マーク・トウェインが逗留したことでも知られる旧ワトソンホテルに入ってみた。植民地期のボンベイを代表するホテルであった歴史があるが、1960年代に廃業し、エスプラネードマンションというオフィスビルに変わっている。
2018年後半、行政当局から入居者たちに対して退去命令が出ている物件だ。理由は危険なまでに老朽化していることだが、まだ退去していない者がたくさんいるようだ。ここに入居しているのは、法律事務所が多い。裁判所が近いという立地が好まれてのことらしい。
非常に幅広な階段が、なんとなく「ムンバイを代表する元高級ホテル」の面影を感じさせる唯一の部分だ。予備知識なしに踏み込んだとすれば、フロアーが非常に細かく壁で細分化されているため、「ホテルであった」と言われても、そうとはまったくわからないだろう。
本来ならば、1869年に完成したインド最古の鋳鉄構造の「ヘリテージビルディング」として保護されるべき対象らしいのだが、そこは民間資産のためオーナーにその意志がなければ、どうにもならないようだ。
2018年7月の報道によると、ベランダの一部が崩壊して落下し、下に停めていたタクシーが壊れたとのこと。幸いなことに運転手はこのときクルマから離れており、事なきを得たとのこと。
Mumbai: Part of 19th Century Esplanade Mansion collapses, crushes a taxi (scroll.in)
この旧ワトソンホテル華やかなりしころ、パールスィー実業家ジャムセートジー・ターターがタージマハルホテルを創業するきっかけになったという逸話がある。
当時のボンベイ随一の高級ホテルは「ホワイトオンリー」のポリシーをもって運営されており、数々の有名人が宿泊したことでも知られる。
その逸話とは、ジャムセートジーが入館を断られたため、インド人のためのこうした立派なホテルを建てようと決意したというもの。今ではもっともらしく語られるが、これが実話であるかについてはなんとも言えない。
当時、ムンバイのパールスィーやユダヤ人上層部は白人社会に軸足を置いていたし、当時の彼は白人社会において有力者でありVIPでもあった。ホテルにそんな実力者の入館を拒む勇気があっただろうか?
もしかすると、インド人の部下たちを引き連れて会合を持とうとしたり、インド人実業家を連れての予約を打診したら「お連れの方々が・・・」と、色よい回答が得られなかったということはあったかもしれない。
あるいは、こういうことかもしれない。イギリス統治下で地場資本が成長し、インド人有力資本家が次々に育つ中、またインド高等文官試験の受験が「ネィティブ」つまりインド人たちにも開放され、白人役人をアゴで使う「インド人高級官僚」がこれまた次々と出てくるといった世相の当時だ。
「白人社会の顧客のみを相手にしていてはもったいない」と、インド人上層部が広がる世相を高級ホテル業参入への好機と捉えたのではないだろうか。
パールスィーという人口規模が極めて少ないマイノリティーが率いるターター財閥だが、まさにそれがゆえに「愛国的資本」というイメージを創出することに代々努めている。ジャムセートジーが入館を断れて・・・という、もはや史実のようになってしまっているが、私はこれについてはかなり懐疑的だ。あくまでも私の個人的な意見ではあるのだが。