ラトナーギリー 1 ビルマ最後の王の流刑先

ラトナーギリーの街は密度が低い割にはダラダラと長く市街地が続いている印象を受ける。静かで落ち着いた感じの住宅地が多いようだ。

ラトナーギリーの宿泊先

私がここを訪れた最大の目的は、ティーボーの邸宅の見学。ビルマ最後の王朝、マンダレーのコンバウン朝の王、ティーボーとその配偶者で、美しくも知略、肝略で知られたスパヤラート后が、第三次英緬戦争で王都マンダレー陥落後、マドラスに移送され、再度身柄を移されて生涯を終えたのがここ。

近年まで、かなり荒れ果てていたと聞いているが、現在は大掛かりな修復の手が入り、工事が進行中。

ティーボー夫妻とは反対に、インドからビルマのラングーンに送られたムガル朝最後の皇帝、ババードゥルシャー・ザファルは、英国官憲の屋敷で幽閉されたまま生涯を終えたのに対して、こちらは専用の宮殿のような屋敷を与えられたうえに、ラトナーギリーで仏教寺院を建立しており、多少なりとも地域社会との接点はあったらしい。

ビルマから遠く離れたラトナーギリーで、彼が地元に与える影響はなかったこととは異なり、ザファルについては流刑先が当時の英国が、インド人たちを大量に投入して建設し、インド人がマジョリティを占めていた街、ラングーンであったという環境の違いがあったがゆえのことではある。

ティーボーパレスは一部博物となっているが、彼とは無関係の古いヒンドゥーの神像が展示されており、生前のティーボー夫妻の暮らしぶりを偲ばせる家具や遺品などは、ほとんど残されていないようだ。

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