参加することに『異議』がある?

北京オリンピック
今年8月8日から同24日にかけて開催される北京オリンピックの聖火リレーが、各地でさまざまな抗議活動やトラブルに見舞われている。本日4月9日にはアメリカのサンフランシスコに上陸、続いてタンザニア、オマーン、パーキスターンときて、4月17日にはインドのニューデリーを聖火が走る予定だ。国内に膨大なチベット難民人口を抱えるインドにあって、近年改善しているとはいえまだ根強い中国への不信感もあり、このたびの聖火リレーの賛否についていろいろ意見の分かれるところではないだろうか。デリーでの走者のひとりであったサッカー代表選手バイチュン・ブーティヤーはこの役目の辞退をすでに表明している。
オリンピックは、いうまでもなく国際オリンピック委員会に加盟する国々のうち、開催地として挙手したもののなかから選ばれたホスト国で開かれる、いわば持ち回り開催であり、中国独自のスポーツ大会というわけではない。また国際オリンピック委員会という組織自体が公的機関ではなく、国際的なネットワークを持つ民間組織である。各国の『民』が力を合わせて開催する祭典であることからも、様々な雑音が聞こえてきたとしても、大会そのものに政治の影を投げかけることなく、立場の違いを超えて各国が協調・協力したり、一般市民もまた五輪開催の趣旨を理解したうえで、そうした風潮に流されないというのが本来あるべき姿だと思う。
しかしながらオリンピックが、それを開催したり選手団を送り出す国家により、しばしば国威発揚の道具として利用されることは事実であるし、そうした政府に対する圧力をかけたり、自らの主張を外の世界にアピールしようと意図を持つ団体やグループにとっては、またとない機会であることも間違いない。
4月17日のデリーの聖火リレー自体は、厳重な警備のために一見問題なく行なうことができたように見えるのかもしれないが、その前後の時期を含めてデリー周辺その他チベット系の人々が多く住む街などでもさまざまな抗議活動が展開されるのかもしれない。五輪に政治を持ち込むのはどうか?という疑問は残るものの、ここ半世紀ほどの長きにわたりチベットが置かれている状況を思えば、今回の五輪に『参加することに異議がある!』といわんばかりの激しい抗議活動について、個人的に共感できる部分も少なくない。
インドの後、タイ、マレーシア、インドネシア、オーストラリアと続いた後に、4月26日には日本の長野で聖火リレーが行なわれる。先述のとおり、個人的には五輪の政治化は同意しかねるのだが、やはりチベットをめぐる諸問題に思いをめぐらせれば、もし『長野ではこれといった騒ぎもなく、極めてスムースに聖火が通過しました』と、日本の市民が何ら特別な意思表示もしないまま終わってしまってはいけないような気もするのが正直なところだ。
私自身は今年オリンピックが開かれること、各国の様々な選手の活躍を目にすることを楽しみにしている。だがその開催地が北京であるがゆえに、いろいろと胸に浮かぶことは多く、その意味では他の多くの人々と感情を共有している部分があるのではないかと思う。世界中各地で発した人々の訴え、いやそれ以上にこれまでずっと困難な立場に置かれてきたチベットの人々の主張について、中国当局がしかるべき配慮や対応をすることを切に願うところである。

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