述のイースタン・レイルウェイによるインド東部地域の鉄道に関する紹介のみのこじんまりとした鉄道博物館だ。
しかしながら、マネキンを使い列車の運行や施設保守に関わるさまざまな作業員たちにもスポットを当て、彼らの仕事ぶりを紹介するなど、列車を走らせるために働く人々の役目を理解してもらうことにも力点を置いていることが特徴だろうか。既存の他のこうした施設よりも後発である分、展示物の企画そのものやお客への見せ方について熟慮されているようで好感が持てる。
20090109-1.jpg
20090109-2.jpg
展示物の中で特に興味深かったのは、鉄道初期の牛で引く『列車』(もっとも日本の鉄道初期には、人力により客車を引っ張るローカル線も一部あったようだが・・・)の画像、そして旧東パーキスターンの蒸気機関車であった。躯体両脇にはイーストパーキスターンレイルウェイと英語とウルドゥー語で書いてあるが、表記がベンガル語でないところがミソである。独立戦争の最中にちょうどインドに来てそのままになっていた車両がそのままインドで保管されることになったものだという。
初期の鉄道狭軌道には牛で引く列車も・・・
東パーキスターン鉄道の機関車
East Pakistan Railwayとの表示
中がレストラン(・・・というよりキャンティーンか?)に改造してある客車がある。また敷地内はきれいな芝生になっており、ベンチがあちこちに置かれていてのんびりできる。駅に早く着いてしまい、乗車するまで時間があったり、乗り継ぎでしばらく時間を潰す必要があるときなど、ハウラー駅正面出入口を出てすぐ右側にあるので、ちょっと足を伸ばしてみてはどうだろうか?
以下、参考までに他サイトによるこの博物館の写真入りの簡単な紹介である。
Eastern Railways
knowindia.net

黄金のベンガルに白亜のタージ

野次馬根性が大いにかきたてられるニュースだ。ぜひ訪れてみたいと思う私である。偽モノ、贋作、B級品が大好きな私には耳寄りのニュースなのである。
BBC NEWS South Asiaにて、バングラーデーシュでこのほどほぼ完成したタージ・マハルの原寸大とされるレプリカのことが取り上げられていた。
Bangladesh to open own Taj Mahal (BBC NEWS South Asia)
17世紀に建設されたムガル建築の至宝、タージ・マハルがダッカ近郊にオープン!するのだとか。イタリアから輸入した大理石と花崗岩、ベルギーから取り寄せたダイヤモンドも使用し、5年間の歳月と費用5800万ドルをかけたというそのレプリカは、バングラーデーシュ首都ダッカからクルマで1時間ほどのところにあるショナルガオンにて、ほどなく完成の時を迎えようとしている。
ここは旧領主の豪壮な館など見どころの多い観光地だが、さらにもうひとつの『名所』が加わることになり、まもなく国内外の旅行案内などにも掲載されるようになるのだろう。工事の施主は同国の映画製作者であるというから、作品の撮影にも頻繁に利用されるようになるのだろうか。
レプリカの廟の全景の写真は、以下の記事に掲載されているのでご覧いただきたい。
A New Taj Mahal in Bangladesh (rongila.com)
自国の観光シンボルマーク的な建築物のそっくりさんが出現したことついて、在ダッカのインド高等弁務官事務所(大使館に相当)はご機嫌斜めのようだ。『コピーライトの関係で問題ないか調査する』とのこと。
A replica of the landmark Taj Mahal (YAHOO! NEWS)
India fumes at duplicate Bangladeshi Taj Mahal (Hindustan Times)
『コピーライト』を理由にクレームをつけることが可能なのかどうかはさておき、歴史や文化など共有するものが多い南アジアの御三家。その真ん中に位置し、偉大なる遺産の相当な部分を継承した貫禄ある長兄として、大目にみて欲しいものだ。いかに似せてみたところでレプリカはレプリカに過ぎない。歴史的な価値という点からは比較のしようもないのだから。
一野次馬としては、全体のプラン、庭園、建物の外装・内装等々、どれほどリアルに再現してあるものなのか、その出来具合には大いに興味を引かれるところだ。最近インド各地で新築ながらも『ヘリテージ風』の建物のホテルなどがある。これらがなかなか立派に造ってあることを鑑みれば、本物同様の細微な象嵌細工は期待せずとも、遠目にはまずまずのレプリカは可能なのではなのかもしれないが、いかんせん実物大というところに期待して良いものなのか、果たしてそうではないのか?
だが仕上がり具合以上に気にかかるのは、5800万ドルもの大金をかけてこうしたものを造ったアサヌッラー・モーニー氏の目的や動機とその資金の出所である。記事にあるがごとく単に『実物を見る機会のない人たちのため』にこれほどまでのものを用意するものだろうか、気前よくポンとお金を出すスポンサーがいるものなのか。じきにレプリカ建築の背景に関する詳報がどこかから出てくるのを待つことにする。
なお先述のBBCは同記事中で、ここを訪れた人、近々訪問する人に対して写真またはビデオの投稿を呼びかけている。現在バングラーデーシュにお住まいの方、これから同国に出かける予定のある方は、首都ダッカからちょっと足を伸ばしてみてはいかがだろう?