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投稿者: ogata

  • サンガムへ

    サンガムへ

    宿での朝食

    宿での朝食後にオートでサンガムへ向かう。

    ここにクンブメーラーの開催時にはボートの客引きがたくさんいるのだが、いずれも大変吹っかけてくるため、乗る気を失う。単に観光だけでなく散骨のために来て入る遺族たちもある。

    とにかく汚い河岸だが、ここでクンブメーラーの大きな祭礼が行われ、たくさんの行者たちと無数の信者たちが押し寄せるわけだ。

    ここにはムガルの巨大な城もある。アクバル・キラーだ。ムガル時代の城塞で、現在はインド軍駐屯地になっている。ちょうど廃藩置県の後の日本で、お城を警察や軍隊が使用したように、インドでもかつての王宮や城が軍施設となった例は多い。まとまった広さがあること、城壁内なので秘密とセキュリティーが守れること、そして権力の象徴を継承するという意義もあったことなど、その理由はだいたい同じだろう。

    アクバル・キラー

    ごく一部だけ、お寺が入居していて、参拝することができる。お寺と言っても建物らしい建物があるわけではなく、地下に掘った細くて狭い構内に数々の神々が鎮座しており、それぞれに専属のプージャーリーが付いている。みんなものすごい売り込みようで際限なく賽銭を巻き上げるシステム。

    城塞の中には、このお寺以外は特に見るべきものはない。大半が軍施設となっており、立ち入り禁止であるからだ。

  • アウラングゼーブの墓

    BJP、RSS(民族義勇団)、とともに「サング・パリワール」を構成するVHP(世界ヒンドゥー協会)及びBajrang Dal(ハヌマーンの軍隊)がアウランガーバード近くにあるクルダーバードのダルガーにあるムガルの第6代皇帝アウラングゼーブの墓を掘り起こして始末する、と運動を始めている。

    318年も前に亡くなった支配者の墓を暴いて何になるのかと思うかもしれないが、インドにおいてこのような運動は、過去のムスリム支配の歴史は侵略者からインドが受けた屈辱でありインドの歴史ではないとする考え方が背景にある。攻撃対象となる墓や礼拝施設そのものがどう問題かということ(具体的な理由付けはなされているが)よりも、これらは象徴的な存在であると言える。

    それにしても・・・である。

    アウラングゼーブの墓自体が貴重な歴史遺産でもあるし、この墓があるのはクルダーバードのスーフィー聖者のダルガーの中だ。生前のアウラングゼーブ自身が、崇拝していた聖者の墓所近くに葬られたいと望んだためだ。ダルガー自体がムスリムの資産の中にある墓なのに、そのダルガーに縁もゆかりとない他人たちがそれを壊せと主張するというのは・・・。

    そのダルガーとアウラングゼーブの墓のある場所はこのようなところだ。

    クルダーバード(indo.to)

    現在、このダルガーから半径5kmに入るには警察の検問を受けなくてはならず、スマホを含めた一切の荷物の持ち込みは禁じられたとのこと。

    今後どのような展開を見せるのか、大いに気になるところだ。

     

     

     

  • オートワーリーがいた

    オートワーリーがいた

    オートワーリー(女性オートリクシャー運転手)のマニーシャーさん

    朝も「オートワーリー(女性のオート運転手)」に出会ったが、出かけた先からプラヤーグラージ・ジャンクション駅に戻ると、また別のオートワーリー(女性オート運転手)がいた。

    尋ねてみると、オートワーリーはこの街では珍しいわけではなく、少なくとも50人はいるはずと言う。

    この女性、マニーシャーさんは5年前から運転手となり、週に7日、毎日12時間運転しているそうだ。なぜその5年前からかと言うと、ご主人が亡くなり、彼女自身が稼がなくてはならなくなったとのこと。

    家には6人の幼い子供たちがおり。女性の社会進出というよりも止むにやまれずという具合だが、他のオートワーリーたちも似たりよったりの背景らしい。

    事故その他のトラブルに気をつけてお過ごしください。

     

  • Old Monk The Legend

    Old Monk The Legend

    個人的にはインドのウイスキーはあまり感心しないのだが、安くてもイケるのはラム、やはりオールドモンクだよなぁといつも思う。通りかかった酒屋で見てみると、「Old Monk  The Legend」というのがあった。ハーフボトルなのにちゃんと箱に入っており、開封せずにオブジェとして保存したい気がする。なかなか芳醇で良い味わいであるのはいつも通り。

    qrf
    qrf
  • 鉄道駅での食事

    鉄道駅での食事

    宿がプラヤーグラージ・ジャンクション駅直結なので、汽笛とアナウンスを聞きながら、鉄道駅のカンティーンで食事。誰でも払える手頃な値段(80Rs)のため、安定した哲学的な味(つまりまったくおいしくない)。

    車内にも持ち込めるよう、パックしてある「駅弁」形式。その場で食べてしまうならば、こういうプラスチック類はもったいない。昔は普通のステンレスのターリー皿だったものだが。

    かつては国鉄自前のカンティーンで、そこに雇われた人たちが働くという形だったと思うけど、今はまるごと業者が請け負っている。それでもインドらしく、ヴェジにはヴェジ専用キッチン、その対面の側にノンヴェジ専用ノンヴェジキッチン。

    「駅弁」も決して一緒には並べず、ヴェジの「駅弁」はヴェジのスペース、ノンヴェジ「駅弁」はノンヴェジスペースで販売。私たちのものとは異なる「衛生観念」できっちり管理。このあたりはちゃんと細かいインドの人たちだ。

  • 食堂街

    食堂街

    チトラクートからプラヤーグラージに戻ってからの夕食、人気の店にはひと目見てわかるオーラがある。お客さんがたくさん居て売れまくってるから煙の量が近隣の店と全然違う。

    モスクの建物のグラウンドフロアー部分に食堂がいくつも入っている。

    お客はあまり入ってないのだが、界隈にはマールワーリー食堂というのがいくつかあった。マールワーリー=大商人のイメージがあるかもしれないが、大半は普通の庶民たち。

    いずれも「マールワーリー・ボージナーライ(マールワーリー食堂)」と書いてある店で、屋号「シヴ・シャンカル」と「シャンカル」が並んで火花を散らしているのか、それとも仲良くやっているのかは不明。

    このあたりは甘味類も充実。マラーイー専門の店もいくつかあり、これがたいへん美味しいのでハシゴするのも楽しい。

    マラーイー屋さん

    上のふたつ、いずれのマラーイーもすこぶる美味しかった。
    甘味や軽食もいろいろある。別腹にどうぞ。

    プラヤーグラージ駅の北側は宿は多く、食堂もヴェジ、ノンヴェジいずれもたくさんの店が並んでいて便利だ。また酒屋もあるので便利である。

    駅の北口側はとにかく宿と食堂が多い。

  • プラヤーグラージ駅前のホテル2泊目

    プラヤーグラージ駅前のホテル2泊目

    プラヤーグラージでの宿泊先は、なぜか鉄道敷地内(駅敷地へのエントランスの内側)にある。プラットフォームへの階段が真裏だし、建物の並びのスペースはすべて駅建物の張り出し部分や車寄せや駐車場。

    構内アナウンスや汽笛が手に取るように聞こえるし、食事後や寝る前にフラリと駅ホームに出て入構している車両、切り離されてどこかへ進んでいく機関車、乗降客や見送りの人々などを見物できるのも楽しい。

    あまり暇な駅だと退屈だが、ひっきりなしに出入りのあるプラヤーグラージくらいの駅であるのもありがたい。

    今どきのこうした駅の食堂では案外旨そうなテイクアウェイのターリーのパッケージも売られている。鉄道駅というのはワサワサした空間だが、そこで食事してチャーイを飲んだらほんの数分で快適な部屋に戻ることができるというのも良い。

    プラヤーグラージではちょっと良いホテルに泊まっているのだ。

  • 覆面優先特急列車

    覆面優先特急列車

    車窓からの眺め

    チトラクートからプラヤーグラージへの帰路は、チトラクート/カーンプル インターシティを利用。短距離の都市間往復の「インターシティ」には、ACチェアカー、AC無しのチェアカー、いずれも予約が必要な車両が主役のことが多いが、こちらは予約なしで最下等のジェネラルコーチのみの編成。それでも一応「Super Fast(優先特急)」のカテゴリーなので途中で他の列車の待ち合わせで停車したりしない。

    空調無し、予約無しの下等座席車両のみの編成だが、特急としての格だけはデカン・クイーンなどと同等。簡素な客車のみなのに、なみいる他の列車を駅の待避線で待たせてずんずん驀進していく、特急列車の中のジャイアン的な兄貴分。

    このようにスリーパー付きのエクスプレスを凌いで「Super Fast」の地位が与えられている「下剋上列車」があるのはインド国鉄の面白いところ。

    駅には近距離移動用の切符自動販売機があり、乗客が勝手に操作するのではなく、きちんと販売機操縦専門員が配置されており、お金の授受、目的地の入力など適切な作業がなされており、極めてスムースな客捌きがなされているのが印象的であった。

    この列車は、チトラクート始発でプラヤーグラージ経由にてカーンプルが終着駅。予約できるクラスの車両がないため、IRCTCのサイトを検索しても出てこない、いわば「覆面優先特急」である。(普通、インド各地の「インターシティ」に予約クラスはあるため、これは例外的存在)

    鉄道旅行の際には、ときにこのように便利な便もあるので、単に鉄道予約サイトを見るだけでなく、旧来からの時刻表(インド国鉄サイトからPDF閲覧可能)、あるいはウェブサイトやアプリのetrain.infoなどで、利用可能な列車をチェックする必要があることを改めて感じた。

  • チトラクート

    チトラクート

    チトラクートは想像以上に好感の持てる聖地だった。かなり広い範囲に謂れのある数々の場所が点在しており、オートをハイヤーして回った。西洋人のガイドブックなどでは、しばしば「ミニ・ヴァーラーナスィー」などとも表現されたりするが、ここはシヴァではなくラーマとゆかりの深い土地。

    それでもヴァーラーナスィーが「アーナンド・ヴァン(平安の森)」と呼ばれた頃はこんな感じだったのかもしれないと思うような、豊かな緑溢れる景色の中で、比較的澄んだ水の流れにガートがあり、人々が沐浴し、牛たちが草を食んでいる様が印象的だった。

    この日も蒸してクラクラした(訪問したのは7月下旬)が、そんな中で女神たちが眼前に降臨しているので、暑さで頭がおかしくなったかと思った。撮影のために来たとのことで、クルーの人たちに頼んで撮らせてもらった。でもこんな素敵な風景の中で現れたので、もしかしたら彼女たちは本当に女神たちだったのかもしれない。

    時間がないので日帰りしてしまったが、チトラクートを訪問される方があれば、ぜひ宿泊をお勧めしたい。駅から「聖地エリア」はかなり遠いため、ラームガートあたりに宿を取るのが無難かもしれない。

    サーワンの月らしい眺め。ワーラーナスィーでもそうだったが、サフラン色の装束のカンワーリヤーの人たちが無数にあふれるその存在感はまさにこの時期という気がする。近年は女性も増えているようだ。

     

  • 鉄道車内の検察

    鉄道車内の検察

    昔の鉄道の検札といえば、長い紙を折り畳んだ予約リストを手にした車掌のオジサンが、チケットと手元のリストにチェックを付けていくものだった。とりあえず乗車券のみで乗り込んで席を確保してもらうのにも時間がかかった。

    でも今はタブレットで処理するようになっていて、空席状況も一目瞭然。こうなったのはそんなに前のことではなかったはずだけど、インドではある時を境にガラリと変わるものだ。

    検察用タブレットを手にした車掌さん
  • インドで「外国語化」しつつあるウルドゥー語

    こんな記事があった。インドにおけるウルドゥー語メディアの勃興、興隆と衰退について書いてある。

    ウルドゥー語は、現在も中央政府においてはもちろんのこと、州レベルでもカシミールやUP等で公用語に指定されているとともに、そもそもムガルの治世下で発展したれっきとした「北インドの言葉」だ。「ヒンドゥスターニー語」とも呼ばれる。

    ヒンドゥスターンとは、もともと中央アジアやイラン方面からのインドに対する他称だが、もちろんインド人自身も自国のことをそう呼ぶ。(これに対するインドの自称は「バーラト」)

    そのヒンドゥスターンの言葉なのでヒンドゥスターニーなのだ。

    ヒンドゥスターニー語、つまりウルドゥー語について、ムスリムの言葉とかパキスタンの国語といった属性で語られるようになったのは印パ分離のあたりから。それまではヒンドゥスターン平原を中心とするインドで広く使われる言葉であった。

    現在これがヒンディーに取って代わられたと言っても、全く別の言葉に置き換わったわけではない。ヒンディー語という概念はウルドゥー語から派生したものであるからだ。19世紀半ば以降のいわゆる「ヒンドゥー・ルネッサンス」の流れの中に始まる。

    それまで英語に加えてペルシャ語が英国統治における行政言語となっていた(ムガルの公用語ペルシャ語を引き継いだため)が、これを「現地の言葉に置き換えよう」という政府の動きで、当然ウルドゥー語へ転換をと動く流れに抵抗して、書き文字のペルシャ文字ではなく、サンスクリットのデーウァナーガリーで、語彙もサンスクリット起源のものを増やす云々という具合に発展したのがヒンディー語。

    そんなわけで、「これまで英語で話していたのがスペイン語になった」「これまで日本語で話していたのが中国語になった」というようなものではない。基本的に同じ言語だが、書き文字が異なり、語彙の分布に差異がある。

    いずれにしても、たいへん馴染み深いものでありながらも、縁遠いものとなってしまったわけだが、この筆者(70代くらい?)が書いているように、「父の時代にはウルドゥー語だった」というのは、北インドのヒンドゥー教徒の年配者からよく聞く話だ。日常の語彙の変化もさることながら、文字が異なるがゆえ日常目にする看板や出版物等々、視覚的にも大きな変化だ。

    記事の筆者自身はジャイナ教徒だが、今ではヒンドゥーやジェインの人たちがウルドゥー語新聞を購読して、ウルドゥーのニュースチャンネルばかり見ているという図はちょっと想像できないか、今のようにウルドゥー語に「ムスリム」という属性が付いていなかった時代のことである。

    本来、言葉とは信仰と紐付けられるものではない。ウルドゥー語は地域や民族を超えたユニバーサル言語であったのだが、政治により「緑色」に染められて現在に至っている。

    Rise and decline of Urdu journalism (The Tribune)

  • ムガル帝国史はインドの歴史ではないのか?

    このニュースをインドのニュースチャンネルで見た。社会党のムスリムの州議会議員がアウラングゼーブについて個人的な見解を述べた結果、大変な騒ぎになっている。社会党所属の州議会議員、アブー・アーズミーは議員資格を停止され、各メディアから集中砲火を浴びるとともに、討論番組の議題にもなっている。

    単にヒンドゥー至上主義の台頭のみならず、マラーター民族主義という土壌と相まってのこともある。マラーターの英雄のひとり、シヴァージーの息子のサンバージーは、ムガル帝国との戦いに敗れて、アウラングゼーブの命令により拷問を受けた末に処刑されている。

    そうした歴史の中での経緯はそうと、近年のインドで「ずいぶん変わってしまった」と感じることがある。

    少なくとも今世紀に入る前までは、「ムガル朝はインド最後の王朝で、アウラングゼーブはその第6代目の支配者」ということに異論を唱える人はいなかった。歴代の皇帝の誰かを讃えたところで、まるで「パキスタン建国の父、ムハンマド・アリー・ジンナーを賞賛した」かのように、非難されることはなかった。

    「ムガルは英国の前に来た侵略者。ムガル朝はインドの恥辱」というのは、昔はごく一部の極端な思想を持つ人の「戯言」だったものだが、今ではそういう極端な思想が市民権を得てしまい、社会全般の「共通認識」になりつつあることだ。

    「嘘も百回言えば真実となる」とは、ナチス・ドイツの宣伝大臣、ヨーゼフ・ゲッベルスの言葉だが、嘘を長年繰り返していると、耳を傾ける人たち、賛同する人たちがどんどん増えてきて、大きなムーヴメントになり、嘘の内容が既成事実のように認識されてしまう。

    ご存知だろうか?第一次モーディー政権以降、インドの子供たちが学ぶ学校の歴史の教科書から「ムガル朝」に関する記述は削除されていることを。なぜなら「ムガル朝の歴史はインド自身の歴史ではなく、インドを蹂躙した侵略者の歴史である」ということになったからだ。華々しい経済発展とは裏腹に歴史をひっくり返す「革命」が進行中のインドだ。

    そうした歴史認識と今の時代のインドに暮らすムスリムコミュニティに対する意識もまたセットになっている。

    先の総選挙では国民会議派を中心とする世俗の野党連合が「よもや?」と思わせる巻き返しを果たした。トランプのアメリカにひけを取らないくらい偏向してしまったインド中央政界だが、今後は極端な思想ではない人たちの側への揺り戻しを期待したいものだ。

    SP MLA Abu Azmi suspended from Maharashtra Assembly for remarks praising Aurangzeb (THE HINDU)