コールカーターで中華三昧 6 何が華人たちを引き寄せたのか?

 ところで「移民」という現象の背景には、送り出す地域の側のプッシユ・ファクターと受け入れる側のプル・ファクターとがあるが、前者についてはほぼ同時期に世界中に散っていった華人たちの流れの背景に、当時の彼らの祖国における社会情勢があったことはインドにはどんな引き寄せ要因があったのだろうか。 
 マレー半島の錫、インドネシアの××など、各地にそれぞれ主たる誘因があった。インドにおいては何だったのだろうか。もちろん英領インドの当時首都であったカルカッタだが、そこには中国大陸からの人々を引き寄せる何があったのか知りたいところだ。
 現在コルカタで華人に多い職業は、レストラン、皮なめし工場、大工、クリーニング、美髪店だが、かつて多くは身ひとつで渡ってきて『徒手空拳』で運命を切り開いてきた華人たち。昔はアジア一帯に広く利用されていた「人力車」についても、その普及にあたっては中国系の人たちによる何かしらの役割があったかもしれないし、導入期にこの街で車夫として働く貧しい華人があったとしてもおかしくないかもしれない。
 それとともかく、コルカタ華人たちの歴史等ついて書かれた適当な本はないかと探してみたらほどなく見つかった。近いうちそのコンテンツについて取り上げてみたい。

「コールカーターで中華三昧 6 何が華人たちを引き寄せたのか?」への2件のフィードバック

  1. いや〜、これで今回の「コルカタで中華三昧」シリーズ、一段落ついたのでしょうか。お疲れ様です〜。
    オガタさん漢語もできるんですね。そのおかげでとても興味深かったです。特に(5)の日曜朝市の華人おばさん同士の間での言語状況とかが。
    続編の、コルカタ華人社会の歴史書についてもかな〜り楽しみにしております〜。

  2. コルカタの華人地区、特にインドという大きく違った環境にあっては、視覚的にも味覚的にも興味深かったです。
    漢語は・・・というと、日常的に中国系の人々との接触が多いので、耳にして簡単なことなら多少理解できるものの、残念ながらちゃんとできるわけではありません。とっても関心はあるのですが・・・
    バブル以降の日本は新世代の中華系移民たちにより、コミュニティがダイナミックに発展中であることもあり、こちらもまた目が離せません。

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