インド・マンゴー輸入解禁は?

ああ、マンゴー!
 ご存知カシューナッツにピスタチオといったナッツ類はウルシ科の食用植物だが、じつはマンゴーもその仲間である。地上最大のマンゴー生産地といえばインド。世界中のマンゴー年間生産高およそ1千万トンのうち、じつに52パーセントをインド産が占めているというからその圧倒的な規模がうかがえよう。しかも千種類にもおよぶ異なったタイプのマンゴーがあるとされ、このうち商業的に栽培されるのは20種類前後だという。
 しかし保管方法や輸送手段が未熟であることから、せっかく実ったおいしいマンゴーの約3割が腐敗し廃棄される運命にあるという。
 「そんなもったいない!」と誰もが思うことだろう。だがこれほど美味な果実が大量に出荷されているにもかかわらず、わが国の植物検疫の関係で、国内でインド産マンゴーは加工品を除いて、手に入れることができないというのも実に残念なことだ。
 現在、フィリピン、タイ、メキシコなどの国ぐにから日本にマンゴーが輸入されているが、インド産はまだこのカテゴリーに含まれていない。日印の政府間では、マンゴー輸入にかかる交渉が10年以上続いているものの、いまだ明確な結論は出ていない。
 日本の市場に価格の安いインド産が豊富に入ってくるようになれば、美味にしてバラエティ豊富、しかも安いと三拍子揃ったマンゴーは輸入青果売り場の主役となることだろう。
 そろそろ真打登場か? 世界に冠たるインド産マンゴーの来日を期待したい。

アップグレードされる「駅」

 この数年でインドの街の姿はどんどん変化していったが、駅というものはなかなか変わらない。蒸気機関車が姿を消したこと、禁煙になりタバコ売りがいなくなったことを除けば、駅構内には数十年来の風景がそのまま保存されているようにも見える。
 駅は立派な外観に比べ中身が貧弱だ。客車はいくつものクラス分けがなされているのに、下町の小さなダーバー並みの衛生度とメニューしかない食堂、陰気な待合室にはクラス別や女性専用室があっても、結局どの乗客にも同じ程度のアメニティしか準備されていない。
 社会全体が貧しかった頃と違い、今ではアメリカのそれに匹敵する規模の「中産階級」を抱える国である。そうした購買力豊かな人びともまたインド国鉄を利用して移動しているのだ。
 少々高くても清潔でおいしいレストラン、有料でも小ぎれいで快適な待合室ができたら流行るだろうと常々思っていたが、少なくとも前者については今後改善されていくようだ。
 バンガロール・シティ駅構内にはまさにそんなカフェテリアができている。全国チェーンのカフェみたいに小ざっぱりしており、インド料理や洋食の各種スナック等に加え、ちょっとした食事もできるようになっている。ラージダーニーやシャターブディーといった特別急行車内のケータリングサービス同様、民間委託による事業らしい。
 日々多くの人びとが乗り降りする主要駅では、今後そうしたビジネスチャンスが開拓され、インドの鉄道旅行のクオリティも着実に向上していくことになるのだろう。

ソニア、ソニア

 今年末に封切される『SONIA, SONIA』という映画を楽しみにしている。米国の雑誌フォーブスによれば、「世界で三番目にパワフルな女性」となった国民会議派総裁のソニア・ガーンディー氏。彼女の生き様が映画化されることになった。
Sonia Gandhi
 1968年、ラジヴ・ガーンディーと結婚。外国からインドの家庭に嫁入りするだけで大変だと思うが、よりにもよって結婚相手はインド首相の息子である。夫の弟のサンジャイは飛行機事故で他界し、義母インディラも暗殺。やむなくインディアン・エアラインスのパイロットだった夫が政界入りするとき、それに強く反対したという。「いつかひょっとしたら…」と不吉な将来を予感していたのかもしれない。その懸念はやがて現実のものとなってしまった。
 流転の人生を宿命づけられている人なのだろうか。彼女の運命は常に表舞台で何かを演じるように定められているようでもある。インド政界の重鎮としてしばらく年月を過ごし、息子ラーフル、あるいは娘プリヤンカーに後を任せて引退…という安寧な未来は気の毒ながら想像できない。
 彼女のキャリアは、たとえ自身が望もうと望まざると、いつも第一線を歩むことになっている。それでいて彼女には安泰が訪れることはなく、運命に翻弄され続けている。
 メディアから伝えられる情報以外に彼女の人となりを知る由はないが、いったいどういう人物なのだろうか。いわゆる「女傑」タイプとは違い、いつもどこかに哀しさと、それを精一杯振り払おうとする健気さがあるように感じられる。

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いまもどこかで

 祖父の家にあった古い雑誌のページをめくっていると、こんな記事が目に付いた。
<毎晩くり返されていることのひとつに、乗車拒否がある。そのころタクシーに乗ろうとすると、メーターの何倍もださなければ、行ってくれないというのである。お客は腹を立てる。新聞やテレビもそういう運転手なりタクシー会社を非難する。警察はときどきおもい出したように、一斉取締りとやらをやる。
 乗車拒否はたしかにほめられたことではない。しかし繁華街の夜11時前後あたりは、おびただしいバー、キャバレーや料理屋がいっせいに店をしめる時間である。べつにそういうところで飲んで悪いわけではないが、飲みたらずに別の盛り場まで行こうという客だったら、そう目くじらをたてないで、たまにはメーターの何倍分かをチップとしてはずんでやってもよさそうなものである>
 一体どこの国のことかと思えば1960年代の東京銀座の話であった。黄色く変色したページは、およそ40年もの歳月の経過を物語っている。
 いまもインドの街角で繰り返されている光景。日本では私たちの世代の記憶にないものだが、かといってそんな遠い昔話でもないようだ。

男児か女児か?

三歳の女児の父親が『娘を殺す』と脅迫
目にしたとたん嫌な気分になるニュースであるが、いろいろと考えさせられた。
 ラージャスターン在住の夫婦の間に女の子がふたり。夫は妻に避妊手術を受けさせたが、それでもふたたび身ごもってしまった。生まれてきたのはまた女の子。夫は施術した病院に補償を求め、それがかなわないならば経済的に支えることができないため末娘の命を絶つと州首相を「脅迫」した。
 この事件はあまりに極端な例ではあるが、インドでは就学率・識字率の男女格差、(非合法とされるが)出生前の性別診断による妊娠中絶等から生じる男女出生率のアンバランスなど、根強い男子偏重の傾向が見て取れる。
 結婚持参金問題を含めた慣習のみに原因であるわけではなく、相続について定めた法律、地域の社会と経済の構造、およそ人びとの生活を取り巻く要素が複雑に作用しているため「差別だ」と単純に切り捨てることはできない。
 こうした風潮は保守的な田舎に残っている……というわけではない。パンジャーブやハリヤナ州のような先進地域にあっても、人口の男女比には不自然な差があるのだから。
 跡取り息子の役目は、家督を引き継いだり、親の火葬の場で薪に点火したりすることだけではない。就労機会や賃金の上でも、一部の例外を除けば一般的に男子のほうが有利であることは間違いない。
 都市部では核家族化が進み、かつてインドの大家族のありかたの典型のように言われてきた「ジョイントファミリー」なんてもう昔話だが、家族が小さい単位になれば少子化という現象が出てくる。
 子どもが少ないほど、ひとりひとりにかける期待が大きくなるものだ。田舎に残る幼児婚の習慣はまさに別世界の話で、親によらず自らの意思で配偶者を選ぶような都会の若夫婦たちでさえも「できることならば男の子を」と願うのは自然なことかもしれない。
 また社会保障制度がしっかりしていない現状では、もっとも有効な老後の保障という面もあるだろう。外に嫁に出してしまう娘よりも、跡継ぎで新婚家庭の主である息子の方が親の面倒を見てくれそうだし、こちらの言い分も通り易い…と思うのは無理もない。

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