ラカーラーのお寺

「ラカーラーのコミュニティーの寺」とある。ラカーラーとは伝統的にバングル作りを生業としてきたカースト。このようにコミュニティーに特化したお寺もあるのがインドらしい。

寺の入口にはプージャーリーの電話番号が示されている。普段は常駐していなくて、何か法要(プージャー)の際には呼んで来てもらうのだろう。

プシュカルの建物

プシュカルにはまだまだ古い建物が残っていて、歩いて眺めているだけでも楽しい。窓飾りに持ち送り、部外者が中に入れる建物(店やゲストハウスなど)では、ハヴェーリー内のチョウクやそれを取り巻く部屋の扉なども見られる。

今の時代には、もうこういう家屋は造らない、建てられないので、こういうのは大切にして欲しい。プシュカルにはまだこうした建物が多く残されているのは幸いである。

こうしたヘリテージ家屋を目にすると、インドは本当に豊かな伝統に恵まれた、非常にリッチな国だと感じる。

昨夜の宿はなんとプール付き。部屋は広くてダブルベッドひとつに加えて2段ベッドもあるなど、ファミリー向けだった。クルマで来ている家族連れが多い。ガートから細い道挟んだところにある古い大きな建物の中にあるが、こういう建物によくある奥行きの深さのため、プールや駐車場も設置できるのだ。おそるべき深みを持つ古い時代のハヴェーリー。

もっとも、この部分についてはもともとあった建物を取り壊してスペースを確保したのではないかと思われる。

湖の眺め

プシュカルのガートでの注意を呼び掛けるアナウンス。荷物や貴重品の扱い、溺れる危険への注意はともかく、沐浴に石鹸を使うなとか、衣類を洗うな、ゴミを捨てるなとかいうのが、いかにもインドらしくてある意味ホッコリする。大人でもちょっと目を離すとすぐにポイポイゴミを捨てるので。

それでもガートすぐ裏の建物の屋上からの眺めは最高。こちらは朝食を摂ったのとは別の店。

おそらくブシュカルは、湖のほとりに人々が住み着いたオアシスが始まりで、家畜の世話や農耕にも最適なパラダイスみたいなところだったのだろう。

流れ込む川もないので、たぶん地下から湧いている泉なのだろうか。水が湧き出る場所自体、神性を帯びることが多く、ここが聖地と見做されるようになるのは当然の流れだったはず。

この場所はツーリスト用のレストランで、ゲストハウスと一緒になっている。環境が素晴らしく良いので、また来たらこんなところに泊まりたい。

時間帯によっていろんな表情を見せるプシュカルの湖の眺めを楽しみながら過ごせたら最高だろう。

ここには、まだまだ古い建物が残っていて、眺めながら歩いているだけでも楽しい。窓飾りとか持ち送りとか、よそ者でも中に入れる建物(店やゲストハウスなど)では、ハヴェーリー内のチョウクとそれを取り巻く部屋の扉なども見られて興味深い。

現代はこういう家屋は造らない、建てられないので、文化遺産として大切にして欲しいところだ。まだこうした建物が数多いのは幸いだ。

こういうヘリテージ家屋を目にすると、インドは本当に豊かな伝統に恵まれた、非常にリッチな国だなぁと感じる。

レイクビュー

朝食を食べようと出かけたのだが、どうやら入る店を間違えたらしい。「レイクビュー」という名前に惹かれて入ってみたのだが。

古いハヴェーリーの屋上にあり、眼下の湖やガートはもちろん、プシュカルを見渡せる位置にある。サヴィトリー・マーターの山もその向こうに見える。前日登ったときには近くに感じたが、こうして見るとけっこう距離がある。  

しばらくすると注文していないパンケーキが出てきた。よく見ると何やらフィリングが入っているので、どうやら私が頼んだ「アールー・パラーター」のつもりらしい。

こういう店では「サンドイッチ」「トースト」にしておいたほうが良かったらしい。

手を伸ばしてみたが、たぶんロクに調理をしたことのない男が「たしかウチの母はこんな感じでやっていた気がする」というおぼろげな記憶で手を動かしたのだろう。

超厚焼き、生焼け、なぜかターメリックを「これでもか!」とブチ込んでオレンジ色に近くなったジャガイモとタマネギのフィリング。ターメリックの臭いが鼻を刺激してくしゃみが出そうだ。

一等地にあるのに、食事どきにお客がひとりもいない食事処にはワケがある・・・らしい。

それでもここからの眺めは素晴らしい。ガートからの喧騒を耳にしながら、このひとときをしばし楽しみたく、チャーイのお代わりを注文する。

屋敷を転用したレストラン

プシュカルのような町の魅力は、昔ながらの家屋やハヴエリーがそのまま使われていることなのだが、こういう建物に置き換わっていくのは残念。こういうものが大半になって初めて、失われたものの大きさがわかるのだろうけれども、そうなった時にはすでに遅い。

入る店を間違えて洋食しかなかったのだが意外にも美味しかった。客席は屋上にあったが、階下はジョイントファミリーでの暮らしが当たり前であった頃にそうした親族がくらしていたと思われる空間。

印象的だったのは、こうした家につきものの建物内の広場、チョウクが非常に狭くて本来の用をなさなかったことと思われること。 それでもやはり風の通りと採光のため、頭上の吹き抜けはあって夜空が覗いている。その縦空間を囲むように傾斜の急な階段が階と階を繋いでいた。

そのような具合なので、親族で暮らすには上下往来が面倒になるものの、地上階を親族以外の者に貸し出すには都合が良かったかもしれない。

建物に面した道路への出口は肩幅よりも少し広い程度。大きな家具の搬入は無理だが、昔のインドでは出来合いの家具を買うのではなく、職人さんが顧客の家に来て道具を使ってトンカン作り上げるのが当たり前であったため、大した問題にはならなかったとも思われる。

古くて良い感じの建物があっても、よそ様の家にズカズカと踏み込むことはできないため、中の様子を知る術はないが、レストラン、商店、宿泊施設などに転用されていると、このように観察できる点はありがたい。