コールカーターのダヴィデの星 1

 

先日取り上げたコールカーターの旧中華街近くに、見応えのあるシナゴーグがふたつある。ベテル・シナゴーグ(Beth El Synagogue)とマガン・ディヴィッド・シナゴーグ(Maghen David Synagogue)である。それぞれ『神の館』『ダヴィデの星』といった意味の名のユダヤ教礼拝施設だ。 

どちらも旧ユダヤ人街にある。先日コールカーターの「魯迅路」と「中山路」1で取り上げた旧中華街同様に『旧』としたのは、もはやそこはユダヤ人たちが住む街区ではなくなっているためである。 

マガン・ディヴィッド・シナゴーグに至っては、その外観がプロテスタントの教会にありそうな形をしていることから、これをユダヤ教会と認識している人は界隈にほとんどおらず、それとは裏腹にそこからふたつほど裏手の路地にあるアルメニア教会をシナゴーグと勘違いしている人たちがとても多いようだ。 

もちろん今の市井の人々には何の縁もない施設であるため無理もない。またユダヤ人とアルメニア人とでは、信条や先祖のやってきた場所は違うものの、ともに民族意識が強く、ビジネスマインドに富む商業民族であること、植民地時代には政府当局との繋がりが深く、支配者にごく近い位置で儲けてきた人々であるなど、似ている部分がかなり多い。加えてインドの都市部では往々にして居住地域も重なっていることが多かったこともあるがゆえの勘違いということもあるのかもしれない。

そもそもコールカーターのこのエリアは、植民地期には白人地区でもなく、かといって『ネイティヴ』の人々のエリアでもない、つまり当時の言い方にならえばWhiteではなく、かといってBlackでもないGreyな地区ということであったらしい。 

この街にやってきた最初のユダヤ移民の名前や出自ははっきりわかっているようだ。その人物がシャローム・コーヘンという人物で、現在のシリアのアレッポ出身であることに象徴されるように、コールカーターのユダヤ系移民の大半はいわゆるバグダーディー・ジューと呼ばれる人々である。 

インドのユダヤ人にはおおまかに分けて三つのグループに分かれる。2世紀にパレスチナの故地を離れ、そしてインドに渡ってきたということになっているベネ・イズラエルというインド化の度合いが非常に高い人々、そしてコーチン・ジューと称されるより高い職能集団ならびに商業コミュニティとして繁栄してきた人々。コーチンの藩王国で庇護を受けてきたグループだ。そして三つ目がバグダーディー・ジューで、主に比較的時代が下ってからアラビア地域からやってきた人々を指す。 

『バグダーディー』と言っても、必ずしも現在のイラクのバクダードからやってきたというわけではなく、アラビアのアデン、アレッポ、ダマスカスその他さまざまな地域からやってきた人々が含まれる。さらには非アラブのイランやアフガニスタンからやってきたユダヤ人たちもこの範疇にあることには注意が必要だろう。 

先に挙げた三つのカテゴリーの人々以外にも第二次大戦時には欧州からインドにやってきた人々もあった。ナチス勢力下での弾圧から逃れるため渡ってきたユダヤ人たちである。 

他にもミゾラムには『ユダヤ教徒』を自称するモンゴロイド系のコミュニティが存在し、ユダヤの『ロスト・トライブ』のひとつではないか?という説もあるのだが、出自が深い謎に包まれているため、通常は在インドのユダヤ人の範疇に含まれないようだ。 

<続く>

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