たかがトーピー、されどトーピー

イマーム・シャーヒー・サイード(左)と声を交わすナレーンドラ・モーディー(中)

先日、『アーグラーで爆発』の記事の後半部分で、爆発とはまったく無関係だが、グジャラート州首相のナレーンドラ・モーディーの誕生日に開かれた集会について触れた。その場には従来の取り巻き、関係者や支持者たち以外にも、ムスリムその他の様々なコミュニティを代表する面々も集まっており、ステージで彼に挨拶をする様子がテレビで流れていた。

その中のひとりの聖職者イマーム・シャーヒー・サイードがモーディーにムスリムのトーピー(帽子、キャップ)を提供しようとして、彼に拒絶されるひとコマがメディアに取り上げられて波紋を呼んでいる。聖職者が右のポケットからトーピーを取り出すと、モーディーが慌てた様子で何か言い訳をしながら、これを拒む様子が繰り返し映し出されていた。トーピーを拒絶した直後、聖職者が差し出したショールのほうは受けている。その模様は以下の動画サイトで閲覧することができる。

Narendra Modi refuses to wear Muslim skullcap during his fast (News24の映像  Youtube)

ヒンドゥーであっても、政治スタンスが宗教的にニュートラルで、ムスリムの大きな票田を持つ政党の指導者たちは、ムスリム宗教界その他の要人たちと会見する際、親愛の情を込めてトーピーを提供されると、受けた側もそれに応えて被ってみせて親近感を演出するものだ。サマージワーディー・パーティーのムラーヤム・スィン・ヤーダヴ党首、ジャナタ・ダルのニティーシュ・クマール等々が、そうした格好で写っている写真をメディアでよく目にする。

中央政界進出に意欲を見せており、具体的には近い将来インドの首相になることを視野に入れているとされるモーディーは、自信の61歳の誕生日の誕生日を機に、友愛と融和をテーマにした集会とそれに続き足かけ三日間の断食を実施し、2002年の暴動の際に裏で糸を引いていたと見る人たちもまだまだ多い、彼の負の側面を払拭して、ムスリムその他様々な宗教関係者たちも同席する中、セキュラーなイメージを演出しようとしていた。

だが、モーディーのそうした動きについて、彼の信条の変化(?)を疑う向きの多いマスコミ関係者たちが、トーピーを拒絶する姿を見逃すはずはなかった。メンツを潰されたイマーム・シャーヒー・サイードからのコメントもすぐさまオンエアーされ、BJPと対立するコングレス陣営からは『減量のための断食だったね』といった揶揄も含めて、厳しい批判の声が上がった。

たかがトーピー・・・と片付けてしまうのは簡単だが、受け容れたショールは誰もがまとうもの(いかにもイスラミックな柄であったが)であるのに対して、あのトーピーはそれ自体がイスラーム教徒を象徴するアイテムである。モーディー自身にとっては、彼をこれまで支えてきた、そして今後も支えて行くことであろうサフラン色のヒンドゥー極右勢力の反感を買うわけにはいかず、計算づくの行為であったはずだ。こうした場で、トーピーを提供する者が出てくるであろうことも充分予測していたことだろう。

また、彼にトーピーを差し出してみて、それを被ってみても、あるいはこれを拒絶しても、それぞれ異なる立場の人々から批判の声が上がることは必至であるため、敢えてこれを一種の『踏絵』として仕込む陰謀が画策されていたのかもしれない、などと穿った見方もできるかもしれない。

他の宗教関係者たちと合わせて、ムスリムの様々な代表者たちが集合している中、彼らの祝福や好意を受け入れて過去の確執や反感を水に流す(流してもらう?)姿勢を見せて、これまでの支持者たち以外からの歓心を買おうと試みると同時に、決して彼らに同調するわけではないというスタンスを従来からの確固たる支持層に対してアピールしてみせたことになる。

現政権がそのまま任期を全うすれば、次回の中央政権の総選挙が実施されることになる2014年までまだ3年ほどある。現在野党として雌伏しているBJPが政権を再び奪取すると仮定すれば、まさに飛ぶ鳥を落とそうかという勢いがあり、地方政治で有能なステーツマンとしての実績とカリスマ性もあるモーディーという看板は魅力的で、現時点では近未来の首相の最有力に位置していることは間違いない。

モーディーはともかく、1998年から2004年まで中央政権の座にあったBJP自体も、政権始動期に懸念されていたほど極端な方向にはあまり振れることなく、彼らを危惧する声とは裏腹に、意外なまでに穏当な『中道右派』といった様相で政権を運営していた。これはBJPを支えてきた、いわゆるサング・パリワール内での不興を買うことにもなったのだが。

今後も機会あるごとに、モーディーはこれまで身に滲みついてきたサフラン色を薄めていこうと試みることだろう。そして2014年あるいは今の連立政権が中途で崩壊するようなことがあれば、それよりも早い時期に『第14代インド首相ナレーンドラ・モーディー』が誕生する日が来るかもしれない。だが彼にとって、ムスリムの人々の前で得意げに彼らのトーピーを被ってみせるのは、自身がインドの首相になることよりも難しいように思われる。

サフラン色の中に緑色(ムスリム)を取り込んでいくのは容易ではない。グジャラートの2002年の大暴動での痛手の記憶はまだまだ風化しておらず、BJPはもとよりモーディーという人物に対する後者の警戒心を解くにはまだ至らないだろう。また前者サフラン勢力の中では後者へのリップサービスに対する反感もある。

モーディー自身は、このふたつの色を混ぜ合わせて、どんな絵を描いていくことを意図しているのだろうか。極右のイメージと2002年の大暴動への関与に対する疑惑を除けば、金銭面では清廉で有能な為政者であることは、すでに州政治において実証済みだ。経済面での行政手腕については、大いに魅力的で将来性が非常に高い人物であるだけに、その腹の底で何を企図しているのか不安にもなるのは、ムスリムだけではなく、従前から彼を支持してきた層も同様だろう。

インドの近未来を左右するであろう人物のひとりであるだけに、今後とも彼の動きから目が離せない。

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