マオイストたちの裏インド 1

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 先日、ZEE NEWSで、ビハール、ウッタル・プラデーシュ、ウッタラーンチャル、オリッサ、アーンドラ・プラデーシュ、ジャールカンドの六州で活発になりつつあるマオイストたちの活動に関する特集が組まれていた。また西部でもパキスタンと国境を接するラージャスターンでもその気配があり、彼らに対する「外国から」の資金援助の可能性をも示唆していた。


 マオイストといっても単一の活動組織があるわけではなく、複数の極左過激派グループを総称するものだ。1967年に西ベンガル州のナクサルバリで起きた農民蜂起が、インドにおける毛沢東主義極左勢力(この地の名前を取りナクサライトとして知られる)の思想的ルーツだ。
 テレビではマオイストたちは、貧困や生活苦の問題がある場所があれば、寄生虫のようにたかって勢力を伸長させているなどと非難し、流血と社会の分断を生じさせる彼らの活動を強く糾弾していたが、やはり「造反有理」という面だってある。暴力を肯定するわけではないが、そういう勢力に共感を抱く人々と社会のそれ以外の部分では大きな乖離があるからだ。
 決して暴力を肯定するつもりはないが、一方的に彼らを批判しても仕方ない。社会の中にはびこるどうしようもない貧困と不公平が解消しないかぎり解決しないからである。
 ITや経済成長で注目を浴びるインドの西部地域を「表インド」とすれば、こうしたマオイストたちの暗躍がささやかれる主に東部地域は「裏インド」とでも言えようか。
 今年夏に起きたグルガオンのホンダ工場の労働争議に共産党が深く関与したことに見られるように、人々の食い扶持にかかわる摩擦に政治が介入しがちな風土もある。農民や住民の自治活動が外部の政治組織に利用されたり、乗っ取られたりすることもよくある。
 だがそもそも労働運動というものは、生産手段を持たず、個々では何の力も持たない人々が縦横に団結して数の力を得ることによって可能となるのである。だからこそグルガオンの争議について日本の全労連からも「連帯」を表明するメッセージが発せられているのだ。
 左翼政党とは労働者たちの利害を代表するために存在しているのであるから、争議が紛糾した場合に関与に乗り出したり頼ったりというのは至極まっとうなことなのかもしれないし、それが可能であるということはまっとうな民主国家の証であるともいえよう。
 だがこうした活動の常として、根本的には同じものを希求していながら、路線や実践方法の違いが分裂や対立を生むことが往々にしてある。日本の労働運動の主流となるのは連合だが、支持政党などの関係もありこれにすべての労働組合が集約されるわけではない。インドにいたっては、労働運動の主要なナショナルセンターがいくつもあり、中には右翼政党支持のものまであり、まさに多様性の国といった観がある。
<続く>

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