Daughter of the Eastを悼む

Benazir Bhutto
なんということだ。ついに起きてしまった。多くの人々が恐れていたことが。
過激派による警告を受け、10月18日の帰国前から身辺の危険に関する懸念を口にしていた。まさにそのとおりに帰国当日のカラーチーでのパレードで、この国でこれまでに起きた中でも最大規模のテロが発生し、ブットー自身は難を逃れたものの140人もが亡くなる大惨事となった。その際当局が供するセキュリティの不備等について、批判の声が上がっていた。このたび、まさに同様の事件が今度はラーワルピンディーでの遊説後に再発し、来年1月に予定される選挙の趨勢を握る重要人物が永遠に帰らぬ人となってしまった。


1989年に出版された自伝(その後、現在に至る新しい記述を加えた版も発売された)のタイトルにちなんで、『Daughter of the East』または『पूर्व की बेटी』のニックネームでも広く知られてきたベーナズィール・ブットー。1988年から1990年、1993年から1996年と、パーキスターンの首相を二度務めた。イスラーム世界において、最も若くして(当事35歳)首相に就任した人物であり、記念すべき初の女性首相任であった。加えておそらく任期中に子供を出産した初めての女性首相でもあろう。夫であるアースィフ・アリー・ザルダーリーとの間に一人の息子と二人の娘がいる。
元首相のズルフィカール・アリー・ブットーの娘にして、かつて父が率いていたPakitan Peoples Partyの党首となった彼女は、米ハーヴァード大学で政治学士、英オックスフォード大学でPPE修士を修めた才媛でもあっただけではなく、アジア女性として初めて同大学の雄弁会の長を務めた。
リベラル勢力を代表する政治家としての精力的な活動、堂々とした力強い演説ぶりとともに、類稀な美貌もまた人々の印象に深く残るものであった。1989年には、ピープル誌の『世界で最も美しい50人』に選ばれたが、この中に政治家が混じることはあまりないことだろう。
私にとって、パーキスターンの街角で売り子が広げて売るポスターの中で、きらびやかな映画スターたちの姿とともにベーナズィールの華やかな容姿が並んでいたこと、インターネットの時代になってからもパソコン画面を飾るスターたちの壁紙をダウンロードできるサイトがあるのとまったく同じ具合に彼女の写真が『Wallpaper』となって公開されていることなども印象的であった。カリスマ的な政治家でありながらも同時にアイドル的な人気も持ち合わせる稀有な存在だった。
首相在任時の汚職疑惑、今年10月まで8年もの事実上の亡命生活を経てもなお、政治家としての輝きが失せることはなく、2008年1月に予定されている総選挙の重要な役割を担うキーパーソンであった。パーキスターン政治民主化のカギを握る存在であり、欧米諸国その他国外からも大きな期待を集めていた。
リベラル派の旗手といえる人物あったが、同時に男性社会、ましてやその極みともいえる政界で、海千山千の親分たちを向こうに回して闘うベーナズィール。兄弟二人を政治がらみのトラブルで失い(ベーナズィール自身の関与が疑われていたが、真相は藪の中)ながらも、政治の舞台で闘い続けることについて決して勇気が潰えることのなかった彼女だ。しかし『女傑』というにはあまりにも優雅で貴婦人然とした様子に、人並み外れた能力に裏打ちされた深い自信と器の大きさを感じずにはいられない。
この人ほどの家系、行動力、キャリア、知性、カリスマ性、美貌その他の非常に高い素質を持ってすれば、たとえどんな分野に進んでいても、かならずや一流の存在になることができたはず。亡命後もその後の進路について、いろいろな選択肢があったことだろう。でも本人が選んだのはパーキスターン政界への復帰であった。
政治家としてのベーナズィールの経歴や実績はともかく、むしろそういう道を選んだ一人の女性として、日々何を考えて生きていたのか、もっと人間的な側面に関心を覚える。遺体はスィンド州サッカルへと空輸され、故郷のラールカーナーに埋葬される。現在UAEに居住している夫のザルダーリー氏と子供たちも葬儀のため急遽パーキスターン入りした。この人たちにとって、ベーナズィールは妻であり母親であり、この世の中で最もかけがえのない人であった。
今回の事件を受けて、国内各地で暴力が頻発し、治安面での不安が高まっている。幾多の紆余曲折を経て迷走してきたパーキスターン情勢だが、ムシャッラフ大統領が軍籍を離れ、非常事態宣言も解除されるなど、1月に予定されている選挙に向けて準備がなんとか軌道に乗ってきたように見えていたが、やはりそのまま大過なく投票日を迎えることはなかった。
インドやパーキスターンのニュース番組は、この暗殺事件関係の報道一色になった。後者の民間放送局のニュース番組で、長い時間を割いて昨日ラーワルピンディーで行なわれたベーナズィール・ブットーの最後の演説のビデオを放送していた。彼女がすでに亡くなってしまったからそう感じるわけではないと思うが、ほとばしるエネルギーと大衆にわかりやすい言葉で魂に訴えかけるような熱いスピーチだ。パーキスターンとは縁のない私だが、思わず引き込まれてジーンときてしまう。
一夜にして変わってしまった各勢力の力学関係、崩壊した総選挙のシナリオ・・・。インドの隣国パーキスターンは、いったいどこへ行こうとしているのだろうか。今後いったいどんな出来事が待ち受けているのだろうか。民意を凌駕する暴力、本来選挙を争う立場にない勢力からのあまりに不条理かつ露骨な干渉に、底知れぬ恐ろしさを感じずにはいられない
以前より指摘があった当局による警備の甘さがあったとすれば、間接的に事件を誘発させたという見方をされても仕方ない。しかもこれが首都イスラマーバードに隣接するラーワルピンディーという、中央政府のお膝元で起きたことに、今の政府の当事者能力を疑う声が上がるのはもっともなことだ。
あまり考えたくないことだが、もしこの事件の背景に現政権内の一部がかかわっていた・・・などという方向に展開していくと、大きく異なる事態になってくる。事件の真相解明を待ちたいものだが、『事実』は今後政治的に脚色されていき、真実は日の目を見ることがないような気がしてならない。

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