グルガーオンのCab Killer捕まる

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 MBAの学位を手にマディヤ・プラデーシュ州から上京してきた青年アーシーシュは、首都近郊のハリヤーナー州のグルガーオンに到着した。ついさっき携帯電話にこの街のセクター15に住む友人から電話が入り『今そちらに向っている』としゃべったところだ。
 通りで『どうやって行こうか?』と足をさがしていたところ、うまい具合に幾人かの客を乗せたジープが停まった。車内から『どこまで行くんだい?』と小柄な青年が声をかけてくる。友人の住所を告げるとちょうどそのあたりを通ることになっているらしい。車内には五人ほどの先客たちが座っている。『やれやれ』と車内の狭いスペースに身体を滑り込ませる。クルマはゆっくりと発進して次第に速度を上げていく。
 そのときだ。アーシーシュが心臓が張り裂けそうなほど驚いたのは。誰かが突然背後から首を締め上げられている。背後に座った二人が力の限りを尽くし、この首を折らんばかりの勢いで・・・。
 間もなくアーシーシュは車内でそのまま息を引き取り、運転手、助手と『乗客たち』は慣れた手つきでアーシシュのズボンやカバンの中から携帯電話、500ルピーほどの現金などを取り出して手早く懐にしまいこむ。遺体は『いつもどおり』人気のない場所かドブ川に放り出されることになる。

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 こんな内容の記事がインディア・トゥデイ誌11月22日号に掲載されていた。このグループは昼間普通に不特定多数の利用者たちを相手に乗り合い乗用車を運行しており、夜はその車内で強盗殺人を繰り返していた。デリー、ハリヤーナー州、ラージャスターン州とU.P.州の一部で同様の手口により、これまで8か月の間に28人もの人々をこの手口で闇に葬り去っているのだという。そして彼らが手にしたのは6万ルピー程度。被害者の中にはポケットの中にほんの数ルピーから数百ルピー程度しか持っていなかった者も含まれている。このグループの中で現在まで逮捕されている者は7名。残り数名は逃亡中だという。
 どこの国でもそうであるように、インドでも詐欺、スリ、強盗いったニュースはちょくちょく新聞等に出ている。だがこの一連の事件が人目を引くのは、首都近郊で順調に発展を続けてきており、治安も良好であるとされるグルガーオン界隈等でこのような事件が続いていたことではない。それは手口の残忍さゆえである。被害者たちが警察に通報したり自分たちの身柄が明らかになることがないようにと、盗みに取りかかるまえに殺害するのが彼らの常套手段であったからだ。
 記事には犯人たちの中の5人の写真が掲載されていた。18歳から28歳までの一見ごく普通の青年たちである。オートの運転手でいつも見かけるような、食堂の小間使いによるいるような、その辺の道端で野菜でも商っていそうな感じである。映画やドラマと違って現実の社会では本当に凶悪な人間であっても見た目はごく普通であることがほとんどだろう。

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亜大陸の片隅で起きていること

 先日、ゴーパール・メノン監督によるドキュメンタリー・フィルム『ナガ物語〜沈黙のかげで』(2003年)を見る機会があった。バングラデシュのタンヴィール・モカメル監督による『コルナフリの涙』とともに、NGOのジュマ・ネットと市民外交センターにより共同上映されたものである。
 どちらも約1時間ほどのドキュメンタリーで、前者はインドのナガランド州における、後者はバングラデシュのチッタゴン丘陵地帯における先住民たちの置かれた立場と弾圧、人権問題や民族対立などを描いた作品だ。
『ナガ物語〜沈黙のかげで』では、インド国籍の者であっても地域外から自由に出入りすることができない状態は、地域の文化や特殊性を守ることにつながったが、外部の目を遮断する効果を持つことにもなったこと、それがゆえにまかり通っている暴力と不条理等が示されていた。ナガランドを含むインド北東部に適用されている国軍特別権限法(Armed Forces Special Powers Act)により、軍が治安上疑わしいと判断した際には令状なしに家宅捜索、逮捕拘束、尋問その他を行なうことができることになっているため、重大な人権侵害が行なわれやすくなる。作品では軍の行為が本来の統治機構である州政府や司法の関与を受けないことから、その暴走ぶりに歯止めが利かない構造になっていることが多くの実例や証言等とともに生々しく描かれている。
 ゴーパール・メノン監督は、他にもグジャラートのゴードラーで起きた列車襲撃事件に端を発する暴動、カシミールで軍の弾圧により犠牲となった人々の現状、津波被災後のありさまなどを描いた作品等々、様々な主題にもとづくドキュメンタリーを制作している。取り扱うテーマがテーマだけに、右翼による襲撃をはじめとする攻撃や脅迫などを受けつつも果敢にインド社会の抱える問題点を人々に提示し続けている。

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毒蛇大国

ラッセル・クサリヘビ
 ラッセル・クサリヘビという蛇がいる。ヒンディー語、ウルドゥー語ではコーリーワーラーと呼ばれているらしい。体長は通常70?から130cmほどだが、特に大きなものは150cmを超すという。ひと咬みで相手に注入する毒の量が多いため、世界でも有数の恐ろしい毒蛇だ。主に草むらに棲息し、パキスタン、インド、バングラデシュなどといった南アジアの国々に多く見られるとともに、東南アジアや台湾などにも分布している。
 毎年インドでは蛇に咬まれることにより5万人もの人々が命を落としているといい、世界全体のこうした死亡事故のおよそ半分を占めるというから、インドは世界に冠たる毒蛇大国ということになる。国内に生息しているヘビおよそ270種中の60種が毒性を持つというインドで、先述の年間死亡者の4割にあたる2万人がラッセル・クサリヘビにより命を奪われているのだから、この蛇がいかに危険であるかということがわかる。なお被害者たちの大半が畑仕事中の農民である。
 毒蛇といっても種類によって毒の性質や強度はさまざまだ。ラッセル・クサリヘビのようなクサリヘビの類は出血毒を持っている。強力な消化酵素から成るたんぱく質を分解する毒だ。 咬まれるとまず細胞組織のたんぱく質が分解され患部に激痛と腫れが発生、それらは徐々に全身に広がっていく。続いて皮下出血や腎機能障害や内臓からの出血、血便、血尿などが起こる。またコブラやアマガサヘビは神経毒を持ち、噛まれるとおもに麻痺やしびれが発生。究極的には呼吸や心臓が停止して死亡に至る。前述の出血毒よりも症状の進行が早いとされる。
 毒蛇に咬まれた場合、傷口の消毒や感染症予防のために抗生物質投与や破傷風の予防注射、出血毒を持つヘビの場合は血液凝固などの措置が取られるとともに、ヘビの毒への対処として血清治療が行なわれる。だが血清による致命的なショックが生じることもあるという。
 あくまでも国全体として見れば、インドにおける血清のストックの状況まずまずのレベルらしいが、特に需要の多い農村部でローカルな医院に置いてなかったり、あっても医師が使いかたについて不慣れであったりなどということが多いなど、毒蛇対策の普及の偏りが大きな問題となっている。
 以前、雨季にラージャスターン州のある小さな町に滞在していたときのこと、食堂で昼食を注文して待っていると、いきなり『コブラが出た』と上に下への大騒ぎがはじまった。店の人によると小型で幼いヘビが狭い店内のどこかに潜り込んでしまったとのことで『まったくどこに隠れちまったんだか?』と困惑した表情。たとえ子供であっても猛毒を持つ恐ろしいヘビに違いはない。私自身はとても食事どころではないと早々に退散した。
 何はともあれ毒蛇に咬まれた場合、治療は一刻を争う。昼間の町中ならまだしも、田舎の村で農作業中に咬まれた場合、付近の病院にたどりつく、あるいは運び込まれる前に手遅れになってしまいそうだ。近くの町の病院が閉まっている夕方以降にやられたりすると、一体どういうことになるのだろうか?想像するだけで空恐ろしい。
India’s battle against snake bites (BBC South Asia)

バンドから一夜開けて

 朝が来た。活気あふれ街中は前日とはまるで別の世界である。喧騒の中、もはや鳥のさえずりは耳に入ってこない。
 バンド・・・といえばインドにおける伝統的な抗議手法だが、かつてのイギリスに対する非服従運動の中でも人々に対してそれに参加するようにと、影に日向に同様の強制があったのではないだろうか?とふと想ったりもする。
 そのころのインドでは植民地行政下において鉄道の敷設と路線の拡充、道路網の整備など、工業化、商業化を進めるためインフラの整備や開発も進行中だった。 20世紀に入ってからは高級官僚など政府幹部のポストにネイティヴの人たちが占める割合が次第に高まってくるなど、行政組織の頂点部分へ現地の人々の進出が目立つようになってきた時期でもある。地元市民の発言力が相対的に高まるとともに、そのころのイギリスではインド勤務に対する魅力が次第に下降線をたどっていたことも原因のひとつだろう。
 ともあれ当時の統治システムの中で日々を送っていた上から下までさまざまな職責の公務員たちにとって、頼みとする体制の不安定化と流動化は自らの将来について大きな脅威であったはず。反英運動に対する取締りにあたった警官たちも、その大部分はインド人たちであり植民地体制化で既得権を持った人々の中では親英勢力は相当な力を持っていたはず。
 商業活動に従事していた人たち、とりわけ都市部でビジネスを営んでいた人々は当時の行政の枠組みの中でそれなりの繁栄を享受していたし、当時英領あるいは英国の保護領となっていた地域との間で活発な取引を行なうなど、英領下であることのメリットは大きかっただろう。
 たとえば当時のマドラスに本拠地を置いていたスペンサー商会にとって、この時代は大きな試練であったという。社会不安はもちろんのこと商会の根幹を成す事業のひとつであった舶来の高価な品々の輸入販売が大打撃を受けたこと、欧州系のオーナー家族による運営がなされてきた商会が、当時の世の中の動きから必要に迫られて経営の現地人化を進めざるを得なくなったのもこの時期であった。
 社会のかなりの部分の人々にとって、民族の大義や社会正義より正直言って日々の稼ぎと個々の家庭の平安のほうが大切だろう。どんな体制下にあっても世の中の大部分の人たちはそのシステムの中で折り合いをつけたり、うまく立ち回ったりして私生活の維持と向上をはかるものである。開拓精神に溢れて機転も利く一握りの人々を除き、多くの人々にとって場合体制が変わること、システムが入れ替わることは大きな不安だと思う。私自身もそういう人間である。
 しかし植民地当およびその協力者たちと反英勢力の綱引きの中で、次第に親英勢力がジリ貧になっていくにつれて鞍替えする人たちが出てきたこと、また内心どちらでもなく状況の様子見をしていた人たちが独立勢力の伸長していき、イギリスの撤退がもはや明白となったあたりで『さあ、乗り遅れるな!』と反英勢力側に飛びつく人たちが続出した・・・なんていう図が目に浮かぶのだがどうだろうか。
 世の中、誰もが『革命家』であるはずはないし、もっぱらの関心事といえば今日と明日の自分自身と家族のことだろう。いくばくかの問題意識を持っていたとしてもひとりで世の中を動かすことはできないから、せいぜい仲間内で批判めいたことを口にするくらいだ。日和見は無力な一市民だけではなく、何事か起きれば巨万の富や権力を失いかねない立場にある人たちにとっても当然の処世術である。
 時代が下れば『勝者の歴史』は美しくまとめられてしまうものの、当時の世間は様々な不協和音に満ちていたことだろう。戦争にしても独立運動にしてもつまるところ『勝てば官軍』なのである。誰もが勝馬に乗りたがるのは無理もない。
 かくして敗者たちのうち機知に富む者たちあるいはコネを持つ人々はいつの間にかスルリと立場を入れ替えて勝者の側に立ち、要領が悪かったり頑迷だったりした人たちは『裏切り者』という烙印を押されてしまうのはいつの世も同じ。かくして敗者たちの主張は闇へと葬り去られていく。

9月8日のマーレーガーオン

 またもやテロ事件が起きてしまった。マハーラーシュトラ州のマーレーガーオンで、9月8日午後、自転車に設置された爆発物による4発の連続爆破事件が起きた。  同州にマーレーガーオンという地名は複数あるが、今回事件が起きた場所はナーシクからグジャラートのバドーダラーに向かう国道3号線の途中にあり、ムスリム人口が6割を占めるイスラミックな街である。
 事件が起きたのはムスリム地域でモスクと近隣のマーケットで爆発が起きた。ちょうど金曜日の礼拝の帰りに被害にあった人たちが多く、今までのところ死者37名で負傷者が100名超ということで、場所柄被害者の大半がムスリムであると伝えられている。事件後(治安当局の『無策ぶり』に)怒った人々がポリスステーションや病院に押しかけ破壊活動を行なう者も出たことに対する対応として、その他予想される緊張状態を回避するためもあり、当局は市内の特にセンシティヴであるとされる地域に外出禁止令を敷いた。
 商業地域や鉄道といった宗教的に中立な場所、あるいはヒンドゥーの寺院や巡礼地のようなサフラン色のスポットではなく、J&K州の外においてはモスクを含めたムスリム地域がターゲットとなったことは、インドで近年起きたテロ事件の中では目新しいものであるといえる。
 今のところ事件の犯人、犯行グループなどについて治安当局がどこまで把握しているのか明らかにされていない。このところ散発しているテロ、とりわけ7月11日に州都ムンバイーで起きた連続列車爆破テロの記憶も新しい中、あたかもヒンドゥー極右側による報復のように受け取られかねないこの出来事は、明らかに社会の分断を狙ったものであろう。 
 コミュナルなテンションが高まることを警戒して、政府も『火消し』に懸命な様子がテレビなどで伝えられている。ひょっとするとこの事件は内政面でも外交面でも今後に大きな影響を及ぼす重要なきっかけとなるのかもしれないので、成り行きを注意深く見守りたい。とにもかくにも非常に残念な出来事である。不幸にして事件に巻き込まれて命を落とされた方々のご冥福をお祈りしたい。
At least 37 killed, over 100 injured in Malegaon blasts (Zee News)