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カテゴリー: greater india

  • NEPAL FESTIVAL 2016

    東京渋谷の代々木公園で8月6日(土)から7日(日)にかけて、NEPAL FESTIVAL 2016が開催される。

    暑い日が続いており、屋外イベントに出かけるには、ちょっとキツイという方もあるかもしれないが、幸い緑豊かで木陰も多い代々木公園なので、木立を吹き抜ける心地よい風を楽しみながら、のんびりと休日を過ごしてみるのもいいかもしれない。

    くれぐれも小まめな水分補給をお忘れなく・・・。

  • ペヘルガムへ2

    ペヘルガムへ2

    川にかかる橋を越えて反対側に渡り、しばらく進むとペヘルガム(Pahalgam)に着く。

    橋を渡った。ペヘルガムはもうすぐそこだ。

    どうということのない山間の集落だったのだろうが、ずいぶんたくさんのホテルが立ち並んでいる。ここでは斜面を上っての景色が良いことで知られている。せっかく来たのでポニーライドをしてみることにしたが、コース別に設定されている料金はずいぶん高い。看板に料金が書かれており、フィックスレートでやっているのだが、ずいぶん儲けていることだろう。

    ポニーライドの協定料金。かなり高い。

    馬方の言う「月収4000Rsにしかならない」というのが本当であるとすると、他はオーナーが取ってしまうので、シーズンは限られているとはいえ、つまり4月から9月か10月くらいまでのようだが、かなり稼いでいることだろう。

    かなり急な斜面を馬で登っていくのはかなり怖い。馬が脚を滑らせて斜面を転落とかいろいろ考えてしまうのだが、意外なことに人間と違って、斜面を登る馬の足元はかなりしっかりしていて、人間のように足元がズルッと滑ったりするようなことは、少なくとも本日私が乗った限りではなかった。

    馬方が横について歩きながら、馬を好ましい方向に先導してやったり、遅くなると細い木の枝で鞭を入れたりなどしている。馬は従順にそれに従い、黙々と進んでいく。
    そんな具合なので、歩いても同じくらいの速度で進むことができたはず。だが一度くらいはこんなのも悪くはない。少なくとも馬がいかに上手に斜面を歩くことができるのかということは判った。ラダックでトレッキングコースではこうした馬やロバが物資を運搬しているが、こうした動物がいかに頼もしい存在であるかということを感じる。

    後ろから馬の頭を見ていると、ひっきりなしに耳を左右にいろいろな方向に向けていて、周囲に注意を払っていることがわかる。しかしそうして動く耳を見ているとなかなかかわいい。

    スタートした地点に戻り、料金を払ってからクルマに乗り込み、スリナガル方面へ戻る。朝早かったこと、馬に乗ったことなどでしばらく居眠りしてしまった。

    帰路では、アワンティプル(Avantipur)でヒンドゥー寺院の遺跡に行く。このアワンティ・スワーミー寺院跡は、9世紀の建立。

    パーンプル手前までくると、サフランやドライフルーツを販売する店舗がいくつも並んでいる中のひとつに停車。そのとなりにはカフワー茶を出す店があり、サフランの香り、ナッツの風味、砂糖の甘味を感じる素敵なお茶であった。サモワールで淹れている。

    ここではサフランは買わないが、干したアプリコット、を購入。これは土産にする。カシミールではみかけないラズベリーのドライフルーツなどもあったが、こうした地元らしくないものはアメリカからの輸入品であった。

    〈完〉

  • ペヘルガムへ1

    ペヘルガムへ1

    ぺヘルガム(Pahalgam)を日帰りで訪問することにした。とにかく時間がないので、タクシーをチャーターして向かうことにした。

    国道脇で木材が大量に積まれている。このあたりはクリケットのバットの材料となる柳の木(日本のしだれ柳とはだいぶ違う感じ)の産地として知られており、国道沿いにはバット作成のために削り出した木材が山積みされている。クリケットの世界では、オーストラリアとともに世界をリードするインドを下支えしているのがカシミールのバット生産といえるのかもしれない。

    これからクリケットのバットに加工されるヤナギ材

    ちなみにこの柳は、ラダックでもよく利用され、家屋や寺院の梁などを組むのにも使われる。強靭で弾力にも富むためだろう。

    そこを過ぎて少し進んだ先、パームプル(Pampore)近くでは、道路両側が広大なサフラン畑となる。ここは世界に冠たるサフランの大産地。ここはジェーラム河のほとりに広がる湿原でも有名だ。収穫期は秋で、花ひとつに花芯は三本ほどしかなく、ゆえに高価なものとなるようだ。

    そこからしばらく進んだところにはビジベハーラー (Bijbehara)という町がある。ここはJ&K州の前州首相のムフティ・モハンマド・サイードの実家があり、娘で父親の死後に州首相の座に就いたメヘブーバー・ムフティの生まれた町でもある。

    このあたりで国道から左に折れて進んでいく。やがて道の両側はリンゴ畑となる。そのあたりでチャーイの休憩。運転手が言うには、観光客を連れてきている運転手はチャーイも食事も無料で提供されるのだとか。観光地間を結ぶ道路沿いではそんな感じらしい。

    チャーイの休憩

    立ち寄った店の横を流れる川

    さて、本日の運転手はアブドゥル・カーディルさん。若い運転手だと向こう見ずな運転で怖いので、「中高年ドライバーを」と頼んだらやってきたのがこの方。すでに昨日、タクシースタンドの事務所で顔合わせしている。

    アブドゥル・カーディルさん

    運転手のアブドゥル・カーディルさんは、このあたりでは最高齢クラスの職業運転手だそうで、御隠居さん的に達観した落ち着きと重厚感がある。

    だがジェントルな見た目とは裏腹に、なかなかおしゃべりな年配男性であった。
    明日はどこに行くのか?と、やたらとグルマルグに日帰りすることを勧めたり、明後日デリーに飛ぶのだと言えば、空港には何時に行くのか?とどんどん売り込んでくる。必要があれば電話するとかわすが、それでもしばらくはそんなやりとりが続いた。

    「子供たち四人全員結婚して片付いた。一緒に暮らしとる息子からは、もういい加減に引退しては?言われるけどな、家でぶらぶらしてると、家内が煩くてねぇ・・・」なんて、どこかの国でも耳にするようなことを言う。

    もうとうに70才を越えているかと思ったが62才とのこと。このあたりの人たちのトシはよくわからない。

    さきほどのメヘブーバー・ムフティの生まれた町を出たあたりから、次第に山道に入ってくる。近年は、カシミールの道路もかなりよくなっている。

    おととい向かったソーンマールグとはまた違った雰囲気はあるが、やはりカシミールの景色は美しい。まさに風光明眉とはこのことだ。あまり険しい山道ではないが、次第に高度を上げていくとともに、気温も下がっていくようだ。高度はソーンマールグとどのくらい異なるのかは知らないが、向こうではすぐそこに見えた雪が、ここでははるか彼方上のほうに見える。

    〈続く〉

  • ダッカのテロ事件

    7月1日の現地時間午後9時半にバングラデシュの首都ダッカのグルシャン地区で発生した襲撃事件は、翌日2日朝に政府が治安部隊を投入して終結させた。事件の詳細は今後、更に明らかになってくるはずだ。実行犯のうち1名が生きたまま拘束されたことも、真相解明に繋がることと期待したい。

    事件発生直後からネットで流れてくる様々な情報を目にして、とても気にかかっていたが、2日の朝に強行突入が進行中であることを知るに至った。ネット以前の時代と違って、こうしたニュース等が刻々と世界中に伝わるようになっているため、こうした凶行を実行するグループにとっては、効果的に恐怖を拡散するのに都合が良い環境になってしまっている。

    今世紀に入る前までは、こうした事件で人質を取って立てこもるにあたり、実行犯の組織やグループなりの主張を世間に伝えるとともに、仲間の解放なり、身代金の要求なりといった条件闘争が展開したものだが、今は凄惨な暴力行為を各国メディアで流させることが目的となっているのも空恐ろしい。

    同様に、こうした事件に際して、地政府や治安当局の対応も、人質となった方々の生命を最優先するというよりも、こうした犯行を企てる組織への見せしめ的に、武力によって一気呵成で叩き潰す(前述のとおり、取引条件が出てくるわけではなく、激しい暴力行為を実行することそのものが目的になっているので、致し方ないのではあるが・・・)のが常道となり、相手との対話や交渉の余地がなくなっているのも心配だ。

    ダッカのポッシュなエリアでまさかこんなことが起きるとは誰も想像もしなかったはずだし、たまたま居合わせたばかりに巻き込まれてしまった方々は本当にお気の毒で、言葉も見つからない。

    そのいっぽう、テロの標的となったバングラデシュについて、非常にネガティヴなイメージが定着しないかと気になったりもする。

    パリでテロ事件が起きた際に、「なんとひどいことを」と人々は思っても、だからといって「パリは危険だ」「訪れるべきところではない」というようなイメージを抱いた人はいないだろう。

    バングラデシュは、人口稠密で、決して豊かではないが、一般的には治安に問題があるわけではなく、世界で最高に親日的な国のひとつであり、日本に対して「熱烈に片想い」してくれている、数少ない国のひとつでもある。

    僕らがテロ行為を憎むのと同じく、バングラデシュの人々もテロを心から憎み、こうした理不尽な攻撃の被害を受けている立場であることをメディアには伝えてもらいたいと願う。

  • ソーンマールグ2

    ソーンマールグ2

    ずいぶん早く出たのだが、まだ誰もいない時間帯に歩き回ることができ、テントで商っている人たちもまだ寝ている頃だった。早起きして出てきた甲斐があったというものだ。

    しばらく歩きまわってから、スタートした地点に戻った頃、いくつものテントの食堂が店開きを始めていた。その中のひとつで、メギーのヌードルを注文。商っているのは、周辺地域の村々から来ている人たち。シーズン中はずっと滞在しているそうで、4月から9月あるいは10月まではこうしているとのこと。

    彼らは、1年のうち半年ほどは、店となっているテントで寝泊まり。大変なことではあるのだが、やはり現金収入のために仕方ないのだろう。村で留守番をしている家族たちは、畑仕事にいそしんでいるとのこと。

    氷河を後にして、来た道をクルマで下り始める。道路脇にはところどころ雪渓が残っている。真冬にはどんな景色になっていることだろうか。

    本日同行したスウェーデン人のジャコーは、外国旅行といえば、いつもバードウォッチングが目的とのこと。川沿いに走る道路、途中で幾度か停車してはバードウォッチングを楽しむ。私にはヒバリの声にしか聞こえないようなものでも、彼には特定の鳥の姿が目に浮かぶのだという。冬はケララにいて夏になるとカシミールに移動する渡り鳥やカシミール地方のみに生息して世界中のどこにもいない珍しい鳥も少なくないとのこと。

    少し大きな集落のあたりで、クルマを待たせてしばらく散策する。

    集落を過ぎると土砂崩れの跡のようなものが見えるが、これは雪渓であった。

    土砂崩れの跡かと思ったが、実は雪渓だった。

    谷間の向こうに見える斜面を上ってみた。

    その脇を進んでいくと小さな川の流れがある谷間に出る。そこから進んでいくと斜面があるのだが、なかなか急であった。斜面にへばりついて土地の中から出た岩をつかんで足元にあまり体重をかけないようにして、ともすれば崩れ落ちてしまう足元にひやひやしながら進んでいく。私の靴はタウンシューズなのでこれはちょっと無理だと観念して途中で引き返すことにした。靴が靴だけに、滑落しそうで怖い。

    ジャコーはそのまま進んでいくのだが、やはり途中で観念したようで、私が集落まであと少しのところまで降りたあたりで振り返ると、ちょうど彼が下ってくる姿が遠目に見える。
    上から降りてくると、土砂崩れに見えたものの正体がわかった。土砂崩れではなく雪渓である。表面が泥だらけになっているのだが実は雪。川の上に覆い被さっているため、冬季には相当の積雪があることがわかる。

    雪渓のところどころから崩落しており、その下に川の流れが見える。
    登るときにその上で何か作業している女性と子供たちがあり、ちょうど私たちが通るところで休憩していたので尋ねてみると、薪に使う木を採取しているとのこと。流されてきた木の破片や枝である。こうしたものを収集している人たちは山の斜面でもあったし、集めて頭上に載せて運ぶ人たちの姿もあった。

    奇妙なのは、なかなか力仕事だと思うが、これは女性の仕事であるようで、こうした作業をしている人たちはどこでも全員女性たちばかりであった。

    ここで見かけた女性は二十歳とのこと。子供は五歳。姉と弟かもしれないし、母親と息子なのかもしれないが、それは聞きそびれた。

    私たちはクルマに戻り、あとは一路スリナガルへ戻る。

    風光明媚なカシミール
  • ソーンマールグ1

    ソーンマールグ1

    前日の夕方に宿で会ったスウェーデン人のジャコーがソーンマールグ(ローマ字ではSonamargと書く。日本語のガイドブックでは「ソナマルグ」と表記している)に日帰りするとのことで合流させてもらう。ソーンマールグはシュリーナガルからカールギルに向かう途中にあるが、付近にはタージーワース氷河の先端があることで知られている。

    出発は朝4時過ぎ。なかなか大変な時間帯だが、これがよかったことが後でわかることになる。夜明けのずいぶん前に彼が予約していたクルマがやってきた。運転手はバシールという若い男性だが、運手は丁寧なのがいい。

    途中通過した集落のあたりである程度明るくなってきた。川沿いの静かで美しい村だ。早起きしたので、早起きといっても普通はないような時間に起きたので、まだ眠い。宿を出るときからフリースの上着とライトダウンを着ているがそれでも寒い。

    ソーンマールグに行く途中の村で小休止
    ソーンマールグに行く途中の村で小休止

    タージーワース氷河入口に到着。クルマ止めのすぐ先には雪解け水が勢い良く流れる川がある。このあたりにはテントの食堂もいくつかあるが、私たちが着いた朝6時半頃は、まだどれも閉まっていた。

    しばらく谷間を登っていくのだが、雪はカチカチに凍っているためツルツルよく滑るので怖い。トレッキングシューズであれば楽勝だろうが、せめてアウトドアシューズで来れば良かった。

    スウェーデン人のジャコーは山道でバードウォッチンクするために、グリップの良い靴に履き替えている。彼の関心は氷河ではなくて鳥なので、上のほうに少し生えている木のところに鳥を探しに行くとのことで、午前9時頃にクルマのところで待ち合わせということでしばらく別れる。

    そこから一気に奥のほうまで行こうと思ったが途中の雪解け水の流れを越えられるところがなかなかないこと、一度戻ってから反対側に出ると時間がかかってしまう。行けるところまでは行ってみたが、果たしてどこからが氷河なのかはよくわからないので、もうすでにここは氷河であるという理解にしておこう。

    いかにも氷河地帯らしく、U字谷になっているのだが、とりわけ氷河上流に向かって右手の雪山の眺めが素晴らしい。

    ラダックに比較すると、ずいぶん高度が低いところに雪山があるということになるが、ラダックの場合は乾燥地帯であるがゆえに、そういうことになるのだろう。

    ところどころ雪がなくなって地面が見えているところではうっかり足を置くと、凍結しているので滑って危険だ。かえって氷の塊になっているところのほうがまだ表面が崩れやすい部分もあるので多少グリップしてくれる。

    雪解け水の流れは細いのだが、下るにつれてどんどん水量が増えていく。これが下界の大河の水源となっているのだ。

    〈続く〉

  • シュリーナガル郊外観光

    シュリーナガル郊外観光

    ダル湖の南東には、いくつかのムガル朝が残した離宮や庭園が点在している。文字どおり、ムガル帝国が強大であった時代に、スリナガルに建築させたペルシャ式のシンメトリーを基調とする美しい庭園だ。

    オートで出発!

    最初に訪れたのはパリー・メヘル(Pari Mahal)だ。ムガル朝の第5代皇帝シャージャハーンの息子であり、皇帝の跡取りとなることを目させていながらも、アウラングゼーブとの熾烈な争いに敗れて殺害されたダラー・シコーが建てさせたもの。
    ここに行く途中にラージ・バワン(Governor’s House)があるのでBSFのチェックポストがあった。ここでは乗客は降りてチェックポストを通過、クルマやオートは運転手だけが乗って通過しなくてはならない。パリー・メヘルは、ここからの湖の眺めが素晴らしいはずなのだが、あいにくの雨天でいまひとつであった。

    パリー・メヘル

    パリー・メヘル

    パリー・メヘルからダル湖方面の眺め

    次に訪れたのは、チャシマー・シャーヒー・ガーデンCheshma Shahi Garden。規模は小さいのだがなかなかきれいでいい感じだ。ムガルの家臣であったアリー・マルダーン・カーンによるもの。

    チャシマー・シャーヒー・ガーデン

    チャシマー・シャーヒー・ガーデン

    ニシャート・バーグ(Nishat Bagh)はさらに壮大な規模の庭園。第4代ムガル皇帝ジャハーンギールの妃、ヌール・ジャハーンの兄であったアースィフ・カーンによるもの。これはダル湖のほとりにあり、ここからの眺めも素晴らしい。
    ペルシャ式庭園の幾何学的なデザインや配置は、自然の眺めのそれとは無縁のものなので、こうして山や湖に囲まれた美しい風景の中では好対象を成しているが、ここがイスラームが伝わる前のヒンドゥー時代には、カシミールの人たちの暮らしや気質は今とはずいぶん異なるものであったことと思う。

    ニシャート・バーグ

    ニシャート・バーグ

    ニシャート・バーグ

    ニシャート・バーグ

    ニシャート・バーグ

    そしてシャーリーマール・バーグ(Shalimar Bagh)へ。ジャハーンギールが建てさせたもので、規模が大きなことはもとより、手入れの行き届いていることからも、湖の眺望も楽しめるニシャート・バーグと合わせて、どちらも甲乙付け難い。

    シャーリーマール・バーグ

    シャーリーマール・バーグ

    シャーリーマール・バーグ

    シャーリーマール・バーグ

    シャーリーマール・バーグ

    シャーリーマール・バーグ

    素敵な庭園の水路脇にベンチがあった。「カップルにおあつらえむきだな」と思って撮った矢先に、若いカップルがやってきて腰掛ける。やはりこのロケーションは、そういうムードなのだ。

    スクールトリップで、大勢の子供たちが先生たちに引率されて訪れている。乗り込むバスを間違えないように、先生は生徒たちにバスの番号を大声で唱えさせていた。
    「bus no.38, bus no.38…」
    元気な声で繰り返しながら進んでいく子供たちの姿が可愛い。

  • シュリーナガル旧市街観光2

    シュリーナガル旧市街観光2

    ジャマー・マスジッドを後にして、ナクシュバンド・サーヒブ(Naqshband Sahib)のダルガーへ。もとよりスーフィズムが盛んなカシミールだが、ここに祀られているのはスーフィズムの創始者という大変ありがたいもの。モスクも併設されている。どちらも優雅なカシミール建築だが、モスクのほうはヒマーチャルで行われているような木材を組んだ壁を持つ構造がユニーク。

    Naqshband Sahib
    Naqshband Sahib

    南に道路を下り、ローザーバル(Rozabal)というダルガーに行くが、ここは閉まっていて見学はできなかった。このダルガーの地下にはイエスキリストの墓があるとされる。

    Rozabal

    この少し先にはペルシャ出身のスーフィーの聖人、アブドゥル・カーディル・ギーラーニーを祭るピール・ダストギール・サーヒブ(Pir Dastgir Sahib)がある。4年ほど前、火災に遭ったものを再建したとのことだが、中の装飾は見事で、本日訪れた中で、視覚的にはここが最も気に入った。

    Pir Dastgir Sahib
    Pir Dastgir Sahib
    Pir Dastgir Sahib
    Pir Dastgir Sahib

    この後、バードシャー・マクバラー(Badshah tomb)へ。カシミールの第8代スルターンの墓だ。ブルガリアあたりにありそうな、カシミールにあっては奇妙な造形の石造りの建物。中にはここに埋葬されているスルターンにあやかって無数の墓石が並んでいる。

    Badshah Tomb

    このすぐ近くをジェラム河が流れているが、そこには木造の橋がかかっている。ただし上は舗装道路になっており、大丈夫なのかな、と思ったりする。旧市街には、趣きのある辻や建物がいろいろあり、散歩するのが楽しい。

    木造の橋
    旧市街の眺め
    旧市街の眺め

    旧市街の見どころのハイライトはカンカー・シャーヒー・ハマーダーン(Khanqah Shahi Hamadan)。ムスリム以外は建物内に入ることはできないが、その反面、入口や窓から内部の写真撮影は可能。装飾はカシミールのペーパルマーシエーで作られており、非常に手の込んだ造りである。非常に美しい木造のモスクだ。

    Khanqah Shahi Hamadan
    Khanqah Shahi Hamadan
    Khanqah Shahi Hamadan

    カシミールの建築は上品で繊細で実に美しい。そう思うと、これまではあまり好きではなかったカシミールの刺繍なども魅了的に見えてくるから不思議だ。

    そこから東に進み、シャーヒー・ハマーダーンから見てジェラム河の対岸にあるパッタル・マスジッド(Pathar Masjid)へ。1623年に完成したこのムガル式のモスクは、アフガニスタンのカンダハール出身で、ムガル皇帝ジャハーンギールの妃であったヌール・ジャハーンが建てさせたもの。

    Pathar Masjid
    Pathar Masjid

    河を挟んで、カシミール建築の傑作、木造のカンカー・シャーヒー・ハマーダーンの壮麗さと、外地からもたらされた様式による質実剛健な石造のムガル式モスクが好対照を成している。これもまた、カシミールから見た「インドとの距離感」を象徴しているかのようである。

    〈完〉

  • シュリーナガル旧市街観光1

    シュリーナガル旧市街観光1

    それでも7時くらいまで寝ていたので疲れは取れた。
    宿のロビーで朝食。そして旧市街へオートで向かう。

    グルドワラー・シュリー・チャッティー・パートシャーヒー・サーヒブ(Gurudwara Shri Chatti Patshahi Sahib)へ。スィク教の第6代グルーのハルゴービンドが17世紀前半に、カシミール各地を歴訪した際に建立したものとされる由緒あるグルドワラーだが、現在の建物は20世紀以降に建築・増築されたものである。

    Gurudwara Shri Chatti Patshahi Sahib

    その奥にあるカーティー・ダルワーザー(Kathi Darwaza)は1590年にムガル帝国のアクバル大帝が建てさせた門。ハリ・バルバトの丘のふもとに位置する。

    Kathi Darwaza

    ここから少し坂道を登り、マクドゥーム・サーヒブ(Makhdoom Sahib)というスーフィー聖者のダルガーからじっくりと見物を始める。このダルガーのすぐ下には、シャージャハーンの息子であり、兄弟であったアウラングゼーブとの争いの中で殺害されたダーラー・シコーが、17世紀半ばに建てさせたアクンド・ムッラー・シャー・マスジッド(Akhund Mullah Shah Masjid)の遺跡が見える。

    Makhdoom Sahib

    階段を下り、そこからジャマー・マスジッド(Jama Masjid)までかなり距離があるかと思ったが、そんなことはなかった。旧市街を歩くと、インドではなく中央アジアにでも来ているかのような気がする。それほど「インドとの距離感」がある。

    Jama Masjid
    Jama Masjid

    Jama Masjid

    ジャマー・マスジッドは典型的なカシミール建築で、やはりここにしかない個性がある。1,400年に建造された木造のモスク。ドームはないが斜型の屋根を持つ、独自性に富んだカシミールならではの建物。内部では非常に太い木の柱が天井を支えている。石造ではないため火気には要注意で、これまで3度も焼け落ちているという。

    「インドとの距離感」を覚えるのは、伝統建築も然りだ。決して人口は多くなく(インド側で1,000万弱、パキスタン側で300万人強程度)なく、それほど経済的にも豊かではなかった地域ではあるものの、文化的に非常に高く洗練されたものがあることを感じさせてくれる。

    カシミールの文化についてあまりよく知らない外国人が訪れても、そう感じるくらいなので、カシミール人たちにとってはやはりインドは異国なのであろう。印パ分離直後、カシミールの所属が宙に浮いていた頃に、これを巡って両国が武力衝突し、力で事実上の分割が行われてしまったという経緯もある。

    目鼻立ちが整っていて、男女ともに優美な風貌をした人たちが多いのとは裏腹に、気が短くてケンカっ早い傾向もまた、カシミールで何か起きる際には本当に唐突に事が発生するということにも繋がるのかもしれない。

    〈続く〉

  • シュリーナガルの官営シルク工場

    シュリーナガルの官営シルク工場

    2014年9月の洪水
    2014年9月の洪水
    2014年9月の洪水

    シュリーナガル周辺の緑と農産物豊かな盆地は、ジェラム河の賜物だ。しかし、2014年9月、まさにこのジェラム河の氾濫による発生した大規模な洪水は、大きなニュースになったので、記憶されている方は多いだろう。街中を歩いている分には、当時のダメージを感じさせるものが目に付くことはないとはいえ、人々に尋ねてみると、やはり自宅や店が浸水してしまい、「それはもう大変だった!」という話はよく耳にした。建物を指差して、「壁の色があそこから色が少し違うでしょ?あのラインまで浸水したのです。」というようなことも聞いた。

    もとより可処分所得の多くないこの州だけに、当時の被害による負債が後を引いているという人たちは少なくないことだろう。また、短期滞在者として、外面だけ眺めている分には気が付くことはなくても、人々の暮らしの中に入っていく機会があれば、そうした影響はまだまだ顕著に残っているに違いない。

    そんなことを思ったのは、シュリーナガル市内にある州政府系の絹織物工場を訪れたときのこと。シルク専門の工場としては規模が大きく、かつては「世界最大級の絹織物工場」とされた頃もあったそうだ。戦前、すなわちインド独立前の藩王国時代に藩営工場として創業開始。インド共和国成立後の経営は、州政府に引き継がれた。

    正面の建物がシルク織物工場
    シルク織物工場の壁にも当時の浸水の跡が見られる。

    その工場について、先述の洪水の約半年前に書かれたこんな記事がある。

    Once largest in world, Rajbagh Silk Factory ‘dying’ of official apathy (Greater Kashmir)

    歴史的な工場だが、近年は生産性がはなはだ落ち込み、好ましくない状態にあったらしいが、そこに追い討ちをかけるように、2014年の洪水でひどいダメージが与えられたとのことだ。工場内には30前後のラインがあるのだが、動作していたのはわずか三つのみ。それ以外は泥を被ったままであるのが痛々しい。

    敷地内には、私が見学させてもらった棟以外にも、いくつかの施設があり、絹織物工場としては相当大きなものであったことは容易に察しがつくだけに、なんとももったいない話である。

  • シュリーナガルへ

    シュリーナガルへ

    以前、シュリーナガルを訪れたのは1988年。この前年3月に実施された州議会選挙における不正疑惑を発端として、従前から根強かった反インド感情を背景に、抗議活動から武装組織へと発展していったのが80年代末から90年代のこと。

    現地の反政府組織を通じて、隣国パーキスターンによる干渉もあり、泥沼化の一途をたどることとなった。血を血で洗う抗争、爆弾テロ、誘拐・殺害事件等々の暴力に対応すべく、これを力で抑え込もうとした治安当局による市民への拷問を含む人権侵害は、この地でインドに対するさらなる不信感を高めるという皮肉な結果となり、負の連鎖が続いていた。

    風光明媚なカシミール最大の産業であった観光業は、当然の結果として惨憺たる状態となる。この地をロケで利用することの多かったインドの映画産業も、治安の悪化を受けて、山あいのシーンの撮影地をヒマーチャル・プラデーシュ等に移している。

    カシミールの手工芸品という国内外で引き合いの多い優れた品物さえあれば、どこでも仕事ができる商売人たちが、インド各地にこの取り引きのために拡散していくこととなった。隣国ネパールのカトマンズなどで、こうした商品を手掛ける商売人たちは、この時期に進出したというケースが多いようだ。

    私が前回ここを訪れたときは、暴力の嵐が吹き荒れるようになる少し前であったため、特に危険があったわけではないのだが、人々と話をすればするほど、「これから何か起きるかもしれない」と感じさせる不穏な空気はあった。

    ようやく2000年代に入ってしばらくしたあたりで平和のきざしが見られるようになり、2007年あたりから内外の観光客が足を向けるようになってきている。

    ただし、かつてのような身の危険はないとはいえ、ひとたび何か政治的な問題が発生すると、一気に燃え上がり、政府側はこれに対して迅速に手を打つので、何も知らずに訪れた観光客は、「知らないうちに何か起きていて、あっという間に外出禁止令が敷かれていた」という状況になってしまうことがしばしばあるようだ。

    AFSP (The Armed Forces Special Power Act)という特別法が敷かれている地域であるため、そうした摩擦は少なくない。このAFSPは、治安維持と共和国としての統一を図るための苦肉の策とも言えるものだが、「世界最大の身民主主義国家」を自負するインドにおける「マイノリティの民族主義運動とせめぎ合う民主主義の限界点」が如実に現れているものでもある。このような特別法が北東インドでも敷かれている。

    しかしながら、久しぶりに訪れるシュリーナガルの湖の景色は、やはり素晴らしいものであり、しつこい商売人たちを除けば、人々は温厚かつ友好的である。この地に真の平和が訪れることを願わずにはいられない。

  • バイク野郎

    バイク野郎

    デリーで、食堂の軒先で朝食をとっていると、野太いエンジン音を響かせて、ごっついロイヤルエンフィールドバイクに乗った上半身入れ墨でいっぱいのいかつい男がやってきた。

    「ああ、これは3月に手に入れたがエンフィールド。インドでツーリングするのは3回目だよ。これからカシミールを経てラダックに行く。」

    イングランド人のマークは、雨季の最中の8月頃にモレー/タムー国境からミャンマーに入るのだとか。すでに外国人も通れるようだが、雨季の北東インドはキツイねぇ。

    「行けるところまで行ってみる。タイ、ベトナム、カンボジアもこのバイクで旅したいね。中国も走ってみたい。こいつでチベットを走れたら最高だろ?!」

    そりゃあそうさ、チベットはもちろん素晴らしいだろうし、インドを旅していても、鉄道やバスで旅行する僕らには体験し得ない様々なものが待ち受けている。

    僕らが乗り物の席に腰かけて居眠りしたり、おしゃべりしている間に、君は自分自身で広大な地平線を走破していくのだから。しかもバイクは「インド製のクラシックなブリティッシュ・バイク」のロイヤル・エンフィールド。新車で購入してもトラブル続きになるかもしれないが、最高じゃないか。

    頑張れバイク野郎!よい旅を!!!