ハッピーエンド

ウッタルカーシーでトンネル工事中に出入口が崩壊して、41人の労働者たちが閉じ込められて17日目。毎晩、インドのテレビニュースプログラ厶を見ているのだが、日々その様子が報じられ、なかなか救出に至らないこと、タイの洞窟で子供たちが閉じ込められたときに活躍したチームが協力してくれること、鉄パイプを通じて食料、水や酸素などが送られていることなどが、刻々と報じられており、非常に気になっていた。

そしてようやく、41人全員が救出されたとのことで、ホント良かった、良かった。

ひとりとして命を落とすことなく、もちろん若い人たちばかりであるらしいことも幸いしたのだろうけど、まだ極寒期ではなかったこともあるのだろう。

ビハール、UP、ヒマーチャルなどの彼らの実家にテレビクルーたちが派遣されており、そこから父親、母親が救出された息子たちと無事を喜び合っていたり、小さな子供がケータイで「父ちゃん、大丈夫?」と叫ぶのに対して、現場の父親が「心配要らない。元気だぞー!」と返していたりするのが画面に映る。別のシーンでは夫の無事をテレビ画面で確認した奥さんが安堵の表情で涙を浮かべていた。思わずこちらももらい泣き。

全国で連日大きく報じられたトンネル崩落事件だったが、ハッピーエンドで本当に良かった!

41 rescued workers emerge dazed and smiling after 17 days trapped in collapsed road tunnel in India (apnews.com)

カシミールでシヴァージー?

カシミールのパキスタンとのボーダー、事実上の国境だが両国ともそこが国境とは認めず、カシミール全土の領有を主張しているため「実効支配線=LOC(The Line of Control)」。

ここで、馬にまたがったマラーターの英雄シヴァージーが刀をたずさえてパキスタン側を睨みつけるという像が建立されたそうだ。

しかし気味悪いのはこのシヴァージーの扱い。マラーター族の英雄で、マハーラーシュトラ州では「民族的英雄」ではあるが、決して全国区の人気というわけではない。

ましてやカシミール地域となると、地元のカシミーリーたちにとってインドとの関係は「私たちは占領されている感」が強いものでもあり、いくら偉大な王シヴァージーといってもカシミールはおろかパンジャーブ、ハリヤーナー、デリーやUPにすらその威光が及んだことはない「ヨソの人」。

現在のBJP政権において、ムガル帝国が「外来のイスラーム勢力による占領王朝」として、「インドにイギリスの前に来た侵略者」という位置づけになっており、ついに学校でもムガル帝国について教えなくなるのだそうだが、それと引き換えに引っ張り出されるのがシヴァージーのようだ。シヴァージーがマハーラーシュトラ州以外でこのような形で象徴的な形で引っ張り出されるのは近年これが初めてではないのだが。

ムガルの勢力拡大に対して果敢に抵抗したマラーター王国の大王シヴァージー、ビジャプル王国やゴルコンダ王国といったムスリム勢力とも争ったヒンドゥー王国の主だったが、絶頂期にあってもムガルに比肩できるほどの勢力圏があったわけでもなし。また同じヒンドゥー勢力でもラージプートの諸侯との関係は「敵対」であった。

おそらく今後、史実に照らして怪しい伝説めいた誇張も含めて、さらなる偶像化が進められていくのかもしれない。

シヴァージー礼賛には「反ムスリム支配」という強烈なメッセージ性があることに加えて、北インドの人物ではなく、南インドの人物でもない「デカンの王」という、中間的な地理間も「国民的英雄」に仕立て上げるには都合がよいのかもしれない。

またマハーラーシュトラで盛んな「マラーター民族主義」の象徴的存在でもあるが、これを「国民的英雄」に祭り上げることで、その「毒を中和」する効果も期待できるいということなのかもしれない。

現在もマハーラーシュトラ州では「マラーター・アーラクシャン」ことマラーターの人々への留保、つまり北インドのビハールやUPなどからの人口流入が著しいため、これらを排除して地元民に進学を職を優遇せよという要求が続いている。

つまりマラーターの人々を他のインド人と区別してのことなのだが、これでマラーターの人々の象徴であるシヴァージーが「インドの象徴」となってしまえば、マラーター民族主義とはインド全体を包括する民族主義なのだというような、地域民族主義の台頭に手を焼くBJP政権にとっては、レトリックの大逆転?みたいなことすら可能になるかもしれない。(笑)

いずれにしても、イギリスによる「インド統一の前」で、インド各地がバラバラであった時代の王に「国民的統合の象徴」を求めるのにはたいへん無理がある。やはり国民的英雄で全国の統合の象徴といえば、各地の藩王国を新生インドに帰順させた初代副首相にして内務大臣でもあったサルダール・パテールをおいて他には誰もいないのだが、「アンチ・ムスリム」のスタンスでもマラーターのシヴァージー。捻じれに捻じれた「国民的英雄」のイメージであるように思われる。

Shivaji’s statue comes up along LoC in J&K’s Kupwara (DECCAN Chronicle)

デリーの洪水

ここ数日の間、ヤムナ河の水量が危険レベルを超えているというアラートが流れていたが、ついにデリー市街地内の低地で本格的な洪水に見舞われる地域が出てきている。

これはデリーに大雨が降ったためというものではなく、前述のとおり数日間に渡り警報が出されていたことが現実となったものである。つまり上流地域における豪雨により予見されていたものであるとも言える。

デリーは雨期でも極端な影響を受けにくい都市なのだが、市内の局地的な豪雨による冠水であったり、ニューデリー駅からの鉄路が橋梁を超えるミントー・ロードに架かる「ミントー・ブリッジ」をくぐる道路が少し低くなっているため、まとまった雨が降ると、その部分は車両が水没する「洪水的な絵」が撮影できることから、豪雨を象徴するシーンとして、その様子が各メディアに掲載されることはしばしばある。いわば「フェイクなデリー洪水画像」である。

ところが今は、そうした「フェイクの洪水」ではない、「リアルな洪水」がデリー市内で起きているとのことで、当該地域に住んでいる人たちはたいへんだろう。

ヤムナ河沿い地域からは、マトゥラーやアーグラーからも同様の報道があり、今後しばらくは続くことになりそうだ。

Delhi Floods: Parts Of Delhi Submerged As Yamuna Overflows; Drone Footage Reveals Predicament (The Indian Express)

 

マニプルの暴動とその後

先月上旬にマニプル州で起きた暴動の収拾には、地元州政府はかなり手こずっており、中央政府も内務大臣のアミット・シャーが現地入りして現地の対立するグループとの対話を模索するなど、これまた大がかりな展開となっている。

今回だけのことではなく、マニプルで長く繰り返されてきた主要民族メイテイ族とこれに次ぐ規模のクキ族の対立。ともにチベット・ビルマ語族系の言葉を話す民族集団だが、メイテイ族は主にヒンドゥー教徒で長きに渡りインド文化を継承するとともに隣接するビルマからも影響を受けてきた。

そのいっぽうでクキ族は19世紀後半から20世紀前半にかけて、英米人宣教師の布教の結果、マジョリティーはクリスチャンとなっているが、それ以前は独自のアニミズムを信仰。クキはビルマのチン族と近縁の関係でもある。

インド北東部が植民地体制下に入ってから統治機構と近い関係にあったのはメイテイ族で、その周縁部にクキ族その他の民族集団(マニプルにもナガ族が住んでいる)がいたという構図になるようだ。利害関係が相反し、異なるアイデンティティーを持つ民族集団が同じ地域に存在する場合、往々にして主導権を巡っての摩擦が生じるのはどこの国でも同じ。

クキ族はマニプル州南部を「クキランド」として、インド共和国内のひとつの州としての分離を要求している。歴史的にはもっと広くアッサム、アルナーチャル、ナガランドなど近隣諸州の一部をも含む「広義のクキランド」を提唱する声もある。

しかしこれについては北東部の他の民族も同様で、たとえばナガ族の中にもナガ族が広く分布してきたアッサム東部、マニプルなども含めた広大な「グレーター・ナガランド」の主張もあるが、それらの地域を支配するナガ族の政権が存在したこともなければ、人口がマジョリティーを占めたこともないので、民族主義が誇大妄想化した夢物語だろう。

クキ族の抵抗はときに激しく(今回は多数の死者が出た)、そしてときに辛抱強い。何年か前には州の首都インパールを封鎖したことがあり、長期間のゼネストを敢行したこともあった。たしかひと月を超える規模であったように思う。

北東地域への浸透を図るBJPだが、マニプル州でも2017年に初めて政権獲得に成功し、2022年の選挙でも勝利したことから現在2期目にある。もしかすると、BJP政権下で今後新州設立(クキランド州ないしはクキ州)へと動くことがあるのかもしれないが、その場合は州都インパールを含むインパール盆地の扱いが難しい。クキ側にとっては譲れない地域であるし、メイテイ族にとってもそんな譲歩はあり得ない。また農業とミャンマーとの交易以外で、それらしい産業や雇用機会があるのもインパールであるため、たいへん悩ましい問題になる。もっとも現時点で新州へという話があるわけではないので、単に私の想像ではある。

こうした分離要求はインド各地にあるが、とりわけ北東部では他にもアッサムのボードー族が要求する「ボードーランド」、西ベンガル州からの北東インドへの入口にあたる、いわゆる「チキンネック」(ブータンとバングラデシュの狭間の細い回廊状の地域)すぐ手前のダージリンにおける「ゴールカーランド」などは、日本でも耳にされたことのある方は少なくないはず。「民族対立」「分離要求」は、「民族の坩堝」たるインドにおける永遠の悩みである。

In Manipur, shadow of an earlier ethnic clash (The Indian EXPRESS)

コロナの影響で閑散としたホアヒン

ホアヒンのビーチ界隈は閑散としているというよりも空っぽな感じで、締めたきりになっていたり、中が何も無くなっている店もかなりあった。

良い立地の大きな商業施設が廃墟になっているのも哀しい眺め。いかにも「コロナ禍でやられた」という印象を受ける。

観光業はこんなとき一番影響を受けやすいが、それがまた大都市圏ではなく行楽地にあればなおさらのことだろう。

ここはカシミーリーの店だったらしい。インド・ネパールそして東南アジアにもよくあるあの手の店だ。

1980年代終わりに始まったカシミールの動乱時期、カシミールから手工芸製品等を商う人たちのエクソダスはインド全土、ネパール、そしてタイその他の東南アジアの国々にも広がった。

自身や親族、ひいては同門の人々や手工芸製品を生産する人たちまで、郷里の期待を背負って各地に手を広げていったのが彼ら。

比較的大きな店舗であったようで、割とうまくいっていたがゆえのことではないかと想像するが、コロナ禍でお客の行き来が絶えるとアウト、だったのだろう。

こうしたカシミーリーの中には90年代のネパールの内戦で商いがダメになり、インドの他の地域、タイなどに渡った人たちもあった。

観光業というのは、様々な時流に影響されやすく、そしてパンデミックのような災厄に対しては脆弱だ。