再会ならず

初めてヤンゴンの街を訪れたのは、1988年2月のことであった。

当時は入国するにあたり、空港で100米ドルの強制両替があった。実勢と大きくかけ離れた馬鹿らしくなるようなレートによる現地通貨チャットと等価ということになっていた外貨兌換券(FEC)への換金である。

当時、この国では家電製品や贅沢な品々は、闇ルートで細々と入ってくるものが主であった。ダウンタウンのスーレー・パゴダのすぐ北には、国営の外貨デパートがあった。そこでは外貨を持つ人のみが買い物をすることができた。

そんな具合であったので、ブラック・マーケットで米ドルを地元通貨チャットに替えるよりも、空港の免税店で購入したブランドものの洋酒やタバコを持ち込んで、声をかけてくる商売人たちに売り渡すと割が良かった。私も、バンコクの空港で買ったジョニー・ウォーカーとカートン入りのタバコでチャットを手に入れた記憶がある。

そんな具合ではあったものの、この街で出会った人々の印象はすこぶる良かった。市内のレストラン等で食事をしていると、隣り合わせてしばらく話をした相手がいつの間にか私の分まで払ってくれていたりすることが何度もあった。

また、当時同年代であった若者たちと街で知り合い、彼らの家々を訪問させてもらったり、ごちそうになったり、市内を案内してもらったりと、とても楽しく過ごさせてもらった。その頃、みんな地元の大学の学生たちであった。

その半年後、1988年8月8日に始まった民主化運動が高揚していった末に待ち構えていたクーデターとそれに続く強権による弾圧が伝えられていた中、あの人たちはどうしているのだろうか、と非常に気にかかったものだ。

中にはタイに逃れた者もあったし、日本に来てそのまま今まで住み続けている人もある。当時の状況下で、しばらくの間は大学そのものが閉鎖されていたため、そのまま学業を放棄したという人は少なくなかったようだ。その中のひとりで、ずいぶん長く東京に暮らしている人と、しばらく前に久々に再会することができた。当時の彼の仲間のうち、一人は病気で亡くなり、もう一人はタイに亡命中に死亡したという話を聞き、とてもショックであった。

だが、近々ヤンゴンを訪れるのだと言うと、今も同じエリアに住んでいる仲間、F君がいるので会ってみたら?と、住所を教えてくれた。F君とは、1988年にこの街を訪問した際に知り合った当時の大学生たちの中のひとりである。親切でにこやかな好青年の顔が脳裏に蘇ってきた。

そのヤンゴンに来たので、ぜひとも再会してみようと、当時の写真を手にして彼の家に向かうことにした。平日は忙しいだろうからと思い、日曜の昼過ぎにそのストリートに行ってみた。

当時の風景についての記憶はあまりないが、たぶんその頃からあまり変わっていないのではないかと思う。河沿いのダウンタウンの整然とした造りの街並みにマッチした古くからある集合住宅が立ち並んでいる。

「このあたりだろうか?」と見当を付けて、年配男性に声をかけてみた。なんともうまい具合に、彼はF君の兄だという。それにしては年齢が高すぎる気がしたが、ムスリムなので大家族であるとすれば、親子といっていいほど年が離れた兄弟がしてもおかしくはない。

だがその兄だという人の反応がどうも妙な具合だった。私が見せたF君の写真をまじまじと眺めて、「そう、私の弟だ。ずいぶん昔の写真だね・・・」と言ったきり、口を閉ざしてしまった。そうこうしているうちに、物見高く、しかし親切な人たちが集まってきて、その写真の中にある数人の中から、現在東京に住んでいるS君の姿を見つけた人が、その兄を連れてきてくれた。

「おぉ、君のことは東京に住んでいる弟から聞いているよ。ウチに寄らないかい?ところで誰を探しているのかな?」

写真の中のF君を指すと、少々困惑したような表情を見せて「この人については知らないなあ。会ったこともない」と言う。写真の中のS君、F君その他は非常に仲の良い友人たちで、足繁く行き来していたはずだが、S君自身がずいぶん長く国を離れているため、もう忘れてしまったのかと思ったら、どうやらそうではないらしいことが、その後知ることとなった。

S君に書いてもらった簡単な地図には、F君の家のある建物の一階が帽子屋と書かれており、それらしき店を見つけた。三階がF君の家とは聞いていたものの、確かめもしないでいきなり訪問するのも気が引けるし、まったく見当違いの家であったらなお困るので、この店で尋ねてみることにした。店内の姉妹らしき女性たちはおそらく私と同年代、つまりS君とも同じくらいの年ごろだろう。

写真を見せると、彼女たちは懐かしそうな面持ちでそれを眺めている。

「ああ、ずいぶん昔の写真ねえ。みんなこの辺りに住んでいたわよ。引っ越してしまった人たちもいるけど・・・」

この人は昔からこの通りに住んでいるらしい。

「F君は今もここに居ますか?」と尋ねると、「彼の家族は住んでいるけれども・・・」と言葉を濁す。「彼はどこか別の街で働いているんですか?」と再び質問すると、今度は返事がなかったが、姉妹の年かさのほうの女性は、ちょっと思い切った様子で口を開いた。

「彼はお尋ね者になっているの、窃盗を繰り返してね。家族の人たちとの縁も切れているのよ」

何ということだ。どういう事情があったのか知らないが、この通りではF君は誰もが触れたがらない人物になってしまっているらしいことがわかった。道理で、F君自身の兄だと自称する人物の反応、そしてS君の兄の困った表情も合点がいく。

余所者が根掘り葉掘り聞きだすわけにはいかないし、F君について質問された相手が迷惑していることも判ったので、ここで切り上げて退散することにした。残念ながらF君との再会はならなかった。

人それぞれに、様々な人生があるものだ。

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