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カテゴリー: greater india

  • 夕刻のルアンパバーン

    夕刻のルアンパバーン

    ルアンパバーンの宿に着いたのは午後4時。
    部屋に荷物を置いてから外を散策。民家が建ち並ぶ中を歩いていると、タイの田舎町に来たような気がするのだが、時折やってくるクルマは右側を走っていることに、ここはタイではないことを感じたりする。

    また、メインストリートには、仏領時代の建築物がよく残っており、ちょっとアップマーケットなホテル、レストランやカフェとして利用されている。ほどなく日没の時間となり、あたりが暗くなってくると、これらがセンス良くライトアップされて、静かな街の様子と相まって、幻想的なムードとなる。

    騒々しい音楽や往来もなく、ゆったりとした時の流れを楽しむことができるのもいい。

  • ルアンパバーンへ

    ルアンパバーンへ

    ここしばらく、インドと関係ない国に関する記事が続いており、恐縮である。

    久しぶりにドンムアン空港に着いた。2006年にスワンナプーム国際空港が開港にあたり、閉鎖されていた時期もあった。今では、第1ターミナルは国際線用、第2ターミナルは国内線用として、どちらもLCCの航空会社が乗り入れている。

    ここからエアアジアのフライトでラオスのルアンパバーンに向かう。ずいぶん昔のことと較べても仕方ないのだが、便利になったものだとしみじみ思う。

    ラオスが個人旅行者に門戸を開いたのは、確か1989年あたりだったと記憶している。バンコクで宿泊していたゲストハウスで他の旅行者から「ラオス入れるようになったって!」という話を聞いた。当時は「インターネット」というコトバさえも耳にしたことがなく、こういうことがあった場合、実際に訪れた人から直接話を聞くか、あるいはその国の大使館に行って、本当に個人で観光ヴィザが取得できるのか確認するしかしなかった。

    そのとき、私はすでにバングラデシュのダッカへ飛ぶフライトを予約していて、ラオスに長居することは出来なかったとはいえ、とても気になったのでその翌朝にラオス大使館に行ってみた。ヴィザ申請に来ている人たちはさほど多くなく、手続きはすぐに終わり、確か翌日あたりには発行されて、そのまま長距離バスで、メコン河を挟んだラオス国境の町、ノンカーイに出発した。

    その頃、メコン河両岸を結ぶ橋の建設について、そういう計画があるということは聞いていたのだが、まだ工事にさえ取り掛かっていなかったように思う。ノンカーイからは、渡し船で対岸のラオスに着いた。草が生い茂る岸辺に、「Duty Free」と看板が出ている免税店があるのが印象的だった。

    1989年 渡し船でタイのノンカーイからラオス側の岸辺に着いたとき

    1989年 ラオスが個人旅行者に門戸を開き、メコン河を渡ってビエンチャンに向かう旅行者を待ち受けるタクシー

    タイのノンカーイにしても、特にどうということのない田舎町だったが、それでも対岸のラオスに着いて、そこから客待ちをしているずいぶん古いトヨタのタクシーで、首都ヴィエンチャンに着くと、時間が40年ほど遡ったかのような思いがした。

    1989年 ラオス首都では「自家用車」を目にすることはほとんどなかった。

    1989年 ヴィエンチャンでは社会主義的なイラストの看板をよく目にした。

    今では交通渋滞なども発生しているラオスの首都だが、この頃にはまだ自家用車の姿は非常に少なく、「ラオスで初めて出来た信号機」には、見物人が集まっていたりするなど、のどかなものであった。

    モンスーン期、当時のラオス首都では、メインストリート以外に舗装道はなく、自転車を借りて郊外まで走ると、車輪がぬかるみにはまって往生した。くるぶし上まで泥に浸かって進まなくてはならないところもあった。

    この頃、雨季のルアンプラバーンについては、軍の全輪駆動の車両をヒッチして行くのが定石であった。すでに予約してあったダッカ行きのフライトのこともあったし、ガイドブックもなかったので、首都からそう遠くないところにどんな見どころがあるかも知らなかった。そんな具合で、時間もないので早々に切り上げてタイに戻った。

    「美しい古都」として知られているルアンパバーンについては、1995年に町そのものが世界遺産指定されてから、爆発的に訪問者が増えたと聞いており、その後もことあるごとに気になっていた。

    今では、タイ、カンボジア、中国、ベトナム、シンガポールなどから国際便が乗り入れており、子連れで気軽に訪れることができるようになっているのだから、世の中ずいぶん大きく変わるものだな、と思う。

    ドンムアン空港からエアアジア搭乗。湿度が高く、フル回転を始めた空調から出る空気は白い蒸気となる。
    ルアンパバーン空港へと機体は高度を下げていく。
    ルアンパバーン空港到着
  • パフラットで昼食

    パフラットで昼食

    インド人が集住している商業地区。マレー半島やシンガポールと異なり、このあたりに住んでいる人たちは北インド系の人々が中心。それを象徴するかのように、スィク教徒の姿が目立つとともに、規模の大きなグルドワラーがあり、こうした人々の資金力の豊かさを思う。

    グルドワラー内部

    北インド系のコミュニティーといっても、出自は必ずしもインドとは限らず、ネパール系の人々もあり、ミャンマーから渡ってきたインド系、ネパール系の人々も少なくない。

    グルドワラーのすぐ隣には、INDIA EMPORIUMという、インド関係商品の店が多く入っているモールがある。サーリーやシャルワール・カミーズといった衣類、神像、神具等に加えて、様々な雑貨類も販売されている。

    周囲にはインド系の人々が経営する食堂、ミターイーの店、インド映画DVDを扱う店なども多く、ちょっとした「インド空間」が広がる。

    ここでは、ごく普通にヒンディー語が飛び交っているが、そのいっぽうで、見た目はタイ人の血は入っていない生粋のパンジャービーに見える年配男性同士の会話がタイ語(これが母語となっているのだろう)だったりして、タイ生まれの人たちについては、すっかり言語環境は現地化している様子も窺える。これは性別や年齢層を問わずに言えることのようだ。

    そんな具合でも、話しかけてみると、きれいで流暢なヒンディー語で返事が返ってくる。パフラットのインド人が多いエリアの周囲は、当然のことながらタイ人ばかりの空間であるのだが、タイ生まれのインド系の人々の存在に加えて、常にインド、ネパール、ミャンマーからの人々の流入も盛んであるため、こうしたインドらしい環境が、その活力とともに維持されていくのだろう。

    「もうずいぶん前に嫁に来たけど、私が生まれ育ったのはインドのパンジャーブなのよ」と話してくれる女性店主もいたりするが、インドや周辺国からここにやってくるのは男性が圧倒的に多いとはいえ、結婚のためインド本国からタイに渡る女性も少なくないそうで、家庭の中の「インドらしさ」も次世代に引き継がれることになるようだ。

    先述のINDIA EMPORIUMに中華料理屋が入っているのは場違いな感じがするが、せっかくバンコクに来たからには、こういうものを食べるとココロも身体も満足する。

  • タイ・プレミアリーグ観戦

    タイ・プレミアリーグ観戦

    タイ・プレミアリーグ観戦

    バンコクに来たからには、タイ・プレミアリーグを観戦したかった。タイNo.1クラブのブリラーム・ユナイテッドFC、あるいはバンコク郊外のノンタブリーを本拠地とするムアントン・ユナイテッドFCのゲームを観たかった。

    どちらもAFCでは、Jから出場するチームに匹敵する結果を出すようになっており、代表レベルでは、日本に大きく水をあけられているものの、クラブチームベースでは、Jリーグのトップとタイ・プレミアリーグのトップの差は無くなってしまっているのが現状だ。

    Jリーグで解雇された選手が、タイ・プレミアリーグで再挑戦する例は多いが、逆にタイで活躍した日本人選手が、Jリーグのクラブに呼び戻された例もある。

    Jリーグは、試合の放映権のタイにおける販売を広げることを画策しており、そのためにリーグ傘下のクラブにタイの代表クラスの選手の獲得してもらうことを狙っているものの、そのレベルの選手の年俸は急騰しており、各クラブにおいても貴重な外国人枠を使うということもあり、なかなか実現に至っていない。

    しかしながら、短い滞在なので、その日に行われているゲームに出かけるしかない。幸いなことに、この日には先述のブリラーム・ユナイテッドFC、ムアントン・ユナイテッドFCと並ぶ、タイの強豪御三家のひとつ、チョンブリーFCのゲームが、バンコクのタイ・アーミー・スポーツ・スタジアムで開催されることが判った。その名の示すとおり、陸軍が所有する競技場らしい。

    チョンブリーの相手は、このスタジアムを本拠地とするアーミー・ユナイテッドFC。陸軍サッカー部を前身とするタイ最古の名門クラブだ。

    試合開始前にスタジアム外が集うアーミー・ユナイテッドFCサポーターたち

    スタジアム内にあるアーミー・ユナイテッドFCのショップ

    ところで、タイでは「ユナイテッド」という名前が好まれているようで、タイ・プレミアリーグ1st ディヴィジョン18チームのうち、半数近くに「なんとかユナイテッド」という名前が付けられている。

    優れたタレントを揃えた強豪御三家の一角、圧倒的なボールポゼッションと多彩な仕掛けで魅せてくれる前者と鋭いカウンターが持ち味の後者という、対照的なクラブの対戦で、なかなか面白かった。結果は2-0でチョンブリーの勝ち。出場しているのは、どれも私の知らない選手であるため、もっとよく楽しむためには、事前の予習が必要であった。

    ボールポゼッションのブリラーム、カウンター攻撃のアーミー・ユナイテッドのゲーム進行中

    リーグでの成績は中くらいとはいえ、首都のクラブのゲームなので、それなりに観客の入りも良いのではないかと予想していたが、収容人数2万人という小ぶりなスタジアムがガラガラの状態で、いまひとつ盛り上がりには欠けていた。

    ゴールに沸くチョンブリーFCサポーターたち

    それでも、タイ・プレミアリーグの雰囲気に触れることが出来たことで、それなりに満足した晩であった。

  • コサメット2

    コサメット2

    エアコンをガンガン効かせて、「あ~、寒い」とブランケットにくるまり、深く気持ち良く眠った翌朝。20年以上前のコサメットで、暑さにうなされて、朝起きると疲労感があったのとは違う次元の大変気持ちの良い目覚めだ。

    外に出てみると、近所の店では洋風の朝食しか出していない。ご飯党の私たちは、セブンイレブンでコンビニ弁当を買った。これが案外旨い。ちょうど食堂や屋台で出るようなご飯がプラスチックケースに入っている。一食40バーツ程度なので、愛用している安旅行者は少なくないのではないかと思う。とりわけタイではコンビニは多いので、利用する機会は多いだろう。

    コンビニ弁当

    そんな具合で食事を済ませて、外に出ようとしていたら激しい豪雨となった。雷が鳴り響き、足元から先が霞んで見えないような勢いで降り注いでいる。一時間ほどで止んだのだが、それからしばらくの間は空模様が不安定であった。雨季なので仕方ない。宿の前のマーケットから国立公園入口ゲート手前まで、道路がすっかり冠水してしまっている。

    ふと思い出したことがある。昔、コサメットに来たとき、知り合った私と同年代の若いドイツ人女性(当時は私も若かった)が「5日に一度は親に電話しなくてはならないので、辺鄙なところには行けないし、トレッキングとかは絶対ムリなのがツライ」と言っていた。

    欧州人で、そんな過保護な家庭は珍しいな、とやったが、彼女の兄がインド旅行中、夜間に鉄道車内から転落して亡くなり、それ以降はアジア方面に一人旅することに猛烈に反対され、妥協案として、そういう約束になったのだとか。

    でも、そんな頻繁に国際電話していては、電話代だけで大変だろうと思いきや、「私はコレクトコールを申し込んで、親はそれを断る。そうすれば、私が無事でいることが判るでしょ?」とのこと。

    のっぴきならぬ大変なことが起きて電話するような事態が起きた場合には、緊急事態用の名前を用意しており、その場合には親はコレクトコールを承諾して通話する約束になっているということで、さすがドイツ人はしっかりしているなぁ、国際電話をタダで利用して安否確認をするなんて!と感心したものだ。電話局からではなく、民間の電話屋からだと、コレクトコール申し込むと、幾らかの手数料を取るところは少なくないのだが。

    彼女と一緒に食事に出かける前に、コレクトコールの申し込みに付き合ったが、かなり高いことを店の人に言われて(前述のコレクトコールの手数料)、「明日、バンコクに行ってからかけることにする。でも親が心配するなぁ・・・」とかなんとかボヤいていた。

    インターネットの時代到来後、とりわけスマホが普及してからは、若い旅行者たちは、通話アプリを利用して、自国の家族や友人たちと簡単に連絡を取ることが出来るので、もうこんな方法で身内に無事を知らせる人はいないだろう。それに、昔は旅先で知り合った人たちと住所を交換しても、少数の例外を除き、多くは二度と会う機会は無かったりしたのだが、今はFBやLINE等で、そのまま繋がっていたりすることができる。

    今どき、Poste Restante(局留め郵便)などというものを手紙の受け取りに利用する人はいないだろうし、旅行中の「通信環境」は、昔とはまったく別次元になっている。

    ビーチで、娘とフリスビーで遊びながら、長らくすっかり忘れていたことを思いだしたが、通信環境でさえも、こんなに大きく変化しているので、島の様子がすっかり一変しているのも当たり前だな、と思った。10年ひと昔と言うが、ふた昔以上の時間が経過しているのである。

    雨季なので空も海の眺めもいまひとつ

    小腹が空いて、浜辺のカフェに入ると、娘は私のスマホを手にして、ポケモンGOで遊んでいる。インターネット出現前の時代は、もはや遠い過去の話となっている。

    フリスビーで汗をかいた後、ビールが旨い。

    〈完〉

  • コサメット1

    コサメット1

    バンコクのエカマイ・バスターミナルに向かう。コサメットに行く船着き場バーンペーまでのバスは1時間半後まで無いと言われたが、幸い反対のカウンターではミニバスのチケットを売っており、これは今すぐに出るところとのことで助かった。クルマは、「ミニバス」というよりも、大きめのヴァンであった。

    ヴァンの同乗者に台湾人男性がいた。タイ人の運転手は中国語が出来るようで、他の同乗の中国系タイ人のおばあさんとともに、北京語で話している。中国語というのは実に使い出のある言葉だ。台湾人にしてみても、違う国に行って、そこに数世代にわたって暮らしている現地の華人たちと中国語で会話できるというのはなかなか面白いものだろう。

    もっとも華人といっても、タイではすっかり現地化してしまって、潮州語等、父祖の言葉は出来ず、当然ながら北京語も出来ないという人たちは多いようだが、それでも中国系の人口が多いだけに、流暢に使いこなす人もまた少なくないようだ。

    バーンペー到着は11時前くらいであったか。バンコクから3時間程度であった。船でコサメットに着いたのは、ちょうど正午あたり。この島は、バンコクから近いので、幾度か来たことがあるのだが、前回訪れたのは20数年前だったが、コサメットに渡るバーンペーの船着場周辺の光景がまったく違っているのには驚いた。魚の干物やスルメなどを天日で干している風景の中、突堤脇に小屋があり、そこで船の切符を売っていたように記憶しているが、いまやすっかり立派な市街地になっている。

    バーンペーの市街地

    バーンペーの埠頭

    実に久々に訪れたコサメットでは、ずいぶんアップマーケットな宿泊施設やレストランがいっぱいで、まったく別世界になっていた。今回は子連れで来ているので、船着き場近くで、何かと便利なサイケウビーチに滞在。至近距離にコンビニが3軒もあり、ATMも沢山ある。

    コサメットへ

    コサメットの船着場はずいぶん立派になっていた。
    ちょっとした市街地になっており、コンビニも出来ているのにはビックリ。
    旅行者に必要なものは何でも揃っている。
    今のコサメットには、こんな立派なホテルが沢山ある。

    昔のように細い角材の枠組みにベニヤで壁を仕切り、茅葺きの屋根を付けただけの、歩くと建物全体がミシミシと軋む、高床式の簡素なバンガローは、少なくともサイケウビーチからアオパイビーチまで歩いてみた範囲では見当たらなかった。

    そうしたバンガローは、独立した部屋ふたつで一棟だったが、当然エアコンなどは無かった。砂だらけのベニヤ床に敷かれたマットに蚊帳を取り付けて、裸電球ひとつが頼りなく点る、蒸し暑く重苦しい空気の中で、どこからか聞こえてくる虫の声を耳にしながら、幾度も寝返りを打つ。やがて汗まみれで、浅い眠りへと入っていく。コサメットに限ったことではないが、タイのビーチの典型的な宿であったと記憶している。

    首都圏から近いことから、昔から週末にバンコク界隈から地元の人たちが大挙して訪れていたのだが、バンガローに宿泊しているのはたいてい欧米人、加えてそれ以外の日本人等の人たちであった。タイ人でそうした安い宿に泊まるのは、ギターを抱えた大学生のグループくらいであったように思う。今はカップルや家族連れが、きれいで快適なホテル等に宿泊している。

    外国人旅行者の層も大きく変化した。欧米の中高年層が実に多くなったことに加えて、今は中国大陸から来る人たちが大変多く、どこも中文の看板や表示で溢れている。コサメットに着いてから海パン、一緒に来ている私の娘の短パン等を買い物したのだが、いずれも売り子たちが上手くない北京語で話しかけてくる。商談、値段交渉は、私の更に下手くそでデタラメな中国語で終始する。

    中国人団体さん。とにかく賑やかでよく食べる。

    かつて幾度か訪れたことがあるところでも、ふた昔以上前のこととなると、まったく異なる場所になっているので、初めて訪問するよりもかえって新鮮味が感じられるかもしれない。

    大型のレストランが沢山出来ていて、これまたビックリ。
    かつての素朴なムードとはまったく異次元の世界
    夜になっても華やかなビーチ
    ビーチに席を並べた大賑わいのレストラン
    海鮮バーベキューの具の見本
    ちょっといい感じのホテルで、空調の効いたフロントには、こんな高級犬が鎮座していた。
    ビーチ裏手には屋台の集合体もある。

    数々の美しい島々に恵まれたタイでは、「屁」みたいなもので、大きな歓楽街のあるパタヤよりはマシという程度かもしれない。さりとて南国の島、タイの国立公園指定されているだけあり、それはそれで風光明媚で素敵な島で、個人的にはかなりお気に入りだ。

    変わらないのは海原の風景
    夕暮れ時の浜辺
    今日の日よ、さようなら

    それに、首都圏から4時間弱でアクセスできる点もいいし、ここから対岸のバーンペーまで渡れば、1日に数本程度、スワンナプーム国際空港への直通バスもある。

    大当たりのドリアンで夢心地

    〈続く〉

  • バンコクの石鹸

    バンコクの石鹸

    ちょっとした繁華街やモールなどでよく見かけるフルーツ型石鹸が実に精巧だ。ちゃんとそれぞれの果物の香りもついていて、隙のない作り。さすがにここまでキッチリと仕上げてあると、実際に使ってしまうのは惜しい。
    若い女性が番をしている店先で、そうしたフルーツ型石鹸の横の棚に目をやると、そちらに陳列されているのは、大小のこれまた精巧な男根型石鹸であったりして、なんだかこちらのほうが恥ずかしくなる。
    後者については、ときどき警察が取り締まっているらしいが、実にあっけらかんと販売されている。

    Cock-blocked: Police arrest dick soap sellers (COCONUTS BANGKOK)

  • バンコクの公衆電話

    バンコクの公衆電話

    バンコクの公衆電話

    昔、よく見かけたのは、全体が銀色のものだったと思うが、今も大きな通り沿いでは健在の公衆電話。

    クルマやトゥクトゥクの音が煩いので、こういうところからかけると、相手の声がよく聞こえなくて困ったことを憶えている。

    今は誰でも携帯電話を持っているので、公衆電話を使う人の姿はほとんどみかけない。たぶん、新規に設置することはないのだろう。

    携帯電話といえば、タイでは空港でも幾つかの通信会社がSIMを販売しており、旅行者など一時滞在者用のプリペイドプランで、その場で購入することができて便利だ。

    インドのように書類を記入したり、パスポートの写しや滞在場所についての証拠?的なものを提出したりする必要もなく、数十秒で手続き完了して、即開通となる。

  • ナガランドでコーヒーのプランテーション

    ナガランドでコーヒーのプランテーション

    紅茶の大産地アッサム州の茶園が多い地域からナガランド州に入ると、それまでの茶園風景が突然、視界から消える。

    茶園で働く人たちはたいて他州からやってきた極端な低賃金で奉仕する労働者たち。その代わりに茶園内に子供たちの学校、基礎医療が受けられるクリニックもあり、住宅も提供される。

    実は、ナガランド州でも茶の生産は細々と行われているのだが、地域外からの人口移入に制限があるため、なかなかこの部分で難しい。

    しかしながら地元政府の肝いりで、コーヒー生産に力を入れることになるようなので、どうやら外の人たちを大量に投入することになるのだろう。下記リンク先の記事によると、2030年までに50,000ヘクタールのコーヒー・プランテーションを、ということなので、ひとつの大きな産業となることが見込まれている。

    茶とコーヒーの生産に向いた土地については、かなり共通するものがある。もともとスリランカでもコーヒー栽培が盛んだったものの、コーヒーの木の病気蔓延で壊滅、代わりに茶が導入されたという過去がある。

    ナガランドが、茶ではなく、コーヒーを選好する理由は、単にすぐ隣にアッサム州があるので、競合を避ける狙いだろう。

    しかし、外部からの人口の流入を厳しく制限してきた(平地のインド人は観光で訪れるにもパーミット取得が必要であった)ナガランドで、資本だけでなく、労働力も州外からの導入を前提とする産業を振興させるといえことは、州のありかた自体を大きく転換させるものとなるので、大変驚いた次第だ。

    ついにナガランドも「外の人たち」が溢れるアッサム州みたいになるのだろうか?このあたりについては、今後注目していきたい。


    Nagaland to undertake coffee plantation on 50,000 hc by 2030 (Northeast Today)

  • NEPAL FESTIVAL 2016

    東京渋谷の代々木公園で8月6日(土)から7日(日)にかけて、NEPAL FESTIVAL 2016が開催される。

    暑い日が続いており、屋外イベントに出かけるには、ちょっとキツイという方もあるかもしれないが、幸い緑豊かで木陰も多い代々木公園なので、木立を吹き抜ける心地よい風を楽しみながら、のんびりと休日を過ごしてみるのもいいかもしれない。

    くれぐれも小まめな水分補給をお忘れなく・・・。

  • ペヘルガムへ2

    ペヘルガムへ2

    川にかかる橋を越えて反対側に渡り、しばらく進むとペヘルガム(Pahalgam)に着く。

    橋を渡った。ペヘルガムはもうすぐそこだ。

    どうということのない山間の集落だったのだろうが、ずいぶんたくさんのホテルが立ち並んでいる。ここでは斜面を上っての景色が良いことで知られている。せっかく来たのでポニーライドをしてみることにしたが、コース別に設定されている料金はずいぶん高い。看板に料金が書かれており、フィックスレートでやっているのだが、ずいぶん儲けていることだろう。

    ポニーライドの協定料金。かなり高い。

    馬方の言う「月収4000Rsにしかならない」というのが本当であるとすると、他はオーナーが取ってしまうので、シーズンは限られているとはいえ、つまり4月から9月か10月くらいまでのようだが、かなり稼いでいることだろう。

    かなり急な斜面を馬で登っていくのはかなり怖い。馬が脚を滑らせて斜面を転落とかいろいろ考えてしまうのだが、意外なことに人間と違って、斜面を登る馬の足元はかなりしっかりしていて、人間のように足元がズルッと滑ったりするようなことは、少なくとも本日私が乗った限りではなかった。

    馬方が横について歩きながら、馬を好ましい方向に先導してやったり、遅くなると細い木の枝で鞭を入れたりなどしている。馬は従順にそれに従い、黙々と進んでいく。
    そんな具合なので、歩いても同じくらいの速度で進むことができたはず。だが一度くらいはこんなのも悪くはない。少なくとも馬がいかに上手に斜面を歩くことができるのかということは判った。ラダックでトレッキングコースではこうした馬やロバが物資を運搬しているが、こうした動物がいかに頼もしい存在であるかということを感じる。

    後ろから馬の頭を見ていると、ひっきりなしに耳を左右にいろいろな方向に向けていて、周囲に注意を払っていることがわかる。しかしそうして動く耳を見ているとなかなかかわいい。

    スタートした地点に戻り、料金を払ってからクルマに乗り込み、スリナガル方面へ戻る。朝早かったこと、馬に乗ったことなどでしばらく居眠りしてしまった。

    帰路では、アワンティプル(Avantipur)でヒンドゥー寺院の遺跡に行く。このアワンティ・スワーミー寺院跡は、9世紀の建立。

    パーンプル手前までくると、サフランやドライフルーツを販売する店舗がいくつも並んでいる中のひとつに停車。そのとなりにはカフワー茶を出す店があり、サフランの香り、ナッツの風味、砂糖の甘味を感じる素敵なお茶であった。サモワールで淹れている。

    ここではサフランは買わないが、干したアプリコット、を購入。これは土産にする。カシミールではみかけないラズベリーのドライフルーツなどもあったが、こうした地元らしくないものはアメリカからの輸入品であった。

    〈完〉

  • ペヘルガムへ1

    ペヘルガムへ1

    ぺヘルガム(Pahalgam)を日帰りで訪問することにした。とにかく時間がないので、タクシーをチャーターして向かうことにした。

    国道脇で木材が大量に積まれている。このあたりはクリケットのバットの材料となる柳の木(日本のしだれ柳とはだいぶ違う感じ)の産地として知られており、国道沿いにはバット作成のために削り出した木材が山積みされている。クリケットの世界では、オーストラリアとともに世界をリードするインドを下支えしているのがカシミールのバット生産といえるのかもしれない。

    これからクリケットのバットに加工されるヤナギ材

    ちなみにこの柳は、ラダックでもよく利用され、家屋や寺院の梁などを組むのにも使われる。強靭で弾力にも富むためだろう。

    そこを過ぎて少し進んだ先、パームプル(Pampore)近くでは、道路両側が広大なサフラン畑となる。ここは世界に冠たるサフランの大産地。ここはジェーラム河のほとりに広がる湿原でも有名だ。収穫期は秋で、花ひとつに花芯は三本ほどしかなく、ゆえに高価なものとなるようだ。

    そこからしばらく進んだところにはビジベハーラー (Bijbehara)という町がある。ここはJ&K州の前州首相のムフティ・モハンマド・サイードの実家があり、娘で父親の死後に州首相の座に就いたメヘブーバー・ムフティの生まれた町でもある。

    このあたりで国道から左に折れて進んでいく。やがて道の両側はリンゴ畑となる。そのあたりでチャーイの休憩。運転手が言うには、観光客を連れてきている運転手はチャーイも食事も無料で提供されるのだとか。観光地間を結ぶ道路沿いではそんな感じらしい。

    チャーイの休憩

    立ち寄った店の横を流れる川

    さて、本日の運転手はアブドゥル・カーディルさん。若い運転手だと向こう見ずな運転で怖いので、「中高年ドライバーを」と頼んだらやってきたのがこの方。すでに昨日、タクシースタンドの事務所で顔合わせしている。

    アブドゥル・カーディルさん

    運転手のアブドゥル・カーディルさんは、このあたりでは最高齢クラスの職業運転手だそうで、御隠居さん的に達観した落ち着きと重厚感がある。

    だがジェントルな見た目とは裏腹に、なかなかおしゃべりな年配男性であった。
    明日はどこに行くのか?と、やたらとグルマルグに日帰りすることを勧めたり、明後日デリーに飛ぶのだと言えば、空港には何時に行くのか?とどんどん売り込んでくる。必要があれば電話するとかわすが、それでもしばらくはそんなやりとりが続いた。

    「子供たち四人全員結婚して片付いた。一緒に暮らしとる息子からは、もういい加減に引退しては?言われるけどな、家でぶらぶらしてると、家内が煩くてねぇ・・・」なんて、どこかの国でも耳にするようなことを言う。

    もうとうに70才を越えているかと思ったが62才とのこと。このあたりの人たちのトシはよくわからない。

    さきほどのメヘブーバー・ムフティの生まれた町を出たあたりから、次第に山道に入ってくる。近年は、カシミールの道路もかなりよくなっている。

    おととい向かったソーンマールグとはまた違った雰囲気はあるが、やはりカシミールの景色は美しい。まさに風光明眉とはこのことだ。あまり険しい山道ではないが、次第に高度を上げていくとともに、気温も下がっていくようだ。高度はソーンマールグとどのくらい異なるのかは知らないが、向こうではすぐそこに見えた雪が、ここでははるか彼方上のほうに見える。

    〈続く〉