パールスィーの町、ウドワーダー。ゾロアスター教寺院の中でももっともっと格式高いとされる寺院(インドのパールスィーの間では、イランのヤズドの寺院よりも上位とされる)があり、ゾロアスター教徒の暦で毎月めぐってくる「ベーへラーム・ローズ(至高の日)」には、大勢の参拝者がやってくる。
異教徒は寺院には入れないとはいえ、ちょうど良いタイミングであった。乗り合いオートではゾロアスター教司祭の壮年男性と一緒になり、話を聞くことが出来た。寺院前に建ち並ぶ参拝者相手の店の様子を見物するのも興味深い。田舎町とはいえ、経済的に繁栄しているパールスィーの人たちのコミュニティなので、建物の造りもたたずまいもゆとりが感じられる。
ウドワーダーの町を歩いていると、パールスィーの人たちによく声をかけられる。この町からパールスィーの人口流出が著しいことから、「聖地」とはいえ、当地ではすでに「マイノリティー」になっているとのことだが、「パールスィー以外の人たち」と外見からして異なるため、そうと判る。つまり、イラン系で色白、がっちり型、しばしば長身の人たちであるからだ。
ペルシャ風建築?の屋敷町から区画を少し移動して漁師地区に来ると、色黒で小柄、人種そのものが違う人たちが、簡素な建物に暮らしている。小さな田舎町だが、少し歩くだけで別世界のようだ。
町はずれにある博物館にて。「パールスィーの歴史的偉人」の展示コーナーには、ファルーク・バルサラーことフレディー・マーキュリーの姿もある。ゾロアスター教の聖地ウドワーダー。地元の人によると、フレディーがボンベイ郊外のボーディングスクールにいたころ、寺院に参拝するためによく来ていたことが知られているとのことだ。映画「ボヘミアン・ラプソディー」には出てこないロンドン移住前のフレディー・マーキュリー。
それほど多く見どころがあるわけではないため、15km程度しか離れていないダマンからの日帰りで充分かと思うが、ウドワーダー自体にも宿泊施設はいくつかあるので滞在には困らないようだ。ただしパールスィーのダラムシャーラーについては、食事はできるが異教徒は宿泊できないとのことだ。
パールスィーゆかりの土地があまり訪問先としてクロースアップされないのは、異教徒は寺院に入場出来ないことがあるのかもしれない。これはパールスィー生まれの人々にとっても同様の部分がある。寺院内には司祭としての修練を積んだ人でないと立ち入ることが許されない領域があるのだ。
パールスィーは、パールスィーと結婚しなくてはならず、異教徒と婚姻を結ぶと、もはやパールスィーとは見なされなくなり、寺院への入場はおろか、同教徒の人生最後の通過儀礼である鳥葬も行うことができなくなる。
そんなわけで結婚というハードルにより、振り落とされてしまうパールスィーが多いとのこと。コミュニティ外で恋愛して結婚を決意することもあるだろうし、もとより教育を大変重んじるパールスィー。しかしそうした社会的集団にも一定の割合でドロップアウトする若者たちがいる。もうその時点で同じコミュニティの配偶者に恵まれる機会を失うことになる。そんな背景から、繁栄(経済的に)しつつも衰退(人口が)しつつあるコミュニティとされる。
話は飛ぶが、今のイランにゾロアスター教時代から引き継がれている伝統は少なくない。イラン正月「ナウローズ(文字通り元旦)」はそうだし、ローズウォーターを使う甘味もどうやらそうしたもののひとつらしい。普段はムスリムの名前として認識されている「ファルーク(フレディーも改名する前はファルーク)」「シャールク」は、イランのイスラーム化以前から使われていた名前だ。
言うまでもなく、ひとつの思想、この場合イスラーム教だが、それが世の中を席巻したからといって、それ以前の習慣がすべて消えるわけではない。アケメネス朝の文化を継承する在インドのイラーニー(パールスィー)と現在のイランに暮らすイスラーム教徒のイラーニーに共通するものは案外少なくないらしいことは、なかなか興味深い。