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カテゴリー: life

  • ブジ市内

    ブジ市内

    Sharad Bagh Palaceシャラド・バーグ・パレスへ。着いたのは午後1時半くらいで、ちょうど昼休み時間であった。今でもインドではこうした場所に昼休みがあるところはときどきある。古き良きインドがここにまだ残っているという思いがする。門のところで寝ている老人がいて、ただの使用人あるいは門番かと思ったが、チケットを売るのがこの人であったので、実は職員であることがわかった。

    撮影隊のようなものが来ていた。何かと思えば、新婚さんたちの写真を撮るのだそうで、結婚記念アルバムにでも使用する写真を準備しているのだろう。夫婦どちらとも精一杯装っているようだが、非常に垢抜けないのは仕方ない。

    パレス敷地内で、パレスの手前にある様々な品物等が展示されている部分には、トラの剥製もあったが、やはりトラの毛というのはネコなみに細やかでキレイなものであることが、すでに変色してしまっている古い剥製からも見てとれる。

    シャラド・バーグ・パレスの背後部分は2011年の大地震でひどく破損したまま

    パレスは屋上の欄干の部分が崩落してしまっているが、まだ正面からはこれでも地震による被害は少なかったように見える。しかしひどいのは背後で、階段がまるごと落下していたり、柱がスライドしてしまっていたり、二階部分ですっかり崩落してしまっている部分があったりという具合。2001年に発生した大地震の前には中を見学できたように思うが記憶違いだろうか。

    その後、ここから旧市街に戻ってプラーグ・メヘルに行く。前回、2009年に訪れた際にはまだ修復作業中で、公開されている部分はあまりなかったように記憶しているが、作業はだいぶ進んだらしい。外も内もずいぶんきれいに直してある。地震以前よりもきれいになっているといえる。とりわけホールの部分は素晴らしくなっている。そのまま今でも王家のそうした場であるとして使えるようだ。しかし天井の崩壊が生々しい部分もある。天井の絵が無惨に落ちたままのところもあった。奇妙だったのは、壁がまるで木目のようにペイントしてあったりする部屋があったことだ。

    大地震前でさえも公開されていなかった塔に上ることができるようになっており、ここからのブジを一望する眺めは素晴らしい。人口14万7千の街であるが20数万人万人規模のタウンシップで2001年の地震で公式の発表で3万人が亡くなったという事実(この数字は政府による公式発表だが本当はもっと多かったらしい。中には死亡者10万人という説もある。)はあまりに重い。

    城壁に囲まれた旧市街から南は昔の王族たちが建てたチャトリ群

    夕方以降、上空では飛行機が飛んでいる音がする。民間機の発着はこの時間帯にはないはずなので、おそらく軍が国境警備のために飛ばしているのだろう。いかにもパーキスターン近くの最果ての地という感じがする。

    宿に泊まっている人たちの中にスコットランドから来ている中年夫婦。いかにも人柄の良さそうな面持ちのご主人は、実際話してみると、とても感じのいい人だった。奥さんのほうは中華系かと思ったのだが日系。祖父が日本人であったとのこと。それでも百年前とかなんとかで、神戸からカナダに渡った人で、そこで出会ったスコットランド女性と結婚。それが彼女の祖父と祖母であるという。よほど祖父の系質を強く引き継いでいるようで、見た目も仕草も日本人としか思えない奥ゆかしい感じの女性であった。

    とりとめのない世間話をしながら彼らと食事するが、旅行先では普段まったく接点のない人たちと出会うことができるのはいい。

    ブジで宿泊したホテル・マンガラムは快適であった。
  • ジェーティーさん

    ジェーティーさん

    ブジに来たので、以前幾度かお世話になっているプラモード・ジェーティーさんに会おうと、彼が働いているアイナー・メヘル内の博物館に出向いてみたが、すでに退職されているとのこと。

    もうすっかり引退して、悠々自適なのかと思いきや、すぐ近くで観光案内をしたり書籍を売ったりしているのだと聞いたので訪れてみる。アイナー・メヘルを出てから右手に少し進んだところの左手にある小さな店舗スペースでジェーティーさんは本を読んでいた。

    ブジを幾度か訪れた際に、彼にはお世話になっている。先述の博物館で学芸員をする傍ら、カッチ地方を訪れた人たちに旅行情報を提供したり、クルマやオートでのツアーをアレンジなどもしていた(執務中にこうしたプライベートな兼業が成り立つ鷹揚さがいいなぁとも思う)ジェーティーさんである。とにかくこの地域の旅行情報の生き字引みたいな人で、何を質問しても即座に的確な答えが返ってくる。彼が著したカッチ地方のガイドブックもまた良かった。

    久しぶりにお会いしたのだが、相変わらずお元気そうで良かった。彼は、26年間ここの博物館の学芸員として働き、昨年9月に62歳で退職したとのこと。
    「まだまだやらなくてはならないことが沢山ある」とのことで、以前の職場のすぐ近くにこうして案内所を開くことになったのだとか。

    「好きなように書物を読んだり調べ物をしたりしながら、いろいろと書いていますよ」という彼は、これまでの学芸員という「本業」から解放されて、長きに渡り続けてきた郷土史研究に専念することができているようだ。

    下の写真はジェーティーさんによるカッチ地方のガイドブックの最新版。訪れるインド人や外国人のお客の観光相談、カッチ地方の民族・文化・自然に関する書籍を販売したり、ツアーのアレンジをしたりしながら、自らが心から愛する郷土の研究にいそしむ毎日。実に素敵な老後だと思う。

  • ブジへ

    ムンバイーを午後早い時間に出るジェットエアウェイズのフライトでグジャラート州カッチ地方の中心的な町であるブジへと飛んだ。

    2001年の震災前にも幾度か訪れたことがあるが、前回訪れたのは2009年。震災から8年も経過していれば、ほとんどが修復されているのではないか、それともまだその痕跡は数多く残っているのかと、ちょっとおっかなびっくりで訪れた記憶がある。

    旧市街の趣のある町並みはほとんど消えていたと言って差し支えないような具合であったが、同時に驚かされたのは震災前の街区がきちんとそこに再現されていることであった。古い建物は軒並み消失してしまっているようであったが、その同じ場所にどれも同じような築年数で新しい建物が建てられているようであった。やはり地権というものがあるので、当然そういうことになるのだろう。

    ただ異なるようであったのは、おそらく震災後に大きなデヴェロッパーが進出してきたのであろうか、かなりの面積をひとまとめにしてコンドミニアムが建っていたりすることであった。政府も2001年の震災による被災地の復興にはいろいろと便宜を図っているようで、建物の新規着工にあたっての免税措置などが講じられてきたようだ。

    そんなブジの町だが、1980年代末に訪れたときには、とてもカラフルな経験であったことを記憶している。先述の古い町並みもさることながら、町の外からマーケットに買い物に来る、あるいは品物を売りに来る少数民族たちが、実にコミュニティごとの特徴あふれる衣装を身につけていたからだ。

    当時、すでにそうした少数民族の若者から働き盛りまでの年代の人々の多くが、洋服を着るようになっていたものの、女性たちは普遍的なパンジャービー・ドレス姿ではなく、さりとて大量生産のサーリーでもない、独自の背中が大きく開いた衣装であったり、またそれにはさまざまなミラーワークや刺繍などで飾り立てられていたりした。

    そうした人たちがどこからやってくるのかと思ったりもしたが、自転車を借りて町から少し走った先にある村々で、人々はそのような格好をしていたことから、この小さなブジの町から少し出ただけで、そういう暮らしがあることを知り、ちょっと感激したりもした。

    2009年に再び訪れたときのブジでは、周囲の村々との行き来は相変わらず盛んなはずだが、すでにそういう格好をした人たちはまず目にしないようになっていた。やはり工業化が進むと、近代的な工場で大量生産されたものが安く市場に出回るようになる。町の外でも現金収入を得る機会が増えてきて、経済活動そのものが活発になってくるに従い、手間暇のかかる民族独自の衣装は隅に追いやられてしまうことになるのは仕方のないことだ。また、そうしたマイノリティの人々、これがマジョリティから少し下に見られているということであればなおさらのこと、その出自を明らかにする衣装をわざわざ来て町に出るということを避けようということになってしまうのもまた致し方ないことだろう。

    こうした少数民族に限ったことではない。インドには今よりもっと様々な地方色豊かな衣装のバリエーションがあった。それがだんだんこのようなプロセス、つまりかたや商業・経済的な理由、かたや社会的に自分たちよりも上と認識される集団を模倣するというプロセスを経て、「現在のインドのような装い」が定着しているわけでもある。

    例えば、外国人の目には「インドの民族衣装のひとつ」と捉えられるパンジャービー・ドレスと俗称される女性版のシャルワールカミーズにしてみても、元々はインドの国民的な装いというわけではなく、「パンジャービー」という形容が付くことからも明らかなように、インドの西方から伝わったものである。そもそもこれがパンジャーブに入ってくる前には、さらに西方の主にイスラーム圏で用いられてきた衣装である。

    これが現在ではサーリーよりも優勢になっていることの背景には、人々のライフスタイルや意識の変化などがあるだろう。(サーリーについてもこれが全インドで太古から着用されてきたものかどうかについては、言及すると大変長くなってしまうため、また別の機会を設けてみることにする)

    また、このパンジャービー・ドレスについては、日常的にサーリーを着ていた地域でこれに置き換わる形で浸透していくだけではなく、サーリーを着ることのなかった「インド文化圏外」の民族の間でもこれが次第に一般化してきているという点も見逃してはならないだろう。それはたとえば北東インドのモンゴロイド系民族であったり、夏季のラダック地方(冬季はあまりに極寒となるため、こうした衣装はまったく適さない)であったりする。

    ともあれ、サーリーよりも行動的であり、洋服よりも洗濯後の乾燥が早く、また当然のことながら洋装のカジュアルよりも「慎み深さ」を演出しやすい、それでいながら柄やデザインのバリエーションが広く、お洒落着から日常着までいろいろなタイプのものが出回っているといった点が、この衣装が支持される理由であろう。

    話は逸れてしまったが、そんなことを思いながら、久しぶりに訪問するカッチ地方にワクワクしながらムンバイーからのフライトに搭乗した。

  • ムンバイーのシーア派モスク Moghul Masjid

    ムンバイーのシーア派モスク Moghul Masjid

    しばらく前まで、ムンバイーのタクシーの代名詞は、1960年代フィアットのインド現地生産モデル「パドミニー」であり、英領時代からの壮麗な建物の景色と相まって、この街らしいムードを醸し出していた。製造が中止となって久しい今では、すでにごく少数派になっており、ボディーを黄色と黒色に塗り分けられたスズキのマルティ、ヒョンデのサントロなどが走り回っている。

    さて、タクシーでイラン風のシーア派モスクに行く。場所はムンバイーのビンディー・バーザールである。 この建物はMoghal Masjid、Masjid-e- Irani、IranianMosqueなどといろいろ呼ばれるようだ。1860年に建てられた青タイルが美しいこのマスジッドは、シーア派モスク。これを寄進した人物、モハンマド・フセイン・シラーズィーはその名の示すとおり、イランのシラーズ出身。ムンバイーのシーア派モスクは他にもあるが、イラン式の建築はここだけだ。

    このあたりでは200年以上も前からイランからの移住者たちが定住しており、主にそうした同胞たちのために造られたモスクであるとされる。今でもビンディー・バーザールから少し東に進んだところにあるドングリー地区にはイラン系の人たちがかなり多く暮らしている。長らく存在してきたイラン系コミュニティの地縁・血縁などの繋がりにより渡ってきたケースが多いらしく、とりわけヤズド出身の家系が多いようだ。

    さて、話はモスクに戻る。アンクシュ・バット監督のヤクザ映画「BHINDI BAZAR」をご覧になった方は、作品中で幾度か入口部分が出て来ていたのをご覧になっていることだろう。ペルシァ風のタイルで飾られた、非常に美しい門構えである。

    ここを訪れる観光客は少ないようで、門番の初老の男性がチャーイを入れて持ってきてくれた。彼はUPのファイザーバード出身で、長い間ガルフで働いていたという。それで国に送金して、故郷に家族のために家を建てた。また三人の子どもたちはすべて大学にやっており、長男はMAまでやっているところだという。彼の人生はずっと外国に出稼ぎで、家族と暮らしたことはときどき帰郷するときくらいであったとのこと。今では外国での出稼ぎ生活から足を洗い、このモスクの門番をしているという彼は現在62歳とか。
    「何か私自身に残ったものといえば特に思い当たらんが、故郷に家は建てたし、息子たちを大学までやったので満足しているよ。義務は果たしたかな、と。」

    中を見学していると、造りは門だけではなくすべてがイラン式である。敷地に入ると門の内側にはイランの宗教指導者たち(ホメイニ師とハメネイ師)の写真が掲げられている。「セキュリティ上の理由によりカバン類持ち込み禁止」と書かれた札が立っているが、シーア派が異端であるとするワッハービーたちによる攻撃対象となり得るからだろうか。

    冬のイランに来ているようなすがすがしい清浄な気分になるが、外はやっぱりゴチャゴチャのインド。現在、中央政府主導で「スワッチ・バーラト (Clean India)」のキャンペーンが展開中だが、もう少しキレイになるといいな、と思う。

    本殿ではしばらく礼拝が続いていたため、しばらく外で待ち、終わってから中を見学させてもらう。キブラの方向を示す部分は青いタイル貼りで非常に美しい 内部で写真撮りやすいように電気をつけてくれたり、終わってから食事を勧めてくれたりしてくれたのは、ここのムアッズィーン。なぜか知らないが、さきほどここに礼拝に来た人たちはお堂の外で朝食を食べていた。毎日そうなのかどうかは知らない。

    外国人旅行者が多く宿泊するフォート地区、コラバ地区からのアクセスも非常に良く、規模は小さいながらも実に見応えのあるモスクなので、ムンバイーを訪問される際にぜひ立ち寄られることをお勧めしたい。

  • Maghen David Synagogue (Byculla, Mumbai)

    Maghen David Synagogue (Byculla, Mumbai)

    ムンバイーのMaghen David Synagogue訪問。1864年にバグダディー・ジューのムンバイーにおけるビジネスの基盤を整えた伝説の人物、David Sassonが建てさせたもの。このエリアは、かつてテキスタイル関係の産業で栄えたエリアで、労働人口を吸収するためのチャールと呼ばれる独特の集合住宅もまだ多く残っている。

    この街で現存するシナゴーグはシナゴーグといえ9つほどあるようだが、最も知名度が高いのはムンバイー証券取引所近くのKnesset Eliyahoo Synagogue。これはDavid Sassoonの孫であるJacob Elias Sassoonが1885年に建てたもの。 Maghen David Synagogue、プネーにあり1867年に完成したOhel David Synagogueと併せて、Sir Jacob Sassoon Synagogues and Allied Trustsという基金が運営している。

    ほとんど近くまで来たようなのだが、沿道で見かけた人に尋ねてもシナゴーグの場所はよくわからず、そうした中のひとりが、「ここからカーマーティープラーの方向で・・・」などと言うものだから、運転手は見当違いの赤線地帯の方向に走り出してしまう。それが違う方向であると判ったのは、スマホの地図に示されているシナゴーグの場所に近付くのではなく、逆に遠ざかってしまっているからだ。やはり街を散策する際にも、スマホは大変役立つものである。

    「おそらくこのあたり」と思われる場所まで戻ってもらって下車。そこから歩くとほどなく見つかった。さて、シナゴーグの敷地の入口あたりでは、数十人の警官たちがたむろ、いや警備している。すぐ付近に地域の警察署があるという地の利はあるものの、やはり多数の警察官たちを乗せた警察のバスも横付けされて待機していることから、他エリアからも警察官たちが動員されていることが察せられる。このあたりの住民はほとんどムスリムばかりだ。大半はシナゴーグと平和に共存しているとはいえ、いつ何時過激派による攻撃の対象となるかわからないということもあり、相当厳重な警戒が敷かれている。敷地内に入ろうとすると、チョーキーダールに止められて訪問の目的を聞かれた。そこに警官も出てきたので、シナゴーグの見学に来たということを説明する。

    地元との共存を象徴するものとして、Maghen David Synagogue敷地内にある高校の存在が挙げられるだろう。かつてはユダヤ人子弟のための学校であったようだが、インド独立後から現在にかけて、ユダヤ系の人口が激減しているため、現在ではユダヤ系の基金が運営する「普通の私立学校」となっており、ムスリムを含めた全てのコミュニティの子弟を受け入れている。

    建物入口のカギを開ける世話人がまだ来ていないとのことで、近くの店でチャーイを飲んでから戻る。すると、シナゴーグには数人のユダヤ人が来ており、そのうちの1人としばらく話したのだが、もともとはムンバイー生まれで子供の頃に両親とともにイスラエルに移住したという67歳の男性。ユダヤ教徒であることを示す帽子「キッパー」を被っている。

    この日は土曜日なのでユダヤ教の安息日のSabbath。 シナゴーグの世話人が堂内の照明を点けて、聖書を手にして祈りの時間が始まった。司祭はいないし、礼拝に必要な人数(というのがある)もいないため個々で祈りを捧げるのみである。

    このSabbath(土曜日)には、写真撮影等は禁止になっているとのこと。ヒンドゥー教徒の世話人は、ヒソヒソ声で「今日、本当はダメだけれども、正午過ぎに来たら写真撮らせてあげる」と言う。その時間帯にはユダヤ教徒はいないのだとか。夕方になると祈りのためにやってくるので、その前までにしてくれと言う。この人にとってそもそもSabbathの日には撮影そのものを許可していないという前提ならば、それがそのまま彼の小遣い銭となるわけだ。内部の写真のためにわざわざ戻ってくる時間はないので、これについてはパスすることにした。

    写真は100、ビデオは500と許可の料金を示す告知が壁に張り出してある。ところで、このようにカメラはいくら、ビデオはいくらと料金を定めているところは多いのだが、今やデジカメでもなかなかの画質の動画が撮影できるので、ビデオカメラという区分はもう意味がなくなっているのではないかと思う。

  • THE BOMBAY STORE

    THE BOMBAY STORE

    THE BOMBAY STORE

    ムンバイーのHorniman Circle近くでコロニアルな建物を見物しながら歩いていたら、たまたまこの店の前を通りかかった。外から眺めてもなかなか洒落ていていい感じのみやげもの屋である。

    広々とした店内の品揃えは大変良好。ラインナップは当然インド製品であり、かつ洒落ていて気の利いたものが大変多い。各種工芸品、彫像類、衣類、紅茶、香水、アクセサリー、家具、寝具類、キッチン用品、バス用品等々、実に多岐に渡る。

    値段の割には品物の内容が芳しくなく、値段も割高な中央政府によるCCIC (Central Cottage Industries Corporation of India Ltd.)が運営しているエンポリアムが、「品物を選ぶセンスが良くなり、デザインも品質も優れて、洒落たものを置く」ようになったとしたら、こんな具合になるのだろうか。店内の雰囲気や店員たちの態度も極めてしっかりしており、同店のウェブサイトにある「1905年創立、ボンベイ証券取引所に上場した最初の小売業者」という伝統もダテではなさそうだ。

    商都ムンバイーでは、インド関係のいろいろな品物について、それぞれの分野でいい物を置いている店は多いが、日本へのおみやげ購入のためにいろいろなアイテムを同時に見比べて一度に購入したいようなときには、このお店は重宝するだろう。THE BOMBAY STOREは定価販売でもあり、時間の節約にもなる。おススメのショップである。

  • SWACHCH BHARAT (Clean India)

    SWACHCH BHARAT (Clean India)

    モーディー首相率いる現在の政府が打ち出しているスワッチ・バーラト(Clean India)
    キャンペーンにあやかって、各地でもスワッチ・ブジだのスワッチ・ラージコートだのという呼びかけがなされているようだ。

    政党の活動家やらその手の人たちか、それとも地元の住民たちが自発的に行なっているのか知らないが、明らかに本来の掃除人ではない人たちが大勢で道路を清掃している姿もあったりするが、なかなかいいものだと思う。

    これが一過性のものではなく、今後も続くといい。写真はムンバイの繁華街のコーラーバーにて、「スワッチ・コーラーバー」。せめてポイ捨てはやめて欲しいものだが、大都会の商業地では、土地に根っこを持たない人が多いので、ちょっとムズカシイかもしれない。

    だが日常的にこうしたものを目にするだけで、人々の意識は変わってくることだろう。たとえ時間はかかるとしても。こうしたものが公衆衛生やトイレの普及(こちらについても今回の政府は力を入れている)等々、民生の向上に繋がってくれると大変嬉しく思う。

    政府の掛け声でこうしたキャンペーンが展開されたのは、実はこれが初めてではない。だが今回はモーディー首相の人気ぶりと指導力に大いに期待したいものだ。

  • 豪華なパーン

    豪華なパーン

    ムンバイーのコーラーバー・コーズウェイで超豪華版のパーンを見かけた。
    インド人観光客向けにいかにも豪華なものに仕上げてあり、てっぺんにはチェリーまでのっけている。
    最近は喫煙人口も大きく減ったように見えるインドだが、しばしばタバコ葉も使用されるパーンを嗜む人も減ったように見受けられるが、こんなに美しく飾り立ててあると、久しぶりに口にしてみたいと思う人、普段は口にしないけれども、試してみたいと思う人は少なくないはず。
    田舎から上京して、あるいは他の都市からここムンバイーにやってきての物見遊山。そんなハレの日くらいには、パーンを楽しんでみてもいいだろう。
    そんな時にはやっぱりこれくらい非日常的な豪華版のほうがふさわしい。

  • 映画「PK」

    映画「PK」

    映画館のポスター

    12月19日に公開されて大きな話題となっている「PK」を観に行った。

    宗教各界から上映中止を求める声が上がったり、あるヒンドゥー右翼団体による激しい抗議活動が展開されたりなど、様々な反響を呼んでいる作品である。

    Protest against Aamir Khan’s ‘PK’ escalates, theatres in Gujarat vandalized (THE FINANCIAL EXPRESS)

    あらすじを簡単に説明すると、このような具合だ。この作品をこれから観ようという方は、ここから先を読み進むとネタバレとなってしまうことをご了承いただきたい。

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    地球の調査のためにラージャスターンに着陸した宇宙人(アーミル・カーン)が到着。だが間もなく、身に付けていたロケット(Locket : 胸飾り)を奪われてしまい、仲間と交信することが出来なくなってしまった。これなしには帰還することが出来ないため、彼にとっては死活問題となる。

    これと同時並行で、ベルギーでパーキスターン人のサフラーズと恋に落ちたジャッグー(アヌシカー・シャルマー)が、サフラーズの裏切り(その時点ではジャッグーにとってそのように捉えられた)で傷心の帰国。そしてテレビリポーターとしてのキャリアをスタートさせる。

    何か特ダネはないかと模索していたジャッグーは、「神が行方不明。ご存知の方は下記までご連絡を」と書かれた奇妙なチラシをデリーメトロ車内で配布する黄色いヘルメット姿の男、PKと出会う。

    この男に興味を持ったジャッグーは、彼と接触を試みる。あるときお寺で賽銭箱から現金を抜き取ったPKが人々に袋叩きになりそうなとき、機転を利かせて自分の財布を賽銭箱の中に落とし、「彼は私の財布を探してくれようとしていたのだ。嘘だと思うなら賽銭箱を開けて調べてくれ」と言う。果たして、開かれた賽銭箱からはジャッグーの名前と顔写真が入ったIDが入った財布が出てくる。

    これがきっかけとなり、ジャッグーに対して心を許しつつあるPKが自分の身の上を語り始めるようになった。最初は彼の言うことを信用していなかったジャッグーだが、彼が人の心を読み取る特別な能力があることを知るにいたり、彼が自分の星に帰還できるようにするため全面的に協力することを約束する。

    このふたりが邂逅する前、PKはまず地球人の言葉能力を獲得するために協力してくれる人(数時間に渡り、その相手と手を繋いでいる必要がある)を見つけるために苦労を重ねる。その能力を得てからは、どうやら自分が取り戻そうとしているものを手にするためには、「神」という存在に頼らなくてはならないというように考えるようになったが、その神を祀る宗教施設、神との間を取り次ぐということになっている聖職者等は世間にたくさんあるものの、実際には誰ひとりとしてその神に直接接した者はいないことが判ってきた。

    またその神に対する人々の態度も様々であり、それぞれ異なる方法で接していることから、どれが正解なのかPKには計りかねた。ある宗教(キリスト教)では清浄なものであるとされているワインがイスラーム教徒にとっては禁忌であったりする。いったい神とはどこにいるのか、また人々に何を説いているのか・・・。

    やがてPKは、ある有名なヒンドゥー聖職者がヒマラヤで神が授かったものであるとして、自分のロケットを持っていることを知ることとなった。宇宙船からラージャスターンの大地に降りて間もなく、彼のロケットを強奪した男は、なんとこの聖職者にこれを高く売りつけていたのだ。

    この後、ジャッグーが所属するテレビ局が、この聖職者とPKの対談の中継が実現し、ふたりは激しいバトルを展開していく・・・。

    最後にようやく再びロケットを手にしたPKは、ジャッグーに見送られて宇宙に帰還する。
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    大変良く出来た、腹を抱えて大笑いできるコメディー映画であるのだが、同時に非常に社会批判性の強い作品でもあり、信仰や人間性といったものに対していろいろ考えさせてくれる仕掛けがあちこちに散りばめられている。

    自然界に存在しない、人間が創り上げた文化、つまり「信仰」「宗教」などと呼ばれるものが、人々を分け隔てしまっていることに対する痛烈な批判。万が一、神という存在がこの世にあったとしても、本来ならば個々がその神とやらに直接コンタクトすればいいところだが、宗教者やら宗教団体という、いわば「ブローカー」が介在して、人々から上前をハネていること、巨万の富を生み出すビジネスとなっていることなどについて、これまで少なからず疑問を抱いていた人たちは多かったことだろう。

    そんなことから「神」と距離を置く個人はあっても、表立って異を唱えることが出来ないのは、所属する共同体とのしがらみであり、さらには家族の世間体への配慮ということになるのだが、これを軽々と乗り越えてしまうのが、様々な神々に自らの問題の解決を懇願しつつも果たせず、それぞれの宗教の矛盾を体感してしまった宇宙人であり、この世のそうした事柄とのしがらみを持たないニュートラルな存在であるからだ。

    さて、神を信じようが信じまいが、信仰というものが、それぞれの国や地域における精神文化、思考や価値観と切り離せないつながりがあることはもちろんのことである。また、共同体意識、社会奉仕の精神、道徳観といった精神性の部分で果たす信仰の役割は決して悪いものであるとは思わない。それでも先述のとおり、宗教というものには、非常にネガティブな部分も多く、それを表立って糾弾しにくいものがある。

    加えて、万人の平等やらなんやらを唱えつつも、信仰そのものは往々にして味方と敵を区別する旗印になっており、そのカラーの違いで向こう側の人たちを傷つけたり、殺めたりということがしじゅう世の中で起きていることは誰も否定できないだろう。

    作品中でこんなシーンがあった。
    アーミルが木のたもとに石板を置き、もうひとつ大きめの石をちょこんと立てて、その「額」にあたる部分に赤いティーカーを付ける。それで神像に見立てたうえで、その前の石版に幾ばくかのコインを置き、「これで投資が何倍にもなる」とつぶやく。

    やがて通行人たちがこれを見つけて、次々に祈りを捧げ、賽銭を置いていく。中には地面に身体を投じて、つまり腹ばいになって祈る人も出てくる。観客たちは大笑い。
    そうした中で、チャーイワーラーもあらわれて、そうした人たちにチャーイを売るようになる。

    アーミルが仕掛けた「石」は、結局のところ、人が「でっち上げた」怪しげな宗教団体なり、施設を示唆しており、そこには神など存在しないのに盲信してしまう人々を象徴する。

    そのお金を生みだす「石」と、おなじくお金を稼ごうとするチャーイワーラーの比較で、「あの人、あのひと(チャーイワーラー)は、お客を呼び込むためにへつらい、腐心するけど、あちら(神像に見立てた石)のほうは人々にへつらうことなく、向こうからやってきて、しかもお客のほうが媚びへつらっている」と揶揄する。

    また信仰の典型的な装いを、それとは異なる信仰の人たちに着せて登場させてみたりするシーンもあった。そうした見せかけのカタチにとらわれていると、事実を見誤ってしまうこと、本当に大切なのは××教徒という装いではなく、もっと本質的なことであることを私たちに悟らせてくれる。だがこの映画が唱えているのは無神論であるかといえば、そうでは決してないことが判ることと思う。

    アーミル演じるところの宇宙人は本来、裸であるというところで、本来人々自らが何ら自身を偽って飾り立てることない清らかな存在であるらしい思わせるところで、生のままの自らに内在しているはずの神性や善性を示唆していたりするなど、すべてのシーンやセリフ回しに、数え切れないほどのメッセージがこめられている。

    だが、それらがまるでそれぞれの水源から始まった川の流れが次第に合流して大河となって、やがては大海に注がれるように、きれいに統合されていく展開は見事だ。それでいて、まったく説教臭くないのも素晴らしい。
    ここに描かれているのは信仰に関する事柄のように見えるが、実は世の中あちこちで普遍的に存在する不条理な「常識」「因習」「しがらみ」への挑戦でもあり、インド国外でもグローバルに支持される内容だと思う。基本的にはワッハッハと腹を抱えての笑いをとるコメディー映画だが、あちこちに散りばめられた鋭い社会党批判とエンターテイメント作品中としての両立に、いたく感激した。

    また、その後の現実社会の展開も興味深い。宗教勢力の一部から映画の中での表現を巡って物言いがついているが、その内容はごく表層的な部分への批判にしかなっておらず、作品が指し示した本質的な部分に関しては、手も足も出ない状態のようだ。まさに映画「PK」のファイナル部分での展開と同じになっているのが興味深い。こうした勢力から上映差し止めの請求が出されたものの、裁判所は「観たくなければ、観なければいい」とこれを却下している。

    まさに「PK」の痛快なストーリーが今度は現実社会で続いているわけで、ここでまた大笑いなのである。いつか日本で上映される日も来るであろうから、皆様にもぜひご覧いただきたいと思う。

  • バーングラーデーシュの2タカ硬貨は日本製

    すでに1年ほど前の話になるが、日本の独立行政法人造幣局がバーングラーデーシュの2タカ硬貨を製造することとなっている。

    バングラデシュ中央銀行から2タカ貨幣の製造を受注(独立行政法人造幣局)

    バングラデシュ2タカ貨幣製造受注に関する契約調印式(独立行政法人造幣局)

    他にもニュージーランド、スリランカ、カンボジアブルネイミャンマーオマーンなどの記念硬貨の製造を受注している。また、独立行政法人印刷局はインドネシア政府証券印刷造幣公社との間で技術協力等に関する覚書を交わしている。

    独立行政法人国立印刷局とインドネシア政府証券印刷造幣公社との間で技術協力等に関する覚書を締結 (独立行政法人国立印刷局)

    日本の紙幣の印刷に使われているのは株式会社小森コーポレーションの印刷機だが、インド中央銀行に紙幣製造一貫プラントを1996年に納入開始している。

    日本の貨幣製造技術が国外でも高く評価されているがゆえのことであり、人々が日々手にするお金に日本の「技」が生きているということは喜ばしく思う。

  • ASUS TF103C

    ASUS TF103C

     

    最近のAndroid環境は、スマホでやタブレットといったハード面でも、OSやアプリ等のソフト面でも、AppleのiPhone, iPadなどに較べて遜色なくなってきた。

    タブレットも携帯性を重視した7インチという小さめのサイズ、主に自宅での利用を視野に入れた10.1インチの大型画面のモデル等、各々の使用目的に応じて、様々な価格帯から選択できるようになっている。先月はLenovoから13.3インチという、とりわけ大きな画面を持つタブレットも発売されている。タブレット端末も低価格化が進み、かなりハイスペックなものが手頃な価格で購入できるようになっているのも嬉しい。

    これほど世間にタブレットが浸透している背景には、寝ているとき以外の時間帯にはネットに常時接続であるということが当たり前になっていること、様々な形態によるネット接続の普及、電子書籍の普及などもあるが、大きな画面サイズであるがゆえの「スマホではこなせない利用目的」や「パソコンではちょっと難しい用途」、つまりスマホとパソコンの間の隔たりを埋めるエリアへの需要が高いからだ。スマホ、タブレットとパソコンの利用目的は重なる部分はあるものの、守備範囲は大きく異なるがゆえに、三者三様の需要がある。

    だがタブレットのサイズについては、ノートパソコンに近いものがあるため、このふたつを兼ねることができる、つまりタブレットとしてもノートパソコンとしても利用できるようなものがあると便利、というニーズも当然あるわけで、それに対応したのがウィンドウズOSで駆動する、あるいはAndroidで動くキーボード付きタブレットであるということになる。

    両者ともに長所・短所があることについては否めない。前者はほとんどパソコンとして利用できる強みがあるが、それとは裏腹にスマホで馴染んでいるAndoroid環境とは異なることにストレスを感じたりすることもあるだろうし、Androidではごく当たり前のアプリがWindowsにはない、ということもよくある。

    後者については、従来のスマホやタブレット環境と同じという点が利点であるとともに、Windowsではないためパソコン環境とかなり違うという不利な部分が表裏一体となっている。つまり「いつも使っているアプリ」をじゃんじゃん利用できるという便利さがあるものの、マウスを使えないこと、印刷や保存ファイルの取り回しから始まって、パソコンでいつも使用しているソフトを使うことができないなどといった制約がある。

    だが最近ではAndroid 端末からの印刷が可能となっているプリンターは少なくないし、少なくともオフィス系のソフトならば、Microsoftの製品と互換性を持たせたものが出ている。そのため、タブレットとして利用しつつも、限りなくパソコンに近い使用さえも可能な製品も数多く出回るようになっている。

    日本語文書を作成する際に、打鍵数が少なくて大量の文字を打つ場合に有利な「かな入力派」にとって、Android端末への物理キーボードからの日本語入力環境が基本的に「ローマジ入力」であったことすでの過去の話となり、現在ではnicoWnn IMEをインストールすることにより、「かな入力」環境がごく当たり前に用意することができるようになった。

    キーボード付きタブレットといえば、やはりパソコン的な用途となることが多いためか、Windows RTあるいはWindows 8で動くモデルが多いようだ。しかしながら個人的にはスマホあるいは小ぶりなタブレットの延長線上にあるAndroidベースのものもなかなかいいと思う。先述のとおり、日本語入力環境が改善されていることもあるし、オフィス系のソフトもマイクロソフトと互換性の高いものが無料あるいは廉価で入手できるからだ。

    そうしたアンドロイドOSでキーボード付きのタブレットとしては、ASUSのTF103Cはとりわけ魅力的に感じられる。今年7月に発売されたが、すでに3万円以下で入手できるようになっている。スペックもハイエンドとは言わないまでも、必要にして充分以上の性能だ。コストパフォーマンスの観点から卓越したものがある。

    タブレット本体の重量は550gだが、キーボードを付けると1.1kgとやや重くなってしまう反面、手にしてみるとなかなかしっかり感があって好ましく思える。取り外しができるキーボードだが、造りもしっかりしているし、合体時には実にしっかりと本体と結合するのも安心感があっていい。

    SIMを差し込んでの3GやLTE通信は対応しておらず、ネット接続はWifiのみとなるが、Wifi環境のない場所では、スマホからBluetoothテザリングでネット接続するという前提が考えると、これまた安上がりでいいかもしれない。

    単体でタブレットとして使ってもよし、キーボードを装着してノートパソコン的に利用してもよし。日常生活で、また旅行先でも大いに使い回すタブレット兼ノートパソコンとしての大いに活用できる1台ではないだろうか。

    Asus Transformer Pad TF103C 2-in-1 Android tablet review (liliputing.com)

     

     

     

  • ラダックの氷の卒塔婆プロジェクト

    NGOジュレーラダックのウェブサイトにて、この団体の現地パートナーであるSECMOL
    の興味深いプロジェクトが紹介されている。

    氷の卒塔婆プロジェクト基金(ジュレーラダック)

    氷河が融解して水が流れ出す前の4月と5月、畑での耕作を開始する時期にあたるラダックの農家は水不足に直面するとのことで、地球温暖化により氷河そのものが後退している中、さらに困難な局面を迎えているのだという。

    そうした中で、冬の間にも利用できる水をストゥーパのような形にして貯めておき、ここから融解する水を先述の季節に利用するというアイデアだ。ストゥーパの形にするというのは、体積に対して表面積を小さくすることにより、溶け出すまでの時間を稼ぐためである。

    環境に負荷をかけることなく、すでに存在している水資源を有効に活用しようという、地元の人々が主体の自助努力であり、今後の進展が注目される。詳細や寄付金受付等については、上記のウェブサイトに記載してあるのでご参照願いたい。