津島市にあるアハマディーヤのモスク

名古屋市や近郊では、あまり観光客には知られていない名所も多い。名鉄津島線で足を伸ばした先は、津島市にあるアハマディーヤのマスジッド。

英領時代のインドの東パンジャーブ(現在はインドとなっている地域)で、イスラーム教スンニー派の流れを汲み、19世紀に始まった革新的な組織だが、印パ分離独立時に本拠地がパキスタンに移動。その後更にイギリスに移転している。

その背景には、アハマディーヤの教義等をめぐって、現在のパキスタンではイスラーム教とは認められておらず、不利な立場に置かれているという不幸な現実がある。

これと重なる時期に、インドではやはりスンニー派の流れのひとつとして活動が始まったデーオバンド学派(ワッハーブ派の影響を強く受けた超保守派)の活動も始まっているが、穏健かつ寛容なアハマディーヤは、これとまったく別の方向性を持つもので、インド世界におけるイスラーム文化の豊かな多様性と奥行きの深さ、イスラーム教学や神学研究の盛んさを象徴しているとも言えるだろう。

日本全国的にどうなのかはよく知らないが、東京首都圏でインド系ムスリムの人々が集う礼拝施設の中で、デーオバンド学派系のダブリーギージャマアト関係のものがかなり多い。そんな中で、都内にもこれらとはまったく異なるアハマディーヤの活動拠点があるとのことで、興味深いものがある。

さて、最寄り駅の青塚駅を降りて、住宅や田畑の眺めが続く中を歩いていくと、屋上にドームを持つ大きなコンクリートの建物が見えてくる。日本国内で最大級のモスクで、建物の完成は2015年だが、アハマディーヤの日本での活動は1930年代から(第二次大戦時により一時中断)と古く、当初は神戸に拠点があったとのこと。

さて、このマスジッドにどなたか常駐されているのかどうか、年始早々(1月2日に訪問した)に開いているかどうかよくわからなかったので、名古屋を出発するときに「本日見学可能ですか?」と電話で確認してから向かった。

到着して、はじめて判ったのだが、教団の方が通いでモスクに駐在されているのではなく、この建物は宣教師の方とご家族の住居も兼ねており、はからずもお正月の団欒のときに突然訪問するという形になってしまった。大変恐縮であるが、いろいろお話を伺うことができた。

津島市という立地がやや不思議な気がしたのだが、愛知県では名古屋港を中心とするエリアで自動車関係の取引をする同胞の方々が多いとのことで、南アジア出身のイスラーム教徒の人たちが多く出入りするモスクが鉄道駅近くにあることが多い首都圏とは、かなり事情が違うようだ。話題は反抗期の青少年、スマホとSNSの功罪についてなどのユニバーサルなトピックにも及び、示唆に富む貴重なご意見をいただくことができた。またいつか機会を得て、イスラームについて、アハマディーヤについてお話を伺いたい。

このたび、津島市にアハマディーヤの大きなモスクがあることを知ったのは、ほんの数日前で、ある方にFBで教えていただいたことがきっかけだった。これがなければモスクを訪れることはなかったし、博学な宣教師の方と知り合うこともできなかった。これについては、まさにSNSの功の部分の恩恵である。

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