一見、高級ブランドのショールームのように見えるのだが、スペイン版のユニクロと言えるZARAの店。こうしたイメージ作りに貢献してくれそうな物件に事欠かないのがインドとはいえ、ムンバイの地価は世界でも上位クラスなので、おそらくZARAはインドにおける旗艦ショップとして大きな投資をしたのだろう。
中を少し歩いてみるとすぐに気がつくのだが、コロニアル建築を改築して利用しているのではなく、「新築」している。
つまり外壁の部分を残して、あとはすべて建て直してあるのだ。
欧州や南米でもこのようなことはとうの昔から行われており、アジアでもシンガポールやマレーシアでは、かなり前から街並み保存のために道路に面した外観だけ残して新築というのはよく行われてきたが、インドではそのようなことはほとんどなされず、英領期の景観が失われていくいっぽうだったが、こうしたことがなされるのは喜ばしい。通りをはさんだ反対側を少し北上したあたりでも、同様のやりかたで工事が進んでいる物件があり、「とりあえず外観は残す」というものが流れとなっていくのかもしれない。
それでもやはり、面の皮だけ残して・・・というのは寂しいものがある。植民地建築の魅力は外壁だけではなく、内装の重厚さや目の届くあらゆる部分に及ぶからだ。
カテゴリー: travel
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ムンバイのフォート地区にあるZARAのショップ
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ムンバイのマズガオン地区にある中国寺院
ムンバイCST駅から出ている郊外電車に乗り、Dockyard Road駅で下車して徒歩5分程度のところにある。
建物に入ったところにあるドアをノックしたら出てきたのはここで間借りしているインド人男性たち。ここで何か質問しても彼らは何もわからないので、階段で上階へ行こう。
大声で呼ぶと、ここの世話人をしている老夫婦のどちらかが出てきてくれる。簡単に自己紹介して、寺院を拝観したい旨伝えると、もうひとつ上の階にある寺院の扉のカギを貸してくれる。
老夫婦どちらも流暢なヒンディーを話すが、おそらく英語も多少できることだろう。彼らによると、今ではムンバイ在住の華人はとても少なくなっているが、かつて小さな中華街があったカマーティプラーあたりにいくばくかのインド華人たちが暮らしているとのことだ。












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ムンバイのアールデコ建築
カルカッタ同様、重厚な植民地建築以外にも愉快なアールデコが楽しめるのも良い。フォート、コラバ地区からチャーチゲート界隈を経てマリーンドライブに至るエリアに多く見ることができる。
マリーンドライブ沿いには、アールデコ建築に入っているホテルもいくつかある。
そうした中のひとつ、Krishna Mahalという建物の上層部にBentley Hotelという中級宿泊施設がある。内装はすっかり今風の感じに仕上げてある。そのため室内ではアールデコ建築のムードを楽しむことはできないものの、アラビア海に面した部屋を取れば、夕刻には素晴らしい眺めを満喫できることだろう。
オフシーズンには宿泊予約サイトでけっこう安い料金で出ているかもしれない。
ムンバイのアールデコ建築については、いくつか解説書が出ているが、入手しやすいところでは以下の書籍をお勧めしたい。書名:Bombay Art Deco Architecture
著者:Navin Ramani
出版社:Lustre
ISBN-10: 8174364471
ISBN-13: 978-8174364470 -

ムンバイのビンディー・バーザール界隈

ビンディー・バーザール界隈 
ムスリムは社会党の票田 このありたはムスリム地区だけあって、バッジやウムラーなどのイスラーム巡礼を取り扱う旅行代理店が多い。

イスラームの巡礼関係を中心に扱う旅行代理店が多い。 ミナーラー・マスジッドの外側にはテナントとしてお菓子屋が入っている。売られている甘いものはどれも美味しそうだ。このモスクの中には聖者廟もあった。

ミナーラー・マスジッド 
洋風の意匠をふんだんに取り入れた絢爛たる建築 
ミナーラー・マスジッド内部 
ミナーラー・マスジッドにはダルガーも入っている。 
マスジッド外側にはテナントとして菓子屋が入居している。 ドングリー地区に近いこの界隈は、赤線地帯のすぐ近くのバイクラー地区と並んで、インド国内や周辺国で暗躍するムンバイヤクザの大物たちの故郷。
ダヴード・イブラーヒムやチョーター・シャキール等の巨頭もこのあたりで育っている。近い将来の「ドン」もやはりこのあたりから出るのだろうか?フセイン・ザイディによるノンフィクションのムンバイヤクザストーリーを愛読する私にとって、ひとつの聖地である。

界隈にはなかなか有名な食事処もある。 ビンディー・バーザール地区の一角にはシーア派イラン系の人が多い地域もある。イラーニー・マスジッド(またの名をムガル・マスジッド)があるあたりがそうだ。

青タイル細工が美しいイラーニー・マスジッド 
イラーニーを名乗る店 
朝食 -

キプリングの生誕地
敬愛する植民地作家ラドヤード・キプリングの生誕地を訪問した。
CST駅からすぐ近くにある。Sir J. J. School of Artという美術学校キャンパス内にある。まさにここであの大作家が生まれて子供時代を過ごしたのだな・・・という感慨に耽りたくなるが、目の前にある屋敷はこのキャンパスの学長の屋敷として再建されたものであると聞く。
現在修復作業進行中で、完成後はキプリング博物館になるとのこと。 -

ムンバイ猫あるき
一般的にはネコが人にかまってもらえず、ネコも人に積極的に関わらないインドだが、南ムンバイにはなぜか野ネコが多い。野犬と同じくらいの数がいるのではないだろうか。
しかも一瞬、目を合わせると、すぐに駆け寄ってきて足元でトグロを巻くようにグルグル、スリスリしてくるネコが多いのは特徴的だ。当然、放ってはおけない。

ネコが居て・・・

目が合うと・・・

駆け寄ってきて・・・

足元に飛び込んでくる。 日本のネコと比べて毛足がとても短くスリムなネコたちだが、日本の極めて低温で期間も長い冬を経験すると、もしかして毛足がモコモコに長くなるのだろうか?とふと思ったりする。
可愛いのだが、野犬と同じく、もし噛まれることがあったら、それなりの対処が必要となるため、特にかまったりしないつもりではいるのだが、目線がバチバチッと合うと、足元でゴシゴシとしつこいまでに絡み付いてきて、さらには仰向けになって「遊んで、遊んで」をしてくるネコが大変多い環境は、ネコ好きにとってはたまらない。
結局、放っておけるはずがない。

遊んで遊んで!

遊んで遊んで!

見ていて気持ちの良い大あくび 世界中でネコたちを撮影している動物写真家の岩合光昭さんの作品で、ムンバイでの写真の記憶はない。ぜひともこの地域で野ネコたちと交流してもらいたいものだ。
ここで「南ムンバイ」と書いたのには理由がある。
空港があるサンタクルーズ地区やそのさらに北となると、かなり普通のインドの街となるため、コラバやフォートのような地域とはかなり環境が異なると思われるからだ。
当然ながら、あまり愛想の良くないネコもいる。 
近寄ると「シャーッ」と威嚇される。 
しかしマッチョな筋肉ネコ 
だがネコが憩う眺めは良い。 -

コラバ地区のヘリテージな建物
ムンバイのコラバ地区。このあたりにある建物の多くは19世紀後半から20世紀はじめあたりに建てられているが、取り壊されるよりも修復して使われているのが嬉しい。
建物には、おそらく当初のオーナーの名前を冠したままと思われるものもあれば、そうでないものもある。
また、現在は居宅として使用されているものの他に、まるごとホテルとして転用されているものや、中をいくつかに分けて店舗として、あるいはアパートとして転用されているのもある。
宿泊先内部の階段まわり 
こちらは宿泊先のエレベーター 
宿泊先エレベーター内の表示 「修復」で面白いのは、オリジナルの形に新しく直すことに限らず、まったく違う側面を加えるやりかたも実施されていることだ。下の写真を見てもらえばわかるのだが、ひとつの建物なのだが、右と左がまるで別々の建築物のようになっている。もちろん手前右側が新しくリフォームされた部分だ。こうした技を披露できるのは、やはり植民地建築の豊かな遺産に富んだインドの都市部ならではのことだろう。

手前と向こうで別の建物のように見える。 -

ムンバイのユダヤレストラン
コラバにあるユダヤ教施設ナリーマンハウスの中にはコーシャル・ムンバイというレストランがあることを知った。だだしその日は土曜日、つまりサバース(ユダヤ教の安息日)であるため、どうかと思い電話してみたが誰も出ない。まあ近いので行ってみることにした。
ムスリム地区にあるこのユダヤ教施設。昔からユダヤ人が多かったコラバだが同じくユダヤ人コミュニティの存在で知られたフォート地区、バイクラー地区と異なり、ここにシナゴーグが建てられたことはない。別名チャダードハウスとしても知られるこの施設には、世界各地から来るユダヤ系の人たちのための宿泊施設も有している。
だいぶ前に前を通りかかったときの記憶とは、佇まいがずいぶん違っているのは、2011年のムンバイ同時多発テロが背景にある。VT駅、レオポルドカフェ、トライデントホテル、タージマハルホテルなどとともに、あの事件の舞台となったひとつの施設だ。テロリストたちがナリーマンハウスに立てこもり、ここを取り仕切るユダヤ教司祭家族、宿泊者等多数が殺害されている。タージマハルホテル同様、ナリーマンハウスにも、デリーから出動した特殊部隊が突入し、事件発生50数時間後に制圧された。
そんないわくつきの施設となってしまったが上に、今も非常に厳しいセキュリティ体制が敷かれている。ここに入っている「コーシャル・ムンバイ」は、日曜から金曜までの午前9時半から午後9時まで(金曜日のみ午後1時半まで)の営業であることはわかった。
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旧ワトソンホテル

旧ワトソンホテル (現エスプラネードマンション) 
外観からして尋常ではない荒れ具合 マーク・トウェインが逗留したことでも知られる旧ワトソンホテルに入ってみた。植民地期のボンベイを代表するホテルであった歴史があるが、1960年代に廃業し、エスプラネードマンションというオフィスビルに変わっている。
2018年後半、行政当局から入居者たちに対して退去命令が出ている物件だ。理由は危険なまでに老朽化していることだが、まだ退去していない者がたくさんいるようだ。ここに入居しているのは、法律事務所が多い。裁判所が近いという立地が好まれてのことらしい。

入居しているのは法律事務所が多い。 非常に幅広な階段が、なんとなく「ムンバイを代表する元高級ホテル」の面影を感じさせる唯一の部分だ。予備知識なしに踏み込んだとすれば、フロアーが非常に細かく壁で細分化されているため、「ホテルであった」と言われても、そうとはまったくわからないだろう。

唯一、往時は高級ホテルであったことを感じさせる幅広の階段。 本来ならば、1869年に完成したインド最古の鋳鉄構造の「ヘリテージビルディング」として保護されるべき対象らしいのだが、そこは民間資産のためオーナーにその意志がなければ、どうにもならないようだ。
2018年7月の報道によると、ベランダの一部が崩壊して落下し、下に停めていたタクシーが壊れたとのこと。幸いなことに運転手はこのときクルマから離れており、事なきを得たとのこと。
Mumbai: Part of 19th Century Esplanade Mansion collapses, crushes a taxi (scroll.in)
この旧ワトソンホテル華やかなりしころ、パールスィー実業家ジャムセートジー・ターターがタージマハルホテルを創業するきっかけになったという逸話がある。
当時のボンベイ随一の高級ホテルは「ホワイトオンリー」のポリシーをもって運営されており、数々の有名人が宿泊したことでも知られる。
その逸話とは、ジャムセートジーが入館を断られたため、インド人のためのこうした立派なホテルを建てようと決意したというもの。今ではもっともらしく語られるが、これが実話であるかについてはなんとも言えない。当時、ムンバイのパールスィーやユダヤ人上層部は白人社会に軸足を置いていたし、当時の彼は白人社会において有力者でありVIPでもあった。ホテルにそんな実力者の入館を拒む勇気があっただろうか?
もしかすると、インド人の部下たちを引き連れて会合を持とうとしたり、インド人実業家を連れての予約を打診したら「お連れの方々が・・・」と、色よい回答が得られなかったということはあったかもしれない。
あるいは、こういうことかもしれない。イギリス統治下で地場資本が成長し、インド人有力資本家が次々に育つ中、またインド高等文官試験の受験が「ネィティブ」つまりインド人たちにも開放され、白人役人をアゴで使う「インド人高級官僚」がこれまた次々と出てくるといった世相の当時だ。
「白人社会の顧客のみを相手にしていてはもったいない」と、インド人上層部が広がる世相を高級ホテル業参入への好機と捉えたのではないだろうか。パールスィーという人口規模が極めて少ないマイノリティーが率いるターター財閥だが、まさにそれがゆえに「愛国的資本」というイメージを創出することに代々努めている。ジャムセートジーが入館を断れて・・・という、もはや史実のようになってしまっているが、私はこれについてはかなり懐疑的だ。あくまでも私の個人的な意見ではあるのだが。
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TASTE OF KERALA
やはり良い店にはオーラがある。
ムンバイのフォート地区にあるクリスチャンのケーララ料理の店。昼飯どきを少し外したが客筋が良い。きれいに掃除がなされた気楽な食堂ではあるが、客席にちょっとショボくれた感じの人はいない。これはけっこう大事なのだ。
隣の席で若い女性二人連れが変わったものを食べていた。
「そのふかし芋みたいで黄色いのは何?」
尋ねてみると「ぜひお勧めします」とのことだったので注文してみる。
だいたいどこの国でもそうなのだが、女性たちが美味しいというものは間違いない。
ふかし芋みたいなものはカッパー(タピオカ)とのこと。
これをビーフカレーで食べる。そう、やはり牛肉の旨味は格別である。
カッパーは、まんまふかし芋で、ほのかな甘みがこれまた牛肉にとてもよくマッチする。
この店はまた再訪したいと思う。
大当たりであった。TASTE OF KERALA
所在地:6/A, Prospect Chambers Annex, Pitha Street, Near City Bank, Fort, Mumbai
電話:022 22044545、022 35324545
TASTE OF KERALA 
ビーフカレー 
カッパー -

HMTの手巻き腕時計
バンガロールに本社を置くHMT社の腕時計。日本のシチズンの協力を得て、1961年から生産を開始した国営の時計メーカーだ。民間の時計メーカーが台頭してくる前、1980年代まではインドの腕時計市場はHMTの天下だった。外国メーカーによる製品が闇市場の品物だった時代である。
そのHMTの手巻き時計を購入しようと、ムンバイのフォート地区で探してみた。たいていの時計屋ではすでに置いていない。ずいぶん昔から腕時計はクォーツであることが当然となっているし、今の時代に国営企業の製品など、一般のインド人ならば欲しがらないだろう。しかもこのHMT社、時計部門はすでに2016年に解体してしまっているのだ。いろいろ回ってみると、やはりまだ置いている店はいくばくかあった。
ある店主は言う。
「インド人は買わないです。昔は腕時計といえばHMTという時代はありましたがね。」
たまに売れるとのことだが、購入していくのはたいてい欧米人だという。
「昔風のシンプルな時計、しかも手巻きというのが、先進国の人たちには珍しいんでしょうね。」
もう入荷することはないので、今の在庫が掃けてしまえば、それでストックはおしまいだという。今回購入したのは、「Janata (人民)」というモデルの以下の文字盤の腕時計。

「Janata」デーヴァナーガリー文字(白) 
「Janata」デーヴァナーガリー文字(ピンク) 
「Janata」デーヴァナーガリー文字(黒) 
「Janata」デーヴァナーガリー文字(黒) 
「Janata」アラビア文字(白) 
「Janata」アラビア文字(黒) ずいぶん昔に、1989年だったか、HMTの手巻き式の腕時計をいくつか購入したことがある。購入の動機といえば、やはりシンプルな文字盤、そして手巻きであるということだった。あれから30年くらい経過しているので、なおさらのことその希少価値はあるだろう。しかも製造していた会社自体がもう存在しないとなれば。(HMTは今も操業しているが、前述のとおり時計部門は2016年に消滅)している。

1989年に購入した「Pilot」
当時、3~4個くらい購入したように記憶しているが、現在もその中のPilotというモデルは元気に動いている。それほど長持ちするのだというわけではなく、当たり外れが多いようだ。他のモデルは紛失してしまったわけではなく、そう長く使っていたわけでもなかったのに壊れてしまった。今になって、突然HMTの腕時計が欲しくなったのには理由がある。eBayにヒンディー語の文字盤の時計が出ているということをある方から聞き、なかなか良い感じだったので、ぜひ購入したいと思ったのだ。デザインや色合いで実に多彩なバリエーションを用意していたJanata(人民)というモデルだが、確かウルドゥー語バージョンもあったはず。回ってみた店の中では、やはりスタンダードな文字盤の製品が多いのだが、一部にそうしたものの在庫はあり、いくつか購入することができた。
購入した時計を巻き上げて、一日放置しておくと、動きにけっこう誤差があることがわかる。
最近はめっきり減ってしまったが、かつては街角に時計修理屋がたくさんあったのは、これが理由かもしれない。仕上がりにかなりバラつきがあるがゆえ、最初から具合の良い製品に当たればよいが、そうでないことも少なくなかったため、調整しながら良い動作をするよう誘導していく必要があった。その面倒さからクォーツが好まれるようになったのは当然のことだろう。1990年代にTATAが腕時計分野に進出した。一度電池を入れてしまえば、毎日巻き上げる必要はなく、日々正確に時を刻んでくれる。人々が機械式時計を見放すのは実に早かった。
HMTもクォーツ時計を生産するようになったのだが、それでも主力は手巻きあるいはオートマチック時計であった。職人の手仕事による機械式時計へのこだわりがあったようだ。国営であるがゆえに、意思決定の遅さもあったのだろう。監督官庁である重工業国営企業省にも、そこから天下ってHMTの幹部となる人々にも改革の意思は薄かったはずだ。
それに腕時計などという、民間企業がたくさん製造してマーケットに投入している製品を、わざわざ国営企業が造らなくてはならない理由など、今やどこにもない。インド経済が脆弱であった昔々ならいざ知らず。かくして、かつて人々が行列を成して入荷した製品を購入したという伝説を持つ花形企業HMTの時計部門は、毎年赤字を累積していくようになり、ついに2016年に政府の判断により、同社の時計部門は清算されることとなった。
購入した手巻き時計を耳にくっつけてみると、チクタクチクタクと、リズミカルな音が刻まれている。古い時代のシチズンとインドHMTのコラボによる製品が世に出たのは1961年。55年に渡る歴史の歩みが聞こえてくるようだ。
なお、同社の「Janata」や「Pilot」モデルには、実に様々なバリエーションがあり、以下のような素敵なデザインのものが多く存在している。インドで何かの機会で見かけることがあれば、購入してみるのも良いのではないかと思う。Janataについては1,600Rs前後、Pilotについてはそれより若干高めの金額で考えておけばよいだろう。

HMT Janata 
HMT Janata 
HMT Pilot また、「Braille」という文字盤が開くタイプの時計も製造されていた。こちらについては、日本の東急ハンズで見かけた記憶がある。文字盤に点字が刻まれており、視覚障碍者の方に時間が判るようになっているのだが、デザイン的に面白い製品である。

HMT Braille



































































