香港飯店

華人の影が非常に薄いインドにあって、その人口が集中しているのはご存知のとおりコールカーター。
その中でも彼らの姿が多く見られるエリアといえば、市の東部にある主に皮なめし産業と比較的規模の大きな中華料理店が多いことで知られるテーングラー地区、今はその名残をとどめるに過ぎないが往時はチャイナタウンとして栄えたラール・バーザール界隈、チッタランジャン・アヴェニューなどが挙げられるが、ニューマーケット界隈から消防署を経てパーク・ストリートへと走るフリー・スクール・ストリートもそうした華人たちがかなり多い場所のひとつである。
彼らが経営する男女入口が別々となっている理髪店兼美容室、堅牢そうな履物を多数そろえた靴屋の店先に中華系とおぼしき店主らしい人物の姿が見える。ここ数年来、私がコールカーターに来るたびによく通っている中華料理屋『香港飯店』もその界隈にある。英文では『Hong Kong Chinese Restaurant』と書かれたその店は、コールカーターで生まれ育った鐘さんという客家人兄弟が経営している。
地元ベンガル料理を含めて、インド各地のおいしい料理が味わえる、大都会コールカーターに来てまで中華料理?という気がしないでもないのだが、中華だってこの街の立派な名物料理のひとつといえる。豚肉がまず見当たらない、野菜をやたらと細く刻んである、やたらとグレービーであるなどといった具合に、インド化された部分はあるとはいえ、他の地域で食すインド中華に比べて格段に美味であることが多いと私は感じる。やはり餅屋は餅屋、中華料理は華人あってこそのご馳走だ。
立派な中華レストランが立ち並ぶテーングラーを含めて、市内各所で目に付いた華人経営らしきところで食事してみたが、鐘さんのこじんまりした食堂は高級店と比べても決して引けをとらない味をエコノミーな値段で実現している。特に魚料理がお勧めである。客席のすぐ脇の厨房から聞こえてくる調理の音も臨場感があっていい。
鐘さん兄弟の弟さんのほうとよく話をするだが、これまでこの方にはコールカーターの華人コミュニティや彼らゆかりの場所などについて、多くの貴重な情報や示唆をいただいていきた。
鐘さんの一日は、まず朝6時すぎにマーケットに行き、野菜・肉・魚等の食材を購入。8時すぎには店のドアが開き、フロアーを掃き清めている。同時に厨房では仕込みの作業等が始まっている。9時くらいになれば、もうほとんどスタンバイ状態だ。そして夜は10時すぎの閉店時間までずっと店を切り盛りしている。基本的に年中無休で、休みといえば旧暦の新年の際にほんの数日店を閉めるくらいだとか。
営業中、彼は出納台のところに詰めているとともに、込み合う時間帯や雇っている料理人が休みの日には自ら厨房にも立つ。『買い物、掃除、接客、調理、会計その他諸々、なんでもするよ』『10の仕事を10人で分け合うのが×××人だとすれば、私ら中国人はその全部を一人でこなすのさ。日本人と同じだろ?』という現在50歳の彼は、若い頃に親戚のツテで中国で学んだこともあるのだとか。
最近、コールカーターに投資や仕事関係で大陸からやってくる中国人もけっこうあるそうだ。そうした人たちがしばしば彼の食堂に立ち寄るとのことで、私もそうした人物の姿を見かけた。彼らとってインドで数少ない中国語が通じる店であることもさることながら、ここの料理の味自体もなかなか好評のようだ。
場所は、さきほどのフリー・スクール・ストリートをパークストリートとの交差点方面へと下り、消防署を左手に見て少し進んだところで道路右側にある。
バックパッカーたちをはじめとする各国からの旅行者たち向けの宿が集中するサダル・ストリートからすぐそばなので、このあたりに来ることがあれば、『おいしい中華料理』のために立ち寄ってみてはいかがだろう。

スンダルバンへ 5

スンダルバンの朝
朝5時半、スンダルバン・タイガー・キャンプのスタッフたちが敷地内を巡回して鳴らすハンドベルによる合図で目覚める。まだ頭の中が半分眠っている感じだ。テラスに出るとすでにチャーイとビスケットが用意されている。6時半にボートは出発。昨日よりも細いクリークを行くとのことである。トラはともかくして、水辺の小さな生き物の様子なども観察できるのかと期待したが、船は昨日のものと同じ。それなりの大きさがあるため細いクリークを往来することはできない。
 
ツアーに参加する前は、どこか島に上陸して散策することもできるのではなかろうかと思っていたが、それはできないことになっており、基本的に船に乗ったままで景色を眺めるだけである。
ウォッチタワー
いや正確には幾度から上陸している。しかしそれができるのは金網で囲んで安全が確保された、遠くまで見渡せるウォッチタワーのある部分のみである。そうしたところでは足元はレンガを砕いた砂利で舗装され、公園のように整備されているエリアだ。
マングローブが生い茂る水際に足を踏み入れてズブズブと泥の中に沈む感覚を楽しんでみたり、それらの植物の根元に隠れているカニを探してみたり、広大なガンジスデルタでは一体どんな魚がいるのかと釣り糸を垂れてみたりということができるわけではない。

もちろんトラの危険という点がひとつ、そして足元がどこまでも茂みでよく見えないこの地域には、さまざまな毒ヘビが棲んでおり危険であるということ、水の中にも海ヘビが数多く棲息しているということもあるのだろう。もちろんそれらに加えて国立公園としての規則その他いろいろあるのだろう。
細いクリークは引き潮の際には干潟となる。
しかしながらどこか一部、マングローブの森林の中を歩き回り、そこでの生き物たちのありかたを五感で知覚できるような場所がひとつくらい用意されていてもいいように思うのだ。せっかくスンダルバンに来ていながらも、あたかもそれを窓ガラス越しに眺めているような(もちろん船にそんなものは付いていないが)気分にさせられるのである。

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スンダルバンへ 4

スンダルバンの朝日
まだ外が暗いうちから敷地内各所からチリチリチリと音がする。ここでは起床時間、食事、クルーズへの出発等々の毎に、ハンドベルを手にしたスタッフたちが通路を歩き回って参加客たちに時間を知らせることになっている。
朝6時に紅茶とビスケットが出た。そして7時にボートでクリークへと向かう。クリークといっても想像していたほど細いところを行くのではなかった。昨日ここに来るときに幾つかのごく細いクリークを目にしていたので、てっきりそういうところを進むのかと思っていたが、私が乗っている船がそういうところを無理に遡行しようとすると、いとも簡単に座礁してしまうだろう。
船の中で朝食が出た。紅茶あるいはコーヒー、そしてサンドイッチとパコーラーである。朝方かなり冷え込んでおり、手のひらの中の温もりが心地よい。
タイガーポイント
しばらく進むと『タイガーポイント』という大きな看板が見えてきた。トラが多く生息している地域らしい。私たちは岸辺に残されたトラの足跡を見つけることができた。ガイドによれば、夜明け前にここから対岸に泳いで渡るために降りてきたものだという。6時間ごとに満潮と干潮と入れ替わるが、今はまだ干潮なので、その足跡が残っている。まだ私たちが寝ているときにトラがまさにここを歩いたのだ。
撮影できた角度が悪くて判りづらいが、くぼんでいる部分がトラの足跡
ガイドによれば、スンダルバンのトラは5キロも泳ぐことができるのだそうだ。もともとそんなに泳ぐ動物ではないが、スンダルバンという湿地帯に住むため、環境に適応したものだとか。

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スンダルバンへ 3

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このツアー最初の船による見物を終えて宿に戻る。宿泊先であるスンダルバン・タイガー・キャンプで、私が予約しているのは一番下のクラスの部屋だ。申し込んだのが直前であったためそこしか空きがなかったということもあるが、上のクラスはけっこうな値段になっているものもある。
一番安いクラスは『テント』と聞いていたので、軍の野営用のテントみたいなのがあるかと思ったら、それとはかなり違うものであった。必要に応じて移動したりできるようなものではなく、ちゃんとした「部屋」である。テントよりも上のクラスである『小屋』と違うところといえば、部屋の壁の素材が木ではなくて布であることと、部屋に収容できる人数くらいではなかろうか。テントも小屋もどちらも4人部屋となっている。そのためそれ以下の人数で申し込んだ場合、他の人とシェアすることになる。さらに上のクラスには、『コテージ』『ACコテージ』『エグゼキュティヴ・コテージ』とある。どれも2人宿泊を基本としている。
『テント』
スンダルバンの観光シーズンは暑い時期ではないし、どのタイプの部屋に宿泊してもその他のサービス、つまり食事や夕方敷地内で催されるプログラムは共通だし、ボートによる観光も宿泊する部屋のタイプにかかわらず共通だ。
午後6時からは、スナックとショーの時間となる。私たちのテントの横にある広場で、チャーイ、コーヒーとともにパコーラーが提供される。薪をくべての焚き火の周りにツアー参加者たちが集まってくる。夕方になるとさすがにちょっと肌寒くなってくるので、こうした温もりがうれしい。
 
やがて本日のショーが開始される。この地域に伝わる村の踊りの披露とのこと。洗練されたものではない素朴なもので、特にどうということはなかったが、これを眺めながら隣合わせた人々と話をするのはけっこう楽しい。
プログラム終わったのは8時過ぎ。テントに戻ってしばらくすると、さきほど踊りがなされていたところから打楽器と歌が聞こえてくる。何か続きでもなされているのかと思い、アメリカ人新婚カップルと出向いてみると、ツアーに15人で参加しているベンガル人家族が踊っていた。この中にいる男性の一人が、プロ顔負けのノドで歌い、プラスチックの椅子を打楽器代わりにして指で打ち鳴らしている。一族の年嵩の男性たちは酒を飲みながら手を打ち鳴らし、女性や子供たちは楽しそうに踊っている。かなりくだけた家族みたいだ。
その様子を外から眺めていると、『こっちにいらっしゃい』と酒を勧められ、彼らと一緒に踊ることとなった。昔のアミターブバッチャンの映画『ドン』(近年シャールク・カーン主演でリメイクされた)の挿入歌が次から次へと出てくる。
先述のノド自慢男性がパーン・バナーラスワーラーを歌いだすと、盛り上がりは頂点に達する。若い男性が集まって騒いでいるなら迷惑なだけなのだが、15人の家族のうち男性は中年層がおよそ三分の一、嬉しそうに踊っているのは主に彼らの妻や子供たちなので、とてもほほえましかった。家族でいつもこうして愉しんでいるのかどうかは知らないが。笑いと歌声に満ちた楽しいひとときであった。
『パーン・バナーラス・ワーラー』で最高潮に

スンダルバンへ 2


バスは午前11時にショーナーカーリーという町の波止場に着いた。ここから船に乗り換え、3時間半ほどかけてダヤープルという場所にあるこのツアーの宿泊施設へと向かう。船が出てからしばらくは、人々が居住している地域を通るので、水上の交通量は多く、河岸には土を大量に積んで築いた高い堤防が続いている。モンスーン期の高潮がどれほどのものか、また上流からの増水がどんなものか想像がつくようだ。その背後には家屋の屋根を垣間見ることができる。

しばらくこうした風景を眺めながら船は南下する。しばらくすると船の右岸側がトラ保護区である。ここでは人々が生活することは原則的に許可されておらず、開墾や開発といった行為もご法度である。ゆえに河岸の堤防などはなく、ただマングローブの森林が濃密に広がる岸辺が延々と続くようになる。反対側の岸辺には人々が暮らしているようで、ところどころ集落が見られ、堤防も築かれている。
スンダルバンの地図については、こちらをご参照いただきたい。観光客がツアーなどで見物するのはこの中で濃いグリーンで塗られている地域に限られるようだ。さらに南部のほうには、スンダルバンの大自然のコア・ゾーンとしての広大なエリアがあるのだが、そちらは観光目的での入域も禁止されており、動植物のパラダイスとなっている。

水面からの照り返しをうけて目をシパシパさせているうちに、いつしか眠りに落ちてしまう。周囲がザワザワしているので目が覚めると、船はこの行程中の宿泊先であり、ツアー主催者でもあるスンダルバン・タイガー・キャンプがあるダヤープルの波止場に舳先を付けようとしているところだった。
スンダルバン・タイガー・キャンプにチェックインしたのは午後2時半。ここですぐに昼食である。ビュッフェ式ですべてインド料理。敷地内のレストランで、皆それぞれ思い思いの場所に腰かけて食事。

そして午後三時半からは同じ船でサジネカーリーというところの博物館とクロコダイルポンドを見物。ウォッチタワーもあり、ここから鹿を見たという人もいたが、私は何も見ることができなかった。ウォッチタワーから放射状に長く森林が取り払ってある部分がある。動物がちょうどそこを通過する際には、それを観光客が見ることができるという具合だ。ワニは水に潜っていて、見ることはできなかった。

帰りは波止場が物凄い混雑になっていた。スンダルバンのこのエリア、つまりツアー客だけが許可を得て入域できる地域には、州政府観光公社(WTDC)のものをはじめとして、今回私が利用しているスンダルバン・タイガー・キャンプのような民間宿泊施設がいくつかある。それらのすべてがこうしたツアーを組んでおり、どこも似たようなスケジュールを組んでいるためこういうことになるらしい。しかしながら自前の足で移動して見物できるところではないので、こればかりはいたしかたない。客層があまり良くない感じの船も見かけたので、ツアー料金がかなり安いところもあるのだと思う。
ツアーガイドは、スンダルバン・タイガー・キャンプの職員ではなく、森林局に所属しているとのこと。彼らはガイドで生計を立てているというから、そういう専門職なのかもしれないし、臨時職員という立場あるいはフリーランスで、森林局に登録しているという形態なのかもしれないが、そこのところはよくわからない。