シェーカーワティー地方へ 6〈ファテープルのHAVELI NADINE LE PRINCE〉

マンダーワーからバスで30分少々進んだところに、ファテープルという小さな町がある。この町のバススタンドに着いたところで、早速シェーカーワティー式の見事な塔がしつらえられた井戸がある。

ここでの目的地はNADINE LE PRINCE HAVELI。「NADINE LE PRINCE」という、奇妙な名前が付けられているのには理由がある。

1840年に建てられたこの屋敷の主はDevraという名前の一族であった。綿花以外にオピウムの取り引き(往時はごく当たり前の商品作物。インド産のオピウムは東南アジアや中国などに大量に輸出された)で財を為したファミリーで、1950年代までここに暮らしていたものの、その後は時間の経過とともに荒れるに任せる状態であったらしい。

1998年にシェーカーワティー地方を訪れたフランス人女性、画家でもあるNadine氏は、この地域のハヴェーリーに魅せられ、一念発起してこの屋敷を購入し、自身の名前でもってHAVELI NADINE LE PRINCEと命名することとなった。

中庭を中心としたパティオ的な構造の家屋は、地中海沿岸からイランやアフガンを経てインドにまで至る広大なエリアに広がった建築文化・生活様式と言えるが、ここシェーカーワティーのハヴェリーの特徴は、色鮮やかなフレスコ画が家の内外を埋め尽くしているところにある。

購入後は、地元の職人たちを雇って地道に修復を続けて現在に至っている。私も同時期の1998年に初めてシェーカーワティー地方を旅行して、この地域特有の建築文化にいたく感激するとともに、打ち捨てられたような状況の屋敷群を目にして、何かできないものか?と思ったりしたものだが、その後特に何か行動したわけではなく、ブログに「こういう素晴らしいところがあるが、現状はとても残念・・・」とつぶやいただけだ。ハヴェーリーのひとつを買い取り、総力上げて家族とともに実行に移したNadineさんの行動力に敬服せずにはいられない。

ハヴェーリーを買い取る財力があったとしても、縁もツテもない土地で文化財の修復を手掛けるのは容易なことではないが、同氏は地域の有力者を協力者に得て、これに関わる基金を設立したうえで、ハヴェーリーの復旧と啓蒙活動を進めているとともに、自身の創作活動の拠点をこの地に定めて精力的に活動している。写真家である息子さんも、このファテープルに腰を据えて頑張っていることから、家族ぐるみのサポートを得てのことであることが窺える。首都圏から比較的近いエリアであるとはいえ、外国人の個人による文化財保護活動としては、かなり稀有な例であると言えるだろう。

屋敷を案内してくれたのは、インターンシップでファテープルに滞在しているフランス人の大学院生の女性。専攻はインドとまったく関係ないのだが屋敷について習ったことを丁寧に説明してくれた。

正面の大きなゲートは、通常は閉められており、大きなドアの中にしつらえられた小さな扉から出入りしていたという。そういう形にしたのはセキュリティ面での配慮、そして屋敷に入る人が狭くて低いドアをくぐることにより、屋敷の主に頭を下げる形になることを企図したものでもあるのだとか。

扉左側下の小さなドアが通用門。どうしても頭を下げてくぐることになる。
入口天井の装飾

入ってすぐのところにある中庭、そして夏のつまり北向きの壁側の居間、その反対には派手な装飾が施された商売の客人のための応接間となっている。これにはそれだけ資産があることを相手に示すためのものであったとのこと。

その中庭のさらに奥には入口から一度折れて進んだところにもうひとつの中庭があり、そこは女性たちが日常を過ごす場所であったとのことだ。パルダーの伝統のためである。入口から一度折れることになっているのは、中を直視できないようにするためだそうだ。

ハヴェーリーのカラフルなフレスコ画を書く職人たちに大きく分けてふたとおりあるとのこと。ムスリムの職人は幾何学模様と花模様だけを描写し、ヒンドゥーの職人たちは人物や動物といった偶像的なものを描いていく。また工程には鶏卵を使う場面もあり、それについてはすべてムスリム職人が取り行うとのことだ。こうした分業は、シェーカーワティー地方のハヴェーリーに限らず、ラージャスターン州各地の藩王国の王宮においても同様であったことは言うまでもなく、ムスリムとヒンドゥーの職人たちが相互補完する働きをすることにより、幾多の大作を完成させてきたわけで、決して対立すべき関係ではなかったことの証でもある。

しかしながら、ふと思ったりもするのだが、こうしたハヴェーリーでムスリムが建てたものは目にした記憶がない。人物や動物を描かずに幾何学模様と花模様だけのものがあっても良さそうに思われるし、この地域で成功したムスリム商人も少なからずあったことと想像されるが、こうしたハヴェーリーを建築することはなかったようだ。

こういうハヴェーリーを借りたり、買い取ったりする例はあるそうだが、ムスリムの富裕層がこういうタイプのものを建てたという例はないらしい。こうしたハヴェーリーを築いた人々の大半が、ヒンドゥー教徒たちの中でもマールワーリー商人たちという限定されたコミュニティーの人々であったということもあり、それぞれのコミュニティー内での文化の相違ということもあるし、ましてや生活文化や習慣で大きな隔たりがあるムスリムの人々の間で、同様の嗜好が見られなかったということがあるとすれば、やはり信仰の違いというものは、相当大きな文化的な障壁であるということが感じられたりもする。

敷地の一部はギャラリーになっており、Nadineさんの絵、息子さんの写真以外にシェーカーワティー地方を題材にしたインド人アーティストの作品などが展示されている。そのギャラリーのあたりは、かつてキャラバンサライとなっていて、牛やラクダなどが繋がれていたとのことだ。今ではすっかりこうした屋敷群が地域の貴重な文化財という認識が広がっていることは喜ばしい。

オーナーの絵画や息子さんの写真が展示されているギャラリー

このHAVELI NADINE LE PRINCEでは、ゲストルームも用意されており、事前に予約すれば、宿泊することが可能だ。

ゲストルーム内はこんな具合

このハヴェーリーに触発されてのことか、近隣にもいくつかキレイに修復して公開しているハヴェーリーがあるのだが、あまりにモダン過ぎる仕上がりになっていたり、フレスコ画の細部がかなりデフォルメされたように感じられるものであったりして、あまり自然な感じではないものも目に付く。文化財の修復活動にも善し悪しがあることは言うまでもない。

パッと見た感じはキレイだが不自然な仕上がり

バススタンド方向に戻る際、鉄の変わった意匠の鉄で出来た欄干を持つ屋敷があった。こちらは公開されているわけではなく、庶民の集合住宅として供されている。

こうした屋敷が立地しているところはたいてい地域の中心やそれに近いところにあり、街区はきっちりと整理されていて道路も広く取ってある。往時、ハヴェーリーを建設させた人々は、ただの成金というわけではなく、生活文化についても先進的な感覚を持っていたのだろう。

〈続く〉

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