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投稿者: ogata

  • Namaste Bollywood #30

    Namaste Bollywood #30

    Namaste Bollywod #30

    Namaste Bollywood #30 (Oct-Nov)が発行された。早いもので創刊5周年を迎えることになる。今号もボリウッドに関する様々な話題が満載。

    じきに公開されるDon2, Ra.oneといったシャー・ルク・カーン主演の期待作、来月11日に69歳となるBig Bのハリウッド出演の話題、そして今後日本で劇場公開あるいは映画祭で上映されるボリウッド映画タイトル等の記事が並ぶ。ファンならばぜひ押さえておきたい情報だ。

    そうした中で、もちろん小さな囲み記事にも興味そそられるものが多い。たとえば『ドバイ漫遊記』にて、UAEの商都ドバイはインド的空間(南アジア系の人々が多く、当然ながらボリウッド関係のモノも多数)が広がっている街であるかということが窺えて、私もいつかぜひ訪問してみたいと思っていた。ちょうどコールカーター出身の友人が赴任しているので、彼の滞在中に出向いてみようかな・・・と、カレンダーをめくってみたりする。

    ところで、Namaste Bollywoodから、このたび新たに刊行物が発刊されている。テーマはボリウッド映画ではないのだが、とても中身の濃いものだ。これについては後日取り上げてみることにする。

  • たかがトーピー、されどトーピー

    たかがトーピー、されどトーピー

    イマーム・シャーヒー・サイード(左)と声を交わすナレーンドラ・モーディー(中)

    先日、『アーグラーで爆発』の記事の後半部分で、爆発とはまったく無関係だが、グジャラート州首相のナレーンドラ・モーディーの誕生日に開かれた集会について触れた。その場には従来の取り巻き、関係者や支持者たち以外にも、ムスリムその他の様々なコミュニティを代表する面々も集まっており、ステージで彼に挨拶をする様子がテレビで流れていた。

    その中のひとりの聖職者イマーム・シャーヒー・サイードがモーディーにムスリムのトーピー(帽子、キャップ)を提供しようとして、彼に拒絶されるひとコマがメディアに取り上げられて波紋を呼んでいる。聖職者が右のポケットからトーピーを取り出すと、モーディーが慌てた様子で何か言い訳をしながら、これを拒む様子が繰り返し映し出されていた。トーピーを拒絶した直後、聖職者が差し出したショールのほうは受けている。その模様は以下の動画サイトで閲覧することができる。

    Narendra Modi refuses to wear Muslim skullcap during his fast (News24の映像  Youtube)

    ヒンドゥーであっても、政治スタンスが宗教的にニュートラルで、ムスリムの大きな票田を持つ政党の指導者たちは、ムスリム宗教界その他の要人たちと会見する際、親愛の情を込めてトーピーを提供されると、受けた側もそれに応えて被ってみせて親近感を演出するものだ。サマージワーディー・パーティーのムラーヤム・スィン・ヤーダヴ党首、ジャナタ・ダルのニティーシュ・クマール等々が、そうした格好で写っている写真をメディアでよく目にする。

    中央政界進出に意欲を見せており、具体的には近い将来インドの首相になることを視野に入れているとされるモーディーは、自信の61歳の誕生日の誕生日を機に、友愛と融和をテーマにした集会とそれに続き足かけ三日間の断食を実施し、2002年の暴動の際に裏で糸を引いていたと見る人たちもまだまだ多い、彼の負の側面を払拭して、ムスリムその他様々な宗教関係者たちも同席する中、セキュラーなイメージを演出しようとしていた。

    だが、モーディーのそうした動きについて、彼の信条の変化(?)を疑う向きの多いマスコミ関係者たちが、トーピーを拒絶する姿を見逃すはずはなかった。メンツを潰されたイマーム・シャーヒー・サイードからのコメントもすぐさまオンエアーされ、BJPと対立するコングレス陣営からは『減量のための断食だったね』といった揶揄も含めて、厳しい批判の声が上がった。

    たかがトーピー・・・と片付けてしまうのは簡単だが、受け容れたショールは誰もがまとうもの(いかにもイスラミックな柄であったが)であるのに対して、あのトーピーはそれ自体がイスラーム教徒を象徴するアイテムである。モーディー自身にとっては、彼をこれまで支えてきた、そして今後も支えて行くことであろうサフラン色のヒンドゥー極右勢力の反感を買うわけにはいかず、計算づくの行為であったはずだ。こうした場で、トーピーを提供する者が出てくるであろうことも充分予測していたことだろう。

    また、彼にトーピーを差し出してみて、それを被ってみても、あるいはこれを拒絶しても、それぞれ異なる立場の人々から批判の声が上がることは必至であるため、敢えてこれを一種の『踏絵』として仕込む陰謀が画策されていたのかもしれない、などと穿った見方もできるかもしれない。

    他の宗教関係者たちと合わせて、ムスリムの様々な代表者たちが集合している中、彼らの祝福や好意を受け入れて過去の確執や反感を水に流す(流してもらう?)姿勢を見せて、これまでの支持者たち以外からの歓心を買おうと試みると同時に、決して彼らに同調するわけではないというスタンスを従来からの確固たる支持層に対してアピールしてみせたことになる。

    現政権がそのまま任期を全うすれば、次回の中央政権の総選挙が実施されることになる2014年までまだ3年ほどある。現在野党として雌伏しているBJPが政権を再び奪取すると仮定すれば、まさに飛ぶ鳥を落とそうかという勢いがあり、地方政治で有能なステーツマンとしての実績とカリスマ性もあるモーディーという看板は魅力的で、現時点では近未来の首相の最有力に位置していることは間違いない。

    モーディーはともかく、1998年から2004年まで中央政権の座にあったBJP自体も、政権始動期に懸念されていたほど極端な方向にはあまり振れることなく、彼らを危惧する声とは裏腹に、意外なまでに穏当な『中道右派』といった様相で政権を運営していた。これはBJPを支えてきた、いわゆるサング・パリワール内での不興を買うことにもなったのだが。

    今後も機会あるごとに、モーディーはこれまで身に滲みついてきたサフラン色を薄めていこうと試みることだろう。そして2014年あるいは今の連立政権が中途で崩壊するようなことがあれば、それよりも早い時期に『第14代インド首相ナレーンドラ・モーディー』が誕生する日が来るかもしれない。だが彼にとって、ムスリムの人々の前で得意げに彼らのトーピーを被ってみせるのは、自身がインドの首相になることよりも難しいように思われる。

    サフラン色の中に緑色(ムスリム)を取り込んでいくのは容易ではない。グジャラートの2002年の大暴動での痛手の記憶はまだまだ風化しておらず、BJPはもとよりモーディーという人物に対する後者の警戒心を解くにはまだ至らないだろう。また前者サフラン勢力の中では後者へのリップサービスに対する反感もある。

    モーディー自身は、このふたつの色を混ぜ合わせて、どんな絵を描いていくことを意図しているのだろうか。極右のイメージと2002年の大暴動への関与に対する疑惑を除けば、金銭面では清廉で有能な為政者であることは、すでに州政治において実証済みだ。経済面での行政手腕については、大いに魅力的で将来性が非常に高い人物であるだけに、その腹の底で何を企図しているのか不安にもなるのは、ムスリムだけではなく、従前から彼を支持してきた層も同様だろう。

    インドの近未来を左右するであろう人物のひとりであるだけに、今後とも彼の動きから目が離せない。

  • 地震後、スィッキムはどうなっているのか?

    今朝になってからスィッキムの知人の息子から連絡があり、無事であることがわかった。

    しかし、停電しており、固定電話、携帯電話ともにほとんど使えなくなっているとのこと。情報が限られていて、歩いて回れる範囲以外の地域がどうなっているかもわからないとのことだ。知人の息子は空軍に勤務しており、ビーカーネールの基地に配置されているのだが、ちょうど休暇か何かで親元に戻っていたところらしい。とりあえず少し安心した。

    メディアによれば、現在インド国内では昨夕の地震により死亡が確認された数は50名前後となっているようだが、震源地のスィッキム州自体が山岳地帯で、斜面に建設された細い道路で繋がれていること、これらの中で地震による崖崩れで不通となっているところは少なくないことを考え合わせれば、被害の全容がわかるまで時間がかかることは想像に難くない。同様に、山岳地であるがゆえ、救助作業等も難航することだろう。雨季には多雨で知られる地域でもあり、現地では断続的に降雨が続いていることも伝えられている。

    平地の内陸部であれば、周囲の四方から救助活動を展開することが可能だが、北は中国占領下のチベット、東はブータン、西はネパールといった外国に囲まれ、南は西ベンガル州とインド北東州をかろうじて陸路で接続している細い回廊地帯という非常に不利な条件下にある。先述の山岳地帯であり、季節柄仕方ないが天候が悪いということと合わせれば、如何に難しい状況にあるかということは明らかだ。

    中国占領下のチベットに向かって突き出す形で位置するスィッキムは、中国に対する軍事面での要衝である。加えてスィッキムのインドへの帰属を中国が認めていないといった事情もあることから、外国人の入域には形式的なパーミットが不可欠となっている。そのパーミットにより許可される訪問可能なエリアにも制限がある。また一度スィッキムを出てしまうと、再度パーミットを取得するまで3カ月経過しなくてはならない。そうした背景からもわかるとおり軍の施設も多い。内政面では特に問題はないので、安全かつ快適に過ごすことができるのだが。

    今回の地震で、本来ならば災害時には救助活動が期待できる軍への被害もかなり出ているようで、他州に駐屯している部隊等による活動が始まっているようだ。

    メディアによる今後の続報が大いに気になる。

  • 震源地スィッキム M6.8の地震

    ニュース番組आज तक (Aaj Tak)を見ていたら、突然地震の知らせが入ってきたので書いている次第である。地震の発生は午後6時11分、マグニチュード6.8、震源地はスィッキム州都ガントークからおよそ64kmのネパール国境地帯、震源の深さは約10kmと伝えられている。

    ビハール、西ベンガル、アッサムといった周辺州はもちろんのこと、チャッティースガル、U.P.、デリー、ラージャスターン東部でも揺れが観測されるなど、かなり広範囲に及んでいる。現時点ではアッサムの一部で建物にひびが入った程度の被害が伝えられているものの、負傷者等の情報はない。

    コールカーター、パトナーその他で、リポーターによる街の人々にインタヴューの様子がオンエアーされており、突然の揺れでとても驚いたことを各々が語っているが、彼らの話の内容からしても、このあたりではそう大きな被害が出るようなものではなかったことと思う。

    だが肝心の震源地域、スィッキムとネパール東端に及ぶ震源地周辺については、今のところ何の知らせも入っていないようだ。山間の地域ということもあり、どういう状況になっているのか懸念されるところだ。

    スィッキムへの電話が通じなくなっている(回線が停止しているのか、安否確認等の電話が殺到してパンクしているのかは不明)しているとのことだが、いくつかの大きな建物にもたらされた被害についての知らせも、おそらく非公式なルートから入ってきているようだ。州都ガントーク在住のベンガル人知人がいるので、気になって電話してみたが、携帯もランドラインも案の定通じなかった。目下、彼の無事を祈るしかない。

    今後、地震の続報に留意したい。

  • アーグラーで爆発

    9月7日に起きたデリー高等裁判所での爆弾テロの記憶も新しい中、昨日9月17日夕方にアーグラーのジャイ・ホスピタルのレセプション付近で爆発が起き、15名が負傷、うち3名が重体と伝えられている。

    現在までのところ犯行声明等は出ていない。また爆発物や犯行手段が特定されていないためテロと断定されてはいないものの、状況に鑑みて事故ではなく事件としての捜査が続いている。

    Agra blast: City had specific intelligence alert (Rediff.com)

    元々、地域の社会構成等から『センシティヴなエリア』でもあり、20日ほど前から治安当局が警戒していたということではあるが、テロに関わる可能性がある小さなグループが点在しており、そこに出入りする者たちが爆発物を製造していた可能性がある・・・等の噂ともつかない情報と合わせて錯綜している。

    爆発の規模は小さく、混雑したバーザールで起きたわけでもないため、被害の規模は決して大きなものではなかったが、こうした事件が起きるごとに「また彼らが・・・」「たぶんあの人たちが・・・」といった具合に、決して事件には関係のない特定のコミュニティに対する不信感、猜疑心は深まっていくことは否定できない。

    日本の主要メディアでも報じられたアンナー・ハザーレーの汚職運動と合わせて、国民会議派を中心とする連立政権にとって不利な状況が続いている。ローク・サバー選挙で2度の敗北、サング・パリワール内での不協和音、BJP党内でのパワーゲーム等の関係もあり、しばらく雌伏を余儀なくされているサフラン勢力が、力を盛り返しつつある様子もうかがえる。こうした中で、ひとつひとつの出来事の積み重ねが近い将来の政局に与える影響は決して小さくないだろう。

    同じ9月17日に、グジャラート州首相のナレーンドラ・モーディーは61歳の誕生日を迎えている。彼の就任前、2001年1月にカッチ地方を襲った大地震からの復興、グジャラートの高い経済成長等、彼の行政手腕は高い評価を得て再選され在任2期目にある。

    彼は、極右的なスタンスの政治家の中で最も人気の高い人物のひとりである。彼の州首相就任後間もない2002年にアヨーディヤーからサバルマティ・エクスプレスで帰還途中のヒンドゥー右翼活動家たちが大勢乗り合わせていた車両が州内のゴードラー駅に停止していたとき、地元のガーンチーと呼ばれるコミュニティのムスリムたちが襲撃し、車両に火を放ったことに端を発したグジャラートの大暴動を抑えることができなかったばかりか、これを陰で大いに煽っていたと信じている人々は今も多い。

    この暴動の際、地元選出の元国会議員でムスリムのエヘサーン・ジャフリーも命を落としている。グジャラート州の国民会議派組織の重鎮であった人物であるのにもかかわらず、本人の度々の要請にもかかわらず警察が動かず、自宅に押し寄せた暴徒に殺害されることとなった。

    余談になるが、ゴードラー駅での列車襲撃事件の際、乗り合わせたほとんどの人たちが亡くなったのは、国鉄の客車車両前後のドア以外からは出入りすることのできない構造が原因であったため、その後はノンACクラス、ACクラスともに車両真ん中の窓からは緊急時に脱出できる造りに改められることとなった。

    グジャラートの大暴動から10年近い歳月が経過し、昨日彼の61歳の誕生日に合わせて開かれた政治集会では、インドのニュース番組でも取り上げられていた。同州の複数のムスリムコミュニテイの代表たちも招待され、ステージでナレーンドラ・モーディーの誕生日を祝福するシーンもあり、彼らとの融和を演出する試みがなされていた。 加えて、彼は昨日から『人々の友愛と融和のため』と称して3日間の断食を実行中である。

    グジャラート州での行政手腕の実績を背景に、上げ潮の勢いのナレーンドラ・モーディーは、イメージチェンジを図るとともに、国政への進出に意欲を見せており、グジャラート州外でも将来のインド首相として期待する層も多い。このところ相次ぐテロと合わせて、何か不安なものを感じずにはいられない9月17日であった。

  • ジャイサルメールの宿 2

    ジャイサルメールの宿 2

    ジャイサルメールに到着前から宿泊先を決めてあったので、駅には出迎えに来てくれていた。Hotel Tokyo Palaceという昨年11月に開業したホテルだ。経営者は日本在住のインド人の方で、現場で指揮を取っているのはその弟さんである。

    着いてみると、想像していたよりもずいぶん立派な建物であった。黄砂岩が多く取れるこの地域、城砦はもちろんのこと、市内の建物もこれをふんだんに用いたものが多く、風景に統一感があるのだが、このホテルもまた同様にこの石材を建物の内外にあしらっている。

    Hotel Tokyo Palace

    壁には手の込んだ彫刻も施されており味わいがある。客室の出窓部分には休憩用のマットと枕もしつらえてあり、小柄な人ならばそこで寝ることもできるくらいだ。室内のスペースが充分取ってあり、ゆったりと快適。中も外も城砦のイメージとマッチしており、ジャイサルメールらしいムードを醸し出している。

    バスルームの内装も頑張っている。水周り関係、例えば水道栓等はずいぶんグレードの高いものを使っている。部屋の内装だけではなくロビーといった共用部分についても先述の黄砂岩と彫刻が施されており、現在ではプールも完成しているなど、客室の料金帯を越えた投資がなされていることがうかがえる。他の多くのホテルでもそうであるように、広々とした屋上では大きな日除けの下で食事ができるようになっているが、ここから見上げる城砦の眺めも素晴らしい。

    ロビー周囲ではWIFIを利用できる。ソファその他腰掛けるスペースがいくつかあるため、自然と宿泊客たちが集まっておしゃべりが始まる良い環境だ。細かい事ではあるが、チェックアウト時間が午前11時という常識的な時間帯であることもありがたい。ジャイサルメールの他のホテルでは、何故か午前9時というずいぶん早い時刻に設定されているところが多いのだ。周囲は小さな家屋が建ち並ぶ住宅地。エリアはヘリテージなロケーションではないものの、ここから城砦の入口へは充分徒歩圏内である。

    オーナーの方は日本在住のインド人。そして日本人女性の方がウェブサイト構築、宿泊問い合わせメールへの応対等を手伝っているなど、この街の他のホテルが持ち合わせない感覚が窺える。エコノミーな料金帯を越えたスタイリッシュさとご当地感覚をうまく掛け合わせて、居心地の良い空間を創り出しており、今後ジャイサルメールで、日本人を含めた外国人たちの間でとりわけ人気の宿となることと予想している。

    秋から初春にかけてのシーズンに、夕方遅く予約無しでここを訪れて満室で断られたとしても、隣に同じようなクラスでこれまた新しいホテルがある。あるいは、すぐ近くに規模の小さな宿が開業準備中であったため、そのあたりで何とかなるだろう。ジャイサルメールの城砦からこれまで特に何もなかったと思われるこの一角は、新たな旅行者ゾーンになるのかもしれない。近隣の他の新しいホテルとも上手に共存共栄していくことを願いたい。

    切に願いたいのは、それまでは他の同クラスの宿泊施設と比較して優れていた点が、年月の経過とともに色褪せていき、結局は他の多くの同業者と変わらなくなってしまう『標準化現象』が発生しないことである。この『標準化現象』のリンク先を参照願いたいが、料金帯に応じた宿泊客のモラルの問題もあるため、経営側にとっては要注意だ。

    Good Valueで人気な宿であり続けることには、日々相当の努力と自己管理が必要だが、当然の習慣となっていれば、それに対する見返りも大きいことは言うまでもない。そうした宿泊施設では、他のホテルが閑散としているオフシーズンでもコンスタントに宿泊客たちが滞在している。今後ますますの発展を期待したい。

    <完>

  • ジャイサルメールの宿 1

    午前8時過ぎに列車はポカランの駅で停車。軍の大きな駐屯地があるので、外の道路では軍関係車両の行き来が多い。近郊では1974年と1998年に核実験が行われたことでも広く知られている。平坦な荒野が広がる土地だが、線路はここからスイッチバックしてジャイサルメールへと向かう。

    これまで最後尾であった車両に牽引する機関車が連結されることになるため、他の列車の通過待ちがあるわけではないのに停車時間は長い。おかげで貨物車を除けば、旅客列車は日に数えるほどしかない駅ながらも、ごく限られた時間ながらもこうした急行列車が停車する時間帯ではプラットフォームの売店では乗客たちが殺到し、店の人は大わらわである。

    ポカランを発ってから2時間半ほどで、終着駅のジャイサルメールに到着。出口のところでは市内各地のホテルからの出迎えやその他客引きたちが大勢待ち構えている。ジャイサルメールで宿泊施設を運営するのは決して楽なことではないだろう。観光客の占める割合が非常に多いため季節性が高い。加えて閑散期でインド有数の高温地帯となる暑季には訪問する人は極端に減る。夏の西ラージャスターンはどこも非常に暑いが、近郊の砂漠を除けば他のメジャーなスポットから距離があるというロケーションにも、容易ならざるものがある。そのためシーズンに集中して稼いでおく必要がある。

    その観光客にしてみたところで、多くは無数の一見の客たちである。他の産業に乏しいため観光への依存度が極端に高く、ライバルたちが多数乱立して競争の激しい中、四方に手を尽くして集客を図るしかない。そんなわけで鉄道駅やバススタンドに到着するお客たちを文字通り『一本釣り』せざるを得ない。ある意味狩猟採集生活に似ているかもしれない。事前に電話で予約してきたお客については鉄道駅ないしはバススタンドまで出向いてピックアップするのが当然のノルマになっている。その分、ジャイサルメールの多くのホテルでは、朝のチェックアウト時間はたいてい朝9時とずいぶん早い時間帯に設定されており、宿泊客にとって早朝に街を出発するのでない場合ちょっと辛いものがある。

    幸いにして人気のあるガイドブックに掲載されていたり、大都市の旅行代理店との提携関係があったりするようなところならば、かなりまとまった利用客が見込むことができるため、あちこち徘徊することなく、デンと構えてお客の到着を待つ『農耕生活』的なスタイルに移行できるのだが。

    それとてお客たちからのクレームが掲載ガイドブックの発行元や取扱い旅行代理店に相次ぐようになれば、掲載や斡旋が取り消されてしまうことにもなるので、宿泊客たちには良い印象を与え続けられるよう、接客はもちろんのこと客室や施設のメンテナンスやアップグレードにも心がけなくてはならない。ごく当たり前のことではあるのだが、これがなかなか難しいようだ。『新築のときには良かったけれども、数年したらボロボロ』『流行りだしたら横柄かつぞんざいになった』等々により、メジャープレーヤーの立場から転落していく例は数限りない。

    全国でチェーン展開していてノウハウの蓄積もあり、マネジメントもしっかりしている中級以上のホテルグループならともかく、個人営業の宿泊施設の場合はオーナーや現場の人たちに自己管理力とスタッフに対する規律と動機付けがなければ、宿泊施設としての質の向上はもちろん、開業当時のコンディションの維持さえ決して容易なことではない。もちろんインドに限ったことではないが、往々にして『オープンしたてがベスト』ということになってしまう傾向があることは否定できない。

    <続く>

  • スリランカフェスティバル2011

    スリランカフェスティバル2011

    チャンナウプリ舞踊団

    先日掲載した他のイベントよりも前の時期に開催されるのだが、それらと同じ東京都渋谷区の代々木公園にて、9月10日(土)と11日(日)にスリランカフェスティバルが開催される。

    テーマとなる国が違うこと、それに伴い出店の種類やステージでの演目が違うことを除けば、どの催し物も基本的に同じではあるものの、ちょうど秋の気候の良い時期でもあり、近くに出かけたついでに立ち寄ってみるのも良し、会場で丸一日のんびり過ごしてみるのも良しといったところだろうか。

    だがスリランカフェスティバルの目玉といえば、毎年このイベントのために来日しているチャンナウプリ舞踊団だろう。伝統的な舞踊からモダンにアレンジしたダンスまで幅広い演目がある。

    以前、会場で舞台衣装をまとう前の女性メンバーたちが歩いている姿を見たが、何かスリランカが得意とするスポーツのアスリートたちかと思った。ただ歩いていても、一般の人たちとはどこか違う、強靭でしなやかな豹のような感じのする集団であったからだ。華麗なステージを演じるためには入念な稽古が果てしなく繰り返されるのはもちろんのこと、強靭な肉体あってこそ人々を魅了する動きができるのであろうことがうかがえる。

    ぜひ、チャンナウプリ舞踊団の演目の時間帯に合わせて足を運んでみてはいかがだろうか。

  • ナマステ・インディア2011

    秋の恒例行事、ナマステ・インディアが、東京渋谷区の代々木公園およびたばこと塩の博物館で9月24日(土)と25日(日)に開催される。

    ミティラー博物館の招聘によるワールリー画、ICCR派遣のバンブーアートとテラコッタ製作のアーティストたちによる実演とワークショップ、音楽や舞踊等のステージ、インド文化等に関する講演、インド関連の出店等で賑わう。

    秋晴れが続く時期となるのか、それとも季節の変わり目で雨続きとなるのかは年によって違うが、その頃には夏の暑い盛りの記憶はもはや過去の話となっていることだろう。

    家族や友人知人等と誘い合わせて、のんびりと秋の休日を過ごしてみてはいかがだろう。

     

  • ネパールフェスティバル2011

    9月17日(土)と18日(日)に東京都渋谷区の代々木公園けやき並木でネパールフェスティバル2011が開催される。時間は両日とも10時から20時まで。

    同公園では同じ日程でベトナムフェスティバル2011も開かれることになっている。こちらは代々木公園イベント広場が会場となる。互いに隣り合わせたエリアでふたつの催しが行われるため、当日は賑やかな人出となりそうだ。

    同公園では翌週の9月24日(土)と25日(日)にナマステ・インディア2011が予定されているので、こちらもチェックしておきたい。

     

  • ラージ・タークレー ヒンディーで答える2

    さて、ラージ・タークレーはシヴ・セーナーから飛び出した後も、バール・タークレーに対する敬慕の念を表明しており、自分こそが彼の思想の正当な後継者であると主張していることからも明らかであるように、MNSの政党としてのスタンスはシヴ・セーナーと根本的には大差ないし、支持層の厚い地域もムンバイー市内及び沿岸部という点で共通している。

    違いといえば、党としての規模が小さいことと、それなりに歴史のある『本家』シヴ・セーナーに比べて、幹部や支持者は若年層が多いこと、そして地域主義に加えて『サフラン色』のイメージが濃いシヴ・セーナーに比べるとかなり宗教色が薄いことだ。地元のマラーティーを母語にするムスリムコミュニティの一部からの支持も取り付けていることは特筆すべきだろう。今のところは、マハーラーシュトラ州外に影響力を及ぼすという野心は希薄であるようだ。ゆえに地元『マラーティー主義』に全力を注ぐことができるという強みはある。

    昔は風刺漫画家としても知られていた叔父のバール・タークレー同様、ラージ・タークレー本人も画才には自信があるようで、MNSのウェブサイトで彼の作品を閲覧することができる。

    話は冒頭に戻る。昨日取り上げてみたラージ・タークレーのインタヴューである。

    मोदी के गढ़ में हिंदी भाषी बने राज ठाकरे (AAJTAK)

    彼は、メディアの取材にはたいていマラーティーのみで応じることで知られているだが、8月上旬にグジャラート訪問の際にヒンディーによるかなり長いインタヴューに答えた模様がニュースで流れていた。

    「ラージ・タークレーがヒンディーによる取材に応じています」とリポーターが喋り、彼は最初少々はにかみながらテレビカメラの前に姿を現す。

    彼は、ヒンディーという言葉に対する敵愾心はない。マラーティーを母語とする地元ではマラーティーを使うべきだ。私はグジャラートに来ているが、グジャラーティーは出来ないのでヒンディーを使うことにしているetc.といった具合に、ヒンディーで応じている理由に触れた後、州都ムンバイーを初めとするマハーラーシュトラ各地に労働者たちを送り込んでいる北部州に対する批判を展開している。

    リポーターが「ムンバイーの経済を支えているのは北部の労働者たちではないですか?」と水を向けると『彼らが大挙してやってくるのは、彼らの州に仕事がないからだ。州の経済がまるでなっていないからだ』と応じ、彼らの流入が地元の雇用に悪影響を与えているという従来からの主張に繋がっていく。

    インタヴューの中で、ラージ・タークレーが『ヒンディーは美しい言葉だ』と持ち上げたことを除けば、MNSの従来からの主義主張に照らして目新しいものは特になかったが、それでも『ヒンディーでインタヴューに応じた』こと自体が、地元のマハーラーシュトラではちょっとした波紋を投げかけることになったようだ。 先述のリンク先の放送局以外のメディアに対しても同様にヒンディーで質疑に応じている。

    その結果、ライヴァル関係にあるシヴ・セーナーには『我が党が真のマラーティー主義擁護者である』というアピールをさせる機会を作ってしまった。ラージ・タークレーがヒンディーでメディアのインタヴューに応じたのは、決してこれが初めてではないのだが、比較的最近、州政府の要職に就いた人物が就任式にてヒンディーで宣誓を行なったことに対する激しい批判を行なったこともあり、ちょっとタイミングが悪かったのかもしれない。

    ともあれ、彼がメディアに対して『ヒンディーで答える』こと自体が一種のサプライズであり、他方ではスキャンダルにもなり得るというのが彼の立場である。

    彼自身にとっては、こうした形で必要に応じて、マラーティーを理解しない他州の大衆に対してヒンディーによるMNSの主張を発信していくことは、長期的には決して損なことではないだろう。

    マハーラーシュトラの暴れん坊、ラージ・タークレーは、中央政界に強いインパクトを与えることができるような人物ではないし、地元マハーラーシュトラにおいても今後檜舞台に躍り出る政治家であるとも思えないのだが、これまで同様に決して無視することのできない一定の影響力を行使していくはずだ。たとえ本家シヴ・セーナーと決別しても、根強い支持層を持つマラーティー主義を掲げた極右政党の親分である。

    こうした空気の中、昨年1月に『ムンバイー タクシー業界仰天』と題して取り上げてみたように、デモクラティック・フロント(コングレスおよび1999年にコングレスから枝分かれしたナショナリスト・コングレス)政権下のマハーラーシュトラで、タクシーの営業許可に対する条件として『マハーラーシュトラに15年以上居住』『マラーティーの会話と読み書き』などという、シヴ・セーナー/MNSばりのマラーティー優遇策を打ち出したりするようなことが起きる。

    Maharashtra Govt. makes Marathi mandatory to get taxi permits (NEWSTRACK india)

    現在のマハーラーシュトラ州政界は、コングレス+ナショナリスト・コングレスとこれに対抗するシヴ・セーナー+BJPの対立軸で展開しているため、中道の政権にあってもちょっと右寄りのポーズを取る場合もあるのは仕方ない。

    マハーラーシュトラ州政治のメインストリームの中で、本家シヴ・セーナーに対するMNSの居場所はないのかといえば、そうともいえない。上記の二大勢力の次に左翼とダリット勢力があるが、MNSは単独でそれに次ぐ位置にあるからだ。今後の風向き次第では、上位ふたつのどちらかと協調することも考えられる。

    グローバル化が進展していく中でそれに対する地域民族主義が今後どうやってこれに抗っていくのか、どのように折り合いを付けていくのかという点から、とても興味深いものを感じている。

    今後も事あるごとに注目していきたい政治家の一人である。

    <完>

  • ラージ・タークレー ヒンディーで答える1

    ラージ・タークレー ヒンディーで答える1

    デリーのラームリーラー・マイダーンにおいて、社会活動家アンナー・ハザーレーの断食が11日目に入っている。ジャンロークパール法案をめぐる一連の動きが予断を許さない状況になっている中、インド政治がらみながらもこれとは全く関係の無い事柄について触れるのはいささか気が引けるのだが、こちらも個人的にとても気になる人物である。

    ナレーンドラ・モーディーの招きでグジャラート訪問した際のラージ・タークレー

    今月初めのことであったが、マハーラーシュトラ州のMNS (マハーラーシュトラ・ナウニルマーン・セーナー)の党首、ラージ・タークレーがグジャラート州首相のナレーンドラ・モーディーの招きにより9日間グジャラート州を訪れた際、メディアの取材に応じているが、その中でヒンディーによるインタヴューが放送されたこと自体が話題になっていた。

    मोदी के गढ़ में हिंदी भाषी बने राज ठाकरे (AAJTAK)

    元々、彼は極端な地元のマラーティー主義と、州外からやってきて就労する人たち、とりわけ北インドのヒンディー・ベルト地帯から来た人たちに対する排斥を主張し、暴力的な示威行動等も辞さない政党、シヴ・セーナーの幹部で、党創設者であるバール・タークレーの甥であり、バール・タークレーの息子で現在は党を率いているウッダヴ・タークレーのいとこである。シヴ・セーナーの中核にあった人物だ。

    しかしバール・タークレーの高齢化とそれに伴う健康不安から、指導部の世代交代が行なわれる中での党内のお家騒動の中で、一時期州与党にあった時期にマハーラーシュトラ州首相まで務めたことがある大物ナーラーヤン・ラーネーが党を追われて国民会議派に加わるというサプライズな出来事があったが、その年末にはウッダヴ・タークレーとほぼ同格の立場にあったラージ・タークレー自身が同党と袂を分かつという大きな出来事があった。

    翌年3月にラージ・タークレーは、シヴ・セーナー時代の取り巻きを引き連れて現在のMNSを結党している。党がシヴ・セーナーとその分家に当たるMNSに分かれたことにより、相対的にシヴ・セーナーの社会的影響力が減じることに繋がったようだ。

    2003年7月下旬にムンバイー市内で起きた市バスの爆破テロに抗議して実施したムンバイー・バンドの際にはちょうどムンバイーに居合わせて、彼らの実行力(強制力)の凄まじさに驚かされたものだ。その模様については以下をご参照願いたい。

    MUMBAI BANDH !! 大都会ムンバイーがフリーズした日 1

    MUMBAI BANDH !! 大都会ムンバイーがフリーズした日 2

    MUMBAI BANDH !! 大都会ムンバイーがフリーズした日 3

    だがその3年後、2006年7月にムンバイーでシヴ・セーナーが再度試みたバンドは失敗に終わったのは、党が割れたことによる弱体化の表れだろう。その後彼らの地元であるインド最大の商都で、こうした規模のバンドは実行されていない。

    ただし地域主義とともに反共産主義(地元ムンバイーの財界の支援を受けて、60年代後半から70年代にかけて共産党勢力と激しく対立し、共産党傘下の労働運動の影響力を弱体化させた経緯がある)を掲げて1966年に発足したシヴ・セーナーは、時代が下るとともに、マハーラーシュトラ州という地域を越えて大衆にアピールできるヒンドゥー至上主義に傾向してきた経緯がある。

    シヴ・セーナーのシンボルマーク 咆哮するトラ

    中央政界やいくつかの他州の議会にも議席を持ち、国内各地に咆哮するトラのシンボルマークを掲げた支部が存在する。国外においても、彼らの支部というわけではないが、1999年にネパール・シヴ・セーナーという友党が発足している。

    そんなことから、ときに彼らの地元のマハーラーシュトラ州の外で徹底したバンドを決行することもある。2006年7月下旬にはウッタラーカンドの州都デヘラドゥーンでもシヴ・セーナーによる『ラージダーニー・バンド』が決行された。

    事の良し悪しはさておき、デヘラドゥーンの街の規模はムンバイーとは比較にならないほど小さいとはいえ、彼らのホームグラウンドから遠く離れたところにありながらも、見事な(・・・という言葉は適切ではないものの、パーフェクトなバンドであった)統率力で州都の機能を丸一日停止させていた。この日もたまたまその場に居合わせたため、『達人たちのバンド1』及び『達人たちのバンド2』と題した記事をアップしたことがある。

    <続く>