イランを「狂信的なイスラーム教の国」とか、1979年のイスラーム革命を「国王に対して熱心なムスリムの国民が立ち上がって打倒し、イスラーム共和国を創った」と誤解している人があまりに多いことはいつもながら残念。
伝統的に世俗的なのがイランであり、今のような聖職者たちが頂点に立つようになったのは初めてのこと。
そしてイランの革命自体についても、「篤信なイスラーム教徒たちがシャーを追放した」のではなく、右派勢力(民族主義派)、インテリ層、左派勢力等々が王政の転覆を目指してそれぞれ活動していたものの、思想や価値観が異なるため、ひとつの大きな流れにはなれなかった。そこで「ムスリムという共通項」を繋いだのが、少数派の宗教勢力。そこで見事に異なる人々が手を結んで革命を成就させたという形。
数は少なくても組織力に長けていた。シャーを追い出した後、革命評議会、革命防衛隊、革命裁判所を組織し、軍、警察、司法等を宗教勢力が握った。
これによりシャーを追い出すために共闘していた民族主義勢力、インテリ層、左派勢力を排除し、有力者たちを前述の革命裁判所で次々に処刑。これにより本来ならば多数派であったはずの世俗勢力を支配層から排除し、大衆が望まない社会のイスラーム化を進めることになったわけだ。
つまり様々な異なる意見を持つ世俗勢力がひとつにまとまるための旗印として利用したつもりが、逆に宗教勢力に利用するだけ利用され、革命が成就して体制が流動的な時期に、烏合の衆の多数派である世俗勢力が互いに反目したり、新たな体制造りにモタモタしているうちに、少数派の宗教勢力による策略にハマり、排除されてしまったのだ。
当然、少数派の宗教勢力にとっては彼ら自身への支持はまったく厚くないことを知っているため、徹底した監視体制を敷いて「イラン・イスラーム共和国」の歴史を紡いでいくことになった。
簡単に言えば、このような具合なので、イランは「狂信的なイスラーム教徒の国」などでは決してなく、極めて世俗的な人々の国である。そのため欧米などに移住しても、他国からきたムスリムの人々と違い、モスクなどの礼拝施設すら建てないことが多いほどなのだ。
端的に言えば、「ムスリムではあるけど、見た目も気質も欧州人みたいな人たち」でもある。
「イラン人は狂信的」は誤解、個人主義的傾向も 藤元優子・大阪大名誉教授(日本経済新聞)

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