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カテゴリー: greater india

  • カンボジアフェスティバル2016

    東京都渋谷区の代々木公園にて、5月7日(土)と8日(日)にカンボジアフェスティバル2016が開催される。

    こうしたイベント自体は、ずいぶん標準化されていて、国の名前が違うだけでイベントの形式はほとんど同じ。おそらくこれらをオーガナイズするのは同じイベント請負会社だったりするのだろう。

    しかしながら、すがすがしい初夏の陽射しのもと、屋外で昼間からビール片手にのんびりと過ごすのはいいものだし、普段はなかなか出会えない人たち、イベントでテーマとなっている人たちと知り合うことができる機会でもあるので、多少なりとも関心があれば、顔を出してみて損はないだろう。

    この翌週に開催されるタイフェスティバル2016のように、代々木公園が超満員になってしまうような具合ではないだろう。ちょっと地味めだが、ゆったり過ごすにはちょうどいいかもしれない。

  • 「第17回カレーフェスティバル&バングラデシュボイシャキメラ」当日

    「第17回カレーフェスティバル&バングラデシュボイシャキメラ」当日

    東京都豊島区の池袋駅西口公園で毎年恒例の行事となっている「第17回カレーフェスティバル&バングラデシュボイシャキメラ」を午前中に覗いてきた。本日、2016年4月17日の午前10時から午後6時までの開催だが、やはり早い時間帯はまだ閑散としていた。
    今月14日に発生した熊本地震への義援金ブースも設置されており、「ワンコイン(500円)からでもよろしく」と呼びかけていた。東日本大震災のときもそうであったが、私たち日本人の良き隣人である、このイベントを主宰するジャパン・バングラデシュ・ソサエティは、積極的な働きかけを行なってくれている。
    あいにくの雨天だが、昼近くなったあたりで、雨脚が強くなってきたので、早々に退散した。
    その後は台風並みの激しい風雨となった。私自身は、在日バングラデシュ人の知人幾人かと会うことが出来たのでよかったのだが、年に1度のせっかくの機会を楽しみにしている在日バングラデシュの方々は多く、群馬県、茨城県等といった関東一円はもとより、完済方面からはるばる駆けつけるケースもあるだけに、本日の空模様は彼らにとって気の毒である。
    これをアップしている午後2時半現在、天気は回復に向かいつつあるようだが、会場の皆さんが残りの時間を楽しく過ごすことができるように願っている。



  • インド北東部周辺の地震

    現在、日本では4月14日に発生した熊本地震の関係で、九州地方を中心に心配な状況が続いている。現在も余震が断続的に続いているとともに、16日未明に発生した大きな揺れが「本震」で、14日のものはその前触れに過ぎなかったというニュースや、熊本、阿蘇、大分の3地域で同時多発的に地震が発生しているという分析が報じられるなど、今後どのように推移していくのか、目が離せない。

    熊本地震 熊本、阿蘇、大分…3つ別々の地震が同時に発生(毎日新聞)

    熊本における最初の大きな揺れの発生の前日、4月13日にミャンマーで発生した強い地震の震源地。はアラカン山脈の南側。やはりヒマラヤやその支脈(アラカン山脈もそのひとつ)の南側は地震が少なくない。

    Myanmar shaken by 6.9 magnitude earthquake (BBC)

    地震の揺れ自体は巨大というほどではなかったため、甚大な被害には至らなかったようであるのは幸いだ。
    近年は、インド北東部を中心とする地震の可能性について云々されている。アッサム州は過去に周期的に巨大地震が発生しているところでもあり、南アジアと東南アジアの境目周辺の地域は今後、気をつけて見ていく必要がある。

    スィッキム州を含めて、この地域で大きな地震が起きたら、もともと地震に対して脆弱な建物はもちろんのこと、水利や発電などのために造られたダムや人造湖などがどうなるか?と想像すると大変恐ろしいものがある。

  • スリナガル・レーを結ぶ道路は今季4月20日前後に開通予定

    スリナガルとレーを結ぶ道路は、今シーズンは4月第1週にオープンする予定であったが、積雪とこれに起因する雪崩の発生により、4月20日前後に延期となったとのこと。

    これもただ座して待つのではなく、この戦略上重要な地域の道路を管理するBRO (Border Roads Organization)の作業員たちによる懸命の努力が継続されている結果、なんとかそのあたりには開通に持ち込むことができるであろうと見込まれている。積雪地帯では、しばらくの間、片側通行となるようだ。

    Srinagar-Leh highway to reopen in last week of April (India Today)

    ラダックの観光シーズンといえば、6月~9月くらいまでで、他は閑散とした状態になるが、道路開通して間もないこの時期に訪れたならば、ピークのシーズンからは想像もつかない眺めを体験できることだろう。

    西にパーキスターン、北に中国が控える軍事的な要衝だが、雪に閉ざされた状態が解消するのは、インドを含めた三国がせめぎ合うこの地域ではいずこも同じであり、陸上大量輸送が可能になるこの時期から、隣国への侵入や小競り合いなどが始まることにより、緊張が高まる。インド北部の要を守るために配置されている軍人たちにとっても、忙しいシーズンの到来だ。

  • 鉄道でデリーからレーに移動することできる時代がやってくる?

    これまでに幾度かメディアで話題になっているヒマーチャル・プラデーシュからラダックのレーへの鉄道建設。かなり本気の計画のようだ。2年近く前のものになるが、下記の記事を見る限りでは、軍事的な要素が強いようだ。つまり中国との有事を視野に入れた高速大量輸送を可能にするという点だ。

    ヒマラヤの急峻で険しい地形のもとで、技術的にも費用面でも本当に可能なのか。実現できるとしても何年かかるのだろうか。そして建設工事や維持にかかる環境負荷も相当大きいのではないかと思われる。この地域を訪れて雄大な山々を目にしたことがある人ならば、このようなプランを耳にしても、とうてい信じられないだろう。

    Nod for Bilaspur-Manali-Leh rail line heartens Himachalis (THE TIMES OF INDIA)

    Leh to be connected with rail line with Delhi via Bilaspur (DAILYEXCELSIOR.COM)

    パンジャーブ州境に近いヒマーチャル・プラデーシュ州のビラースプルから同州のマナーリー、ケイロンを経て、さらにはタグラン・ラを越えてラダックに至るというルート。

    さらにはこれに留まらず、レーからカルギルを経てスリナガルへと鉄道を繋ぐ計画もあり、現在カシミールにて建設中で、すでにバーラームッラーからバーニハール間で走行しているカシミール鉄道と接続するという壮大なプラン。

    もしこれが完成すると、このようなルートとなる。

    このカシミール鉄道は今後ジャンムー・ターウィー駅まで延伸されるため、デリーから時計回り、反時計回りでこれらの地域へ鉄道でアクセスすることが可能になるとされる。

    ラダック地方やその周辺地域の文化的特殊性は、夏季の限られた期間にしか外部からアクセスできないという地理的な閉鎖性による部分も少なくないと思われるので、こうした鉄道敷設により、これが年中可能となると、このエリアにおける文化的な影響も相当大きなものとなることだろう。

    その反面、ラダック地方においては、ほぼ夏季に限られる観光業の収入以外にも現金収入の機会が増えること、季節を問わずに陸路でインド各地と往来できるようになることから、他の産業の育成にも繋がることになるのかもしれない。

    ただしそれがラダックの人々を利することになるのか、そうではなく外の人たちがラダックで稼ぐ機会だけを増大させることになるのかは、まだ建設が始まってもいない現時点では何とも言えないだろう。少なくともラダックの美しい景観を損なうことになるのは間違いないように思われる。

  • 第17回カレーフェスティバル&バングラデシュボイシャキメラ

    どんなイベントであっても、毎年継続して行われていると、「恒例」となり、広く知れ渡るようになってくる。

    野山を切り拓いて住宅地が造成されたとする。新聞の広告や電車内の吊り広告などで目にしたことをきっかけに、現地を見に行ったら気に入って購入した人たちが順次引っ越してくる。土地に何のゆかりもない人たちが集住することになるが、そんな中でも○○町内会、××商店会といったものが構成されていく。最初はよそよそしい間柄であっても、やがて見様見真似で盆踊りや秋祭りといった行事を始めるようになってくる。

    はじめのうちはすべてがぎこちなかった運営側も、勝手わからずというムードだった参加者側も、回数を重ねるごとにこなれてくる。日常でも、両隣から同じ通りの人たち、さらには商売や子供幼稚園、保育園や学校の繋がりといったチャンネルが増えていくとともに、人付き合いは広がっていく。

    始まりはまったくの「無縁社会」であった新興住宅地に「地元感」が溢れるようになってきて、そこで育った二代目以降の世代にとっては、紛れもない地域社会そのものとなる。

    ただ、新興住宅地が、昔ながらの土地と大きく違うのは、一気呵成で開発・売り出しがなされた地域に移ってくるのは、たいてい子育て世代が中心の似たり寄ったりの年齢層から構成されることだ。時間の経過とともに年齢層に幅が出てくるものだが、それにしても移り住んできた親世代が老境に差し掛かり、子供世代が結婚して子供をもうけてという具合に、地域の住民全体がひと回り、ふた回り年齢が上がっていくという特徴がある。

    同様のことが日本に定住した南アジア系の人たちの社会についても言えるだろう。バブルの頃に出稼ぎでやってきたバングラデシュやパキスタンの人々だ。彼らの子供たちが成人する時期に差し掛かっているとともに、すでに長年日本に定住しているおじやおばをツテに日本を留学先に選んだ若者たちがやってくる。

    これとは異なる流れとして、2,000年以降、中国や韓国からの留学生数が頭打ちとなったことにより、危機感を抱いた日本語学校の多くが、生き残りをかけて他の国々を模索した。現在もその努力は続いている。関係者の開拓により、スリランカやネパールから日本語を学ぶために来日する若者が急増している。

    バブルの頃から現在に至るまで、四半世紀ほどの時間が経過したが、いつの時代も様々な志を抱いて日本に渡ってくる南アジアの人々がいた。もちろんそうした人たちの間では一時的な滞在先でしかないというケースも多かったし、日本に腰を据えて住み着いた後に第三国に渡ったり、帰国したりする人もまた少なくない。とかく人の出入りは盛んではあるものの、決して少なくない数の人たちが日本に根を下ろして定住している。

    そうした中で、とりわけバングラデシュの人々については、日本での定住志向がかなり強いケースが多いようだ。子供たちを日本の公立学校に通わせて、家庭内での会話も日本語になっているということはまったく珍しくない。

    今年で17回目となる「カレーフェスティバル&バングラデシュボイシャキメラ」に参加するバングラデシュの人たちには、家族連れの常連客の姿が大変多いが、その子供たちもすでに成人していたり、そういう年齢に達しようとしている人たちが少なくない。こうした「日本生まれのベンガル人」にとっては、物心ついたころからすでにあった年中行事となっている。あと数年すると、バブルの頃に移住した世代に孫が生まれたりもする時期に差し掛かっている。

    イベントを立ち上げて、長年に渡りこれを育て上げてきたバングラデシュの人たちに敬意を表するとともに、今後ますますの発展をお祈りしたい。

    今年は4月17日(日)に開催される。時間は午前10時から午後6時まで。場所は例年どおり東京都豊島区の池袋西口公園だ。


    カレーフェスティバル&バングラデシュボイシャキメラ (JAPAN BANGLADESH SOCIETY)

  • ダッカの高架鉄道建設 東急建設が受注

    かつてはサイクルリクシャーの洪水となっていたバングラデシュのダッカの往来。その頃はエンジンの付いた乗り物といえば、市内バス、トラック、シェア乗りが主体のオートリクシャーくらいのものであったのは今や昔。世界有数の渋滞で知られるようになっている。
    こうした状態は途上国のいずこの大都市も避けては通れない道だ。


    Traffic Jam at Dhaka in Bangladesh (Youtube)

    この解消策としてバイパスや立体交差の建設、車線の拡張などが実施されることになるのだが、同時に徒歩で移動する人たちの路上交通によらない運輸手段の整備が必要となってくる。それが地下鉄であったり高架鉄道であったりするわけだ。
    さて、このほど東急建設がダッカのMRT(Mass Rapid Transit)としての高架鉄道建設を受注。総延長20kmに及び市内を南北に縦断する形で敷設されるのだとか。
    工事が開始されると、完了時までは現在の渋滞に更に拍車がかかった状態になるかと思うが、2021年に予定されている全線開通以降は、今とはかなり違った様相となっていることを期待しよう。

    東急建設、バングラで鉄道工事受注 日本企業で初(日本経済新聞)

    ダッカ市に高速高架鉄道! 渋滞緩和へ向けて進む都市計画(JICA)

  • スーチー氏とNLD

    先のミャンマー総選挙で勝利し、平和裏な政権交代により、与党となるNLD (National League for Democracy)。本来ならば党首のアウンサンスーチー氏が大統領に就任すべきところ、ご存知のとおり不条理な憲法規定により、子息が英国籍であるため資格がないことになるため、「代役」として腹心が大統領候補となった。

    ミャンマー スー・チー氏側近が大統領就任か (NHK)

    期待値があまりに大きいこと、同様に国外からのそれもまた過大であることから、スタートからかなり厳しいものがあるように思われる。軍政を継いだ前政権が経済、外交、民生の各分野で、予想外にいい仕事をしてしまったことも更にハードルを上げている。

    政権への批判者として高い支持を集めた人物が必ずしも為政者として有能なのかいえば、必ずしもそうではない例が多い。また、現在の彼女の年齢も気にかかる。

    加えて、私たちを含めて、およそ大衆というものは、短期間で目に見える効果を期待しがちであり、野党もそのあたりを攻撃してくることはもちろんのことで、大衆はそれにうまく乗せられてしまうのが世の常。

    「スーチー氏」という「ブランド」には、なかば神格化されたといってよいほどのイメージがあり、政治の世界の泥仕合や合従連衡のかじ取りが求められる政権党のリーダーとして、これまでの批判者という立場から為政者にスイッチした瞬間から、内外からのブーイングや痛烈な批判を受け止めなくてはならない。

    当然のことながら、華々しい実績もあり、キレ者が多い前政権、つまり軍服を脱いだ新世代(旧軍政期から見ての)実力者たちは、強烈なカウンターパンチを用意していることだろう。

    「スーチー氏に任せれば大丈夫」というムードと期待感こそが、スーチー氏にとってウィークポイントなのではないかと思う。

    また、ビルマ族以外の少数民族が暮らす「州」(概ねビルマ族がマジョリティの地域は「管区」、少数民族の占める割合が高い地域は「州」という区分になっている。概ね前者は英国時代に直接統治した地域、後者は割拠していた藩王国を通じて間接統治していた地域ということになる)については、今後「民主化」の中で、州の自治権強化を求めることになるのが筋だが、大胆な行政改革が求められる。

    軍政時代には民族運動を武力で押さえつけていたが、これに対してスーチー政権はどのような対応に出るのか?というところで、注目していきたい。インドやネパールのように、「民族のモザイク」の土壌だけに、叡智が試されるところである。彼女がこれまで選挙戦での協力関係以外に経験のないこの部分は、NLD政権にとって相当な危険を秘めているということになるだろう。

  • インドでテロ警戒・・・の背後にあるもの

    インド発の ニュースでいろいろ流れているが、今回はこれまでのそれとは情報のソースがまったく異なるので、首をかしげている人は多いことと思う。

    内容としては「グジャラート州地域で、パキスタンから10名のテロリストが越境。Lashkar-E-Taiba および Jaish-eMuhammed (どちらも原理主義過激派武装組織)の戦闘員で、自爆テロを含む攻撃を仕掛ける可能性が高い」といったもの。
    ソースが異なるというのは、それをインド側に通報したのが、パキスタンのNational Security Advisorという機関であること。

    パキスタンの首相府の指揮直下にある組織だが、昨年末以来、テロ防止と過去の事件の解決のため最大限の協力を約束したナワーズ・シャリーフ首相がこれを実行したものと見ることも出来るものの、実際にこれまでテロ組織の援助や攻撃計画実行などに関わっているのは、首相府-国家安全保障組織のラインではなく、軍-軍直下のインテリジェンス機関。

    パキスタンでは「伝統的に」軍政が敷かれているとき以外は、前者文民政権と軍は対立・並立する関係にあり、こと隣国インドに対しては、せっかく文民政府が友好的なシグナルを送りつつも、これを後者が無きものとするような行為を繰り返してきた。先述のふたつの組織、どちらもパキスタン軍との協力・協働関係は深く、軍のインテリジェンス機関(ISI=Inter Services Intelligence 軍統合情報局)の預かり知らないところで、大型行動を起こすということは考えにくい。とりわけ軍が警備する国境地帯を抜けてということでもある。

    仮に、この情報が本当に事実に基づいたものであるとするならば、インドにテロリストが侵入してきたという事実以上に、「この情報をインド側にリークした」ということの背後に、もしかするとパキスタンの軍部で勢力を二分する大変なパワーゲームが展開されているのではないか?ということも想像できないことではない。ちなみにNational Security Advisorのトップもまた軍人のポストである。

    この一連の動きの中で、インドに侵入してきたテロリストたちが起こしうる事件と同様、あるいはそれ以上に危険なのは、パキスタン側の政府と軍の対立、加えてひょっとしたら生じているかもしれない軍の深刻な亀裂のほうであるかもしれない。

    ナワーズ・シャリーフ氏は90年代にも首相を務めたことがあり、1999年にパルヴェーズ・ムシャッラフ将軍によるクーデターで拘束され、軍事法廷により死刑を宣告されたものの、アメリカとサウジアラビアの介入により、サウジアラビアに脱出した後、亡命生活を余儀なくされた過去がある。同氏にとっては、かつて政敵であった故ベーナズィール・ブットー氏以上に、同国国軍は不倶戴天の敵。 今後のパキスタン国内政情が気にかかるところだ。

    Gujarat on high alert, 4 NSG teams rushed (THE HINDU)

    ※「ゴーラクプル2」は後日掲載します。

  • インドとミャンマーの国境交流本格化へ

    もう2か月近く前のことになるが、こんな記事を目にした。

    Cabinet Nod for 69 Bridges in Myanmar Highway (Northeast Today)

    ミャンマー西部の国道建設にかかる援助プロジェクトで、マニプル州からの越境地点となるモレー/タムー国境から東進するルートになる。これは同州の州都インパールからマンダレー間で計画されている直通バスが通るコースでもあり、旅客のみならず二国間の物流面でも期待されている。

    このあたりは東南アジアと南アジアの境目であり、国境両側に様々な少数民族の豊かな生活文化が残されている地域でもあり、単なる通過点としてだけではなく、観光面からも期待されるものは決して少なくないことだろう。

    とりわけインドでは、近年になってから中央政府・北東各州政府ともに北東地域のツーリズム振興のために様々なキャンペーンを張っているものの、なかなかその効果は出ていないようだ。

    ひとつは、州によってはまだ治安情勢に不穏なものがあり、マニプル州もそうしたカテゴリーに含まれること、そして大きな遺跡や見栄えのする名所旧跡が数多く存在するわけではなく、どちらかといえば、地域の生活文化そのものが魅力という地味な地域であることがその主な理由であろう。

    さらには、ここを訪れてからどうするのかといえば、グワーハーティー、コールカーター等の大都市まで引き返してから、インド国内の他のところに向かう、あるいは周辺国に向かうということになる「地の果ての行き止まり」であったため、なおさらのこと、観光客が足を向けにくかったということがある。

    そんな状況もインパールからミャンマーのマンダレーへの直行バスが運行されるようになり、私たち外国人もそれを利用できるようになれば、ずいぶん違った具合になってくることと思われる。

    「ヤンゴンから入り、ミャンマー西部を訪れてから、インド北東州をあちこち見学、そしてコールカーターから帰国」といったルートがポピュラーになる日もそう遠くはないのかもしれない。

  • 第3回アフガニスタン凧揚げ大会

    アフガニスタン大使館主催の凧揚げ大会というのがあるのだそうだ。2014年から開催されており、今年で3回目とのこと。
    日時は2月28日(日)の午前10時から午後1時まで、場所は東急多摩川線の下丸子駅近くの多摩川河川敷。
    インド、パキスタン、バングラデシュなど南アジアの国々ではポピュラーな凧揚げだが、アフガニスタンでもまた同様に伝統的に人気がある。
    同国では、ターリバーン時代には禁じられていたようだが、その後また人々の間で親しまれているらしい。
    さて、この催しではアフガニスタン式の凧と和式の凧が用意されると告知されている。会場に出向いて凧揚げを楽しんでみたり、そこに集っている在日アフガニスタンの方々とおしゃべりに興じたりしてみると、素敵な休日となることだろう。

    第3回アフガニスタン凧揚げ大会 (在日アフガニスタン大使館)

    ※「クシーナガル滞在2」は、後日掲載します。

  • 再びネパール・インド国境へ

    再びネパール・インド国境へ

    このあたりの景色はまったくヒンドゥスターン平原と同じだ。霧が出ているのは前日の朝もそうであったが、薄いところもあればいきなり濃くなっているところもある。霧というものはいつもそうだが、かなり濃淡がある。ある地点では道路脇の様子さえもよく見えなかったり、しばらく見通しが良くなったりする。

    走るクルマのないガラガラの道をひた進む。ときたま通り過ぎるのはバイクのみ。中央政府が制定した新憲法が、マデースィー(平原部に暮らすインド系の人たちに不利な内容であることから、これに反対する地元政党がオーガナイズしたチャッカージャーム(交通封鎖)によるものである。

    バンド(ゼネスト)、ハルタール(組織的怠業)、チャッカージャーム(交通封鎖)といった抗議活動はインド譲りのものだが、イギリス植民地時代末期のインドにおける不服従運動で盛んに展開された手法。

    もう何カ月もバスの往来が停止しているため、バススタンドはただの広場にしか見えず、ここがそうだと言われなければ気付かないだろう。

    しばらく進むとトラックが何台か見えてきた。時間を限って、通行が許された工業地帯へ原料を運んだり、製品を搬出したりということがなされているとのこと。やがて無数のトラックの群れとなり、しばし渋滞。先のほうで検問でもあるらしい。なんとかある程度の供給と搬出を確保するほど「政治力」のある企業はまだいいが、そうでないところではもう4カ月も何もできないことになる。ひどい話である。

    通行が許される限られた時間に集中するトラックの群れ

    さらに進んでいくとバイラワに至る。これまでの閑散とした道路とはまったく異なり、クルマがかなり多く、「普通の世界に戻ってきた」という気がする。だが沿道では大きなポリタンでガソリンを商う人たちがいる。インドによるブロッケードによる影響だ。しかしながら、こうした物資の不足とネパール独自の会社の広告があることを除けば、ここがインドと言ってもわからないだろう。

    バイラワーに入った。早朝なので交通量は少ないが、ここまで来るとクルマは普通に走行している。

    国境の町、ベールヒヤーに到着した。ここで朝食のためにおそらくここで一番いい宿泊施設のホテル・アーカーシュ(といっても粗末なものだが)の食堂でトースト、オムレツとチャーイの朝食を頼む。併設されている両替所で、使い残したネパールルピーからインドルピーに交換する。

    国境の町ベールヒヤーで朝食

    ネパール側のイミグレーションには職員以外は誰もおらず、出国手続きは即座に完了。ネパール人とインド人はフリーパスなので、ここに立ち寄るのは私たちのような第三国の人間だけだ。

    国境のネパール側、ベールヒヤーの町

    もう四半世紀以上も前のことになるのだが、初めての海外旅行で、同行した二人の友人たちと、インド側からネパール側に越えたのはこの国境であった。少し町が大きくなったり、建物が増えたりしているのかもしれないが、当時もこんな感じのゴミゴミした町並みであったように思う。確か国境を越えてネパール側のイミグレーションのすぐ脇のゲストハウスに宿泊したと記憶している。翌日の朝に出発して午後にポカラに着いた。途中で見え始めたヒマラヤの雪を被った峰に心躍ったことを思いだす。

    ネパール側イミグレーションでの手続を終えた。ゲートの向こうはインド。

    閑散たる状況は、国境を徒歩で越えた先のインド側の町、スナウリーでも同様だ。シーズンなのにこの状態は異常だ。昨年の大地震、同じく昨年の雨季後半から続く憲法問題による政治問題で、ネパール最大の産業である観光業が、いかに大きな打撃を受けているかということは想像に難くない。

    インド側に入ると、これまた粗末な町並みだが、ネパール側よりも人が多いようだ。またネパール側のように近隣から出てきた山の民の姿がないので、やはり違う国に来たという思いがする。

    ネパール側でもヒンディーは通じるのだが、やはりそこの言葉ではないため、マデースィーの人たちを除けば、当たり前の顔をしてそれで話しかけるのはちょっと気が引けるような思いがする。インド人ではない、明らかに他国の私のような者が、ヒンディーで話しかけると、一瞬戸惑うような素振りを見せる人は少なくないようであった。もちろんそうした人たちでも、程度の差こそあれ、ちゃんと理解するし、にこやかに返事もしてくれるとはいえ。

    インド側に入ると、そういうムードはまったく無くなり、ごく当然のこととしてコミュニケーションできるのだから、やはり「そこに国境がある」だけで、その両側の雰囲気は自然と大きく異なるものとなる。

    国境のインド側に入ると、ブロッケードのため、長蛇の列となっているトラックの果てしない車列が続いている。

    インド側の町スナウリーでは、インドによるネパールに対する封鎖により留め置かれているトラックの長い車列を目にする。

    イミグレーションの少し先に進むと、バスの発着場がある。私が乗ったバスの終着地はバナーラス。私はゴーラクプルで途中下車する。州営のバスなので、時間になるとさっさと出発してくれる。私営のように一杯になるまで客集めするわけではないのがいい。

    バスの終着地はバナーラス。向かって右のヘッドライトの上の黄色地に赤文字の表示で「ワーラーナスィー(バナーラスとも言う)とある。

    前を走るのは、私の乗るバナーラス行きと同時に出発したバス。これもまたUP州営バスで、後部に「スナウリーからデリー行き」とヒンディーで書かれている。

    少々驚いたのだが、ここからデリーに向かうバスもある。これまたこの州の州営バスである。直角シートで窮屈な車内とオンボロ車両。これは20数年前とちっとも変わらないが、こんなバスでデリーまで行くのはさぞ疲れることだろう。

    インド側に入ると、景色も大きくなったように感じるが、これは気のせいに違いない。バスは出発してひた走る。途中一度休憩が入った。最終的にゴーラクプルまでは、3時間半。ゴーラクプル郊外に入ってから渋滞がひどかったり、道路がこれまたひどかったりで、1時間はそれで費やされている。乗合ジープだと2時間程度というので、それを利用するのがベターだろう。