道端の木がこうなると、しめたものだ。
根元にコンクリートの基壇がしつらえてある。広告が描かれているのは少々気になるが、まあ良しとしておこう。何がしめたものかと言えば、この木の今後の「出世」だ。
人々がここに座ってくつろぐ。昼寝する人も出てくるだろう。
人々が集うようになり、魂みたいなものがこもってくると、小さな神像を置いたり、赤いティーカーをほどこしたりして、少し神性を帯びてくる。神像の足元にお布施の硬貨やわずかばかりの献花を見かけるようにもなるはずだ。
やがて屋根の付いた祠を誰がしが寄進し、少額紙幣が複数置いてあったり、きれいなマーラー(数珠繋ぎにしたキク科の花)のを目にするようになる。もはやここまでくると、立派にご神木に化けたと言える。
この先になると、いつしかちゃんとした小さな建物が出来上がるかもしれない。どこからやってきたのかプージャーリー(祭司)が常駐するようになり、祠の祭儀の一切を取り仕切るようになる。今の忙しい時代とはいえ、まだまだそういう発展を見せることは少なくない。
〈続く〉