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カテゴリー: column

  • 犬ってやつは・・・

    もともと犬が嫌いな私。こちらが特に何もせずとも、人間に対して何がしかの警戒心ないしは関心を持つこの動物のおせっかいな習性からして好きになれない。猫のように人影が近づくと一方的に逃げるとか、あるいは牛のようにこちらに対して無関心でいてくれるといいのだが。
    暗い夜道でどこからともなく現れた複数の犬たちにガウガウ吠えられると不安になるし、田舎の小さな町の細い路地を徘徊する犬なんかは、ヨソ者をすぐに見分けて(嗅ぎ分けて?)てバウバウ吠えてきたりする。『ええいっ、俺に構うな!』と怒鳴りつけたくなるが、そんな言葉が通じるわけでもなし。
    愛犬家には申し訳ないのだが、まったくもって不愉快千万な動物だ。ちゃんと躾けられた『文化的な』ワンちゃんならいいのだが、それでも正直なところ、『けっきょく本能の部分ではああいうのと同じなんだよなぁ〜』と思うと、やっぱりちょっと引いてしまうのである。
    ところで一昨日、こんな記事を目にした。
    『Bitten by dog, shunned by hospitals』 (Hindustan Times)
    デリーで犬に噛まれた12歳の少年が、狂犬病ワクチンの注射を求めていくつかの政府系病院を回ってみたものの、行く先々で『持ち合わせのワクチンがない』と言われて断られたという内容だ。
    インドで、どこかの自治体が野犬の捕獲を始めると、きまって動物擁護団体とかその手の活動家たちが大声で批判を始める。しばしばメディアもそれに同調する。でもよくよく考えてみるまでもなく、野犬が多数徘徊しているという状態は危険であり、特に小さな子供たちや高齢者たちとってはかなり大きなリスクでもあることは間違いない。
    加えて『狂犬病』という、発症して回復したらそれこそギネスもの(発病したにもかかわらず回復した人物がギネスブックに記録されている。それほど稀なケースであるということだ)という恐ろしい病であることを思えば、『野犬狩りはならぬゾ!』と息巻く人々には、野犬ならびに狂犬病の危険を防ぐために、実際的かつ有効な対案を出して欲しいと思う。
    まったく野犬ってやつは・・・。

  • 今年のダヂャンは熱かった

    アウンサンスーチーさんの肖像のもとに、ビルマの人々が集まった
    『武器を手にして闘っている仲間もいます!』
    アウンサンスーチーさんの肖像を背景に、ビルマ語での訴えが逐次日本語に訳されていく。母国の政治の不正を、軍事政権の非道を熱く語り、苦しくとも最後は必ず勝つぞと叫ぶその声に、会場内の人々は気勢を上げる。そして割れんばかりの拍手が続く。
    4月27日(日)に東京北区で開かれた今年のダヂャンは、意外なまでに集まる人々の数が多かった。昨年などは閑散としていたし、それ以前から見物に来ている友人にとっても今回の盛況は不可解なようであった。
    もともと在日ビルマ(ミャンマー)人の数が減少しているうえに、次第に規模が縮小していくのは仕方のないことではあるのだが、今年はビルマにとって、また在日のビルマ人たちにとっても大切な時期であることがうかがえる。
    ステージの合間に演説が行われる

    (さらに…)

  • 飛鳥山のダヂャン

    英領時代の一時期インドと合邦していたことがあるとはいえ、南アジアではなく東南アジアの西の果てに位置するミャンマー。『インドつながり』と呼ぶにはかなり苦しいものがあるのは敢えて承知のうえで取り上げてみたい催し物がある。それは4月27日(日)に東京北区の飛鳥山公園にて開催される、在日ビルマ人たちによるダヂャン(水祭り)だ。
    こうしたイベントではよく『××大使館後援』という形で母国政府の有形無形のバックアップが付くものだが、この『ダジャン』はそれなりの規模で開催されるにもかわわらず、企画者や参加団体等による完全な自主独立の運営だ。さまざまな歌や舞踊などが繰り広げられるお祭りのステージにはアウンサンスーチー女史の巨大な肖像が掲げられる。
    主催はビルマ民主化同盟(LDB)、つまり現在のミャンマー政権からすれば、反政府組織ということになる。ちなみに現在の国名『ミャンマー』とはビルマ語による国名であり、かつて英語で『Burma』と呼ばれていた時代にもビルマ語ではそう呼称されていた。しかし1991年に軍事政権が『Burma』を廃して英語による国名も『Myanmar』と定めた。
    しかしそれに先立つ1990年5月にアウンサンスーチー女史らが率いるNLD(National League of Democracy)および協力関係にある民族政党が勝利したにもかかわらず、軍政側は彼らに政権を引き継ぐことはなかった。それどころか逆に民主化勢力関係者の逮捕拘束および各種弾圧に打って出て現在へ至る。
    こうした背景から、正統性のない『政府』による改称は無効であるとして、民主化勢力関係者は『Burma』そして日本語による『ビルマ』という名前にこだわる。なお英語による呼称がビルマからミャンマーと改称された際に、ラングーンからヤンゴン、モールメインからモーラミャイン、イラワジ河からエーヤワディー河等々、多くの国内地名も変更された。
    さて話は飛鳥山公園のダヂャンに戻る。多民族国家ミャンマーの姿を象徴するように、ビルマ族以外にも在日のシャン族その他少数民族による組織も出展者等として参加するとともに、インド系の人たち姿もチラホラ。なかなかカラフルで楽しいイベントである。とかくフレンドリーで話好きなビルマの人々だけに、一人でフラリと出かけてみてもいろいろおしゃべりできて楽しいものだ。温かい料理はもちろん、日本ではあまり馴染みのないビルマの甘い甘いお菓子類にもありつける。
    ただし年を追うごとに縮小していく在日ビルマ人社会のありさまを反映し、こうしたイベントの開催はだんだん難しくなりつつあるのが現状らしい。今年のダヂャンも盛況でありますように!

  • ひと続きの世の中

    2月にアフガーニスターン・パーキスターン両国国境地帯で失踪した駐カーブルのパーキスターン大使ターリク・アズィーズッディーン氏が、ターレーバーンの人質となっていることが明らかになっている。これまでもNGO、国連、報道その他の関係者が連れ去られ、現政権との交渉のカードとして利用されてきた。ターリク氏はターレーバーンたちが仲間の釈放を求める交渉の材料として誘拐監禁されている。
    パーキスターンの支持あってこそ、かつては国土の大半を手中にしたターレーバーンであったが、2001年9月11日にアメリカで発生した同時多発テロ以降、地域の風向きが大きく変わると自分たちを捨てて去っていったかつての親分に刃を突きつけた形になる。この事件は、現在のアフガーニスターン政府にとっても、かつて傀儡ターレーバーンを育んだパーキスターンにとってもまた大きな難題だ。
    支配者側への揺さぶりとして、本来の対立する相手ではない第三者を誘拐して、自らに有理な状態を引き出そうという手法、そうした勢力からの報酬目当ての『誘拐産業』にもスポットが当たるようになっている昨今だが、どうも世間で起きているこうしたニュースを目にすると気が滅入る。モラル云々以前の問題ではあるが、いやしくも一度は政府を構えた勢力が行なうべきことではありえない。現政権と対峙するにあたり短期的には何がしかのメリットがあるとしても、これまで以上に対外的な信用を失うとともに、国内的にも人心掌握どころではないだろう。
    ただし現在のアフガニスタン政府にしてみても、アメリカによるターレーバーン攻撃という好機に乗じて政権を簒奪した複数の派閥が、西側の支援を得る反ターレーバーン勢力という共通項のみからなる足元の危うい合従連衡のもとで、利益の奪い合いを展開している中、そうそうまっとうなものは見当たらない。勝てば官軍、武力による統治という現状こそがアフガーニスターンの最大の不幸だ。インドと同様に『多様性』に満ちたモザイク国家アフガーニスターンだが、長い内戦を経て、すっかり壊れて散り散りになってしまったカケラを集めて、ふたたびひとつの国にまとめあげるには、どのくらいの時間と犠牲を払わなくてはならないのだろうか。
    歴史的につながりが深い近隣国インドのことを思い合わせれば、『民主主義』や『自主独立』といったものの尊さ、ちゃんと機能する『政治』の大切さをひしひしと感じる。そうしたことについて無頓着でいられる境遇とは、実に幸せなことなのである。たとえば今の日本のような政治への関心の低さは、裏を返せばそれほど深刻な問題が生じていないということでもあり、それ自体は決して悪いことではない。
    ただしこうしたトラブルを抱える地域への関心は常に持ち続けたい。歴史的な境界あるいは為政者の都合による『国』という区分で細分化されている世界だが、どこに行っても人々の暮らす社会があり世間がある。国境のこちらと向こうでいろいろ事情が違ったりもするが、つまるところ同じ人間が暮らすひと続きの『世の中』なのである。でも距離が遠くなるにしたがい、なかなか見えてこなくなるし、縁が薄い地域の話はあまり聞こえてこないこともある。
    ゆえに周囲の無関心の中、非道が大手を振ってまかりとおっていたりするのはとても残念なことだ。状況や内容はまったく異なるが、それはアフガーニスターンしかり、チベットしかりである。
    Taliban holds Pakistan’s ambassador (Al-Arabiya News Channel)

  • 6月の代々木公園にてバングラーデーシュの催し

    昨日は池袋で開かれたバングラーデーシュ関係のイベントについて伝えたところだが、実は6月にも同じくバングラーデーシュを主題とするイベントが東京渋谷区の代々木公園にて開催される。『BANGLADESH FESTIVAL 2008』と題するこの催しの日時は、6月14日(土)および6月15日(日)で、両日ともに朝10時から夕方8時まで
    『ストップ温暖化』というテーマが掲げられており、国土の大半がデルタ地帯の低地からなるこの国を切り口に環境問題について考えようという趣旨のようである。環境問題とは、当然のことながらひとつの国ないしは地域で完結するものではなく、こうした試みがなされるのは良いことだ。
    また何かとインド、インドと南アジアの中でも突出した存在の大国のみが経済面から注目される昨今、その周辺国にも豊かな文化と魅力に溢れた国々を紹介するプログラム等を通じて、広大なインド亜大陸全体への関心が高まるようになれば喜ばしい限りだ。

  • カレーなる日曜日

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    『第9回カレーフェスティバル&バングラデシュボイシャキメラ』に行ってきた。昼前まではやや閑散とした感じではあったものの、昼下がりから急に人出が多くなってきた。ちょうど食事がてら友人や家族たちと繰り出してきたベンガル人たちにこういう催しがあるとは知らずにたまたま通りかかったその他の人たちが合流といった具合だろうか。すでに会場に来て食事などしている人たちに『今日は何が起きているのか?』『いったいどうしたのか?』と質問するオジサンやオバサンたちの姿もしばしぱ見受けられた。
    最初は子供たちの舞踊や日本の伝統的な踊り、日本人やその他の国のベンガル語を理解する人たちによるバングラーデーシュの歌謡等の披露といった、いかにも国際交流プログラム的で行儀の良いステージが続いていたが、時間が進むにつれてベンガル語のポップスなど主催者や参加しているバングラーデーシュ人たちが期待する『本音の』パフォーマンスが繰り広げられる時間帯に入ってくる。曇り空ながらも雨が降り出すことはなかったため会場から去る人は少ない中で後から後から到着する人々があり、押し合いへしあいの大混雑となる。
    パッと見た印象では、会場に来ている人たちのうち半分くらいがベンガル人ではないかと思われた。なにぶん日本にあっては存在感のある人々ではあるが、カメラに写った画像を確認してみると、やはりそこにある人々の姿の大半がベンガル人。東京の池袋にいながらにして、ちょっとダッカ気分の日曜日であった。
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  • 4月20日 池袋西口にミニ・ダッカ出現?

    4月20日(日)の午前11時から午後6時まで、東京の池袋西口公園で『カレーフェスティバル&バングラデシュボイシャキメラ』と題するイベントが開催される。
    通算9回目となるJBS(Japan Bangladesh Society)主催によるこの催しは、池袋における年中行事の野外イベントとしてすっかり定着している。主催者、出展者、来場者すべてを含めた参加者の中に占めるバングラーデーシュ人の比率の高さもまた特徴的だ。
    こうした企画を毎年継続する実行力と組織力の源泉は、バングラーデーシュから年々新しく入国してくるニューカマーの人々もさることながら、主に80年代後半以降から日本にしっかり根を張って定住している人たちの存在あってのことだ。
    移住先として日の浅い日本での移民『第一世代』の人たちの多くは、移住先の日本で定着すること、稼ぐことで日々多忙なことだろう。私たち地元の人間でも毎日仕事に追われて大変だ。ましてや外国から身ひとつでやってきて初めての土地でゼロから生活を築き上げていくことは容易ではない。
    もちろん就労あるいは数は少ないが投資といった仕事を目的に渡航してくる人たち以外にも、留学のためにやってくる人たちもかなりいる。理系を専攻する割合が高く、概して高学歴志向で、修士・博士といったレベルを目指す。どちらにしても、彼らにとって新天地である日本に乗り込み、自らの知恵と才覚で将来を築き上げようとする『開拓者』たちだ。
    その子供たちの世代になると、おそらくさまざまな生き方の選択肢が出てくることと思われる。両親(あるいはそのどちらか)の出身国であるバングラーデーシュと自分が生まれ育った日本との間で、いろんな関わり方が可能になってくる。コミュニティが次第に拡大していくのもさることながら、その生業もこれまで以上に多岐にわたるものとなっていくことだろう。イギリスやアメリカなどでのように、文学や音楽などといった表現活動に進む人たちも出てくるのかもしれない。
    少子化対策が叫ばれるのみで、いまだ具体的かつ有効な施策が見られないなか、私たちの日本の将来を支えるひとつ大切な要素となるのが外国系のマンパワーだ。その中核となるのが中国系移民であるにしても、決して無視することのできない一定の影響力を持つことになるのが南アジア系の人々だ。メディア等で取り上げられる頻度の高さから、日本における南アジア系のプレゼンスとは、しばしばITプロフェッショナルたちや近年積極的に流入しはじめているインド系マネーに代表されてしまう傾向があるが、もっと地に足をつけて頑張っているのが主にバングラーデーシュ人たちからなるベンガル系のコミュニティであることを忘れてはいけない。
    バブル以前、あるいはそれよりもずっと前からの散発的な事例を除き、日本においてある程度まとまった規模での南アジアからの人々の流入はまだ始まったばかりだ。移民社会の形成の初期段階から観察できるということは、かなり貴重な機会かもしれない。在日ベンガル人の個人的な知り合い等の今後の活躍を祈るのはもちろんのこと、彼らのコミュニティやネットワークに今後どういう進展が見られるのか興味のあるところである。
    それはともかく、この『カレーフェスティバル&バングラデシュボイシャキメラ』おいしい料理と美味なるスイートをたらふく食する機会。好天に恵まれることを期待したい。

  • 愛憎なかばのDP1

    春の花たち
    3月に、『コンパクトデジカメ新時代到来か シグマDP1』として取り上げてみたが、発売されてからひと月半ほど経った今、改めてこのカメラについての印象をまとめてみたい。コンパクトなボディに一眼レフのものと同じ撮像素子を搭載という、これまでになかったものであるがゆえに、カメラ好きな人たちの注目を大いに集めて登場。その後、世間の評判は賛否両論といったところのようだ。
    おおまかにいって『非常に精緻な画質にビックリ。操作性には難ありだけど』という画質を高く評価して使い勝手に目をつぶる意見と、『とても美しい画像が撮れるとはいえ、なにしろ処理スピードが遅すぎて困る』という、取り扱い面での不便さを問題視する考えがある。
    要は、何に重きを置くかというところである。これまで、シグマのデジタル一眼レフカメラユーザー以外にとっては未体験のFOVEON X3センサーが生み出す卓越した画質により、28mmという画角のみでいえば普及版のデジタル一眼レフをしのぐ描写力を有する反面、平均的なコンパクトデジカメを下回る操作性により、長所も短所どちらも極端なのである。
    野球でいえば、年間ホームラン数40本台、でも打率は1割台といった打者がもしいればこんな具合だろうか。その潜在力からくる魅力は大きいのだが、ちょっと使いにくい。
    『インドでどうだろう、この1台』と考えた場合、コンパクトカメラに期待するものとは何だろう。
    ?ポケットにスッと収まる携帯性
    ?高い描写力と画質
    ?スムースで迅速な操作性
    といったことを挙げたい。一眼レフカメラのサブとして使うにしても、それ1台のみ持参するにしても、これら3点が高い次元で実現されているカメラということになるだろう。
    DP1の場合、?はまずまずで?は二重丸。これまでのコンパクトデジカメとは明らかに次元が違う。DP1について俗に言われる『一眼画質』にいささかの誇張もない。それどころか前述のFOVEON X3センサーの良さに驚くあまり、同じセンサーを搭載するシグマのデジタル一眼レフSD14に手を出してみようかと考えてしまうくらいだ。だが残念なことに、最後の?については明らかに不合格を付けたい。RAW撮影時の処理の遅さは仕方ないにしても、JPEGの場合もずいぶん手間取る。それならばいっそのことと、ほとんどRAW設定で撮るようにしている。それはさておき、AFフレームの選択、ホワイトバランス、測光モード等々、よくいじくるメニューについて、ずいぶん手間がかかるようになっているなあ・・・という感想を抱く人は多いだろう。
    持ち歩きが手軽で高画質とはいえ、取り扱い面で『重厚長大さ』を感じさせるため、あまりお手軽気楽なモデルとはいえない。するとコンパクトデジカメでありながら、何か他にもう1台イージーなものをサブカメラとして携行したくなるし、DP1を一眼レフカメラのサブカメラとして期待するには軽快さに欠ける・・・欠けすぎている。
    ただし、デジカメが普及しきった今だからこそ、無制限にシャッターをシャカシャカ切っているが、銀塩カメラ時代にはそんなことはなかった。1枚1枚丁寧に撮影していたものだ。それを思えば、こんな具合でもいいじゃないかという気がしてくることも事実。不満もいろいろあるのだが、個人的には目下一番気に入っているコンパクトデジカメであり、常日頃カバンの中に忍ばせている。世間で賛否ウズ巻いているのと同様に、私の心の中でも愛憎なかばするのがこのDP1なのだ。
    とかく進化のスピードが早く、次から次へと新しいモデルが出てくる、新たなトレンドがあっという間に市場を席巻するデジカメの世界だ。DP1の発売を皮切りに、一眼レフと同等のセンサー搭載のコンパクトデジカメがひとつのジャンルとして確立されるようになることを期待したい。
    DP1のカタログに記されている『一眼レフと同等。ただボディが小さいだけ』という文言は、明らかに大風呂敷だと思う。でも近い将来、ボディがごく小さくて、単焦点でレンズ交換ができない部分を除けば、機能と性能はすべて一眼レフと同じ・・・というモデルが本当に出てくるとすれば、今からでも予約しておきたい気がするくらいだ。

  • ネパール 革命成就・・・なのか?

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    ネパールの総選挙結果が、事前には思いもよらなかった方向に展開している。
    紆余曲折あったが、なんとか今回の選挙に参加することになったネパール共産党マオイスト派である。長年武装闘争を続け、ネパール政界を左右するひとつの重要なカギを握る勢力である。国民のある部分から一定の支持を得ることができるにしても、あくまでも主流派に対する抵抗勢力として、どこまで票を伸ばすことができるかが云々されていた。さらにはその結果が、彼らにとって満足いくものでなければ、選挙の公正さに対する疑いを理由に、再び武闘路線に戻るのではないかという懸念もあった。そもそも今回の選挙の焦点のひとつには、国内の不安定要因の最たるもののひとつであったマオイスト勢力をいかに平和的かつ継続的に政治参加させるかという問題があった。
    ところがどうしたことだろう。現時点ですべての結果が出揃ったわけではないが、すでにマオイストが第一党となることは確実な情勢で、開票後かなり早い段階において勝利宣言も出ている。これはまたマオイストたちによる『革命の成就』と表現することもできるだろうか?
    政府と対立して武装闘争を展開してきた過激派が、総選挙で過半数にわずか及ばないまでも、堂々たる第一党に選ばれてことを受け、大政党にしてこの国最古の政党であるネパール会議派がマオイストに連立を打診している。力による弾圧という路線から対話と政治参加を促して、武装したマイノリティ集団のマオイストたちを一政党として自らのシステムに取り込もうとしたのはマジョリティ側であったが、総選挙の予想外の結果により、まさに主客転倒となった。
    数の論理で堂々と不条理がまかりとおることもある民主主義体制の中、狭い国土ながらもインドと同じく多様性に富む国土の広範な民意のうち、これまで既存政党が吸収できなかった部分を代表し、道理にかなったやりかたで国政に反映させる、必要とあればマジョリティの独走に歯止めをかけるチェック機能としての存在は、諸手を挙げて歓迎されるべきものである。そもそもマオイストたちの中に占めるマイノリティ民族や女性の占める割合は高く、これまであまり省みられることのなかった層の人々の意思を代表しているともいえる。
    マオイストたちにしてみれば、国民の総意を結集した選挙で第一党となることで、『政党』として自らの主義主張の正当性についてのお墨付きを得たことになり、これまでの行いは『造反有理』であり、これが社会が払ってきた犠牲についても『革命無罪』ということになってしまうのだろう。政界のどんでん返して、ネパールは今まさに本格的な変革の時期を迎えたことになる。しかし注意しなくてはならないのは、予想外に大量の票がなぜマオイストに流れたかということだ。票のかなりの部分は既存政党への不信任票といえるだろう。しかしだからといって、そのすべてがマオイストたちの方針に諸手を挙げて賛成というわけではないのではないかということは容易に想像できる。選挙前にはマオイスト支持とは予想されなかったカテゴリーの人々のうち、どういう立場の人たちが彼らに票を投じたのか、詳細な分析が出てくるのを待ちたい。
    ところで、マオイストたちに政権担当能力はあるのだろうか。彼ら自身、とりあえずは政局に強い影響力を持つ野党陣営の一角を占めて、議会政治の世界で着実に地歩を固めることができれば良かったのではないかと思う。いきなり第一党に躍り出てしまい、最も当惑しているのは他でもないマオイストの幹部たちなのではないかという気がしないでもない。時期尚早ではないだろうか。
    これまで農村部や山間部で人々をオルグあるいは強制的に徴用したり、政府に対する武装闘争を展開したりしてきたマオイストたちが、こんどは公平かつ責任ある統治者として、『反動的』あるいは『反革命的』他陣営をも含めた様々な意見をまとめあげる有能な調整者として、これまでとまったく違う役割を担うことになる。こうした経験のない集団が、あまりに過度な期待を背負っていったい何ができるのかは未知数だが、まずはお手並み拝見といったところか。先に勝利宣言を発したプラチャンダ議長は、彼らが第一党となることに対する周辺国ならびに諸外国の懸念を払拭するため、『我々は民主主義を尊重し、諸外国とりわけインドと中国との友好関係を維持していく』との声明を出したことからもうかがえるように、今のところ自分たちの立場についての自覚はあるように見えるのだが。
    今回の選挙が、懸念されていたほどの大過なくほぼ平和裏に投票を終了し、政権交代へのプロセスを円滑に進めているように見えることについて、現象的には国民統合の象徴とも民主主義の勝利ともいえるかもしれない。だがその実新たな混乱のはじまりがやってきたのではないかと懸念するのは私だけではないだろう。今度はマオイストを軸とする新たな合従連衡が展開されていくことになると思う。ネパールの『革命』と『闘争』はこれからもまだまだ続く。マオイストが主導することになりそうな新政府、そして新たな憲法起草による新しい国づくりの中で、あまりに性急な変化を志向すれば、かならずや大きな揺り戻しを呼ぶことになるだろう。
    目下、革命いまだ成就せず・・・ということになるが、同様の信条のもとに武装闘争を続けるマオイスト勢力を抱えるインドにとっても、ネパールにおけるマオイストをめぐる様々な動きや事態の展開には、今後いろいろ参考になるものが出てくるのではないかという気もする。今後の進展に注目していきたい。
    CA Election 2064 Results (kantipuronline.com)
    ELECTION COMISSION, NEPAL
    マオイスト共産党の選挙シンボル

  • ドイツの守護神 最後の花道はソルトレーク・スタジアムにて

    5月27日は、カルカッタのサッカーファンにとって、忘れられない日となりそうだ。この日、地元のクラブチームであるモーハン・バーガーンACとの対戦が予定されているのは、なんとドイツの巨頭バイエルン・ミュンヘンだ。しかもこれがオリヴァー・カーンの引退試合となるのだというから大変だ。
    ドイツ代表歴は長く、1994年、1998年、2002年、2006年と、ワールドカップに4回出場している。世界に名だたるサッカー大国のひとつで、優秀な選手層も厚いドイツだけに、正キーパーとして参加したのは2002年大会のみだが、1994年から所属するドイツの名門中の名門チーム、バイエルン・ミュンヘンにて、4年連続の欧州最優秀ゴールキーパーへの選出、UEFAチャンピオンズリーグ優勝等々の輝かしいキャリアを持ち、ドイツの国民的英雄とはいかないまでも、世界で最も卓越した現役ゴールキーパーのひとりと認識されてきた選手だ。
    この試合ついて、手続き上の問題から全インドフットボール連盟(AIFF)からクレームが付いており、開催の可否について微妙な影が投げかけられていたようだが、インドのサッカーの首都ともいえるカルカッタで、ぜひともこの試合を実現して欲しい。老いも若きも、この街のサッカー狂の人たちは心を熱く燃やしていることだろう。
    モーハン・バーガーンとバイエルン・ミュンヘン、両者のチーム力とクラブとしての財力は比べるべくもない。それでも創立1900年の後者に対し、前者は1889年と11年も古く、まさにアジアのサッカーの歴史を代表する最古参格のチームだ。しかもこのチームには、映画『ラガーン』を地で行くような伝説を持つ。1911年に、裸足のベンガル人チームが皮のシューズなど優れた装備を持つ英国人チームを破ったという『史実』は、後にインドの記念切手にまでなっている。
    インド大好きのサッカー狂ならば、この試合を見るためだけにカルカッタへ飛んでも決して後悔などしないのではないだろうか。たとえインド国外、日本を含めて海を隔てた外国からであったとしても。この試合について、インド以外のメディアでは特に取り上げられていないし、インド国内でもご一部サッカー熱の高い地域とこれまたインドではマイナーなサッカー狂の人たちを除けば、ほとんど関心を持っていないとはいえ、後世に語り継がれる、インドサッカー史に残る重要な試合となるように思われてならない。
    もちろん勝負云々についてではなく、こういう試合がカルカッタで開催されるということが重要なのだ。このチケットを手にしてスタジアムに乗り込むカルカッタのサッカーファンたちは、なんと幸せなことか!
    Chance for Calcutta to bid Oliver Kahn farewell
    – Bayern Munich to play Mohun Bagan on May 27
    (The Telegraph)

  • 仕事とともに西へ東へ

    近年、経済成長めざましいインドだが、同時に海外に多数の仕事人たちを送り出す出稼ぎ大国としての側面もある。単純労働者から高度な知識や技術を必要とするエキスパートまで、日々さまざまな人々が国境のこちらとむこうを行き来する。北米では、知的な専門職に就き社会をリードする立場にあるインド人、インド系の人々などが多く、東アフリカや中東などでも、大きな商いにたずさわる人々は沢山いる。
    湾岸危機発生より前の時期にイラクを訪れたことがある。昨今伝えられる状況からはまったく想像もできないようないい時代であった。当時の政権の強力なリーダーシップのもとで非常に治安もよく、政治・宗教活動が厳しく制限されていたためでもあるが、過激派の活動などもなかった。イランとの間の戦争が終結して間もなかった頃である。
    名だたる産油国のひとつでもあることから、他国からの働きにきた人々を多数見かけた。特にアラビア地域の非産油国からの人たちが多いようだったが、私が陸路入国した際、いかにも出稼ぎ然としたタイやフィリピンからの労働者たちの姿も少なくなかった。
    滞在中、所用で訪れたバクダード市内総合病院では、多くの看護婦も医者もインド人であったことにちょっと驚いた。もちろんその後急展開した情勢により、イラク在住の外国人たちはたいへんな思いをしたわけだが。南インド、特にケララは中東以外にも欧州や北米などにも、看護婦として働く多くの人材を供給していることは広く知られている。

    (さらに…)

  • 参加することに『異議』がある?

    北京オリンピック
    今年8月8日から同24日にかけて開催される北京オリンピックの聖火リレーが、各地でさまざまな抗議活動やトラブルに見舞われている。本日4月9日にはアメリカのサンフランシスコに上陸、続いてタンザニア、オマーン、パーキスターンときて、4月17日にはインドのニューデリーを聖火が走る予定だ。国内に膨大なチベット難民人口を抱えるインドにあって、近年改善しているとはいえまだ根強い中国への不信感もあり、このたびの聖火リレーの賛否についていろいろ意見の分かれるところではないだろうか。デリーでの走者のひとりであったサッカー代表選手バイチュン・ブーティヤーはこの役目の辞退をすでに表明している。
    オリンピックは、いうまでもなく国際オリンピック委員会に加盟する国々のうち、開催地として挙手したもののなかから選ばれたホスト国で開かれる、いわば持ち回り開催であり、中国独自のスポーツ大会というわけではない。また国際オリンピック委員会という組織自体が公的機関ではなく、国際的なネットワークを持つ民間組織である。各国の『民』が力を合わせて開催する祭典であることからも、様々な雑音が聞こえてきたとしても、大会そのものに政治の影を投げかけることなく、立場の違いを超えて各国が協調・協力したり、一般市民もまた五輪開催の趣旨を理解したうえで、そうした風潮に流されないというのが本来あるべき姿だと思う。
    しかしながらオリンピックが、それを開催したり選手団を送り出す国家により、しばしば国威発揚の道具として利用されることは事実であるし、そうした政府に対する圧力をかけたり、自らの主張を外の世界にアピールしようと意図を持つ団体やグループにとっては、またとない機会であることも間違いない。
    4月17日のデリーの聖火リレー自体は、厳重な警備のために一見問題なく行なうことができたように見えるのかもしれないが、その前後の時期を含めてデリー周辺その他チベット系の人々が多く住む街などでもさまざまな抗議活動が展開されるのかもしれない。五輪に政治を持ち込むのはどうか?という疑問は残るものの、ここ半世紀ほどの長きにわたりチベットが置かれている状況を思えば、今回の五輪に『参加することに異議がある!』といわんばかりの激しい抗議活動について、個人的に共感できる部分も少なくない。
    インドの後、タイ、マレーシア、インドネシア、オーストラリアと続いた後に、4月26日には日本の長野で聖火リレーが行なわれる。先述のとおり、個人的には五輪の政治化は同意しかねるのだが、やはりチベットをめぐる諸問題に思いをめぐらせれば、もし『長野ではこれといった騒ぎもなく、極めてスムースに聖火が通過しました』と、日本の市民が何ら特別な意思表示もしないまま終わってしまってはいけないような気もするのが正直なところだ。
    私自身は今年オリンピックが開かれること、各国の様々な選手の活躍を目にすることを楽しみにしている。だがその開催地が北京であるがゆえに、いろいろと胸に浮かぶことは多く、その意味では他の多くの人々と感情を共有している部分があるのではないかと思う。世界中各地で発した人々の訴え、いやそれ以上にこれまでずっと困難な立場に置かれてきたチベットの人々の主張について、中国当局がしかるべき配慮や対応をすることを切に願うところである。