「Vintage Tales」という本

Vintage Tales by Warren Brown

Kindleでこの本を読んだ。

英領末期から1990年代までにかけてのアングロインディアンをはじめとする欧印混血の人々の日常が描かれている。クリスマスの祝祭であったり、ご婦人たちのピクルス作りのことであったり、雨季の洪水とそれにまつわるエピソードであったり。著者のWarren Brown自身がアングロインディアンである。

アングロインディアンたちは軍、鉄道に加えて、役所や政府系起業に勤めるサラリーマンが多かったが、ここに登場する人たちは税関役人、市内電車を運営する公社、郵便局などで働く男性たち(女性は主に主婦)やその家族たちが大半を占める。自営業としては、写真館経営者、装身具販売、ウェディングドレス仕立屋、ボクサーといった人々が登場する。

Free School Street、Marquis Street, Elliot Road、Ripon Street、Royd Street、Collin Lane その他、今のカルカッタの旅行者ゾーンとなっているサダルストリート界隈にある通りが主な舞台だ。

カルカッタ市内で、アングロインディアンが集住していた地域は他にもあるのだが、このあたりの話が中心となっているのは、もしかすると著者自身がこの地域の出身なのかもしれない。

元々、この界隈はアングロインディアン、アルメニア人、ユダヤ人、華人といった白人社会を取り巻く層の人たちが多く住んでいたが、独立後のインドでは立場が悪くなったため、生まれ育ったこの国を離れた者は多い。

今でもこのエリアに残るアングロインディアンの人口はそれなりにあるのだろうか?次にカルカッタを訪れる際には、このあたりのことについて調べてみたいと考えている。界隈の両替商のオーナーにはアングロインディアンがけっこういるというような話は耳にしたことがあるのだが。

書名 : Vintage Tales
著者 : Warren Brown
ISBN 1537852892, 9781537852898

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Hello Bastarという本

途中、他にも読みたい本がいくつかあったので中断していたが、本日読み終えた。インドの様々な地域に跋扈しているマオイストの活動を彼らの勢力圏のひとつであるチャッテースガル州のバスタルを中心に伝える一冊。

僻地の貧困層や先住民を武力で服従させて解放区の拡大を図る暴力集団と思っていた(基本的にそういう理解で間違いないはず)のだが、文字を持たなかった先住民の言語に書き文字を導入して識字教育を進めたり、そうした地域で保健衛生指導のための手引きを作成したところ、あまりに評判が良くて、政府の学校でも配布されるようになったりと、案外社会とちゃんと共存している部分もあったりすることなども描写されており、目からウロコであった。

ともあれ、政府は警察やときには軍まで出動させて、警戒にあたっており、マオイストたちも移動中の警察の車列を襲撃したり、詰所を不意打ちしたりして数十名規模の死傷者を出すなど、激しく対立する状態にあること、暴力による革命を是とする反社会勢力であることはもちろんだ。

彼らの「解放区」からは、少年や若者たちが「徴兵」されているし、マオイスト支配地域と政府支配地域の境目にあたる地域の人々は、双方から協力を要請されるとともに、どちら側からも疑いの眼差しを向けられることから逃れることは出来ず、前者からは裏切り者として報復されたり、後者に逮捕拘束されて、拷問を受けたりするケースは少なくない。

マオイスト指導層の中には、子供たちをイングリッシュ・ミディアムの学校に通わせるだけではなく、海外に留学までさせるほど「裕福」な層もあり、革命を強烈に志向する組織にありながらも、自身の子供たちには「学歴とキャリアを積んでいい職に・・・」と望む者もあることについても垣間見ることができる。

そのいっぽうで、ムンバイの都会で生まれ育った中産階級の女性、アヌラダーが社会正義や労働運動などと関わりを持つにつれて、やがてマオイストの指導者のひとりとして頭角を現していく様子なども描かれている。

著者のラーフル・パンディターは、マオイスト活動家たちと親しく、彼らのジャングルでの移動に同行しながら見聞した様々な出来事と合わせて、ニュースなどには出てこないマオイストたちの人間模様が取り上げられているのも興味深い。

巻末の「あとがき」にもびっくりした。先述のアヌラダー女史の夫で、同じくマオイスト指導者のコーバド・ガーンディーがデリーのティハール刑務所服役中に寄せた文章である。
ところで著者のラーフルは、カシミーリー・パンディットの出。カシミールの騒乱により、1990年に故郷スリナガルを追われた過去があるのだが、この人自身が書いたOur Moon Has Blood Clotsという本も読んでみたくなる。

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名古屋名物パキスタン料理

せっかく名古屋に来たので、味噌カツ、山本屋本店とやらの味噌煮込みうどん、ナントカのきしめんとやらをいろいろ食べてみた。どれもおいしい。さりとて、知る人ぞ知る名店で食べることなく東京に帰るのはもったいないので出かけてみた。

名古屋駅からあおなみ線で南下して荒子川公園駅下車して徒歩15分。港湾地区に近い工業地帯にひょっこり出現するAsia Halal Restaurant。場所柄、お客さんの大半がこのあたりに多いパキスタンの人たち(とりわけ中古車取引関係者が多い)なのではなかろうか。妥協のないパキスタンらしい味わいを期待したい。

パンジャーブのヒルステーション、ビール醸造所で有名なマリー出身で、大柄でガタイの良い店主のアッバースィーさんに「評判を聞いて東京から食べに来ました」と言うと、大変歓迎してくれた。ちょうど食事時ということもあり、私たちが着いたときには誰もいなかった店内がすぐに満員となる。見たところ、他のお客はみんなパキスタンかバングラデシュの人たちであった。

ニハーリーとナーン、そしてチキンビリヤーニーで昼食。盛りが大きく、味付けもパキスタン人客向けという感じだ。店内のお客たちの姿と併せて、名古屋にいることをすっかり忘れて、まるでパキスタンに来ているような気分になる。

隣にあるAbbasi Halal Foodもアッバースィーさんの経営で、パキスタンの食材、清涼飲料や袋菓子などを扱っている。

所在地: 愛知県名古屋市港区善進本町536
電話: 052-398-6128

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津島市にあるアハマディーヤのモスク

名古屋市や近郊では、あまり観光客には知られていない名所も多い。名鉄津島線で足を伸ばした先は、津島市にあるアハマディーヤのマスジッド。

英領時代のインドの東パンジャーブ(現在はインドとなっている地域)で、イスラーム教スンニー派の流れを汲み、19世紀に始まった革新的な組織だが、印パ分離独立時に本拠地がパキスタンに移動。その後更にイギリスに移転している。

その背景には、アハマディーヤの教義等をめぐって、現在のパキスタンではイスラーム教とは認められておらず、不利な立場に置かれているという不幸な現実がある。

これと重なる時期に、インドではやはりスンニー派の流れのひとつとして活動が始まったデーオバンド学派(ワッハーブ派の影響を強く受けた超保守派)の活動も始まっているが、穏健かつ寛容なアハマディーヤは、これとまったく別の方向性を持つもので、インド世界におけるイスラーム文化の豊かな多様性と奥行きの深さ、イスラーム教学や神学研究の盛んさを象徴しているとも言えるだろう。

日本全国的にどうなのかはよく知らないが、東京首都圏でインド系ムスリムの人々が集う礼拝施設の中で、デーオバンド学派系のダブリーギージャマアト関係のものがかなり多い。そんな中で、都内にもこれらとはまったく異なるアハマディーヤの活動拠点があるとのことで、興味深いものがある。

さて、最寄り駅の青塚駅を降りて、住宅や田畑の眺めが続く中を歩いていくと、屋上にドームを持つ大きなコンクリートの建物が見えてくる。日本国内で最大級のモスクで、建物の完成は2015年だが、アハマディーヤの日本での活動は1930年代から(第二次大戦時により一時中断)と古く、当初は神戸に拠点があったとのこと。

さて、このマスジッドにどなたか常駐されているのかどうか、年始早々(1月2日に訪問した)に開いているかどうかよくわからなかったので、名古屋を出発するときに「本日見学可能ですか?」と電話で確認してから向かった。

到着して、はじめて判ったのだが、教団の方が通いでモスクに駐在されているのではなく、この建物は宣教師の方とご家族の住居も兼ねており、はからずもお正月の団欒のときに突然訪問するという形になってしまった。大変恐縮であるが、いろいろお話を伺うことができた。

津島市という立地がやや不思議な気がしたのだが、愛知県では名古屋港を中心とするエリアで自動車関係の取引をする同胞の方々が多いとのことで、南アジア出身のイスラーム教徒の人たちが多く出入りするモスクが鉄道駅近くにあることが多い首都圏とは、かなり事情が違うようだ。話題は反抗期の青少年、スマホとSNSの功罪についてなどのユニバーサルなトピックにも及び、示唆に富む貴重なご意見をいただくことができた。またいつか機会を得て、イスラームについて、アハマディーヤについてお話を伺いたい。

このたび、津島市にアハマディーヤの大きなモスクがあることを知ったのは、ほんの数日前で、ある方にFBで教えていただいたことがきっかけだった。これがなければモスクを訪れることはなかったし、博学な宣教師の方と知り合うこともできなかった。これについては、まさにSNSの功の部分の恩恵である。

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名古屋市内のチベット仏教寺院 強巴林

名古屋市内にチベット仏教のお寺があることは、だいぶ前から聞いてはいたものの、訪れる機会がなく、そのままになっていた。

正月にたまたま名古屋を訪れる機会があったので、初詣はこの強巴林(チャンバリン)寺に出かけることにした。

敷地入口にマニ車がある。

チベット仏教寺院 強巴林

このお寺は本山修験宗の倶利伽羅不動寺敷地内にあり、同寺の森下住職がチベットでの修行時に名刹ジョカン寺の高僧から依頼を受けて建立したものである。なお、この女性住職はジョカン寺管長であったボミ・チャンバ・ロドロ師から受戒したチベット仏法僧でもあるとのこと。

他にも日本で、チベット仏教僧侶が駐在していたり、チベット仏教界と交流を持ったりするお寺はあるが、たいてい在インドのチベット亡命社会の仏教界繫がりであるのに対して、ここはチベット本土と直接の繫がりでやっていることが大きな特徴だ。

チベット本土からやってきた僧侶が常駐していると、何かで聞いていたのだが、2011年以降、チベット人僧侶は不在となっているそうだ。同様にお寺の世話をされている方の話では、倶利伽羅寺住職が、このチベット仏教寺について著した書籍もあったとのことで、ぜひ買い求めたかったのだが、中国当局の依頼により発行を取り止めているとのこと。

チベット本土の仏教界は、中国共産党の指導下にあり、寺院などにも共産党の支部が常駐する形にとなっているのが現状なので、とりわけ外国との交流ともなれば、いろいろな障害があったり、突然中国共産党当局から干渉されたりすることもあろうことは想像に難くない。

お堂の入口から先は撮影禁止となっているが、本尊はジョカン寺のそれを忠実に復元したものであるとかで、堂内の形状や装飾なども実に見事なものであった。同寺のホームページ内の「ライトアップ体験ツアー」で建物内外の様子を楽しむことができるようになっているのでご参照願いたい。

チベット仏教寺院 強巴林HP

堂内を拝観していると、まるでインド各地にあるチベット人コミュニティの仏教寺院を訪問しているかのようで、名古屋に来ていることをしばし忘れてしまいそうになる。

境内にはチベットカフェ「パルコル」もあり、訪れたときは営業時間前で、次の予定もあり食事をすることは出来なかったが、ちょっと興味を引かれた。

チベットカフェ「パルコル」

毎月7日の13時からに強巴林(チャンバリン)祭として、チベット仏教式の法要が営まれているとのこと。そういうタイミングで訪問してみると、なおのこと良いかもしれない。

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