愛が凶器に変わるとき

近年のインドのニュースで、恋愛のもつれに起因する凄惨な事件をよく目にするなあ、とは思っていたが、インディア・トゥデイ6月25日号によれば、国内で発生する殺人の三大動機のひとつだそうだ。特にパンジャーブ、デリー、グジャラート、マハーラーシュトラ、アーンドラ・プラデーシュにおいては、殺人事件における最も大きな割合を占める原因が男女関係であるとも記されている。
同誌英語版では、6月23日号にこの内容の記事『Crimes of Passion』が掲載されている。近年の男女間のトラブル、恋人同士、夫婦間、不倫等を発端とする事例の数々を提示したうえで、その背景にある社会的な要因を探る努力がなされている。詳しくはP.38からP.45までの記事内容を参照いただきたいと思う。大局的に価値観やライフスタイルのありかたなどで、旧来の価値観と新しい世代のそれとの間の齟齬が大きく、それらが衝突を起こしているがため、というステレオタイプなまとめかたがなされるのではないかと思ったが、そうではなかった。
社会的にも経済的にも独立して着実に地位向上を目指す女性たちが増えている昨今、強くなり進歩的になった女性とそれについていけず男性主導型の考えに固執する男性たちとの間の摩擦が主要な要因であるとし、今を性革命の時代とすれば一歩も二歩も先んじているのは女性であり、男性たちは後塵を拝していると指摘する部分が新鮮だった。
政治であれ、コミュニティーであれ、従来力関係に変化が生じたときには新たな秩序を組み上げるにあたり、自らをより有利なポジションに置くために、積極的なパワーゲームが展開されるものだ。中世の王家などで、後継者を定めずに支配者が没した際の世継ぎをめぐる熾烈な争いなどもその典型だろう。
だがたとえ男女のありかたが変わっていっても、人の数だけ出会いはあり、恋愛はひとつひとつ中身が違う。しょせん生まれも育ちも違う他人同士が好き合うのだから、楽しいこともあれば、互いに理解しがたく堪忍袋の緒が切れることもあるだろう。いつの時代にあっても、男女の仲は睦まじくも難しいもの。
しかしながら人間として越えてはならない一線を踏み外してしまった人たちの事例とその背景にあるものの分析は、今の世相を考えるうえで示唆に富むものであった。

お寺が遠くなる

本日6月2日の朝日新聞朝刊第3面に『寺離れ 地方も都会も』という記事が出ていた。地方は過疎や高齢化のため、都会では地域の共同体の希薄化で、お寺離れが進んでいるのだそうだ。また総体として核家族化の関係もあり、各世帯が経済的負担を敬遠することもひとつの要因だという。
日本の『お寺』には、三つのタイプがあるのだそうな。まずはお布施の収入中心の檀家寺、そして拝観料で稼ぐ観光寺、交通安全などの祈祷料が大半の祈祷寺だという。日本にある8万6千ほどの寺の9割以上が檀家寺であると書かれている。そうしたお寺が、檀家獲得のためにいろいろな対策を打ち出していることも触れられていた。法要の際の送迎サービスを提供したり、地方の寺が都会のマンションの一室を借りて『分院』を設置したりといった具合に。

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一人の妻と複数の夫

インディア・トゥデイの5月28日号でちょっと興味深い記事があった。ヒマーチャル・プラデーシュのキンナウル地区での一妻多夫制度のことである。この地域に暮らすヒンドゥーのあるコミュニティの人々は、兄弟で一人の嫁を娶ることが伝統だったらしい。昔から嫁には相続する権利もなく、兄弟である複数の夫が配偶者を共有するということで、女性が複数の男性をかしずかせて支配するという構図ではない。
もちろん今の時代、法的にはこういう結婚の形態は認められていないのだが、なにぶん保守的な土地で片田舎ということもあり、今でもこうした形で兄弟が一人の女性を娶るという習慣が続いている。記事中で取り上げていた実例は一人の妻に二人の夫というパターンだが、中には4人も5人もの夫を持つ妻もあるのだという。いずれも複数の夫は兄弟同士であるようだ。
この記事でこの習慣を『奇習』として取り上げているのではもちろんなく、むしろ耕地に限りがある山岳地での生活の知恵といった具合に、好意的に書いてあるようだった。いくつかの一妻多夫家庭の実例を取り上げたうえで、この習慣がむやみな人口増加や土地が細分化を防いで人々の生活水準を一定に保つ役割を果たしてきたかをわかりやすく説いている。また複数の男性が一人の女性と愛を営みそして世帯を持って子供たちを育むという、仮にそれが代々続いてきた習慣であるにしても、精神的にも物理的にもけっして易しいとはいえない状況下で、家族が円満に生活していくうえでの互いの気遣いなどにも言及されていた。
ただしさすがに今の時代には、誰もがこうした慣わしで結婚していくわけではなく、『近ごろ一妻多夫結婚は2割にも満たない』ともある。辺鄙なところに暮らしていても、やはり外界からの影響は及ぶとともに、ここから都会へと出て行く人も多い。これまで自らが暮らす地域でほぼ完結していた社会がもっと広がりを持つようになってきたことから、土地伝来の結婚のありかたや家族のありかたが大きく揺らいできている。
インディア・トゥデイの英語版では、この巻は5月26日号ということになり、件の記事は58ページから61ページにかけて掲載されているので、ぜひご覧いただきたい。
関係ないが、この号の表紙には先日ジャイプルで起きた爆弾テロ事件で、サイクルリクシャーに乗ったまま犠牲になった若い男性の写真が大きく使用されている。亡くなった本人やその遺族のことを思うと、こういう画像がマスメディアに堂々と使用されることについて、なんだかやりきれない思いがする。
だがテロの悲惨さについて、文字だけで伝えようとしても言葉に尽くせないものがあるはず。だが一枚の画像には、千も万もの言葉以上に強く訴えかけてくるものがある。物事の本質を伝えるため、ときにはそういう露骨な写真が使用されるのもやむを得ないと私は考えている。むしろ刺激が強すぎるものすべてに覆いを被せて見えなくしてしまっては、何か大切なものを見失ってしまうことも往々にしてあるのではないだろうか。
しかしながらインパクトの強さのみをアテこんで、これでもかこれでもかと生々しく憐れな写真が次から次ぎへと出すようなメディアには決して感心できないことはもちろんだ。その点、この雑誌はいつも適度に抑制が効いていると思う。
こういう事件は決してあってはならないし、いかなる理由があっても正当化されるものではない。でもこんな出来事が毎年のように起きていることに、インドが置かれている困難さを感じずにはいられない。ジャイプルの事件で、不幸にして命を奪われることとなった方々のご冥福をお祈りしたい。

三国は世界なり

『三国一の花嫁』『三国一の幸せ者』云々といった表現があるが、平安時代後期にはすでに定着していた言い回しのようだ。もともとこの『三国』とは、日本・唐土・天竺のことで、当時の日本の人々にとって、これはまさに『世界』を意味するものであった。
自らが暮らす日本はともかくとして、様々な新しい文物や高度な思想の源泉たる先進地中国への敬意、釈尊が教えを説いた大地インドへの憧憬がある。人々がこの時代の唐土や天竺がどのくらいの広がりをもって認識されていたか、そもそもどういう地理的観念を持っていたかについて私はよく知らない。
それでも極東の地日本から西側にある大陸部が、地理的に日本に近い部分に位置する唐土とそれより西方にある天竺としてとらえられ、その周辺に存在していた様々な国々については、これらふたつの大きな『二国』に集約されるものという考え方がなされていたのではないだろうかと想像している。
ただし人物の往来が盛んであったことから、唐土の文化なり人物なりに直接触れた経験を持つ人々から伝えられた。しかし天竺についてはこの唐土という分厚いフィルターを通して眺めたものであったことから、非常に具体性を欠くものであり一次情報の極端な不足からこれを把握するには相当なイマジネーションを要するものであったことは言うまでもない。
日本からタイなりカンボジアなりのインドシナ地域の国々を訪れると、中国からの色濃い影響とともに、インド文化からの強いインパクトも感じる。伝統的な建築、衣装、舞踊といったものだけでなく、人々が使う言語の中におけるインド系語彙の豊富さ、年中行事や宗教儀礼や式典等にも見て取れるだろう。おそらく生活してみると他にもいろいろ目に付くところがあることだろう。
こうした地域でも自国に中国・インドを加えて『三国一の・・・』という言い回しがあるのかどうか知らないが、長いこと中国とインドという二大国は圧倒的な存在感を持って認識されていることは確かだ。両国は、欧米列強の蚕食下ないしは植民地支配期にしばらく影の薄い時代があったものの、前者は1980年代以降世界経済の表舞台に台頭、後者もまたそれに一足遅れて90年代半ば以降から脚光を浴びることになっている。どちらもかつての強大さを取り戻すべく驀進しているように見えないだろうか。
両国が今後さらに経済力と国際社会での発言力を増すにつれて、アジア地域において『三国』という言葉が今後よく用いられるようになるのではないかと予想している。つまりどこの国であれ自身が生活の軸足を置く母国に加えて、アジアの中で突出した存在である中国とインドを合わせて『三国』と呼ぶ時代が今にやってくるのではないかと思うのだ。
たとえば、アジア地域で自国、中国、インドで人気を博すことを『三国一のメガヒット商品』『三国の市場を席巻する大ブーム』なんていう風に言うと、それら三つの国々の周辺にある国々はすでに含まれていることは言わずもがな、アジア全域に及ぶセンセーショナルな大ヒットといった表現になるのだろう。

ヒマラヤの歌姫は日本人

韓国、中国、台湾といったご近所の国々でよく知られている日本人歌手は多い。タイやマレーシアあたりでも、日本のポップカルチャーに関心のある人は決して珍しくない。だが南アジアとなるとどうだろうか。日本の歌謡界や映画事情などを知る人は、相当の日本通か長年暮らしたことがある人くらいだろう。やはりそれだけ文化的な距離感があるということの裏返しであるといえる。
日本から見た南アジアの芸能の世界はどうだろうか。かなり以前から、インドをはじめとする南アジアの国々で、古典舞踊や音楽の世界に関心を抱く日本人その他の外国人は多いし、実際にその奥深い世界に飛び込んでいく人もまた少なくない。だがポップカルチャーとなると、一時日本でインド映画がブームとなって以降、多くは銀幕を通じた興味関心のみにとどまっているのではないだろうか。
だが日本人ながらも、ネパールで大衆音楽の歌手になった人がいる。スンダリミカさんという方で、ご自身のウェブサイト『プルニマ通信』『ブログ日記』に活動の様子が綴られており、とても興味深い。
昨年末にNHK番組『地球アゴラ』で取り上げられた彼女は、ネパールのラジオ番組のパーソナリティも務めているとのこと。先述の『プルニマ通信』には、《アルバム「スンダリ」 試聴コーナー》が設けられており、その歌声を楽しむことができるようになっている。ときどき『ジャパンツアー』も行われているようなので、ぜひぜひ聴きに出かけてみたいと思う。残念ながらご本人と面識はないのだが、今後ますますのご活躍を期待したい。