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カテゴリー: column

  • ジャパン・バングラデシュ フレンドシップフェスティバル

    近ごろ都内の野外イベント会場では、バングラーデーシュ関係が目立つ。4月に池袋西口広場で行なわれたカレーフェスティバル&バングラデシュボイシャキメラ、6月のバングラデシュフェスティバル2008、に続き、8月2日(土)と3日(日)には、渋谷の代々木公園イベント広場および野外ステージにて、『ジャパン・バングラデシュ フレンドシップフェスティバル2008』というイベントが企画されている。
    もちろん今の日本で、とりたててバングラーデーシュがブームというわけではなく、6月のイベントにおけるテーマが地球温暖化を考えるという趣旨であったように、8月に予定されているも催しは、バングラーデーシュでの国際協力にかかわる事業を実施している団体が、同国の文化や歴史を紹介、そこで行なっている事業についての報告をするとともに、一人でも多くの人からの理解と協力を得ようという真面目なものである。
    このプログラムの成功を祈るとともに、バングラーデーシュはもちろん南アジアの様々な国や地域へ、多くの人々の興味・関心がこれまで以上に寄せられるようになることを期待したい。

  • 2012年 ドゥバイが楽しみ 

    下記リンク先の記事を見ていただきたい。ボリウッドの映画監督ヤシュ・チョープラーがにこやかに握手を交わす相手のアラビア人女性は、中東の金融センター、UAEのドバイを拠点とするドゥバイ・インフィニティ・ホールディングスのCEOであるサミーラー・アブドゥルラザク。
    Yash Raj Films (YRF) signs a Joint Venture with Dubai Infinity Holdings (Yash Raj Films)
    両者の間で、ヤシュ・チョープラー監督率いるヤシュ・ラージ・フィルムズによる『YRF Entertainment District』なるものがドゥバイに造られることが決定した。詳細はまだ明らかになっていないが、テーマパーク、ムービーパレス(?)およびホテルといった施設が含まれるそうだ。もちろんどれもボリウッドがテーマとのことで、UAEに暮らすビジネスマン、技術者、建設労働者など、様々な業種の150万人ものインド人居住者たちの関心を大いに引くことだろうが、同時にインドの富裕層に人気のレジャー先でもあることから、『いつか訪れてみよう』と思っている人も少なくないだろう。
    完成予定は2012年。まだまだ先だが、かなり興味を引かれつつもなかなか足が向かないドゥバイに、そこを訪れるためのひとつの大きな動機ができるわけで私としてはちょっとうれしい。またひとつ目玉が出来るわけでちょっとうれしい。果たしてどんな施設が出来上がることになるのか、続報を待つことにしよう。
    ヤシュ・ラージ・フィルムズの提携相手のドゥバイ・インフィニティ・ホールディングスは、昨年12月に発足したばかりの会社だが、金融と観光とファッションの街ドゥバイをまさに地で行くような活動を展開しているようだ。主にエンターテインメントやレジャー関係で多額の投資を行なっているらしい。
    テーマパークはさておき、個人的にかなり気になるのはサミーラーCEO。巨万の富(・・・たぶん)を自在に操る、若くて見目麗しき辣腕経営者。それこそ映画に出てきそうな人物だ。あまりにカッコ良すぎるが、この財の源泉と地位の背景には何があるのか?この人はいったい何者なのだろう?謎多き美女である。単なるマスコット的なお飾りなのか、それとも真の実力者なのか。同社ウェブサイト中の『Ask the CEO』に何か意見を書き込むと、本人が直接返事をくれるとある。今のところ何かメッセージを送って贈ってみるつもりはないが、ちょっと興味をそそられる。なかなか上手い演出だな、とも思う。

  • 便利になった

    空港に着いた。国内各地をひっきりなしに飛び交う多くのキャリアの社名やシンボルマークが目に飛び込んでくる。かつてのインドの各空港のゆったりと鷹揚な雰囲気はいまいずこ。21世紀のインドの空の旅は、新興航空会社の伸長にともなう発着便の大幅な増加により、既存の空港や管制システム等への負荷が大きくなりすぎている。空はともかく、空港や関連施設はどこもずいぶん手狭になっている。
    極端な話、チャンディーガル・デリー間のような近距離の移動の場合、飛行機を選ぶと実質の移動時間はごく短いとはいえ、鉄道と違って出発予定時刻よりもかなり早くチェックインしなくてはならないこと、フライトの機材が搭乗する空港に到着するまでに相当な遅れを蓄積していたりすることなどにより、『あぁ、鉄道で行ったほうがよっぽど早かった』なんてこともしばしばあるだろう。
    混雑と遅れの解消とスムースな運行を目指して空港の増改築、新規の空港建設などが進んでいるところだが、相応の落ち着きを見せるにはまだまだ時間がかかりそうだ。視点を変えれば、こうしたインフラ関連の産業は、どこでも引く手あまたで今後も着実な成長を見せる証拠ともいえるだろう。

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  • カレーなる梅雨の中休み

    bangladesh festival
    バングラデシュフェスティバル2008に行ってきた。6月中旬の屋外イベントともなると、まずは天気がどうなのか?と気になるところだが、東京の雨季は小休止でカンカン照りの本日。第一回目の開催とのことで、かなり空いているのだろうか、でもこの天気ならば多少込み合っているかも?と思いつつ、会場に入ってみると、拍子抜けするほどの広い空間が広がっている。
    なんだかけっこう店が出ている割には人出が少ない。もし雨でも降っていたならば、ガラガラに空いていたのではないだろうか。そもそもこういうイベントが行なわれていることも世間であまり知られていないようだ。新規立ち上げのイベントを宣伝するということは、なかなかむずかしいことと思うが、『果たして来年はあるのだろうか?』と気になるほどだ。それでも昼下がりからさらに夕方近くなるころには、おそらくこのあたりを散歩していてたまたまこのイベントが開かれていることに気づいたらしい人々が次第に集まってきたようではある。
    しかしこれとは反対に、イベントがあまり盛況すぎるのも、そこに集う人々にとってはちょっと考えものではある。たとえその会場で『昼ごろ会おう』なんて待ち合わせしていても、携帯電話を家置き忘れたり、たまたまバッテリーが切れてしまったりするとうまく会えなかったりということもあるだろうし、出店で食事を買うにも長い行列、座るところもなく立ちっぱなしで話していて疲れてしまったりと、人ごみのワサワサした雰囲気と合わせて、あまりリラックスできる感じではないからだ。
    主催者側が用意したいくばくかの座席がすっかり埋まってしまうことはなく、待つことなく席を占めることができるし、音楽の演奏などがなされているステージ前も好きなところに座れるし、とかくスペースがふんだんにあるのは快適だった。もちろん『これくらいがちょうどいい』なんて言い切ってしまうと、主催あるいは出店している方々からは『冗談じゃない』と怒られてしまうだろうが。
    食べ物の露店は、他のこうしたイベントでもおなじみのレストランからやってきているものが多いようだ。オーナーがベンガル人だったり、ベンガル料理の店ということになっているところだったりするのだが、やはりテントの露店でできる品目には限りがあること、日本で南アジアの料理として期待されるもの、好まれている品に特化しており、ベンガル料理らしいアイテムはほとんど見当たらないようだ。お客の間でのベンガル料理への認知度と売り上げとの狭間で、当事者たちはいろいろ思うところはあるのではないだろうか。
    会場の隅のほうでは、このイベントの正式な出店者とは思えない民芸品その他の業者たちの姿あり、普段公園内で飲み物を扱っている業者がイベントスペースにはみ出して(?)営業していたりと、かなりユルい感じの会場。主催者の姿がよく見えず、特に押し付けがましいところもなく、統制もほとんどないようで、あたかも『たまたまこういう露店が集まりました』といった感じの伸び伸びとした空気が心地よかった。
    明日15日はこのイベント二日目にして最終日。もし新宿・渋谷界隈に足を伸ばす予定があれば、ちょっと立ち寄ってみてはいかがだろう。

  • 2010年 ムンバイーに新名所登場

    cybertecture egg
    やはり今世紀は『インドの時代』ということなのだろうか。おそらく私たちの多くがこれまで見たこともないような超モダンかつハイテクなビルが市内に建築されるとのことで、2010年末までに完成予定とか。
    James Law Cybertecture Internationalがデザインを手がける32,000平方メートルの床面積を持つこの卵型の建築物、Cybertecture Eggは、卵型で容積にくらべて外面積が少ないことから、強い陽光や外気の影響を受けにくく、建物外装に装備される緑地が建物を冷却する機能を持つ。加えてこの建物には太陽および風力による発電機能を備えているそうだ。さらにはここで働く人々の健康状態までモニターしてくれるのだとか。
    新旧織り交ぜて様々な顔を持つインドの『先進的な』部分を象徴するようなこの建物、入居するのはどういう企業?あるいは施設?だかよくわからないが、非常に注目度の高い超ハイテクビルということもあり、セキュリティーに対する配慮はそうとう厳しいものになるのではないだろうか。真新しい建物内を自由に散策しつつ、カメラでパチリパチリと撮影を楽しむような具合にはいかないような気がする。でもムンバイーまでわざわざ見物に行かずとも、竣工後には映画のロケでもしばしば使用され、スクリーンで目にする機会も多いのではないだろうかとも予想している。
    いつも明るい話でもちきりとはいえないムンバイーだが、同じ時間軸のうえで交わることのない様々な事象が展開していく重層性には、この都市のひいてはこの国の懐の深さを感じずにはいられない。
    cybertecture egg

  • インド洋海域から眺めた世界

    陸路はもちろん海原を通じてもインドと外界とのコンタクトは続いてきた。かつて徒歩や騎馬などにより遠路はるばるやってきた勢力が、インドにいくつもの王朝を建ててきた。もちろん同じルートをたどって経済活動を行なうことを目的にやってきた人々の流れもあった。同様に、海からも船舶に乗っていくつかの外来勢力がインドを目指してやってきて、支配を確立していった。そして最後にやってきたのがイギリスということになる。もちろん侵略や征服目的といった意図を持たず、商取引やより良い生活条件を求めて渡航してきた人々も多数あった。
    インドで先祖の出自をそうした外国からの移住者と認識するコミュニティが多数存在するのと同様に、インドから様々な国々に出て行き定住した人々もまた多い。陸路でたどり着ける地域はもちろんのこと、アラビアやアフリカでもインド系移民たちがコミュニティを形成してしいたり、生活や経済活動等のさまざまな痕跡や影響を残していたりする。
    かつて日の沈まない世界帝国として君臨したイギリスの支配下ないしは強い影響下にあった地域が多いことも、こうした活動の拡散に追い風となったようだ。航海技術の発達に加えて、地域間交通がよりマクロ的な視点から発達し整備されるようになったこと、更には経済活動や商取引等にまつわるルール等、ある一定の共通のモノサシが普及していったことなどは、大英帝国とその支配の構図が、一種のインフラとして機能し、人やモノの行き来を促進することになっていったといえるだろう。
    インド亜大陸のアラビア海に面した西岸部と海原を通じてつながる中東・アフリカ各地の岸辺をひとつのつながりとして俯瞰したこの図書から、『アラビア海域』というひとつの世界が見えてくるようだ。中東・アフリカ地域のインド系住民たちをDiaspora、つまり経済的理由等で本国から離散した人々と見るか、それとも今なお本国と有機的なつながりを持つインド世界の飛び地と見るのかで見えてくる世界が違ってくる。
    さまざまな人々が行き来する海上からその沿岸地域を見渡す視点を与えてくれるこの一冊を手にしてみた。インドをアフガン・イラン方面ないしは、日本・東南アジア方面からという二方向から地続きで眺めてしまいがちな私たちに、海域を通じた第三の視座を与えてくれる一冊である。海原は決して無の空間の広がりではなく、異なる文化圏をつなぎ合わせる広大なネットワークであることを改めて思い起こさせてくれる。
    この『インド洋海域世界』は、東は東南アジアから西はアフリカ東海岸までの、人々やモノの移動、文化の伝播や商業ネットワークの構築といった多様な切り口から、地域間で繰り返されてきた重層的なコンタクトの豊富な事例を交えて、異なる地域間からなる『ひとつの世界』が存在してきたことを私たちの目の前に提示してくれる。
    インドに軸足を置いてアフリカを眺めてみるのもよし、インドネシアからはるか西のメッカを望んでみるのもよし、ザンジバルの港からオマーンの方角へと目を凝らしてみるのもまたいいだろう。海域世界というマクロな観点から複眼的な視野で眺めた雄大な風景に胸がすくような思いがする。
    自然と文化そしてことば インド洋海域世界
    書名:自然と文化そしてことば インド洋海域世界
    著者:小西正捷他
    出版社:言叢社
    ISBN-10: 4862090222
    ISBN-13: 978-4862090225

  • 人集まるところ街が生まれる

    近ごろインド企業誘致に乗り出す自治体のことをよく耳にする。インド企業を呼び込もうとの掛け声とともに、セミナーの開催、視察団の派遣や受け入れなど、いろいろな事例があるようだが、これらの中で他に一歩も二歩も先んじているのはどうやら横浜市のようだ。
    進出してきたインド企業に5年間の減税、助成金の支給に加えて、子弟の教育のためにインド人学校を開校させるなど、立地条件をより魅力のあるものとなるよう試みている。そういう環境下、タタ コンサルタンシーサービシズ ジャパンは同市内に日本法人を構え、同じくタタ・グループの自動車部品メーカー、タタ オートコンプシステムズの進出が伝えられたのは昨年9月のことだった。
    このほど中部経済連合会が、中部国際空港にインドの航空会社、ジェット・エアウェイズとキングフィッシャー航空の乗り入れを誘致しようと画策していると報じられていた。名古屋からそのままバンガロールに飛ぶことができる日が来るのはさておき、東京・大阪以外の都市発のインド便が就航する日はそう遠くないのかもしれない。
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    インドへエアポートセールス=中部空港への乗り入れ誘致へ−中経連 (時事通信社)
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    大資本が日本市場に参入してくることになれば、それに続いて関連する中小の産業も日本進出を検討するだろう。日本で活動するインド人たちが増えれば、その生活を支える業種もやってくることになるのだろう。ちょうど新宿や池袋界隈で、東アジアの各国からやってきた人々が、同胞相手の美容室、不動産屋、食材屋、生活雑貨屋が店を広げているように。
    これらの産業と縁がない人にも『顔がよく見える』業種もやってくるかもしれない。インドから各種サービス産業、例えばレストラングループやホテルチェーンなどといったものが上陸してくることがあれば面白い。市場としての日本に魅力と可能性があれば、インテリアや服飾関係業者も様子を探っているのではないだろうか。
    日本にあっては、とかく中国と比較されることの多いインドだ。日印関係は、地理的にも文化的にも歴史的にも濃密な日中関係と肩を並べるほどのものには成り得ないとは思う。それでも少なくとも90年代よりも前には、ごく一部の地域ないしは極めて狭い特定の分野を除き、日本におけるインドのプレゼンスがほとんどゼロに等しかったことが大きなポイントだ。スタート地点があまりに低かったため、相対的に大きな伸び率を示すことは間違いない。
    日本側が誘致を画策している分野も、インド自身が外国での活動で得意とする分野ともに都市型の産業であることから、彼らの存在が日本国内のいくつかの極に集中するのではないかと思う。東京の西葛西にはインド人たちの姿が目立つとはいえ、まだほとんど生活臭を感じさせないのは、ごく普通の日本の生活環境の中に、多くが一時滞在的なスタンスで点在しているに過ぎないからだろう。在日インド人たちの総体としての人口の伸び以上に、インドの人々のプレゼンスが濃厚な特定のエリアが出てきて、やがてそこを人々が『インド人街』と称する日がやってくるのだろうか?

  • お寺が遠くなる

    本日6月2日の朝日新聞朝刊第3面に『寺離れ 地方も都会も』という記事が出ていた。地方は過疎や高齢化のため、都会では地域の共同体の希薄化で、お寺離れが進んでいるのだそうだ。また総体として核家族化の関係もあり、各世帯が経済的負担を敬遠することもひとつの要因だという。
    日本の『お寺』には、三つのタイプがあるのだそうな。まずはお布施の収入中心の檀家寺、そして拝観料で稼ぐ観光寺、交通安全などの祈祷料が大半の祈祷寺だという。日本にある8万6千ほどの寺の9割以上が檀家寺であると書かれている。そうしたお寺が、檀家獲得のためにいろいろな対策を打ち出していることも触れられていた。法要の際の送迎サービスを提供したり、地方の寺が都会のマンションの一室を借りて『分院』を設置したりといった具合に。

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  • ただの虫なのか?

    大ボスはいかにしてその座を追われるのだろうか。政界の大物が汚職疑惑の渦の中で四苦八苦するといったことの裏には、単にそういう事実があったようだということはもちろんのことだが、それが明るみに出ることを許してしまう脇の甘さには、そのリーダーが率いる組織ないしは勢力内における自身の求心力の低下という部分は往々にしてあるのだろう。ちょうど猿山のボスが盛りを過ぎると、台頭してきた若手にその座を追われてしまうように。
    立場が上がるほど、手にする権力が大きくなるほどに、仲間や協力者たちの中にも潜在的な『敵』の数が増えてくる。それはライバルたちであり、その支持者たちでもある。国政をあずかる指導者たるもの、また身内におけるさまざまな軋轢や意見をまとめあげるとともに、党内外のさまざまな意見を調整していかなくてはならない。誠実すぎる人はその責に押しつぶされてしまうだろうし、生真面目な人は周囲への気遣いへの苦労の末にぶっ倒れてしまうだろう。ボスたるもの、どっしりと構えて清濁併せ呑む器と熟練した人身掌握術が必要となる。
    洋の東西を問わず、とかく人々の上に立つ人物には、他者と違う厚みや奥行きを感じさせる人が多い。それはその人生来のものなのか、そういう特性を身に着けたからその地位に上り詰めることができたのか、はてまたその地位にあることがそういう雰囲気を生み出しているのだろうか。ボスといっても、考えが様々でカラーも違う寄り合い所帯の中で、主要な派閥の妥協のうえで、なんとか合意できる最大公約数的な人物がポンと出てきて、お飾り的な指導的地位に就くことがある。だが往々にしてこうした『親分』は短命に終わる。もともとそういう器でないからだ。
    ボスの真価は、危機管理能力にあるともいえるかもしれない。この場合、テロや災害に対するものではなく、自身のサバイバル能力のことだ。もちろんその『危機管理』とは、たいてい人々のためになることはない。インドでこうした能力が高い政治家といえば、中央・地方ともにいろいろ目に付くところだが、国外に目を向けてみるとその極端な例は北朝鮮かもしれない。
    最悪、失脚したり逃亡したりしなくてはならないところまでいったとしても、カムバックするためのカードをいくつも持っているのが筋金入りのボスである。昨年後半に相次いで帰国を果たして再び国政に打って出たベーナズィール・ブットーも、ナワーズ・シャリーフも、しばらく本国に身を置いていなかったにもかかわらず、それぞれが率いる政党が勝利を分け合うこととなった。やはりふたりともそういう器だったのだろう。前者は選挙活動の最中にこの世を去り、実務を夫が引き継ぐことにはなってしまったが。
    亜大陸の反対側に目を移してみよう。政治の混乱のため総選挙が延期されたままになっているバングラーデーシュ。元首相シェイク・ハスィーナー、同じく元首相を務めたカレダー・ズィヤーともに重大な汚職疑惑を抱えているところだ。このほど報じられたニュースによれば、前者については嫌疑にかかわる重大な書類が『虫に喰われて』しまっているのだという。その被害の程度がどうなのか、立件自体に支障をきたすほどなのかについては書かれていないが、そもそもこういう大切な書類が虫にやられてしまうほど本当に管理が甘かったのだろうか。『虫』の背後には、怪奇な権謀術策がめぐらされているのでは?と疑いたくなる。
    一見、ちょっと間抜けに見えるこのニュースだが、実はこのボスが自身の華麗な復活劇を演じるために踏み出した最初の一歩という可能性も否定できないだろう。背後で何が蠢いているのはまだよく見えてこないが、ちょっと気に留めておくべきニュースなのかもしれない。本当に『何かある』のかもしれない。ボスたるもの、世渡り術が世間並みであるはずがない。
    Bugs eat Bangladesh court papers (BBC NEWS South Asia)

  • 一人の妻と複数の夫

    インディア・トゥデイの5月28日号でちょっと興味深い記事があった。ヒマーチャル・プラデーシュのキンナウル地区での一妻多夫制度のことである。この地域に暮らすヒンドゥーのあるコミュニティの人々は、兄弟で一人の嫁を娶ることが伝統だったらしい。昔から嫁には相続する権利もなく、兄弟である複数の夫が配偶者を共有するということで、女性が複数の男性をかしずかせて支配するという構図ではない。
    もちろん今の時代、法的にはこういう結婚の形態は認められていないのだが、なにぶん保守的な土地で片田舎ということもあり、今でもこうした形で兄弟が一人の女性を娶るという習慣が続いている。記事中で取り上げていた実例は一人の妻に二人の夫というパターンだが、中には4人も5人もの夫を持つ妻もあるのだという。いずれも複数の夫は兄弟同士であるようだ。
    この記事でこの習慣を『奇習』として取り上げているのではもちろんなく、むしろ耕地に限りがある山岳地での生活の知恵といった具合に、好意的に書いてあるようだった。いくつかの一妻多夫家庭の実例を取り上げたうえで、この習慣がむやみな人口増加や土地が細分化を防いで人々の生活水準を一定に保つ役割を果たしてきたかをわかりやすく説いている。また複数の男性が一人の女性と愛を営みそして世帯を持って子供たちを育むという、仮にそれが代々続いてきた習慣であるにしても、精神的にも物理的にもけっして易しいとはいえない状況下で、家族が円満に生活していくうえでの互いの気遣いなどにも言及されていた。
    ただしさすがに今の時代には、誰もがこうした慣わしで結婚していくわけではなく、『近ごろ一妻多夫結婚は2割にも満たない』ともある。辺鄙なところに暮らしていても、やはり外界からの影響は及ぶとともに、ここから都会へと出て行く人も多い。これまで自らが暮らす地域でほぼ完結していた社会がもっと広がりを持つようになってきたことから、土地伝来の結婚のありかたや家族のありかたが大きく揺らいできている。
    インディア・トゥデイの英語版では、この巻は5月26日号ということになり、件の記事は58ページから61ページにかけて掲載されているので、ぜひご覧いただきたい。
    関係ないが、この号の表紙には先日ジャイプルで起きた爆弾テロ事件で、サイクルリクシャーに乗ったまま犠牲になった若い男性の写真が大きく使用されている。亡くなった本人やその遺族のことを思うと、こういう画像がマスメディアに堂々と使用されることについて、なんだかやりきれない思いがする。
    だがテロの悲惨さについて、文字だけで伝えようとしても言葉に尽くせないものがあるはず。だが一枚の画像には、千も万もの言葉以上に強く訴えかけてくるものがある。物事の本質を伝えるため、ときにはそういう露骨な写真が使用されるのもやむを得ないと私は考えている。むしろ刺激が強すぎるものすべてに覆いを被せて見えなくしてしまっては、何か大切なものを見失ってしまうことも往々にしてあるのではないだろうか。
    しかしながらインパクトの強さのみをアテこんで、これでもかこれでもかと生々しく憐れな写真が次から次ぎへと出すようなメディアには決して感心できないことはもちろんだ。その点、この雑誌はいつも適度に抑制が効いていると思う。
    こういう事件は決してあってはならないし、いかなる理由があっても正当化されるものではない。でもこんな出来事が毎年のように起きていることに、インドが置かれている困難さを感じずにはいられない。ジャイプルの事件で、不幸にして命を奪われることとなった方々のご冥福をお祈りしたい。

  • エベレストはシーズン真っ只中

    北京オリンピックの聖火リレーの関係でしばらく中断していたエベレスト登山だが、先週から今週にかけて記録ラッシュが続いているようだ。
    5月22日には、なんと86名もの登山者が頂上に立った。一日の最大登頂者新記録とのことである。またその日に、ネパールを代表する登山家かつ山岳ガイドであるとともに、世界最高のクライマーに数えられているアッパー・シェルパ氏が自己の世界記録17回を更新する18回目の登頂を無酸素で成功している。
    つづいて5月25日には、77歳の誕生日を目前に控えたミン・バハードゥル・シェールチャン氏が登頂者最高齢記録を樹立。2003年に70歳でエベレスト山頂に立ち、当時の登頂最高齢世界記録を樹立した(その後2007年に柳沢勝輔氏がこの記録を71歳で更新) 三浦雄一郎氏がほぼ同じタイミングで頂上を狙っていたものの、一日遅れで本日5月26日に登頂。残念ながら最高齢記録を手にすることはできなかったが、シェールチャン氏に続く堂々2位である。
    プロスキーヤーそして登山家として知られてきた三浦雄一郎氏は、私立学校の校長先生でもあり、生徒たちへの教育的効果もさぞ高いのではないかと思われる。やはり教師や親たち自身が熱いハートを抱いていなければ、どうしてその生徒や子供たちが将来への夢を描けるだろうか。
    それにしても、なんだか今年のエベレストは当たり年らしい。今シーズン一杯ヒマラヤから聞こえてくるニュースに耳を傾けていたいと思う。
    Nepali grandpa becomes oldest person to scale Mt Everest (Nepalnews.com)
    三浦さんエベレスト登頂「涙が出るほど辛くてうれしい」 (asahi.com)

  • 三国は世界なり

    『三国一の花嫁』『三国一の幸せ者』云々といった表現があるが、平安時代後期にはすでに定着していた言い回しのようだ。もともとこの『三国』とは、日本・唐土・天竺のことで、当時の日本の人々にとって、これはまさに『世界』を意味するものであった。
    自らが暮らす日本はともかくとして、様々な新しい文物や高度な思想の源泉たる先進地中国への敬意、釈尊が教えを説いた大地インドへの憧憬がある。人々がこの時代の唐土や天竺がどのくらいの広がりをもって認識されていたか、そもそもどういう地理的観念を持っていたかについて私はよく知らない。
    それでも極東の地日本から西側にある大陸部が、地理的に日本に近い部分に位置する唐土とそれより西方にある天竺としてとらえられ、その周辺に存在していた様々な国々については、これらふたつの大きな『二国』に集約されるものという考え方がなされていたのではないだろうかと想像している。
    ただし人物の往来が盛んであったことから、唐土の文化なり人物なりに直接触れた経験を持つ人々から伝えられた。しかし天竺についてはこの唐土という分厚いフィルターを通して眺めたものであったことから、非常に具体性を欠くものであり一次情報の極端な不足からこれを把握するには相当なイマジネーションを要するものであったことは言うまでもない。
    日本からタイなりカンボジアなりのインドシナ地域の国々を訪れると、中国からの色濃い影響とともに、インド文化からの強いインパクトも感じる。伝統的な建築、衣装、舞踊といったものだけでなく、人々が使う言語の中におけるインド系語彙の豊富さ、年中行事や宗教儀礼や式典等にも見て取れるだろう。おそらく生活してみると他にもいろいろ目に付くところがあることだろう。
    こうした地域でも自国に中国・インドを加えて『三国一の・・・』という言い回しがあるのかどうか知らないが、長いこと中国とインドという二大国は圧倒的な存在感を持って認識されていることは確かだ。両国は、欧米列強の蚕食下ないしは植民地支配期にしばらく影の薄い時代があったものの、前者は1980年代以降世界経済の表舞台に台頭、後者もまたそれに一足遅れて90年代半ば以降から脚光を浴びることになっている。どちらもかつての強大さを取り戻すべく驀進しているように見えないだろうか。
    両国が今後さらに経済力と国際社会での発言力を増すにつれて、アジア地域において『三国』という言葉が今後よく用いられるようになるのではないかと予想している。つまりどこの国であれ自身が生活の軸足を置く母国に加えて、アジアの中で突出した存在である中国とインドを合わせて『三国』と呼ぶ時代が今にやってくるのではないかと思うのだ。
    たとえば、アジア地域で自国、中国、インドで人気を博すことを『三国一のメガヒット商品』『三国の市場を席巻する大ブーム』なんていう風に言うと、それら三つの国々の周辺にある国々はすでに含まれていることは言わずもがな、アジア全域に及ぶセンセーショナルな大ヒットといった表現になるのだろう。