インドで「外国語化」しつつあるウルドゥー語

こんな記事があった。インドにおけるウルドゥー語メディアの勃興、興隆と衰退について書いてある。

ウルドゥー語は、現在も中央政府においてはもちろんのこと、州レベルでもカシミールやUP等で公用語に指定されているとともに、そもそもムガルの治世下で発展したれっきとした「北インドの言葉」だ。「ヒンドゥスターニー語」とも呼ばれる。

ヒンドゥスターンとは、もともと中央アジアやイラン方面からのインドに対する他称だが、もちろんインド人自身も自国のことをそう呼ぶ。(これに対するインドの自称は「バーラト」)

そのヒンドゥスターンの言葉なのでヒンドゥスターニーなのだ。

ヒンドゥスターニー語、つまりウルドゥー語について、ムスリムの言葉とかパキスタンの国語といった属性で語られるようになったのは印パ分離のあたりから。それまではヒンドゥスターン平原を中心とするインドで広く使われる言葉であった。

現在これがヒンディーに取って代わられたと言っても、全く別の言葉に置き換わったわけではない。ヒンディー語という概念はウルドゥー語から派生したものであるからだ。19世紀半ば以降のいわゆる「ヒンドゥー・ルネッサンス」の流れの中に始まる。

それまで英語に加えてペルシャ語が英国統治における行政言語となっていた(ムガルの公用語ペルシャ語を引き継いだため)が、これを「現地の言葉に置き換えよう」という政府の動きで、当然ウルドゥー語へ転換をと動く流れに抵抗して、書き文字のペルシャ文字ではなく、サンスクリットのデーウァナーガリーで、語彙もサンスクリット起源のものを増やす云々という具合に発展したのがヒンディー語。

そんなわけで、「これまで英語で話していたのがスペイン語になった」「これまで日本語で話していたのが中国語になった」というようなものではない。基本的に同じ言語だが、書き文字が異なり、語彙の分布に差異がある。

いずれにしても、たいへん馴染み深いものでありながらも、縁遠いものとなってしまったわけだが、この筆者(70代くらい?)が書いているように、「父の時代にはウルドゥー語だった」というのは、北インドのヒンドゥー教徒の年配者からよく聞く話だ。日常の語彙の変化もさることながら、文字が異なるがゆえ日常目にする看板や出版物等々、視覚的にも大きな変化だ。

記事の筆者自身はジャイナ教徒だが、今ではヒンドゥーやジェインの人たちがウルドゥー語新聞を購読して、ウルドゥーのニュースチャンネルばかり見ているという図はちょっと想像できないか、今のようにウルドゥー語に「ムスリム」という属性が付いていなかった時代のことである。

本来、言葉とは信仰と紐付けられるものではない。ウルドゥー語は地域や民族を超えたユニバーサル言語であったのだが、政治により「緑色」に染められて現在に至っている。

Rise and decline of Urdu journalism (The Tribune)

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