彼方のインド 4

ピンウールィンの駅舎の前にある線路を超えた先には鉄道車庫や貨物用の引き込み線などがあった。そのあたりは鉄道関係者の住宅地域でもある。
町から見て線路向こうのほうにイギリス人墓地があるとのことだが、それらしきものは見当たらない。通りがかりのインド系とおぼしき男性にイギリス人墓地について尋ねてみる。北東へ走る線路の向こう側に見える大きな教会の脇にあるとのこと。
そこは今でも現地のクリスチャンが亡くなれば埋葬されている場所とのことで、今では特にイギリス人墓地ということではないらしい。もちろん現在もピンウールィンに数多く暮らすアングロ・インディアン、アングロ・バーミーズの人々が亡くなるとそこに葬られるようだ。
墓地入口
自転車で出かけてみると10分くらいで着いた。カルカッタのパークストリート墓地のような立派なものではなく、無数の十字架が並んでいた。ただしよく見てみると墓標のあるものもあり、1877年に豪州で生まれた人のものもある。この人は海外領出身のイギリス人とであるとみて間違いないだろう。独立後もここに残ったらしく、1963年に亡くなったことが記されている。
古い墓標で今でもちゃんと読めるものは数少ない
その後、昨日同様にクリスチャン墓地に行く。場所はかなり広いが、あまり大きな墓標はない。ひどく崩れてしまっていたり、文字が読めなくなってしまっているのも多い。
しかしここは英領としての歴史さほど長くなかったこと、植民地としての格もインド本土の主要な都市と較べて高くないため、英国人墓地といっても、植民地史上あまり著名な人物は埋葬されていないものと想像できる。
墓地のあまりに荒涼とした様子が不憫であった。
寂寞とした墓地敷地内

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です


上の計算式の答えを入力してください