再びネパール・インド国境へ

このあたりの景色はまったくヒンドゥスターン平原と同じだ。霧が出ているのは前日の朝もそうであったが、薄いところもあればいきなり濃くなっているところもある。霧というものはいつもそうだが、かなり濃淡がある。ある地点では道路脇の様子さえもよく見えなかったり、しばらく見通しが良くなったりする。

走るクルマのないガラガラの道をひた進む。ときたま通り過ぎるのはバイクのみ。中央政府が制定した新憲法が、マデースィー(平原部に暮らすインド系の人たちに不利な内容であることから、これに反対する地元政党がオーガナイズしたチャッカージャーム(交通封鎖)によるものである。

バンド(ゼネスト)、ハルタール(組織的怠業)、チャッカージャーム(交通封鎖)といった抗議活動はインド譲りのものだが、イギリス植民地時代末期のインドにおける不服従運動で盛んに展開された手法。

もう何カ月もバスの往来が停止しているため、バススタンドはただの広場にしか見えず、ここがそうだと言われなければ気付かないだろう。

しばらく進むとトラックが何台か見えてきた。時間を限って、通行が許された工業地帯へ原料を運んだり、製品を搬出したりということがなされているとのこと。やがて無数のトラックの群れとなり、しばし渋滞。先のほうで検問でもあるらしい。なんとかある程度の供給と搬出を確保するほど「政治力」のある企業はまだいいが、そうでないところではもう4カ月も何もできないことになる。ひどい話である。

通行が許される限られた時間に集中するトラックの群れ

さらに進んでいくとバイラワに至る。これまでの閑散とした道路とはまったく異なり、クルマがかなり多く、「普通の世界に戻ってきた」という気がする。だが沿道では大きなポリタンでガソリンを商う人たちがいる。インドによるブロッケードによる影響だ。しかしながら、こうした物資の不足とネパール独自の会社の広告があることを除けば、ここがインドと言ってもわからないだろう。

バイラワーに入った。早朝なので交通量は少ないが、ここまで来るとクルマは普通に走行している。

国境の町、ベールヒヤーに到着した。ここで朝食のためにおそらくここで一番いい宿泊施設のホテル・アーカーシュ(といっても粗末なものだが)の食堂でトースト、オムレツとチャーイの朝食を頼む。併設されている両替所で、使い残したネパールルピーからインドルピーに交換する。

国境の町ベールヒヤーで朝食

ネパール側のイミグレーションには職員以外は誰もおらず、出国手続きは即座に完了。ネパール人とインド人はフリーパスなので、ここに立ち寄るのは私たちのような第三国の人間だけだ。

国境のネパール側、ベールヒヤーの町

もう四半世紀以上も前のことになるのだが、初めての海外旅行で、同行した二人の友人たちと、インド側からネパール側に越えたのはこの国境であった。少し町が大きくなったり、建物が増えたりしているのかもしれないが、当時もこんな感じのゴミゴミした町並みであったように思う。確か国境を越えてネパール側のイミグレーションのすぐ脇のゲストハウスに宿泊したと記憶している。翌日の朝に出発して午後にポカラに着いた。途中で見え始めたヒマラヤの雪を被った峰に心躍ったことを思いだす。

ネパール側イミグレーションでの手続を終えた。ゲートの向こうはインド。

閑散たる状況は、国境を徒歩で越えた先のインド側の町、スナウリーでも同様だ。シーズンなのにこの状態は異常だ。昨年の大地震、同じく昨年の雨季後半から続く憲法問題による政治問題で、ネパール最大の産業である観光業が、いかに大きな打撃を受けているかということは想像に難くない。

インド側に入ると、これまた粗末な町並みだが、ネパール側よりも人が多いようだ。またネパール側のように近隣から出てきた山の民の姿がないので、やはり違う国に来たという思いがする。

ネパール側でもヒンディーは通じるのだが、やはりそこの言葉ではないため、マデースィーの人たちを除けば、当たり前の顔をしてそれで話しかけるのはちょっと気が引けるような思いがする。インド人ではない、明らかに他国の私のような者が、ヒンディーで話しかけると、一瞬戸惑うような素振りを見せる人は少なくないようであった。もちろんそうした人たちでも、程度の差こそあれ、ちゃんと理解するし、にこやかに返事もしてくれるとはいえ。

インド側に入ると、そういうムードはまったく無くなり、ごく当然のこととしてコミュニケーションできるのだから、やはり「そこに国境がある」だけで、その両側の雰囲気は自然と大きく異なるものとなる。

国境のインド側に入ると、ブロッケードのため、長蛇の列となっているトラックの果てしない車列が続いている。

インド側の町スナウリーでは、インドによるネパールに対する封鎖により留め置かれているトラックの長い車列を目にする。

イミグレーションの少し先に進むと、バスの発着場がある。私が乗ったバスの終着地はバナーラス。私はゴーラクプルで途中下車する。州営のバスなので、時間になるとさっさと出発してくれる。私営のように一杯になるまで客集めするわけではないのがいい。

バスの終着地はバナーラス。向かって右のヘッドライトの上の黄色地に赤文字の表示で「ワーラーナスィー(バナーラスとも言う)とある。

前を走るのは、私の乗るバナーラス行きと同時に出発したバス。これもまたUP州営バスで、後部に「スナウリーからデリー行き」とヒンディーで書かれている。

少々驚いたのだが、ここからデリーに向かうバスもある。これまたこの州の州営バスである。直角シートで窮屈な車内とオンボロ車両。これは20数年前とちっとも変わらないが、こんなバスでデリーまで行くのはさぞ疲れることだろう。

インド側に入ると、景色も大きくなったように感じるが、これは気のせいに違いない。バスは出発してひた走る。途中一度休憩が入った。最終的にゴーラクプルまでは、3時間半。ゴーラクプル郊外に入ってから渋滞がひどかったり、道路がこれまたひどかったりで、1時間はそれで費やされている。乗合ジープだと2時間程度というので、それを利用するのがベターだろう。

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