イラクのインド人

サッダーム・フセインがイラクの大統領であったころで、イラク軍がクウェートに侵攻した、いわゆる「湾岸危機」が発生する前、つまりずいぶん昔のことになるが、イラクを訪れたことがある。

ヨルダンのアンマンからイラクのバグダードまで直行するバスがあり、これを利用したのだが、友好関係にあった両国とはいえ、かたや預言者ムハンマドの血筋に当たるロイヤルファミリーのハーシム家を擁する前者と、自国の王家を倒して政権を奪取した汎アラブ主義を標榜するバアス党のイラクとでは、表向きの友好的な姿勢とは裏腹に、非常に根深い不信感が渦巻いていたであろうことは、ヨルダン側のチェックポストからイラク側のチェックポストまでの間に、約50kmに及ぶ異常なまでに広大な緩衝地帯があったことから容易に想像がつくようでもあった。

ヨルダンからイラクに入ると、それまであちこちに見られた温和そうな紳士といった風情の当時のフセイン国王の肖像画から野心的な風貌のサッダーム・フセイン大統領の肖像画に変わることで、「イラクに来た」という感じがしたものの、景色にはさほど大きな違いはないように見受けられた。それでも非産油国である前者と石油による莫大な収入がある後者とでは、道路の整備具合はもちろんのこと、市街地に入ると家屋の規模が大きく、商業地域ではビルの規模も大きく、電動のエスカレーター付きの歩道橋などもあったりすることに、国力の差を感じたりもした。

ヨルダンでも酒を飲むことができる場所は多かったが、イラクではその酒類が非常に安価で、首都バグダード市内にいくつもある繁華街では、当時バックパッカーであった私が懐の心配をすることなく、旅先で出会った他の旅行者たちと、そうした店で気持ち良く酔うことができた。

もともとイラクは宗教色が薄く、世俗的な国であった。社会主義的な政策を進めるイラクのバアス党を率いていたサッダーム・フセインも公式の場に出るときや街中に掲げられたポスターなどではたいていスーツ姿であったことは、アラビアの伝統的な衣装をまとった湾岸諸国の王族たちの姿とは対照的だった。バアス党の治世下にあっては、宗教や民族をベースにした分離主義的な活動は厳しく弾圧されるとともに、イスラーム原理主義者やそうした中に含まれる過激派にも活動の場はなかった。

そんな具合であったので、サッダーム・フセインがアラビアの民族衣装で現れたり、国旗にアラビア語で「アッラー・アクバル」という文字が入ったりしたのは、1990年8月にイラク軍がクウェートに侵攻したことに始まる湾岸危機をきっかけに始まった湾岸戦争以降のことだ。

それはともかく、現在のイラクのように市民生活に対して宗教が強い干渉力を持つ社会ではなかったため、洋装の女性が普通に行き来しており、社会進出も特に盛んであったようだ。また男性社会では飲酒もポピュラーであったようで、先述のとおり酒が安価にふんだんに供給されており、繁華街では酔っ払いたちが路上で寝込んでいたりするのは、夏の時期の週末の東京と同じであった。

当時、イラクに入国した外国人は指定された病院にて、一定期間のうちに血液検査を受けなければならないことになっていた。エイズの蔓延に警鐘が鳴らされ始めた時期であったため、インドでも半年以上の査証で入国する外国人たちについては、そのような措置があったことを記憶している。おそらく他にもそのような国は多くあったことだろう。

イラク政府による指定病院のひとつ、名前は忘れたがバグダード市内の大きくて近代的な医療施設を訪れて血液検査を受けたのだが、対応した看護婦も医師もインド人であった。彼らの話によると、技師として働いているインド人も相当数あるとのことだった。

その後、湾岸戦争開戦となるにあたり、イラク政府は在住外国人たちを重要施設に連行・監禁するなどして、「人間の盾」として扱うことになったのだが、その時期のインドのメディアはこうした形で出国・帰国できなくなったインド人たちのことを伝える記事を流していた。

湾岸戦争後、経済制裁下の停滞を経てイラク戦争により、サッダーム・フセイン政権の崩壊を経た後のイラクは各国による利権の分捕りあいと新たな経済秩序の形成の場になったわけだが、再び途上国からの出稼ぎの人たちに稼ぎの場を供給する場所にもなっている。治安機構の崩壊した戦後のイラクでインド人、ネパール人等のトラック運転手が街道上で誘拐されたり、殺害されたりというニュースをしばしば見るようになった。

それからもう何年も経過したが、現在も内戦に近い状態が続き、スンニー派の武装過激派組織「イラク・シリア・イスラム国(ISIS)」の実効支配地域の拡大が伝えられている中、インド人労働者たちに対する大規模な誘拐事件が発生して、世間の耳目を集めるようになっている。

政治的にも経済的にも、まぎれもない大国となっているインドだが、こうして外国での就労に活路を求めなくてはならない人々が多いことは今も変わらない。しかしながら、こうしたマンパワーの宝庫であるということも、インドの強みのひとつでもある。

One of the 40 Indians kidnapped in Iraq escapes, 16 others moved out (THE TIMES OF INDIA)

40 Indian Construction Workers Kidnapped in Iraq (abc NEWS)

 

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